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どうぶつのつぶや記

カルマ・ウラ氏が見た日本と五木寛之氏が見たブータン

ブータンの続きです。

以前紹介した五木寛之氏の「21世紀 仏教への旅 ブータン編 (21世紀 仏教への旅)」の中で、特に興味深かったのは、ブータン研究所所長、カルマ·ウラ氏と五木寛之氏との対談の場面だった。

カルマ氏はオクスフォード大で社会学を修め、今はブータン憲法の草案者でもある、国を代表するオピニオンリーダー。

日本にも滞在していたことがあるというカルマ氏の言葉には、GNPは世界トップクラスであっても、国民誰もが幸せだと感じているとは言いがたい日本の現状を鋭く分析した上で、数々の貴重な意見を述べている。

カルマ氏が感じた日本の印象を本文の中からいくつか紹介すると···

ブータンに比べて日本では公の場でのふるまいや行動がきびしく制約されていること。
日本人の行動バターンは非常に自制がきいていること。
こうすべきだ、ああすべきだという見えない規制が社会にあって、それに従っている人が多いこと。
そして、人間関係に限らず道路も舗装され、川もコンクリートで固めて水が流れる場所を決めてしまっていること。
公園の木の並びかたでさえきれいに定められてしまっていること。

日本の都市空間がコンクリートを多用して自然を規制しているのを見て、あまりにも決めつきすぎではないのかと驚いたという。

日本人がこのように自然を規制する必然性は、経済大国をつくるという一点から出てきているという結論に達したそうだ。
カルマ氏によると、あの戦争における敗戦が日本人の意識にゆらぎというか、亀裂のようなものをもたらしたのではないかと分析する。
そして戦後の日本人は、山の頂きを目指して短期間の間に先進国の仲間入りを果たした。

日本人は個人が努力しただけでなく、いわば兵隊として組織をつくり、そのことによって経済大国にはなったものの、組織がつくられたことにより、個人は全員そこに属さなければならなくなってしまった。

その結果、個人が心の安らぎを求めるとか、個人が幸福を追求するということが難しい状況になっているのではないのか。個人の充足感、自然、他の人たちとの人間関係を犠牲にして、その上に築いた発展だったのではないだろうか。
(本文より)

一方、五木氏が感じたブータンの印象とは。

そんなにあくせくしなくていいよ、思いつめなくてもいいよというゆるやかな感覚。
この国の人々はどことなくの正直で誠実な感じを与える。
それでいて堅苦しくなくよく冗談をいう。

ダライ氏との会談後、五木氏が感じ取った印象は、今の日本を覆う閉塞感を鋭く指摘している。

私たち(日本人)は、数値化され、形象化されたものだけにこだわり、目に見えないものの価値や目にみえない世界というのを見失ってきたのではないか。
そのために、今、大きな壁にぶつかっているのではないか。
ということである。

このことは、

日本の自殺者数の多い現状や小学生の「人を殺すことがなぜいけないの」という問いかけと根底の部分でつながっているように感じる。

次回は、「日本とブータンの『死の質』の違い」について紹介したい。
by kkamoike | 2007-10-21 07:40

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