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どうぶつのつぶや記

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三木市職員、これからの三木 雑感

「10年間自分で考えたらだめな組織だったので、職員が育っていません。」
これは、あるフェイスブックで、三木市政を取り上げた記事に対するコメントです

仮に、三木市が、そのような組織であったなら、志を高く持ち、公務員の仕事に懸命に取り組んでこられた方たちにとっては、さぞかし、やりきれない、そして苦しい10年間だったのではないでしょうか?

一方で、「いつか夜は明ける」と信じ、腐らずに、その瞬間を夢見て、懸命に耐え、目の前の仕事と真剣に向き合ってきた方たちもいるはずです
今の三木市にもそんな方たちが必ずいると信じています


子どもの教育を語る時などに、よく言われる、「自由」と「規律」

「規律」は、好き勝手なことができず、窮屈という印象がありますが、一方で、自分で考えなくても、上からの命令どおりに従っていれば、責任はとらなくてもいい場合があることを考えれば、ある意味、楽です

しかしながら、「自由」は、一見、楽に見えるけれども、自分で責任を持って考え、行動することが求められるので、厳しく、しんどい面があります

職員の方たちにとっては、これから、今まで以上にやり甲斐を持って仕事に取り組めるという反面、今まで経験したことのない、
もしかしたら、全国のどの自治体職員も経験したことのないような大きな壁、これまでの困難とは全く次元の違う困難にぶち当たることになるかもしれません

そんな時は、ぜひ、仲田市長とともに、その困難な状況から「自分たちの手で、この組織を蘇らせるんだ」という気概を持って、頑張っていただきたいです
そして、冒頭のようなコメントの予想を裏切るような活躍を期待しています

私たち三木市民も、頑張る職員の方たちを温かい目で見守り、応援し、市と協力しながら、この三木を今まで以上に魅力あるまちにしていけたらいいなと思っています

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by kkamoike | 2017-07-14 21:39 | 三木市政 | Comments(0)

公共事業を政治家が仕事をしたかどうかのバロメーターだと考えていませんか

三木市は、「財政危機宣言」という全国でも例のない宣言を発するほど、緊急事態に直面しているはずなのですが、現在の市長が就任してからも引き続き多くの公共施設が完成し、今もなお計画中、計画に着手しようとしている大規模プロジェクト、施設が目白押しの状態です。
公共事業が悪いとは言いませんが、結局、今の市長が就任して第一に掲げたはずの「財政再建·健全化」という目標は、いつの間にか棚上され、これらの公共公共施設の完成や着手と引き換えに、財政危機宣言が出される状況に陥ってしまったわけです。


市長は、財政危機宣言を発する要因に、市税や国や県からの減収が予想以上に見込まれることを挙げていますが、そういうものも見越して全体の収支バランスを考えていくのが、経営の基本というものではないのでしょうか。
身の丈にあった生活をするのは、庶民の間ではあたりまえのことです。
自治体経営も同じはずです。
まさに「入るを計って出るを制す」です。


いろいろな団体、地域にいい顔ができるからかもしれませんが、物事には優先順位があって、我慢することをせずに、あれもこれもと手を付けていては、いずれ破綻していくのは目に見えています。
また、前回の記事でも触れましたが、三木市には、他市がうらやむほどの施設が市内のいたるところに、しかも、公民館やデイサービスセンターなどは、市内の各地域にまんべんなく整備されています。
これらの今後のメンテナンス費用にかかる資金は一体どうするおつもりなのでしょうか?
公共施設を建てたら行政の役目はそれで終わりになるとでも思っていらっしゃるのでしょうか?


自分が任期中に建てた公共施設がどれだけあるか、公共施設の建設にどれだけ関わったかということが、政治家がどれだけ仕事をしたかというバロメーターになると信じているとすれば、それは大きな間違いだと思います。
新しく作り出すことだけに意義を見出すような、個々の政策だけが一人歩きしてしまうような市政運営ではなく、今あるものを大事にし、活かすということに重きを置き、トータルバランスの取れた市政運営を目指すべきだと私は思います。
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by kkamoike | 2009-11-01 18:04 | 三木市政 | Comments(5)

誰のための「地域主権」なのでしょうか

公明主導の子育て応援手当 仙谷氏、1254億円凍結要請
(10月14日7時56分配信 産経新聞)

仙谷由人行政刷新担当相は13日、長妻昭厚生労働相と会談し、平成21年度補正予算の削減額上積みのため、3~5歳の子供を対象に1人あたり3万6千円を支給する「子育て応援特別手当」を全面凍結するよう要請した。同手当は全額国庫負担で、予算総額は1254億円。このほか、すでに750億円の凍結を表明している地域医療再生基金についてもさらに削減するよう求めた。長妻氏は回答を保留し、厚労省の政務三役で検討する考えを示した。
仙谷氏は、ほとんどの自治体で支給開始が12月ごろになるため、現時点で凍結しても影響は少ないと判断した。手当が公明党の主導で実現したことから支給を凍結し、民主党が掲げる「子ども手当」など子育て支援策の財源に充当したい考えだ。
ただ、全国の市区町村の議会で予算案が可決されるなど準備が進んでいる上、一部自治体ではドメスティックバイオレンス(DV)被害者を対象に申請受け付けも始まっているため、自治体から不安の声が上がっている。手当の支給を期待していた子育て世帯の反発も予想される。
同手当をめぐっては、先の通常国会で民主党は「支給が一時的で、効果は限定的だ」と否定的な見方を示していた。ただ、長妻氏は9月25日の記者会見で「すでに(申請の受付が)始まる直前で事務も整っている。寸前に急に切り替えることはよく考えないといけない」と述べ、支給の凍結には慎重姿勢を示していた。
同手当は、昨年秋以降の経済危機への緊急措置として、麻生政権が20年度第2次補正予算における子育て支援の目玉政策として導入。15年4月2日~18年4月1日生まれの子供約330万人を対象に、1回限りで3万6千円を支給する。20年度補正予算では第2子以降のみが対象だったが、21年度補正予算で第1子にも拡大された。


数日前の記事で状況は刻一刻と変化していますが、引用した産経新聞の記事の中からも、補正予算の凍結は、政府内でも意見が分かれていて、調整が難航していることがよくわかります。
また、国と地方との関係で見ても、凍結のタイミングや事前調整の不十分さなどから不安や不満が広がっているようです。

子育て応援手当、兵庫·三木市が独自に支給へ (10月15日00時28分 日本経済新聞)
全国知事会の麻生渡会長(福岡県知事)は15日、長妻昭厚生労働相が廃止を明言した「子育て応援特別手当」を巡り、「自治体の一部では申請受け付けも開始されており、突然かつ一方的に執行を停止することは現場に混乱を与える」として削減の対象としないよう求める地方6団体合同の緊急声明を発表した。
一方、兵庫県三木市は同日、「子育て応援特別手当」を市独自で支給することを決めた。支給対象は1778世帯の1982人で、支給総額は7136万円。市の財政基金を取り崩して財源を確保し、11月中旬から支給する予定だ。
藪本吉秀市長は政府の支給停止方針を批判。「市は財政危機宣言を発しているが、子育て支援策の一環として独自支給する」と述べた。


そんな中、三木市では、「子育て応援特別手当」の支給凍結という厚生労働省の発表を受けて、市単独で支給に踏み切る判断がなされました。
今回は、三木市の財政危機宣言に触れた市長のコメント部分を取り上げている日本経済新聞の記事をあえて引用しました。


今回の件も突っ込みどころ満載ですが、いちいち書いているときりがないので、言うことは二つに絞らせてもらいます。
一つ目は、地域主権について、二つ目は、説明責任についてです。


地域主権の理想を追い求めたばかりに、自分たちの地域は自分たちで守る、地域の実情に合わせて地域に必要な政策を選択するという地方自治の本旨を忘れ、結果的に自治体としての活動を停滞させてしまうようなことがなければいいのですが。
リーダーとして地域主権とは何か、国と地方の関係はどうあるべきかといった考え方を持ち、その理想の実現に向けて努力することは当然のことですが、一方で、自分たちが置かれている現実を見据える中で、出来る範囲のことを考えていく、その辺のバランス感覚というものが必要になってくるのだと思います。


そしてもう一つ、
本当に市民と向き合うことが地方行政の姿だと言うのであれば、三木市に限っていうなら、先ずは財政危機宣言を発する中で、基金を七千万円も取り崩すことに対する今後の財政再建計画への影響、また、来年度以降の更なる住民負担やサービスカットなどに至ることは本当にないのかといった部分での説明責任をきっちり果たすべきではなかったかと思います。
その上で三木市独自の政策として実施すべきかどうかを議論するべきであったと私は考えます。
今回の発表は、国や他の自治体、マスコミへのメッセージにはなったのかもしれませんが、市民に対するメッセージとしては、あまりにも筋が通ったものとは言い難いもので、市民を無視した、市民不在の中での自分勝手なメッセージであったのではないかと思います。
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by kkamoike | 2009-10-17 11:50 | 三木市政 | Comments(13)

「意識の問題」なのか、「能力の問題」なのか、はたまた・・・

 『三木はどうなるのだろう?』
今朝の雑感日記さんには、三木市政に対する不安が書き綴られています。
このような漠然とした不安を払拭するのが政治家の一番の仕事であり、それを実現するための一番の近道は、市民に対する情報発信と説明責任ではないかと思いますが、現実はそれが上手く機能していないということなのでしょう。


市民をこのような不安に陥れる要因、機能していない原因は二つ考えられます。
一つは、政治家自身は市民が思うほど不安に感じていないということが考えられます。
一言でいえば、「意識の問題」となるわけですが、仮に問題があったとしてもそれを問題として認識できなかったりだとか、今直面しているややこしい問題にはできるだけ関わりたくない、気づかないフリをしてしまうのもこのような「意識の問題」に含まれてくるのではないかと思います。
もう一つは、「能力の問題」です。
漠然とした不安を感じたり、このままで本当にいいのだろうかというような気持ちはあるけれども、それに対して、自分の意見が主張ができなかったり、相手の意見に対し反論する術を知らなかったり···。
要は自分が考えていることを市民や相手に対して、分かりやすく伝え、説得させることができないという類の問題です。


そして、何より、政治家による情報発信と説明責任が一番市民の目にとまりやすい機会が、議会という場であるはずなのですが、現状は、必要な情報が必要なタイミングで伝わらなかったり、議論すべきタイミングでしかるべき議論がなされないなど、やることなすこと全てなし崩し的に物事が決まってしまっていまる状況です。
まちの将来を大きく左右する重要な政策が次から次へと提案される状況であるなら、議会という場でもっと喧々諤々の議論が展開されてもいいはずですし、市民の議会への注目度がもっとアップしても不思議ではないはずですが、残念ながら、そのような緊張感が溢れる場には程遠い、お粗末な状況だと言わざるをえません。


このような体たらくな状況、あるいは「死に体」の状況を建て直すための議会改革に関する具体的な提案については、ふるさと日記さんがしっかりと纏めておられます。
当然、政治家の皆さんはプロですから、先進地視察もいろいろな所に行かれて良いところ悪いところをいっぱい勉強してこられているはずですから、『今さら何を言っているんだ。』とか『そんなことは百も承知だ』とおっしゃるかもしれませんが、一市民にこれほど具体的に、懇切丁寧に改革案を提示されるということは、ある意味、情けないことだと感じてもらわなければ困ります。
市民からそのように言われるということは、今どういう状況で検討がなされているのかということが、全然伝わっていないからだという反省に立っていただかなければなりません。
これまで市民から声高に、議会に対して特別な注文をつけられることがなかったということもあるのかもしれませんが、私は、あらゆる場面において、市民を前提に考える意思(気持ち)がない、もっときつい言い方をすると、市民のほうを向いて仕事をしていないのではないかとさえ思ってしまいます。


三木市では、現在、様々な行革が断行されていますが、先ずは、こういう議論の基礎となる問題から、政治家自身襟をただし、改めていくべきだと私は思います。
議論の土台がしっかりしたものになっていないと、単に時間とお金の浪費だけを招くことになりかねないからです。
いずれにしても、今の三木市の政治家は、あらゆる面での本気度が足りず、真剣さに欠けている気がしてなりません。
市民にアピールしているほど、自分たちは「危機」を感じていないのかもしれませんね。
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by kkamoike | 2009-09-30 19:42 | 三木市政 | Comments(2)

人を巻き込んでいく上での考え方

他の方の意見や考え方を知ることによって、今まで気づかなかったことの発見や、新しい発想へとつながっていくのもブログの大きな魅力の一つではないでしょうか。
最近、特に注目しているのは、三木市のことをテーマにした「ふるさと日記」というブログです。
自分には書けない内容、今まで気付かなかった部分、より具体的な提案にまで踏み込んだ内容は、非常に勉強になります。
今日の「ふるさと日記」で取り上げられた記事は、市役所改革というカテゴリーで、「信頼される市役所をつくる方法」というものです。


具体的な提案内容は、それぞれの考え方があるので、ここでは言及しませんが、物事の考え方、方向性はあらゆる事象に通じる部分があり、共感できるところが非常に多いと感じました。
職員の方たちの給与水準の引き下げの話にしても、人事院勧告などのこれまでの慣例を一気に蔑ろにしてしまうわけにはいかないでしょうが、例えば、マイナス思考から導き出された結論(財政難だけを強調して→給与水準の引き下げを行う)と、協働のまちづくりを作り上げていく上で、欠かせないプロセスなんだという大枠を決めた中でのプラス思考から導き出される結論(新しいまちづくりを描き出し→それに見合う新たな給与水準を構築する)とでは、同じ給与の引き下げという手段を駆使したとしても、その背景となる目的や意義(そもそもの発想、起点、呼びかける中身など)というものは全く異なっていますから、その事実を受け入れる側の気持ちや考え方も必然的に違ってくるのではないかと感じました。


要は、同じことをするにしても、やらされ感が残ったままだったり、上からの押し付けだけでは、人の心を前向きにさせたり、心を動かすことはできないということではないかと思います。
繰り返しになりますが、個々の取組の選択肢自体は人それぞれのやり方があるでしょうが、物事を進める際にどういう順序で話を組み立て、結論付けるかなどの人を巻き込む上での考え方というものは、すべてに共通するものがあると感じました。
内部管理、まちづくりや協働にも同じことがいえるのではないでしょうか。


同じことをするにしても、やり方やものの考え方の順序が違えば、もたらされる結果は全く違ったものになる。
そのことをよく理解したリーダーこそが、部下や外部の人からの人望を集めることとなり、よい成果をもたらすことになるのだと感じました。
そして、こういう場面においても、まちづくりについてどれだけ熱く語れるかという力量が、リーダーには求められることになるのでしょうね。
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by kkamoike | 2009-09-25 22:35 | リーダーの条件 | Comments(16)

危機感を煽るのではなく、安心感を与えるのが政治の役目

米田議員のブログには、今回の一般質問の背景となった、市民が感じる不安についてこう述べられています。
「昨年9月末に財政危機宣言が市長よりされ、
様々な市民生活や活動に影響が出ている中で、
行政側の意識の変化より市民の不安·不満がたまりつつある。」
と。


そんな中、どの政策に重点を置くかとか、どの事業を優先して行うかということは、人によって考え方がそれぞれ違うから、しょうがないと言ってしまえばそれまでなのですが、
広報に掲載されていた内容を見ても、あまりにもそれらの事業の決定、進めるタイミングなど、「財政危機宣言」を発した今の時期になぜ?と思うものがあります。
例えば、旧玉置家住宅の整備や三木鉄道跡地に関係する整備費などは、今、この時期にこれだけの事業費を投じて本当に取り掛からなければいけないものなのかという疑問があります。
これは、私個人の思いだけでなく、私の周りにいる多くの人も不思議に思っていることです。
一方で、花火大会などは、具体的な再開の時期は示されていません。
市民が不安に思っていることというのは、まさにこのことだと思うのです。
すなわち、財政危機宣言を発する状況に至ったのはやむを得ないとしても、宣言しっぱなし、言いっぱなしのままでは不安だということなのです。


「このままいけば破綻するかも」といった不安を煽るばかりで、肝心の再建に向けた工程表、スキーム(計画)が具体的に、市民にわかりやすく示されていないから市民は不安を感じているのだと思うのです。
例えば、安心できる財政水準の明示、市民病院の再建の見通し、あるいは、大規模な整備事業を選択したことによって将来もたらされる効果など。
市民により身近なところで言うなら、いつまで我慢すればいいのか、あるいは、花火大会はいつ復活させるのかなど、要は「安心」できる到達点、目標をはっきりと示してほしいということなのです。
大事なのは、「財政危機宣言」を受けて、そのあとの対処法をどう考え、具体的にどう取り組んでいくのか、そしてそれを市民にどう示し、安心感を与えられるかだと思います。


今の三木市の市政運営を見ていると、このような根本となる部分をきっちりと押さえないまま、ただ地元の要望に沿って多くの事業が野放しに展開されているような気がしてなりません。
「三木式地域主権」と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、このような「財政危機宣言」を発する異常事態の今だからこそ、市の執行部だけでなく、議会や市民も巻き込んだ取組、一体となって政策の優先順位を考え、政策決定をしていく仕組みづくりを確立し、市全体でもって、シビアな目で「選択」と「集中」を実践していかないと、お金なんていくらあっても足りないと思います。


市にとって、市民に安心して生活を送ってもらうための取組は、どんな事業よりも優先されるべきものであるはずです。
そのような意味からも、一刻も早く、市民が安心して生活が送れるよう、その裏づけとなる計画を速やかに策定し、市民にわかりやすく示していく必要があるのではないかと考えます。
「五年後には破綻するかも」といった市民の気持ちをネガティブにさせる宣言ではなく、「○年後には県下で○番目の財政水準にし、市民サービスの満足度も今以上にアップさせます。」といった市民の気持ちをポジティブにさせてくれるような宣言をしてもらいたいものです。
この方のように。
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by kkamoike | 2009-09-12 14:43 | 三木市政 | Comments(0)

議員とともに成長し、「三木のまちづくり」を一緒に考えていく気があるかどうか

前回の記事では、議会に対する論文を引用させていただき、地方議会のあり方について考えました。
議会自体に改革していこうという意欲と取組が必要だということは言うまでもありませんが、我々市民もまた、政策立案ができる議員を育て、政策重視の政治を実現していくためには、それ相応の覚悟と根気が必要なのだということがよくわかりました。
たまたま、同じ日の同じ時間帯に、fuji-takeさんの「ふるさと日記」にも議会に関する記事がアップされていました。
こちらは議員定数について、ご自身のお考えを述べられています。ぜひご一読ください。
私は、議会に対して、こんなふうに意見が出されるということは、議会運営や議員に対して、いい意味でも悪い意味でも関心が持たれているということであり、何とかならないのか、何とかしてほしいという、ある意味、議会や議員に対する期待の表れではないかと感じています。


そんな中、議員を見守り、育てていくという観点において、市民の模範とならなければならないはずの、行政の長ともあろうお方から、またしても耳を疑うような問題発言が飛び出しました。
私はこのことが非常に悲しく、残念でなりません。
その発言こそ、今日の一般質問の場で、市民力の米田議員の質問に対して発せられた、「ネガティブ」という言葉です。
この言葉を発するに至った質問とは、市の「財政危機宣言」を受けての、市民や職員の反応、市に対する影響をどう考えるのかを問う内容、まさにそれは、市民があまり表に出すことのない気持ちを代弁した発言だったわけですが、その市民の想いや表に出てこない声に対し、あろうことか、「ネガティブ」な発言と一等両断に切り捨てたのです。
恐らく、こんな市民を冒涜する発言が恥ずかしげもなく口にできるのは、議員という存在を軽く見ている証拠であり、市民の代弁者である議員に対して尊敬の念を持ち合わせていらっしゃらないからでしょう。
それとも、全くの個人的感情に任せた、私的な発言だとでもおっしゃるのでしょうか。
以前にも「若いのにコンサバティブな・・・」という発言をされましたが、若いとか年がいっているとか、男性だとか、女性だとかは一切関係ない話です。それぞれ市民の信任を得て議員に選ばれた方であって、市長と同じ政治家でいらっしゃるわけですから、そのような発言を議員に対してするということは、市民がコンサバティブであり、ネガティブだと言っていることと同じことなのです。


私は、今回の米田議員の発言の一部始終を聞かせていただきましたが、市長の恫喝とも取れる下品な対応にも臆することなく、理路整然と二回目、三回目の質問をされたことに、三木市議会の新しい風、可能性を肌で感じることができました。
正直、これまでまともに質問ができる議員は、共産党の議員ぐらいしかいらっしゃらないのかと希望を失っていたのですが、次の議会からは、俄然、米田議員の発言に注目していきたい、いや、注目されるに値する雰囲気(落ち着いた口調や間の取り方など)や自ら理論展開をリードしていく力、議論のイニシアチブを握るといった実力を持たれつつあると感じました。


市長自身が、議員を陥れたり、言葉尻をとらえて非難や口撃を仕掛けたりすることしか頭にないようでは、三木の政治はいつまでたっても良くならないと思います。
行政の長には、これほどの質問が出来る議員が目の前に現れてきたことに対する喜び、高度な議論が市民生活をより良くしていく貴重な場になることへの感謝、そして、三木のまちづくりを一緒に考えていこうという誠実な心を持ち合わせた器であってもらいたいものです。
そのような姿勢を持つことが、市議会の活性化につながっていくのだと思います。
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by kkamoike | 2009-09-10 21:16 | 三木市政 | Comments(5)

まちづくりの根幹をなす議論なしでははじまらない

少々古いネタですが、
数日前の神戸新聞に、三木市の平成20年度の決算見込みに関する記事が掲載されていました。
この記事に関して、fuji-takeさんのブログ「ふるさと日記」に、感想を書いておられます。要は、新聞には「黒字」と書いてあるけれども、基金を10億円以上取り崩しての決算など、赤字同然ではないのか?というご指摘です。
ごもっともです。
また、fuji-takeさんは、市の会計を家計に置きなおしてこんなふうに表現しておられます。
『家計で、今月10万2300円貯金を切り崩したから、9400円手元に残ったのを黒字と言えるでしょうか?
だんなさんが無駄遣いして貯金減らして、今月黒字だなんて言ったら奥さん怒りません?』

確かに怒ります。(「怒られます」というほうが正しい表現でした。)


三木市の「財政危機宣言」には、毎年10億円以上の基金を取り崩すという大前提があります。
このまま毎年、基金を10億円ずつ取り崩す状況が続けば、5年後には基金は底をつき、財政再建団体に陥るかもしれないという内容です。
当然、この状況を指を加えたまま放置しておくつもりはないと思いますが、どうも今のやり方を見ていますと、毎年10億円の取り崩しを前提として、予算規模を従来の規模から10億円を確実に増やす形で予算執行していくために、いろいろな市民サービスをカットしているとしか思えないのですが···。


一見、サービスをカットしても、別のもので市民に還元されるものがあるならそれはそれでいいんじゃないの?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、本来、必要であるサービスがどんどん削られ、一方で、計画性のない事業や、今必要のないハコモノが建てられたり、病院経営の構造的な改革には着手せず放置したままの状態であるとするなら、それは、単なる税金の垂れ流し、行政経営の怠慢以外の何ものでもありません。
財政危機宣言に伴うサービスなどのカットは、あくまで一時避難的な措置であって、恒久的なカットにしてはならないと私は認識しています。
一時的な措置、財政的なやり繰りをするための措置として、サービスカットに取り組むのはよいのですが、10億円以上の収支不足が今後も発生する状況が当たり前と考えるのは正常な状態だとは言えず、三木市の財政規模は身の丈にあった予算規模になっているとはいえません。
にもかかわらず、10億円の収支不足が当たり前と見せかけるような予算編成を今後も続けるということは、三木市民を欺く財政的なトリックの何者でもありません。
以前、収支不足の原因として、小野市との比較をした資料が掲載されていることを紹介しましたが、この資料の意図するところは、まさしく、今後、10億円の収支不足を恒久的なものであると見せかけるための作為的な情報操作であり、三木市の財政規模を今よりも10億円膨らまそうとするためのトリックにほかならないのです。


今回の9月議会では、そのあたりの真相を深く切り込み、問いただせる議員は果たしているでしょうか?
分かっていて質問しないのは、議員の行動もまた、市民を欺いていることと同じことだということを認識すべきでしょう。
本当の三木市のあるべき姿はどんな姿なのか、理想とする財政規模はどれぐらいなのか、まちづくりの根幹にかかわる部分の議論を疎かにしたまま、いくら議論をしていても意味がないことを、市長も、議員も、そして私たち市民もそろそろ気づくべきではないかと思います。
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by kkamoike | 2009-09-07 19:49 | 三木市政 | Comments(13)

まちづくりを考える「スケール」が小さすぎやしませんか

市のホームページに「平成20年度の決算見込みの概要」と題した資料が掲載されています。
前々回の記事でピーマンさんも指摘されておられますが、この資料の4ページには、三木市の収支不足を客観的に分析するための材料として、小野市の「人件費」、「税収」、「市債残高」(いずれも見込み)を、三木市の人口規模に置きなおした数字で比較がなされています。
結論から言いわせていただきますが、こんな比較に一体何の意味があるのかが、私にはさっぱりわかりません。
市長のマニフェストの重要項目である、「人件費の削減」と「市債残高の減少」の必要性を強調したいがためだけの、作為的な資料としかいいようがありません。
10億円もの収支不足が生じているのは、そんな個別の話だけの問題ではなく、市営運営全体のトータル的な話であって、もっとわかりやすく言えば、まちづくりのスタンス、方向性に一貫性がないだけのことなのです。いつまでも、人件費や借金のことばかりにこだわっていても、本当の改革はできません。
状況はどんどんどんどん変化しているのですから、素早く次の手を考え、対応していかなければならないのです。


身の丈に合わない背伸びした政策を次から次へと展開するようなことは論外ですが、まちづくりや行政経営に欠かせない「人」や「モノ」、「お金」の配分をどうしていくのかということは、言い換えれば、どんなまちづくりを展開していくのか、他の自治体と差別化された政策を考え、三木市独自の特色を打ち出していくのかということの裏がえしでもあるわけです。
したがって、それぞれの配分が小野市と同じでなければならない必要性はまったくないのであって、それらをどう配分していくのかを、実際のまちづくりとのバランスを考え、試行錯誤していくことこそが「経営」であると私は思うのです。
誰も小野市と同じまちづくりや、スケールの大きさを同じように揃えることなど、望んでいないはずです。


「人件費」、「市債残高」を小野市のレベルに近づけるために、こういうことに取り組んでいますということが書かれてあります。
(厳密には、小野市との比較データを客観的な判断材料として、実際の収支不足を克服するために取り組んでいる内容にはこんなものがありますという意味なのでしょうが···)
確かに収支不足を解消するための取組の一つに、そのような部分に着目して、「人件費の削減」や、「市債残高の減少」という改善項目があってもいいでしょう。
しかし、同時に考えないといけないのは、資料にある「税収」までもが、数値を置きなおした場合に、小野市を下回るという現実を、どう克服するのか(してきたか)という点です。
実際、これまでの4年間、どういう取組にチャレンジしてきたのか、一体、その差はどういうところに原因があったのかといった分析はいつ、どのようにされたのか。
私は、経費削減という切り口も大事でしょうが、むしろ、まちを再生させるためには、税収をいかに確保し、上げていくのかという視点、取組が非常に重要であると感じています。


何度も言いますが、三木市は、小野市のスケールにあわせる必要など全くないのです。
なぜなら歴史も、まちの魅力も違うわけですし、小野市にはない良さが三木市にはあるはずだからです。小野市にも同じことが言えます。
それぞれの良さを生かすために、どうしても力を注ぎたいところに、人やお金をつぎ込む必要があるなら、それはきちんと市民に説明ができればいいわけで、何でもかんでも小野市を基準に考える必要などありません。
市長ご本人は、そんなつもりは毛頭ないとおっしゃるかもしれませんが、こういう資料の作り方一つをとってみても、市の目指すまちづくりがどういう方向を向いているのか、そして、その中身のスケールが大きいのか小さいのかがよく見て取れます。
次期市長選挙を目指す人には、少なくともスケールの大きなまちづくりを考えられる人で、まちづくりの目指す方向性を市民に対して分かりやすい言葉で、きっちりと語れる人であってほしい。
そんなことを、この資料を見ながら感じました。
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by kkamoike | 2009-09-02 19:07 | Comments(5)

総選挙と市長選挙

今回の政権交代を期待と不安が入り混じる中で見守っている国民は、少なくないといわれています。
国家の根幹をなす安全保障上の問題をはじめ、財源の問題、目玉といわれている数々のバラマキ政策など、専門家から言わせれば、突っ込みどころが満載のままでの船出となると、多くの国民が不安を感じるのは当然といえば当然かもしれません。


私自身は、民主党の政策を期待しての地滑り的勝利というよりも、現状打開に向けて手を打てなかった自公連立政権による政治に愛想をつかし、未知の世界ではあるけれどもとりあえず新しい政治局面に対しての期待のほうが、大きかった結果ではないかと感じています。
それだけ、国民の生活は切羽詰まった状況だともいえるわけです。


民主党政権には、待ったなしの決断が求められているのだと思います。絶対的安定多数に胡座をかいてのらりくらりと国民の目をくらますことにしか頭が回らなかった自公連立政権と同じ過ちは、もう通用しない、許されない段階に国民の意識レベルも変わってきているということを肝に銘じ、責任ある政権運営を期待したいと思います。
そして、自民党には真の二大政党政治に相応しい、これまでの無責任な発言を繰り返すだけの野党のイメージを払拭すべく、責任ある追及、政策論争が展開できる政党を目指し、一からの出直しを図ることを期待したいと思います。



さて、総選挙が終わり、次はいよいよ市長選挙となります。
市民の目をくらますことばかりに力を注ぐ点では、末期の自公連立政権と同じ政治運営とも取れるわけですが、そろそろ三木市民も、誠実な市政運営ができる真の政治家を望む気運を、今、自分達から盛り上げていかないと、現状の閉塞感はいつまでたっても取り除くことはできないでしょうし、ますます状況は悪化の一途を辿ることになるのは間違いありません。
民主党の主張する「財源配分の見直し」は、三木の財政を立て直す、閉塞感を打開する上でも十分通用する有効な手段であると私自身は考えています。
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by kkamoike | 2009-09-01 22:32 | Comments(0)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。
S M T W T F S
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