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どうぶつのつぶや記

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市民のレベル以上の政治家は生まれない

この間の三条市長日記を読んでいて、ふと目に止まったものの中にこんな記述がありました。
『さて、今日から、三条市議会では、一般質問が始まりました。将来のまちの方向感、教育、福祉、財政などなど、各般にわたってのご指摘をいただきましたが、圧巻は、今期限りで引退を表明されている某議員さん。通算90回以上続けてきた一般質問の総仕上げということもあり、大変〝格調高い〟ご指摘を繰り広げられていらっしゃいました。これまでの長きにわたって、三条市政に叱咤激励をいただき、ありがとうございました。』


一見、この何気ない文章の中に、色々な意味で、大事なことが表れていると感じました。
『相手に対する敬意』
『市政に対する情熱』
『政治家としてのこだわり』など···
これらのどれが欠けても自由闊達な議論が展開される議会にはなり得ないのだと感じました。


翻って、今の三木市議会はどうでしょうか?
rfuruyaさんは、先日、傍聴された際の感想をこのように述べておられます。
市長の『不遜』な態度などは全くもって論外ですが、私は議員が行う一般質問に何が欠けているのかが、今回の三条市長日記の記事を読んでようやく見えてきたような気がします。
簡単に表現すれば、発言そのものに「魂が込められていない」ということです。
政治家としての信条を熱く語る部分がもっともっとあってしかるべきだと思います。
内容はもちろん、言い方も含めて···。


自分がわからないことを聞いて、「ハイ、わかりました」だけで終わってしまうのではなく、例えば、今回の議員定数の削減に関する審議にしても、質問した議員は結局、①どういう部分が納得がいかないのか
②方法論はともかく削減することには賛成なのか反対なのか
③では自分はどういう方向に進めるべきだと考えているのか
など、少なくとも、聞いている多くの市民は議員がどうしたいと思っているのかがほとんど見えてこなかったのではないかと思います。
しっかりとした自分なりの主張、代替案を持った上で、その理念や方針を熱く語った上で、相手の主張に切り込むことをしていかないと、説得力も、迫力も全く見られない、心を揺さぶることのない、ただの一般質疑になってしまうのがオチなのだと思います。
残念ながら、今回の議会一般質疑全般にわたり、唯一つ印象に残ったのは、「単に自分達の都合だけで定数削減に反対しているのではないか」という疑念だけでした。


三木の議会が本当の意味で機能しはじめるのは一体いつになるのでしょうか。
『議会での議論のレベルが、政治家のレベル、ひいては市民のレベルそのものである』
と断言するのは言い過ぎではないような気がします。
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by kkamoiKe | 2010-03-12 19:55 | 三木市政 | Comments(1)

政治家は語れてなんぼ

選挙の余韻もようやく収まってきたようです。
一時的にブログのアクセス数も多くなっていましたが、最近は、平常どおりのアクセス数に落ち着いてきました。

今回も前回に引き続き、議会のネタです。
今回の市長選挙でも、常々市民が不信感を持っている市会議員の資質が随所に露呈されたのではないかと私自身は感じています。
どういう点でそのように感じたのかいくつかの事例で紹介したいと思います。


投票日前、ある場所に某市会議員の方が新人候補を引き連れてお見えになったのですが、ただ「よろしく頼みます」という内容の言葉ぐらいしか発せられず、そのまま新人候補を紹介されました。
もちろん主役は市長選挙の候補者なのですが、私としてはせめて、この市会議員が「候補者の訴えるこの施策を一緒に進めていきたいと思っている」であるとか、「この候補者がめざしているこういうまちづくりの方向性に共感したから私は彼を応援しています」など、自分の描くまちづくりの姿と重ね合わせながら推薦理由をしっかりと語ってもらいたかったと強く感じました。

相手がどうだこうだというような比較論だけを用いるのではなく···


また、現職候補がマニフェストに掲げておられた「議員定数削減」に関する見解も、残念ながら市会議員の方の口からは一切触れられませんでしたが、一有権者の気持ちとしては、議員自らの言葉で、「この問題は、現職候補に言われなくとも必ずや自分たちの手で定数削減も含めた議会の改革を断行していくので期待して見守ってほしい」という意気込みぐらいは語ってもらいたかったと感じました。


やはりこのような短い時間しか与えられていない場面でも、自分の考え、まちづくりについてのビジョンがしっかりと語れない、あるいは効果的なメッセージを発せられない政治家では、有権者の市会議員を見る目が厳しくなるのも頷ける気がします。
もう「顔パス」だけで有権者がついてきてくれる時代ではないのですから。
「政治家は語れてなんぼ」の時代なのだと思います。
有権者はそんなちょっとしたところをしっかり見ているものなんだと思います。
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by kkamoiKe | 2010-01-25 17:57 | リーダーの条件 | Comments(2)

議員定数削減問題と三木のまちづくり

議員定数の削減について反対しているわけではないのですが、この議論の切り口の一つとして、今の議員の存在、活動が見えないから、「定数を減らしてもよい」という発想はおかしいような気がします。
例えば、全ての議員が有能な人であり、市民のために一生懸命活動できる人たちばかりであったなら、私は定数「20」でも多いとは思いませんし、支払う報酬についても決して高いと思わないでしょう。
議員の能力や活動が不十分だということと、定数が多いから少なくするということは分けて考えるべき問題だと思っています。


そして、若い有能な人たちが議員という政治家を志し、議員という職業で生活が成り立っていくような環境を長期的な展望にたって整備するにはどうすればよいか···
本来、定数適正化を含めた議会改革の議論は、そんな観点からも行われるべきだと思っています。
「削減」ありきの改革、「削減」しか能のない改革は、もう時代遅れなのだと思っています。
若い世代に魅力あるまちづくりを真剣に考えるのであれば、若い有能な政治家をたくさん輩出できる環境づくりをまずは真剣に考えることが必要ではないでしょうか。
高齢者の割合が多い、将来に明るい展望を見い出しにくい三木市の厳しい現状があるからこそ、単に定数削減に賛成、反対という単純な議論だけに終始するのでなく、斬新な発想にもとづく冷静な議論が、今こそ望まれているのだと思います。
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by kkamoike | 2010-01-20 21:14 | 三木市政 | Comments(6)

「脱・グレシャムの法則」

『おいしいもの見つけ隊 隊長日記』は、いつも家族全員で、おいしい食べ物やおもしろいお店のネタがアップされるのを楽しみにしているブログの一つです。
そんなとっつきやすい記事の中にも、しっかりとしたマーケティングのエッセンスが盛り込まれているところにも魅力を感じています。
もちろん、ビジネス、マネジメントに絞った記事もアップされています。
そんな『おいしいもの見つけ隊 隊長日記』から、最近、特に「ふんふん」と思わず頷き、納得させられた記事がありましたのでご紹介します。
『目先の利益、とらわれるな』です。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、まだ読んでいないという方はぜひご一読ください。
今回、私がアップした記事のタイトルにも使っている「グレシャムの法則」という言葉、恥ずかしい話ですが、この隊長日記さんの記事で初めて知りました。
最初はなんのことか(勉強不足で)全く分かりませんでしたが、記事を読んでいくうちに、マネジメントにおいて陥ってはならない法則であるということがよく分かりました。


そして、この「グレシャムの法則」について、ホームページで検索をしているとこんなページにも辿り着きました
『がんばれ社長!今日のポイント』 
ここでは、「脱·グレシャムの法則」というテーマで、詳しく説明がなされていますので、要点だけを抜粋してご紹介します。
「脱·グレシャムの法則」
●イギリスのトマス·グレシャムが1560年にエリザベス女王に対して進言した“Bad money drives out good.”(悪貨は良貨を駆逐する)という法則がある。グレシャムの法則とよばれるこの法則は、通貨の問題だけでなく、あらゆることに応用がききそうだ。
 ◇優先順位の低い仕事は、高い仕事を駆逐する
 ◇日常業務は、改善業務を駆逐する
 ◇既存事業が新規事業を駆逐する
 ◇既存客まわりが新規客開拓を駆逐する
 ◇耳ざわりの良い話が耳の痛い話を駆逐する
 ◇成績の悪い部門(人)に割く時間が、良い部門(人)に割く時間を駆逐する
 ···etc
●今やっている仕事を定期的に点検し、目標を達成するために個人や組織を軌道修正する機会が必要だ。経営方針の発表も役員会議も営業会議も部署内ミーティングもそのために存在する。しかし、そうした本来の主旨から離れた会議に出くわすことが多いのはなぜか?諸連絡や先月の成果と反省、今月の見通し発表などで終始し、グレシャムの法則に陥っていないかを点検する機能が備わっていない会議が多い。
(略)
●年に一回、半年に一回、四半期に一回、毎月一回、毎週一回、毎日、それぞれの頻度でチェックすべき事柄がある。問題が発生したから議題にのぼるのではなく、問題があろうがなかろうが定期的に議論すべきテーマがあるのだ。たとえば、次のようなテーマは是非とも社内で定期的に話し合ってほしい。
 ◇我社のビジネスモデルは変える必要がないか
 ◇ライバル他社は最近どのような動きをして、どんな結果を出しているか
 ◇顧客や市場を開拓するための活動は今のままでよいか
 ◇顧客満足度は半年前にくらべてどのように変わっているか
 ◇社員は活き活きと働き、存分に能力を発揮できる環境にあるか
 ◇社員の能力開発のためにすべきことはないか
 ◇我社の収益、生産性、財務体質は計画にくらべてどのように推移しているか
 ◇我社の事業目的や経営理念に近づくために、何をすべきか、何をやめるべきか
 ◇同業種·異業種の成功企業から学ぶことはないか
 ◇いまから新規に事業を始めるとしたら、今の事業をするか



三木市でもこれまで庁内会議なるものが定期的に開催され、ホームページなどで会議の内容がオープンにされてきましたが、残念ながら、最近は開催回数もめっきり少なくなり、会議の内容ももう一つ論点が定まっていないというか、中身に乏しい感が否めません。
「改革」に終わりなどない、日々「改革」であるはずなのですが···。
しかし、こういう一見派手ではないけれども、日常における地道な一つ一つの点検や話し合いの積み重ねこそが本当の改革実現に向けた土台になっていくのではないでしょうか。
以前にも「改革」の定義を引用しましたが、「改革」とは、上から押し付けるものでも、スローガンや聞こえの良い言葉だけで表現できるものでもなく、実は内から湧き上がってくるものであったり、日々地道に根気強く取り組んでいかなればならない一つ一つの積み重ねという部分が「改革」の成否を大きく左右する要素になるのではないかと感じたりもします。


政治家や候補者が「改革」を口にする際、我々が最も注意しなければならない点は、「改革」だと唱える一つ一つの項目、派手に目を引くアドバルーンのようなスローガンだけではなく、改革を行っていくためのポイントをどこに置いているのか(置こうとしているのか)という点についてもよく観察し、スローガンの裏に隠された本当の意図を理解する必要があるのではないかと感じます。
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by kkamoike | 2010-01-04 20:04 | マネジメント | Comments(2)

市議会「新時代」の幕開けにできるかどうか

昨日『新しい時代を感じさせる一言』と題した記事を書きましたが、三木市議会では一足先に「新しい時代」への挑戦が始まったようです。
先日の神戸新聞には、もて木議員大西議員がそろって会派を脱会し、当面は一人会派として活動をされるという記事が掲載されていました。
お二人の勇気と決断に心から拍手とエールを送りたいと思います。


私はこれまで、特に市長派チルドレンとされた議員に対し数々の憎まれ口を叩いてきました。
おそらく、お二人からも恨まれているんだろうなと思っていますが、そういうことも全部ひっくるめて私にとっては久々に明るく嬉しいニュースとなりました。
議会に関しては暗い話題や活気のなさばかりがクローズアップされがちでしたが、最近の米田議員の一生懸命な活動の姿勢に引き続いて、お二人にもその決意の表れを行動にして示していただくことになれば、市民の議会を見る目も自然に変化してくるのではないか、周りの同僚議員に与える好影響も出てくるのではないかと期待します。


もて木議員も書いておられますが、本来、地方政治に与党も野党もないのは明らかです。いやむしろそういう概念で動くべきではないはずです。
今、ほとんどの市会議員が新人候補の稲田さんを推薦されているようですが、私は、その行動の源にあるのは、真の地方政治を自分たちの手に取り戻す、市長と議会の健全な関係を築くための確固たる意思の表れなのだと解釈しています。
仮に新しい市長に新人候補がなった場合に市議会の言いなりにさせようとするような邪な性質のものではもちろんないと思っています。
また、俗に言う「市長派チルドレン」などとは明らかに異なる概念なのだと思っています。
3年前?に、このような「市長派チルドレン」のような関係を自ら望み、そういう会派作りに関わってこられたであろう現職市長のほうがよっぽど「しがらみ」のある市政を目指してこられたのではないかと私自身は感じています。
市会議員であるにもかかわらず、市長の言うことに100%賛成、従うなんてありえません。
市長も議員も同じ市民から信託を受けた政治家である以上、いかなる理由があろうとも法律で規定されていること以外は基本的に対等でなければならないはずです。
自分の意思でもって考え行動することこそが真の政治家というものだと思います。
もちろんお互いの立場を尊重し合い、相手の権限に委ねなければならない部分は委ねていく姿勢が根底にあるのは言うまでもないことですが・・・。
ですから、今回の件は、現職の市長への反逆でも何でもありません。
お二人が本来の政治家としてとるべきスタンスに身を置かれただけのこと、自己改革に向けて一歩足を踏み出されただけのことなのです。


定数削減が叫ばれる中、議員としてのスタンス、資質などを自ら見つめ直し、議員自らが改革への道を自分の足で一歩踏み出されたことは大変素晴らしいことだと思います。
なにはともあれ、お二人の新しい門出に拍手です。
お二人のまともで勇気ある行動がこれからの三木市議会改革への挑戦に向けた大きな後押しになることを心から祈っています。
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by kkamoike | 2009-12-23 08:57 | 三木市政 | Comments(2)

信頼関係

今回の米田議員、大眉議員の質問に対する市長の態度や答弁の内容については、
rfuruyaさんやまかずさんが詳しく取り上げておられます。
昨日の私のブログ記事には、議会の改革に必要な前提条件の一つとして「市長と議会との間の信頼関係」を挙げましたが、まちづくりのあらゆる取組においても、他の様々な改革を推し進めていく上においても、この「信頼関係」が関係者の間でしっかりと築かれていなければ、所詮、絵に書いた餅、スローガンを唱えるだけ、笛吹けど踊らずの状態になってしまい、ただただ時間と労力だけが消費されてしまうのだと思います。


「まちおこしは 人おこし」いい言葉ですね。
この言葉は昨日のさるとるさんのブログで紹介されていた言葉です。
「そういうことだったら一緒にやろうじゃないか」
「あの人が言うんだったら、やってやるか」
「ぜひ私も力になりたい、貢献してみたい」など···
人の心を動かす根底には、必ず関係者の間に「信頼関係」が築かれています。


「協働」という言葉をあえて行政のほうから口にしなくても、それぞれのやるべき役割をしっかりと押さえ、相手の邪魔にならない配慮や心遣いがきちんと備わってさえいれば、そこに自然と「信頼関係」が生まれ、自主的にまちづくりに参加してみようと思う人たちが増えてくるのだと思います。
そうなれば、まちは必然的に元気になっていくのだと思います。
相手の考えを尊重し、相手の立場に立った行動を地道に積み重ねていくことが、人をその気にさせることへと繋がり、いわゆる「人おこし」から「まちおこし」へと繋がっていくのだと思います。


「財政危機宣言」や「病院問題」、「日本一美しいまち三木への取組」など、三木が今抱えている多くの問題に対し、市民は市民なりに疑問を感じたり、不安を感じたりしているわけです。
たとえ答弁する側にとっては、小さなこと、つまらないことであったとしても市民にとっては切実な問題なのです。
市議会の一般質問において、議員は自分の意思だけで質問をしているのではありません。
市民の代表として、市民の声を代弁してみんな質問を行っているわけですから、それらの質問に対して不誠実な対応を取ることや邪険に扱うような姿勢を見せることは、市民との間にある「信頼関係」を自ら断ち切る行為と同じことなのです。
これでは本当の意味での協働のまちづくり、改革をすることによってどんなまちの姿を描いていらっしゃるのか分かりませんが、それらを実現させることは難しいでしょう。
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by kkamoike | 2009-12-11 20:44 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(4)

第300回定例会本会議 質疑·一般質問で感じたこと

2日間の市議会の一般質問が終わりました。
今回は、たまたま仕事がオフでしたので、2日間、ほとんどの方の質問を聞くことができました。
やはり毎回思うのは、骨のある質問が出来る議員が限られているということですね。
こんな市議会の一般質問の内容なら、無理して日程をとって開催しなくても、本当に質問したいことがある時にだけ、質問したい人だけがすればいいのにとも感じてしまいます。
なぜそんなふうに感じてしまうのでしょうか?
それは、一般質問のほとんどが政策論争にまで発展せず、単なる質問のままに終わってしまっているからでしょう。


その打開策はといえば、もちろん、議員一人ひとりの努力(答弁する市長側も含む)にかかっているのでしょうが、やはり個人の努力だけに頼るのではなく、市議会全体の問題として捉え、議会運営のやり方などを見直すことが一番の近道ではないかと感じます。
今のやり方では、努力しなくても給料だけもらえる政治家をのさばらせる温床になったとしても、市の執行部と議会とが切磋琢磨できる土壌には程遠い状況ではないかと感じます。
そしてもう一つ感じるのは、質問する側と答弁する側が同じ方向を向いていないということです。
一つ一つの考え方は違っていたとしても、大局的な流れの中で同じ方向を向いて話をしないといけないのに、話がかみ合っていない、都合の悪い話になると逆切れしたり、逃げたり、はぐらかしたり···。
お互い足の引っ張り合いをすることしか頭になかったり、疑心暗鬼の状態のままだったり、突き詰めていけば、お互いの信頼関係が築けていないということに行き着くのかもしれません。
しかし、相手のほうが悪いからとか、取り付く余地も与えないからとかという理由で、お互いが背を向けたままでいることは、実はどちら側にとっても一番楽な方法であると同時に、市民への背信行為であることを肝に銘じてもらわなければなりません。


議員の質が悪いなどの理由で「定数を減らせ」と言うのは簡単ですが、私はその前に、「当事者は今の体制の中で一体どれくらいの努力をしてきたのか?」と問いたいです。
現状のどこに問題があって、その問題を解決するためにはこれからどんな取組が必要で、それぞれがどんな意識で臨み、どのように現状と向き合い、改革を進めていけばいいのかをどれだけ考えてきたのかと···。
そのような根本的な改革にチャレンジしないままで、定数さえ削減すれば改革の目指す姿に近づくというのは単なる空想にすぎません。


話は変わりますが、皆さんは三木市議会の一般質問の議事録武雄市の議事録を見比べたことはあるでしょうか?
見比べたことがないという方は、ちょっと目を通すだけでもいいのでぜひ一度見比べてみてください。
大きな違いは、一問一答方式、一人の持ち時間をフルに使ってのやり取りなのですが、その内容は、まさに議論を一つ一つ重ねる政策論争そのもので、議事録を読むだけでも臨場感たっぷりの緊張感あふれる雰囲気が伝わってきます。
今の三木市議会の一般質問でのやり取りを聞く限りでは、武雄市のやり方で通用する政治家は市長を含めて果たして何人いるのだろうかと感じてしまいます。
そして、今の会派を代表して質問をするやり方もまた改めてもらいたいとつくづく感じました。
やはり、市民に普段の活動をPRできる機会、一番手っ取り早く知ってもらえる機会こそがこの一般質問の場だと思いますので、ベテラン、新人に関係なくできるだけ多くの議員が登壇する運営方法に改めてもらいたいと思います。


そのような真の意味での三木市をよい方向に導くための政策論争が展開できる場を創り上げていくことで、政治家自身も切磋琢磨しながら成長していけるでしょうし、そのような姿を市民にアピールし続けていくことこそが、市民からの信頼を勝ち取る一番の近道ではないかと感じます。
当然、そのためには、市長と議会の間に信頼関係が横たわっていることが前提条件となることは言うまでもありません。
本当の意味での「改革」とはそういうものではないのかと私は思います。
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by kkamoike | 2009-12-10 21:16 | 三木市政 | Comments(0)

小さな行政(役所)を目指しているんじゃなかったんですね。

行政が行うべき事業かどうか、どの部分まで行政が関わるのか、
このことは、いわゆる「小さな行政(役所)」でいくのか、「大きな行政(役所)」でいくのかという方向性を示すことでもあります。

先日の記事に対して、ピーマンさまからこんなコメントをいただきました。
その中で、ピーマンさまは「小さな行政(役所)」について、こんなふうにおっしゃっておられます。
『役所(行政)と、民間に分岐点を考えた時、そこに利益が発生するか否か?だと思うのです。
行政が一つの事業を実施する場合、需要と供給の関係もあるでしょうが、そこに利益が発生しないことが、一つの要件ではないでしょうか?
安易に利益の生じる事業に着手するべきではないと思うのです。(と同時に安易に不利益な事業に着手するべきではないのですが。)
その考えを是とするなら、役所は利益の出ない事業ばかりを担うことになるわけですが、であるからこそ、事業の中身を吟味し、利益が出なくても真に私たち市民にとって必要不可欠な事業のみを展開するべきだと思うのです。
そして、それこそが小さな役所に繋がることでは、と思うのですが。』


そうですね。
私も、行政が本来果たすべき役割を考えたとき、効率だけではどうしても片付けられない部分があるのは事実だと思います。
一方で、現在の地方財政を取り巻く状況からすれば、行政のスリム化、「小さな行政(役所)」は時代の要請でもあると思います。
「民間に預けられることはできるだけ民間に」という発想も間違いではないと思っています。
そんな中で、行政が市民の要望にどこまで応えるべきかという判断については、やはり最終的にはその自治体の財政状況や、どの事業に重きを置くかといった、財源の配分の仕方などによって違ってくることだと思います。



ただ、今の三木市のやり方を見ていて分からないのは、財政難を理由に、急激な職員数の削減·合理化を進めているわけですが、その一方で、展開している事業を見てみると、他の自治体が手を出さないような事業、例えば、三障害施設の運営に手を出してみたり、公民館を中心としたよりきめ細かなサービスの提供を試みたり、図書館サービスをこれまで以上に充実させたり、さんさんギャラリーの企画運営に着手したり、ボランティアセンターに職員を常駐させたり、挙句は、出会いサポート事業などにも関与したりと····、
とにかく、私が思い付くだけでも、これまで以上に人的サービスの必要な事業が次から次へと展開されているわけです。
花火大会の中止など、一過性のイベントの中止や受益者負担金などの負担割合の見直しなどはあったものの、基本的な人的サービスを取りやめますという話はほとんど伝わってきません。
それどころか、本来民間業者がするべきトイレ掃除までも自前でしているのを見ると、本来の業務以外にもかなりの負担がかかってきているようにも感じるわけです。
「人がどんどん減って、現場は大変だ」という話を聞く反面、いろいろな事業を展開し、手を広げていっているようにも思うわけですが、一体、どんなカラクリで仕事が回っているのか?
まったくもって不思議でなりません。



冒頭の話に戻りますが、
『限られた予算しかない、財政難だから、あれもこれもできない。』
頭では行政も市民も解っているはずなのですが、個々に判断する時には、なぜか、そのようなことは頭からすっ飛んでしまうのかもしれません。
まぁ、組織内で意志決定する際にも、「総論賛成、各論反対」はよくある話ですが···

市民に自覚があるとかないとか、そういう問題ではなく、市民は、いい意味でも悪い意味でも行政が決めたことには黙って従う(従わざるを得ないという表現のほうが正しいかも)傾向があるのだと思っています。
今回の財政危機宣言に端を発した様々な取組にしても、個人単位ではいろいろ不満を持っていらっしゃる方はおられるでしょうが、全体的には、しょうがないなという雰囲気ですから···。
したがって、私自身は、市民に、この事業は行政が行うべき事業かどうかの判断、理解を求めるのは正直、酷ではないかと感じています。
やはり政治がその方向性をしっかりとリードしていくことが必要で、選挙向けにいい顔ができるかどうかという基準で判断するのではなく、整合性のある政策、一貫性のある政策を市民に対しきちんと提示していくことが大事なのではないかと感じています。
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by kkamoike | 2009-08-21 20:26 | 三木市政 | Comments(21)

自治体行政における目標とは

真さまからこんなコメントをいただきました。
関西社会経済研究所のページに自治体の2006年度の財政状況をまとめた資料が発表されています。
市長交代時のもの。
この資料を見る限り、2006年当時、三木市の財政に危機的な状況を見出せません。
(この数字は前市長時代の財政を受け継いで間もないもので前市長の市政運営による指標と取れるでしょう。)
それから、3年後の「財政危機宣言」。
市のHPでは、その要因として
·景気低迷
·人口減による税収減
·国県の行革による収入減
·市民病院の経営悪化による支援増を挙げています。
景気低迷を除いて、それ以外の部分は当初から分かりきっていたものや市長のマニフェストで自らが解決するべき事案(=病院経営)であったはず。
ということは、この3年で現市長が財政運営を失敗したとしか考えられないのです。
そのシワ寄せが、花火大会の中止などと思うと非常にやるせない気持ちで一杯。
·怖ろしいほどの箱物行政
·議会軽視(議会もしっかりして欲しい)
これまでも、こういったことに是々非々でコメントされていますが、でも、言わずに いられない。



今回は、このコメントをもとに記事を書きたいと思います。
まず、コメントの中で紹介していただいた資料の中で興味深かった部分を抜粋します。
自治体の財政健全性に関する調査研究結果の概要(財団法人関西社会経済研究所 平成21年7月28日)
(抜粋)
『予算の枠を超える、「身の丈」を超えた支出を多くの自治体が行っている現状においては、財政運営の健全性を高める取組は不可欠である。
しかし、健全性の改善は自治体行政における目標ではない。
財政制約を重視することは適正な自治体運営の前提要件であるが、自治体運営において重要なことは、地方自治法第2条が定める「地方効用団体は、その事務を処理するに当たっては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果をあげるようにしなければならない」を実践することである。
地域住民に独占的に行政サービスを供給することから、効率性に対する関心が薄くなりがちだ。
これは自治体の宿命ともいえる。しかし、いま自治体に求められているのは「最小の経費で最大の効果」をあげることであり、民間企業と同じ「(行政サービス)生産主体」として行動することである。
その結果として、財政の健全化が実現される。
これが地方行財政改革の本来の姿である。
それでもなお財源不足が残るなら、そのときには住民に負担増や行政サービスの切り下げを求めることも検討しなくてはならない。
自治体には地方財政健全化法の限界を認め、その先を見据えた地方財政運営を行うことが期待されている。』



非常に、示唆に富んだ文章ですね。
この文章には、至極、当たり前のことが書かれているわけですが、ともすれば、我々は、政治家の言葉を鵜呑みにした結果、本来の行政サービスのあり方を見失ってしまっているのかもしれません。
ポイントは冒頭の
『財政運営の健全性の改善は自治体行政における目標ではない。』という部分です。
すなわち、自治体行政における目標は財政運営の健全化ではなく、あくまで、住民福祉の増進を図るため「最小の経費で最大の効果」をあげることで、財政の健全化はその結果によってもたらされるものだということです。
もちろん、身の丈に合わない過剰なサービスを提供しつづけることで、財政が傾くなんてことは、絶対にあってはならないことですが、必要以上に財政指標にこだわったり、体裁を整えるがために財政出動を制約することで市民生活に支障が出るのは本末転倒ではないかと感じました。


では、「財政危機宣言」を発した三木市の場合はどうなのでしょうか?
住民に負担増や行政サービスの切り下げを求める前に、「最小の経費で最大の効果」をあげるための「行政サービスの検証」はどれだけ行われたのでしょうか。
それよりも何よりも見過ごせないのは、当時の記者会見で、市長は自ら、三木市の財政状況が「将来負担比率が県内で第3位に位置するほど借金の削減に努めてきた」と述べる一方で、「健全化段階にある、体力のある今の段階にやっておかないと手遅れになるということで、あえて宣言に踏み切った」と述べておられる点です。
一見、真っ当な意見のようにも感じますが、このことは、上記の抜粋した文章に書かれてある内容、「最小の経費で最大の効果をあげなければならない」と謳われている地方自治法第2条の理念には反しないのでしょうか。


余力があるにもかかわらず、本来削るべきでない市民サービスまで切り下げる。
あるいは、どれだけ無駄があるのかの検証も十分になされないまま、市民サービスだけを切り下げる。
はたまた、「財政危機宣言」を発している自治体であるにもかかわらず、身の丈以上のハコモノを次から次へと建設する。挙句の果てには、将来にわたり大きな財政負担が目に見えている、病院建設、運営の維持管理経費などについて、必要な協議も十分になされないままどんぶり勘定で見切り発車する···。
はたして、本来の行政サービスのあり方を見失ってはいないでしょうか。
誤った考え方、偏った考え方に陥っていないでしょうか。
本来手をつけるべきではない事業や、今着手すべきでない事業にまで手を広げ、大風呂敷を広げていないでしょうか。
そのことで、本来力を注ぐべき事業が疎かになっていないでしょうか。
財政のつじつまあわせや体裁を整えることばかりに執着していないでしょうか。


もし、仮にこんな企業があるとしたら、顧客に喜ばれるサービスの提供などできるはずもなく、夢もときめきもないような企業に顧客が魅力を感じるはずなどありません。
本来の顧客サービスのあり方、事業の見直しや検証を忘れ、現状を維持することだけに執着する···
そんな後ろ向きな姿勢の企業に明るい未来などありません。
まぁ、これも行政だから、今は潰れずに済んでいるのかもしれませんが···。


私たちは、もう一度、今の三木市の「改革」という名のもとに行われている取組、その方向性をもう一度見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
そして、藪本市長は、次回選挙時のマニフェストにおいて、今後5年間で行財政改革に取り組むことで、一体どれくらいの効果額を見込み、その財源で、どのような新たな政策を展開し、最終的に三木市をどのようなまちにしていきたいと考えているのかを具体的に示す責務があると思います。



最後に、お二人のブロガーが投稿された「花火大会」の記事に寄せられたコメントで、私が共感したものをいくつかご紹介します。
たかが花火大会、されど花火大会です。
これらのコメントには、行政サービスのあり方を考える上でのヒントが凝縮されているような気がします。


やまかずさんのブログ
Aさん
三木市が、日本一美しいまちやって。笑わせるなって感じやね。
心の問題。心が貧しすぎるわ。
市長も、今まで、金の計算ばかりしてきて、あんまり楽しんだ事がないんと違うかな。
だから、人の気持ちを高ぶらせるって事が、あまりできないんと違うかな。
···
こんなしょぼい花火大会ですら、中止にせざるをえん三木市に不安を感じますね。


ジーン影虎さんのブログ
Bさん
二言目には財政難!ほんまに色々考えたんかなぁ?ってのが正直な意見です。
ここに書き込みされている方々の方がよっぽど考えておられますよね。

Cさん
こう言う些細なものを削って、大きな無駄遣いは放置というのが日本流の経費削減の大原則ですから。
こう言う不況の時は、人が動いて消費してお金を回さないと景気回復にはならないのに、損して得取れって発想もないんでしょうね。

Dさん
なんとかならんものでしょうかね。
観光誘致の一環としてとか···
その土地の風習の伝統行事にまで財政改革の荒波がきましたか。
そのわりには扱いが小さい様な気がします。
同じ行事でも、なまはげや、御柱祭りが財政問題で中止になったりしたら全国クラスの騒動になるでしょうに
要は、無い袖でも振る振らないは人の決めることだと思います。

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by kkamoike | 2009-08-04 19:46 | Comments(11)

市の経営者としての責任を放棄した市長と受け狙いの判断しかできない議員たち

6月市議会、職員給与の削減条例が共産党を除く賛成多数で可決されたそうです。
市長は、市民病院の長期貸付を行わなかった理由として、職員の給与費削減の目途が立たなかったためと恥ずかしげもなくおっしゃっていますが、本当に病院を何とか立て直したいしたいと思うのなら、削減案が継続審議になったからといって、すぐに経営改善への取組を自ら投げ出すようなことをするのではなく、削減が実現するまで何が何でもしのぐべきだったと思います。
さらに、削減がいつまでも実現しないのでは話になりませんので、経営者として、きちんと労使交渉の席で話を付ける努力が必要だったわけです。
しかし、残念ながら、今の市長には、危機的状況の中で本気で自分が管理する組織や人たちと真正面から向き合う気概も覚悟もなかったということです。


市長が市長なら議員も議員です。
給与費削減については、前回、労使間の合意がなされていないからという理由で継続審議に至ったと記憶しています。
今回、共産党の大眉議員さんのブログで紹介されている反対討論の全文によると、依然、合意がなされていないため共産党は反対という立場を取っておられます。
一方、前回の3月議会で継続審議にしておきながら、今回、賛成に回った議員の方たちからは、最終日に賛成討論すらなされなかったようです。
前回同様、労使間での合意がなされていないにもかかわらず、なぜ今回は賛成したのか、その説明責任がまったく果たせていません。
私からすれば、
「職員からの受けも大事だから一回ぐらい反対しとこか」、
「今回は、いつまでも反対していたら市民の受けが悪くなりそうだからそろそろ賛成しとこか」
というぐらいの判断だったとしか受け取れません。
これなら、最初から賛成している、「市長派議員」と揶揄されている方たちのほうが、判断の中身はともかく、まだ一貫性があるだけマシです。
なんだかんだ言って、皆さん、本当は「市長派」なんじゃないんですか?
ちょっと反対するポーズを見せているだけなんじゃないですか?
まさか独裁政治に陥りやすいオール与党体制なんてことないですよね?···


「前回反対して、なぜ今回賛成したのか」という一番大事な部分について、しっかりとした賛成討論もしないまま簡単に賛成に回るぐらいなら、最初から反対などせずに賛成しときなさいよと言いたいです。
それこそ、まさに時間とお金の無駄遣いのなにものでもありません。
そして、それが原因で、わずか数年後に統合に伴い廃止されることが決まっている現在の市民病院のために、本来、その必要のなかった外部監査費用まで支払わなければならなくなってしまい、自ら廃止、縮小などの決断すらできない市長の策略に、これいいことにまんまと乗せられてしまう始末です。


三木市が全国初の『財政危機宣言』が発せられたのもわかるような気がします。
市長さんも議員さんも一体何がしたいんですか?
三木の政治家さん、もっと市民のことを第一に考え、行動してくださいよ。
そしてお願いですから市民の税金を無駄にしないでください。
本当に危機意識持っておられますか?
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by kkamoike | 2009-06-27 00:01 | 三木市政 | Comments(5)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。
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