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どうぶつのつぶや記

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「市民が望んでいることだから」、「市民のためだと判断したから」・・・。 だから?

今回の6月議会の一般質問の内容は、FMで放送されていたものを家族に録音してもらい、気になる議員の質問のみ選んで聞きました。
三木市も、開かれた議会を目指すのであれば、
武雄市に倣い、議会のやり取りをYou Tube で流す試みでもされたらどうでしょうか?
そうすれば、昼間働いている私たちのような世代はもちろん、子どもからお年寄りまで、職業などを問わず、好きな時間に、聞きたい政治家の発言をチョイスして聞くこともできると思います。ぜひご検討をお願いします。


今回の議会もそうでしたが、本来、議論されなければならない内容がきちんと議論されない背景には、ある意味、議会の様子がオープンにされていない状況に、政治家、特に市長自身が胡坐をかいてしまっているからではないかとあらためて感じました。
私が胡坐をかいていると感じた部分を何点かピックアップしますと、
聞かれていることに対して、誠意を持って応えようとする気がない。
相手の言い分に耳を傾け、質問している相手を説得させる気がない。
自分の主張、言い分だけを繰り返し、述べるだけ。
自分に都合の悪い質問にはまともに答えない。
挙句の果てに、相手を馬鹿にしたことを平気で言う。などなど
そのような意味から、正直、中身のない一般質問であったと評価しています。


ところで、今回の議会で、繰り返し、市長が述べた「市民主権」という言葉に則った、
「市民が望んでいることだから」、「市民のためだと判断したから」・・・
という類の発言の数々、黒嶋さんのブログに掲載されている病院統合に関する市長の答弁にも随所に出てきますが、実は、これほど他人任せで無責任な発言はありません。
これらの言葉には、仮に事業が失敗した場合、「市民の皆さんが望んだことですからしょうがないですよ。」という言葉で片付けられてしまう、まさに裏返しの意味が含まれていることがおわかりにならないのでしょうか?
そこには、選挙で選ばれた市長という重責を担う覚悟や責任感といったものは全く見られません。
市長は「政治生命に賭けて」というような発言もされたようですが、一体、市長の考える「政治生命を賭ける」とは、何をどうすることなのか、機会があれば一度議員さんから尋ねられてはどうでしょうか。


また、仮に、為政者の中に、市民の希望に応えようとする気持ちがあったとしても、「市民が望んでいること」と「市民のためになること」は必ずしも一致するとは限りません。
市民の望み通りの政治が行われたからと言って、それで市民が幸せになるとは限らないのです。
小泉改革が良い例です。(刷り込まれたものであるにしても)それは間違いなく、国民の望みでしたが、今もなお、国民の生活は悪化を続けており、その負の遺産は小泉の後継者さえ苦しめる有様です。小泉内閣による医療制度改革などは、その最たるものといえるでしょう。
もっと身近なわかりやすい例でいえば、図書館などもそうです。
流行りの本をタダで手元に置きたい、そんな市民の望みに答える一方で、市民の需要に乏しい専門書を廃棄する傾向にある公立図書館が出てきているといいます。
そのような姿勢に何の疑いも抱かないとしたら、あまりにもバランスを欠いた政策判断ではないかと私などは考えるわけですが、それでもなお、目先の歓心を買うことを選び、流行りの本をタダで手元に置き続けることこそが「市民の目線に立った」運営だと居直ることも同じようなことだと思います。


政治家が政策を判断する際に「市民が望んでいるかのどうか」という客観的な判断はもちろん必要です。
しかし、単にそれだけをもって最終的な意思決定の要素にしてしまうこと、さらには、決断の理由を聞く相手に対して、そのようなことしか理由として述べない姿勢、述べられないのは、あまりにも無責任な態度であり、政治家としての責任を果たしていないばかりか、最終的に失敗したときの責任を免れるための逃げ道をあらかじめ作っているようなものなのです。
「市民が・・・」という理由では、説明責任を果たしているとは言えないということです。
肝心なのは、自分がどう判断して、決断したかということです。
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by kkamoike | 2009-06-12 19:23 | 三木市政 | Comments(2)

飾れば飾るほど自分(真実)を見失う

「今、立ち向かう三木のまちづくり」と題した資料が三木市のホームページに出ています。



その資料の冒頭には、「なぜ、財政危機なのか」という項目があり、小さな字で「病院経営の悪化」と書かれてあります。
「財政危機宣言」を出した背景については、宣言を発した当時の質疑応答の文書にも詳しく書かれてありますが、そもそも病院経営の悪化に端を発した財政危機であったはずなのに、いつの間にやら、財源を捻出するための一手段として掲げていた職員の方たちの給与カットが、訳のわからない民間企業との比較資料によって浮き彫りにされた揚げ句、公務員の厚遇の適正化こそが、三木市の財政を建て直す上での改革の本丸かの如く取り上げられ、問題の本質が巧にすり替えています。
素直に、「病院を建て直すために、職員の給与をカットすることで、病院の赤字分を補填したいのです。必要額は、概算で給与費全体の7%になります。」とだけ言えばわかりやすいものを、何の根拠かもわからない資料を持ち出し、色んなことをあれこれ詮索し、余計なことまで持ち出そうとするもんだから、私のような素人にまで突っ込まれてしまう、つじつまの合わない説明になるのです。


オンブズマン三木さんが取り上げておられる「1、2行議員」の発端となった会見のコメントも同じです。
議員の方たちが本当に1、2行のことしか発言していないのであれば、「アンケートで書いた内容しか発言しておられません。」とだけ言えばすむことを、回りくどい言い方をするから、後あと言い訳がますます苦しくなるのです。
言ってることにつじつまがあわないのは、真実を隠そうとする意図があるからです。


『飾れば飾るほど自分(真実)を見失う』という言葉があるそうです。
飾りすぎて「まちづくり」における真実や改革の方向性だけは見失わないようにお願いしたいものです。



それにしても冒頭で紹介した「今、立ち向かう三木のまちづくり」、次期選挙用マニフェストのようにも見えるのは私だけでしょうか。
「三木」ではなく「私」の間違いなのでは?とも感じてしまいました。


追伸
今回の記事、「雑感日記」さんが別の角度からの分析の中で早速取り上げてくださいました。
冷静な判断に基づくご意見だと思います。
ぜひご覧ください。
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by kkamoike | 2009-06-08 21:59 | 三木市政 | Comments(0)

結果、三木は「若い世代」「子育て世代」にとって住みにくいまちだということです

今回、ようやく公表された市民アンケートの内容ですが、あらためて見ていますと、職員の給与カットの設問に付けられている「市内民間企業との給与水準の比較」などの資料について、いくつかの疑問点が湧いてきました。
今回はそのことから導き出された私なりの結論を記事として取り上げたいと思います。
念のため言っておきますが、私は職員の方たちの給与カットについて、頭ごなしに反対しているわけではありません。


アンケートに付された資料では、『市内民間企業を100とした場合、市職員の給与月額は120.1となります。』
(全体では20.1%市職員が高い)
(従業員51人規模以上の28事業所を対象として調査)
と書かれてあります。
まず、ここでいえることは、この資料の基となった積算根拠が一切オープンにされていないため、比較そのものに正当性があるといえるのかという点です。
以前にも、当ブログで取り上げましたが、一般的に官民の給与水準の比較として用いられるのは、民間がブルーカラーの現業職員や非常勤職員を含んだ平均給与であるのに対し、公務員はホワイトカラーの正規職員のみの平均給与だということです。
したがって、今回、比較に用いられた基礎データが、きちんと同じ条件の職種や雇用形態の従業員同士でなされているのかというのが一点目です。もう一つは、この比較には、双方の平均年齢の表記がないということです。
当然、平均年齢が高ければ、高いほど、貰う給与は官民問わず、高くなるというのは当たり前です。
以上の2点だけをピックアップしても今回の比較が本当に適正なデータに基づくものだったのかは疑問です。


さらに添付資料には、『45歳での平均給与月額の比較』が掲載されています。
これは、今回の7%カットの根拠となったデータだと思われますが、なぜ、この「45歳」のランクだけが取り上げられているのか、その説明が見当たりません。
それ以外の歳のランクもすべて7%の差があるのでしょうか?
そのあたりもこのアンケートからは見えてきません。
同じ条件で導き出された比較かどうかもわからない資料によって、全体で20%もの差があることを必要以上に強調し、さらに、たまたまある年代で出た7%という数値を持ち出し、(たまたま一番高い割合だったからなのか?カットしたい割合の7%がたまたま45歳のランクだったからなのか?)一律カットの根拠と言われても、説得力なさすぎです。


以前、三木市民さまからもコメントをいただきましたが、やはりこのご時世、給与カットはやむを得ないという意見も確かにあります。日本全体がそのような状況にあるということも否定しません。
しかし、だからといってこのようなデタラメな根拠(デタラメではないかと誤解を持たれたままの状態)でもってカットを推し進めるのは、「改革」とはいいません。
単なる「暴挙」です。
私は、このような部分を正し、はっきりさせてから結論を導き出すべきだと言っているのです。
本当に、定年前の人も、今年入社した新人も一律、7%(この数字の根拠自体もあいまいですが)でよいのですか?
本当にどの世代もこれだけの差があるのですか?と言いたいのです。
子どもたちが親の手を既に離れた世代と、これから家庭を持ち、子どもを産み育てようとする世代、同じ7%であっても、家計に及ぼす影響は大きな違いがあるはずです。
仮に全ての年代において同じ差が生じていたとしても、それを世代間で調整したりしてやるのが本来の姿だと思いますし、そのような仕組みをつくり、配慮してあげるのが、組織として、トップとしての役割、仕事だと思うのです。
自分のところで働いている若い世代や子育て世代の者に対し、何の配慮もできない組織やそこにいるトップが、いくら組織の外にいる我々市民に対し「三木市は子育て支援を充実させます」と言われても全く説得力がないんですけど···。


私は、立場的に大変な時期にある人たちを思いやる姿勢というのは、社会全体を見る場合も、自らの組織の中を見る場合も同じ目線でなければならないと思っています。
若い世代が安心して働くことができない職場(会社)の人間が、社会(マーケット)に存在する同じ条件の市民(顧客)を満足させ、安心させられるわけがありません。
企業における「顧客の気持ち(心)をつかむサービスマインド」とはそういうものが前提にあるのだと思っています。
企業の悪いところばかりを見習うのではなく、企業の良い部分ももっと見習い、取り入れる努力が官には必要だと思います。
このことは、給与という一つの問題にとどまらず、健康で生き生きとやり甲斐を持って、仲間と楽しく仕事ができる職場の環境づくりにも同じことが言えます。
楽しくない職場、安心して働けない職場から、夢が持てるまちづくりなどつくれるはずがないということです。
それは決して従業員を甘やかしたり、生ぬるい環境に身を置くというものとは違います。
まずサービスを提供する自分たちが楽しんで仕事に打ち込める状況でなければ、顧客を満足させ、楽しませることなどできないということです。
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by kkamoike | 2009-06-03 23:07 | 三木市政 | Comments(0)

拝啓、議員の皆様へ「いよいよ本来の6月議会がはじまります」

すでに6月議会は始まっています。
当ブログでもこれまで、この6月議会に照準を合わせて、気になる問題を記事として取り上げてきました。
病院統合の件もそうですが、その他に、私が今回の議会で懸念していたことは、前回の3月議会で継続審議や否決とされた議案に対する審議についてでした。
その理由は、皆さんも既におわかりだと思いますが、
偏った内容の市民アンケートによって集計された結果が「民意」とされてしまい、本当に市のため、市民のために有益な政策かどうかの議論が置き去りにされたまま、ゴリ押しされてしまうのではないかという心配からでした。


そんな中、
これまで私たちが主張してきたことと同じような論調の記事が、今朝の神戸新聞三木版で大きく取り上げられていました。
「公平性に疑問の声」議会反対の施策取り上げ市主張に手厚く(神戸新聞)
今年3月の三木市会で議会が反対し可決されなかった事業などについて同市が実施した市民アンケートの設問が、それぞれ市側の主張に10行前後を費やしているのに対し、議会の反対理由はわずか1、2行にされていたことが分かった。市側に有利な参考資料も付けており、専門家らも「公平性に欠ける」と疑問を投げかけている。



この新聞記事をうけてかどうかわかりませんが、市のホームページにはようやく、アンケートの様式、内容などがアップされました。
これまで、当ブログでもこのアンケートのことを取り上げてきましたが、市からの情報公開が一向にされないので、いつになったらアンケート様式がオープンにされるのかとやきもきしていたのですが、ようやく市が重い腰をあげたというか、あげざるを得ない状況に追いやられたというところでしょうか。
もし、神戸新聞が今回の記事を取り上げなければ、市民に対し、自分たちにとって都合の良い結果だけを公開するつもりだったのでしょうか?
しかし、本来、このようなアンケートの内容は、無作為抽出の一部の市民に実施したものとはいえ、税金を使って実施していることに違いないわけですから、等しく全市民が見られるようにしておくのが本来だと思います。
それをこの期に及んでようやくアップしたというのは、何かしらの意図があってのことと第三者から疑念を持たれてもしょうがありません。
いつもの「情報操作」といってしまえばそれまでなのですが···
このような愚かな市の対応はさておき、神戸新聞の姿勢については、こちらもようやく動き始めたかという印象はありますが、今回の件については、それらの評価を差し引いても、やはり、取材された記者のジャーナリズム魂というものを高く評価すべきだと感じました。
いずれにしても、神戸新聞のおかげで、ようやく議会が、本来の中立的な立場で、本来の取り上げるべき政策の中身について冷静かつ真剣な議論ができる環境が整えられたといえるのではないでしょうか。


拝啓、議員の皆様へ
いよいよ本来の6月議会がはじまります。
今回のアンケートは、議会の決定事項を平気で踏みにじる内容というだけではなく、善良な市民に対して行ったものとしては、背信行為ともとれる内容であったと私自身は感じています。
今回の議会の質疑において、このアンケート結果を持ち出す場合は、神戸新聞が主張されている問いかけ、多くの市民がおかしいと感じていることについて、議場という場できちんとわかりやすくアンケートの正当性、公平性について説明してからにしてください。
また、議員の中で、「○○チルドレン」などと称されている議員の皆様にお願いです。
皆様は、我々こそが改革派議員であり、現政権が推し進める方針と志を同じくしている市民派議員、いわゆる主流派であると自負しておられるのかもしれませんが、私からすれば、これほど政治家を馬鹿にした、議会を預かる議員として屈辱的な表現はないということをお伝えしておきましょう。
くれぐれもこれまでのように、通り一辺倒に市長を擁護するばかりの馬鹿な真似だけはせず、政策自体の「賛成」·「反対」はともかくとして、市民が感じている疑問や疑念に対しては、市に対して厳しく追求する姿勢で臨んでください。
そして何より、政治家として、議員として恥ずかしくない行動をお示しいただき、私たち市民をがっかりさせることがないようにお願いします。
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by kkamoike | 2009-06-02 20:59 | 三木市政 | Comments(13)

アンケートと議会の審議

前回の続きです。
アンケート結果の捉え方は、人それぞれ異なるでしょうが、アンケートの実施にあたっては、対象者の選定方法などいろいろな面で偏りがないようにしなければなりません。
とりわけ質問の内容に偏りがないというのが大前提となります。


例えば、
「公共施設の無料化」について賛成か反対かを聞くとしましょう。
同じことを聞くのでも、設問の表現の仕方によって、その判断は異なってきます。

(設問1)
公共施設を全て無料化することに賛成ですか?反対ですか?
(設問2)
公共施設を全て無料化にした場合、他のサービスにしわ寄せが来たり、施設を使用する人、しない人との間に不公平感が生じるなどの問題が指摘されていますが、公共施設を全て無料化することに賛成ですか?反対ですか?

いかがですか?
当たり前の話ですが、(設問1)の内容なら、そのことによって生じるであろう不都合な点や問題点などに気づかなければ、だいたいの人は、賛成に「○」を入れるのではないでしょうか。
今回のアンケートで決定的に抜け落ちているのは、(設問2)で表現されているようなマイナス部分(=問題点)もひっくるめた事の詳細がありのままに説明されていないということです。


このように、正しい判断をする上で必要な情報を隠したままの状態で得られたアンケート結果が、はたして、本当に正しい「民意」といえるのかどうか···。
単なる市民の「願望」を「願望」のまま置き留めるのではなく、直面する現実の問題をきっちり伝え、その上で冷静な正しい選択をしてもらう。
そのようなプロセスを経て得られた結果こそ、本当の意味での「民意」だと私は思うのです。


そして、議会で審議すべきことは、このような欠点まみれのアンケートによる「賛成」、「反対」の割合の検証に終始することではなく、政策自体があらゆるケースにも耐え得る内容なのかどうかを徹底的に検証することだと思います。
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by kkamoike | 2009-05-22 19:33 | 三木市政 | Comments(8)

市長は議員という存在を貶めるな!議員は自らの活動で得た「民意」を信じ議決に反映すべし!

6月議会から、会派の構成が変わるそうです。
いろいろな思惑があってのことだと思いますが、政策の判断にあたっては、くれぐれも会派を優先するあまり自らの判断を歪めてしまうのではなく、最後まで自らの政治信念を貫く姿勢を見せていただきたいものです。会派や政党のつまらない面子にこだわった判断ではなく、冷静に「民意」をとらえ、議員一人一人の良識に基づいた行動を期待したいものです。


以前、当ブログに前回の議会で否決された案件に関する市民アンケートが実施されているとの情報をいただき、その内容をファイルで提供していただきました。
市長は何を勘違いしておられるのかわかりませんが、おそらく議会で認められなかった案件を市民アンケートを実施することによって、その結果を「民意」とみなし、その結果如何によっては、議会に無理やり承認させようという魂胆なのでしょう。
これは3月議会の閉会のあいさつの内容、そして、先日の広報みき5月号特集、シンポジウムのビラに書かれてある内容とアンケートの中身を比較しても明らかです。


しかし、アンケートの結果はあくまでアンケートの結果でしかありません。
なぜなら、議会制民主主義の下では、無作為のアンケートによって市の重要事項を議決するシステムはないからです。
もしそんなことがまかり通るのなら、議員など一人もいらないわけです。
この辺のことについては、もし市長の論法に異を唱えられない議員がいらっしゃるのなら、即、議員を辞職していただかなければなりません。


もう一つ、これは、以前にも当ブログで申し上げたことですが、議員の方たちは、提案された内容の是非を判断するためにあらゆる関係者や機関からの聞き取りや独自調査を行っているのです。
そこで得た情報量というのは、素人である私たち市民よりも圧倒的に多いのです。
それらの活動によって得た情報と、これまで蓄えた知識と経験に基づき、政策の本質や問題点、真の「民意」などがどこにあるのかを見極め、適切で、良識ある判断を下すことこそが議員の仕事であるはずです。
そして、我々市民は、それらの崇高な権限を持った議員を選挙で選び、わざわざ高い報酬を支払っているのです。


次回は、アンケートの結果の捉え方、議会で本来議論すべきことについて書いてみたいと思います。
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by kkamoike | 2009-05-21 22:45 | 三木市政 | Comments(0)

情報制限は正しい判断を誤らせる

相変わらず懲りないというか、学習能力がないというか、またしても一方通行の情報発信で、自分の主張だけを市のホームページに上げておられます。
何度も言いますが、後援会のや政党のホームページではないのですから、載せるのなら、全ての賛成、反対の議員の意見も載せるべきでしょう。
こういう行動が、市民に不信感をもたらしているということが、どうしてわからないのでしょうか?
本人だけならまだしも、三木市民全体が全世界に恥をさらすことになるということも···
本人的には、切羽詰まって周りが見えない状況なのかもしれませんが、いい加減、取り巻きの方や市長派といわれる議員の方々からでもいいので忠告してあげてください。


さて、今回の議案の一部修正、削除に至った経緯ですが、
私の推測する原因は大きく分けて次の二つです。一つ目は、「財政危機宣言」が発せられた背景、根拠が極めて不透明だということ。また、現在の病院経営状況の悪化について、構造的な問題を先送りしたまま、職員の給与カットだけに頼る改革手法に疑問が投げかけられたから?
もう一つは、先日のコンベンションホールの件でも明るみに出たように、今回は、「議会」だけでなく、市民や職員の方たちもまた、十分な話し合いがなされないまま、強行突破しようとしたため不十分と判断されたから?


このように、限られた情報しか提供されない、入手できない中では、今回の対応が適切であったのか、不適切であったのかどうかを判断することはできません。


それにしても、市長は、市民には一方通行の情報だけを与えておけば、簡単に騙せる、自分の思い通りになるとでも思っておられるのでしょうか。あるいは、自分の意見は絶対の「神の声」だと信じておられるのでしょうか。
三木市民も舐められたものです。
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by kkamoike | 2009-03-31 07:10 | 三木市政 | Comments(5)

再議の評価と···

再議の結果は否決となりました。
修正動議が二つに分けてかけられましたが、最終的には各会派が「妥当な選択を取らざるを得なかった」というのが表現的にはふさわしいような気がしました。
しかし、今回の議会の展開は、決して無駄ではなかったと思いますし、今後の議会運営に一石を投じたと私は信じたいです。
それぞれがそれぞれの立場で、意見を述べ、不十分に感じる答弁内容も所々で聞かれましたが、執行機関とのやり取りよりは、格段に迫力を感じた点はよかったと思います。その一方で、今回の再議は、補正という緊急性、国の緊急経済対策に準じなければならない特殊性などもあって、議論の余地が必然的に狭められてしまった印象があったのは、少し残念な気もしました。


ただ、米田議員が発言の際、触れておられましたが、今回の元凶は、執行機関による提案のタイミングが遅れたことに尽きるのだと思います。
中身について、何が相応しいかという議論の余地は全くないも同然で、議員の皆さんが議論しようとして着席したテーブルの上には、既に「コンベンションホール」しか乗っておらず、それを認めるのか、認めないのか、認めなければ、交付金をみすみす逃すことになるけど、さぁどうするといった感じの半ば強制的ともとれる選択肢しか示されていなかったというのが正直なところだと思います。
賛成議員と反対議員の議論が最後まで噛み合わなかったのは、そのことに目を向けているかいないのかの違いだったのかなと感じました。
そういう意味では、今回の再議の際の真剣な議論が、どうしてコンベンションホールに決める前になされなかったのかという疑問が湧いてきますし、そのような機会が議員に与えられなかったことが非常に残念でなりません。
私は、それこそ、そのような場で議論された結果が、多数決でコンベンションホールになったのなら、それはそれで議会が決められたことなのですから文句はありません。


しかし、今回、あらためて、はっきりしたことは、執行機関からの議会への説明が十分になされていないということ。すなわち「手順の問題」、あるいは「根回し」、もう少しわかりやすく言えば、「相手をたてる」ということが軽視されているということです。
市長は、事前に十分な説明がされなかったという理由だけで、反対をするのはおかしいというようなことを述べておられたと記憶していますが、世間一般の常識として「相手をたてる」ことは当たり前のこと、社会人として、国際人としての最低限のマナーです。
また、国からの交付金とはいえ、私たちの大事な血税であることを忘れてもらっては困ります。今回の交付金の主旨に沿った使い道について、議会で十分議論していただくのは市民の要請でもあったはずです。その要請を踏みにじるも同然の、議会を軽視した態度は、今後、厳に慎むべきだということを市長は心すべきでしょう。


ぜひ、今回のことを教訓に、今後は、正常な議会対応を考えていただきたいものです。
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by kkamoike | 2009-03-28 00:01 | 三木市政 | Comments(0)

納得がいかない2つの理由

今回の補正予算において、ハコモノを整備する理由の一つに、財源的なメリットをあげておられます。
国からの交付金が貰えることとあわせて、単なる借金ではない、優遇措置のある借金が借りられるということのようです。


三木市が財政危機に陥った最大の要因に借金残高が大きく膨れ上がったことがあげられます。
今回に限らず、公共事業によって地域の経済を元気にするのは、これまでからも景気対策の常套手段としてさかんに行われてきました。
そのかわり、国は地方の借金を認め、その返済に当たっては、後々面倒を見ましょうという約束をし、その甘い言葉に全国の自治体が踊らされることになったのです。
そして、国の方針に忠実に従い、自治体の身の丈以上の事業をした結果、三木市においても多くのハコモノが建てられてきたのだと思います。
一方、バブル崩壊以降、国の税収が大きく落ち込む中で、地方の借金を肩代わりすると約束したはずの地方交付税は、目減りしてしまい、本当に地方の借金を国が肩代わりしてくれているのか、今となっては怪しい状況です。


私は、前回の市長選挙や市議会議員選挙で、借金体質やハコモノ行政を頭から否定していた政治家のような考えは持っていません。
むしろ、借金は世代間の負担を均衡にする意味で認められているものであるし、財政運営上必要なものだと思っています。また、公共事業も景気対策から見れば必要な場合もあると思っています。
ただ、これだけの危機的な状況にある中で、これまでと同じようなスタンス、全国一律だからということだけで判断したり、まして、財政的な優遇措置があるからいくら借金をしても構わないじゃないかというものでもないと思います。


有利な借金だから今、事業をしないともったいないというのではなく、本当に今、財政危機の中であっても市民にとってこれだけは絶対必要だと思える事業かどうかを見極め、借金は必要最小限に留めることを考えていかなければ、いつまでたっても財政危機から抜け出すことはできないと思います。
今回の件は、これまでハコモノ行政を痛烈に批判してきたのに、どうしてハコモノなの?
という部分で納得がいかないだけでなく、これまで借金体質への痛烈な批判をしてきたのに、どうして?という部分についても納得がいかないのです。

そのあたりの矛盾についても、きちんと弁明して貰いたいものです。
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by kkamoike | 2009-03-22 07:14 | 三木市政 | Comments(0)

今こそ私たちが立ち止まって考えなければならない時

今回の議会が開催される前、こんなことを思っていました。
それは、三木市政はじまって以来の「財政危機宣言」が発せられた後の新年度予算などを審議する議会だったからです。


この先どうなるのかは流動的ですが、現時点では、賛成と反対に意見が真っ二つにわかれていることは、ポジティブに考えれば、より深い議論ができる良い機会だといえるのかもしれません。
しかし、いくらポジティブに考えたくても、お互いが議論のテーブルにつかなければ(つけなければ)、何の意味もありません。
無意味な混乱を引き起こすだけで、そのしわ寄せは、結局、市民のところに降り懸かってくるだけなのだと思います。


一方で、三木市独自の財政危機問題、さらには、百年に一度といわれている世界経済危機の波が容赦なく押し寄せている状況の中で、市が推し進めていかなければならない改革は待ったなしのはずです。
にもかかわらず、この期に及んで、改革の足並みが乱れ、あるいは温度差があまりにも違うというのは、三木市の将来を考えた時、非常に大きなマイナスです。
本来であれば、この難局を市長、議員を含めた市全体が一丸となって、そして三木市民も巻き込んで乗り切っていかなければならないはずなのに、改革の軸足がブレてしまい、大きく揺らいでしまうようでは、今の世代だけでなく、将来の子や孫の世代にまで大きな代償を背負わせてしまうことになってしまいます。


そうならないためにも、今を生きる私たちが、どれだけ目先のことだけにとらわれずに、大局的な観点から物事を判断できるかが求められているのだと思います。
「どうせ、今の市長が嫌いだから反対しているんだろう」というような低次元の憶測でしか物事を判断できない政治家や市民は、「市民生活を守るため」などといった方便を口にしたり、わかったような口ぶりで政治に口出しする資格はないと思います。
それぞれが、自分たちの殻に閉じこもったまま、この問題をうやむやにやり過ごすのではなく、正面きって、正々堂々と、三木市の将来のための本当の改革を真剣に考えていく時ではないのかと思うのです。
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by kkamoike | 2009-03-19 22:14 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(0)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。
S M T W T F S
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