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どうぶつのつぶや記

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市民のレベル以上の政治家は生まれない

この間の三条市長日記を読んでいて、ふと目に止まったものの中にこんな記述がありました。
『さて、今日から、三条市議会では、一般質問が始まりました。将来のまちの方向感、教育、福祉、財政などなど、各般にわたってのご指摘をいただきましたが、圧巻は、今期限りで引退を表明されている某議員さん。通算90回以上続けてきた一般質問の総仕上げということもあり、大変〝格調高い〟ご指摘を繰り広げられていらっしゃいました。これまでの長きにわたって、三条市政に叱咤激励をいただき、ありがとうございました。』


一見、この何気ない文章の中に、色々な意味で、大事なことが表れていると感じました。
『相手に対する敬意』
『市政に対する情熱』
『政治家としてのこだわり』など···
これらのどれが欠けても自由闊達な議論が展開される議会にはなり得ないのだと感じました。


翻って、今の三木市議会はどうでしょうか?
rfuruyaさんは、先日、傍聴された際の感想をこのように述べておられます。
市長の『不遜』な態度などは全くもって論外ですが、私は議員が行う一般質問に何が欠けているのかが、今回の三条市長日記の記事を読んでようやく見えてきたような気がします。
簡単に表現すれば、発言そのものに「魂が込められていない」ということです。
政治家としての信条を熱く語る部分がもっともっとあってしかるべきだと思います。
内容はもちろん、言い方も含めて···。


自分がわからないことを聞いて、「ハイ、わかりました」だけで終わってしまうのではなく、例えば、今回の議員定数の削減に関する審議にしても、質問した議員は結局、①どういう部分が納得がいかないのか
②方法論はともかく削減することには賛成なのか反対なのか
③では自分はどういう方向に進めるべきだと考えているのか
など、少なくとも、聞いている多くの市民は議員がどうしたいと思っているのかがほとんど見えてこなかったのではないかと思います。
しっかりとした自分なりの主張、代替案を持った上で、その理念や方針を熱く語った上で、相手の主張に切り込むことをしていかないと、説得力も、迫力も全く見られない、心を揺さぶることのない、ただの一般質疑になってしまうのがオチなのだと思います。
残念ながら、今回の議会一般質疑全般にわたり、唯一つ印象に残ったのは、「単に自分達の都合だけで定数削減に反対しているのではないか」という疑念だけでした。


三木の議会が本当の意味で機能しはじめるのは一体いつになるのでしょうか。
『議会での議論のレベルが、政治家のレベル、ひいては市民のレベルそのものである』
と断言するのは言い過ぎではないような気がします。
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by kkamoiKe | 2010-03-12 19:55 | 三木市政 | Comments(1)

政治家は語れてなんぼ

選挙の余韻もようやく収まってきたようです。
一時的にブログのアクセス数も多くなっていましたが、最近は、平常どおりのアクセス数に落ち着いてきました。

今回も前回に引き続き、議会のネタです。
今回の市長選挙でも、常々市民が不信感を持っている市会議員の資質が随所に露呈されたのではないかと私自身は感じています。
どういう点でそのように感じたのかいくつかの事例で紹介したいと思います。


投票日前、ある場所に某市会議員の方が新人候補を引き連れてお見えになったのですが、ただ「よろしく頼みます」という内容の言葉ぐらいしか発せられず、そのまま新人候補を紹介されました。
もちろん主役は市長選挙の候補者なのですが、私としてはせめて、この市会議員が「候補者の訴えるこの施策を一緒に進めていきたいと思っている」であるとか、「この候補者がめざしているこういうまちづくりの方向性に共感したから私は彼を応援しています」など、自分の描くまちづくりの姿と重ね合わせながら推薦理由をしっかりと語ってもらいたかったと強く感じました。

相手がどうだこうだというような比較論だけを用いるのではなく···


また、現職候補がマニフェストに掲げておられた「議員定数削減」に関する見解も、残念ながら市会議員の方の口からは一切触れられませんでしたが、一有権者の気持ちとしては、議員自らの言葉で、「この問題は、現職候補に言われなくとも必ずや自分たちの手で定数削減も含めた議会の改革を断行していくので期待して見守ってほしい」という意気込みぐらいは語ってもらいたかったと感じました。


やはりこのような短い時間しか与えられていない場面でも、自分の考え、まちづくりについてのビジョンがしっかりと語れない、あるいは効果的なメッセージを発せられない政治家では、有権者の市会議員を見る目が厳しくなるのも頷ける気がします。
もう「顔パス」だけで有権者がついてきてくれる時代ではないのですから。
「政治家は語れてなんぼ」の時代なのだと思います。
有権者はそんなちょっとしたところをしっかり見ているものなんだと思います。
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by kkamoiKe | 2010-01-25 17:57 | リーダーの条件 | Comments(2)

議員定数削減問題と三木のまちづくり

議員定数の削減について反対しているわけではないのですが、この議論の切り口の一つとして、今の議員の存在、活動が見えないから、「定数を減らしてもよい」という発想はおかしいような気がします。
例えば、全ての議員が有能な人であり、市民のために一生懸命活動できる人たちばかりであったなら、私は定数「20」でも多いとは思いませんし、支払う報酬についても決して高いと思わないでしょう。
議員の能力や活動が不十分だということと、定数が多いから少なくするということは分けて考えるべき問題だと思っています。


そして、若い有能な人たちが議員という政治家を志し、議員という職業で生活が成り立っていくような環境を長期的な展望にたって整備するにはどうすればよいか···
本来、定数適正化を含めた議会改革の議論は、そんな観点からも行われるべきだと思っています。
「削減」ありきの改革、「削減」しか能のない改革は、もう時代遅れなのだと思っています。
若い世代に魅力あるまちづくりを真剣に考えるのであれば、若い有能な政治家をたくさん輩出できる環境づくりをまずは真剣に考えることが必要ではないでしょうか。
高齢者の割合が多い、将来に明るい展望を見い出しにくい三木市の厳しい現状があるからこそ、単に定数削減に賛成、反対という単純な議論だけに終始するのでなく、斬新な発想にもとづく冷静な議論が、今こそ望まれているのだと思います。
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by kkamoike | 2010-01-20 21:14 | 三木市政 | Comments(6)

市議会「新時代」の幕開けにできるかどうか

昨日『新しい時代を感じさせる一言』と題した記事を書きましたが、三木市議会では一足先に「新しい時代」への挑戦が始まったようです。
先日の神戸新聞には、もて木議員大西議員がそろって会派を脱会し、当面は一人会派として活動をされるという記事が掲載されていました。
お二人の勇気と決断に心から拍手とエールを送りたいと思います。


私はこれまで、特に市長派チルドレンとされた議員に対し数々の憎まれ口を叩いてきました。
おそらく、お二人からも恨まれているんだろうなと思っていますが、そういうことも全部ひっくるめて私にとっては久々に明るく嬉しいニュースとなりました。
議会に関しては暗い話題や活気のなさばかりがクローズアップされがちでしたが、最近の米田議員の一生懸命な活動の姿勢に引き続いて、お二人にもその決意の表れを行動にして示していただくことになれば、市民の議会を見る目も自然に変化してくるのではないか、周りの同僚議員に与える好影響も出てくるのではないかと期待します。


もて木議員も書いておられますが、本来、地方政治に与党も野党もないのは明らかです。いやむしろそういう概念で動くべきではないはずです。
今、ほとんどの市会議員が新人候補の稲田さんを推薦されているようですが、私は、その行動の源にあるのは、真の地方政治を自分たちの手に取り戻す、市長と議会の健全な関係を築くための確固たる意思の表れなのだと解釈しています。
仮に新しい市長に新人候補がなった場合に市議会の言いなりにさせようとするような邪な性質のものではもちろんないと思っています。
また、俗に言う「市長派チルドレン」などとは明らかに異なる概念なのだと思っています。
3年前?に、このような「市長派チルドレン」のような関係を自ら望み、そういう会派作りに関わってこられたであろう現職市長のほうがよっぽど「しがらみ」のある市政を目指してこられたのではないかと私自身は感じています。
市会議員であるにもかかわらず、市長の言うことに100%賛成、従うなんてありえません。
市長も議員も同じ市民から信託を受けた政治家である以上、いかなる理由があろうとも法律で規定されていること以外は基本的に対等でなければならないはずです。
自分の意思でもって考え行動することこそが真の政治家というものだと思います。
もちろんお互いの立場を尊重し合い、相手の権限に委ねなければならない部分は委ねていく姿勢が根底にあるのは言うまでもないことですが・・・。
ですから、今回の件は、現職の市長への反逆でも何でもありません。
お二人が本来の政治家としてとるべきスタンスに身を置かれただけのこと、自己改革に向けて一歩足を踏み出されただけのことなのです。


定数削減が叫ばれる中、議員としてのスタンス、資質などを自ら見つめ直し、議員自らが改革への道を自分の足で一歩踏み出されたことは大変素晴らしいことだと思います。
なにはともあれ、お二人の新しい門出に拍手です。
お二人のまともで勇気ある行動がこれからの三木市議会改革への挑戦に向けた大きな後押しになることを心から祈っています。
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by kkamoike | 2009-12-23 08:57 | 三木市政 | Comments(2)

第300回定例会本会議 質疑·一般質問で感じたこと

2日間の市議会の一般質問が終わりました。
今回は、たまたま仕事がオフでしたので、2日間、ほとんどの方の質問を聞くことができました。
やはり毎回思うのは、骨のある質問が出来る議員が限られているということですね。
こんな市議会の一般質問の内容なら、無理して日程をとって開催しなくても、本当に質問したいことがある時にだけ、質問したい人だけがすればいいのにとも感じてしまいます。
なぜそんなふうに感じてしまうのでしょうか?
それは、一般質問のほとんどが政策論争にまで発展せず、単なる質問のままに終わってしまっているからでしょう。


その打開策はといえば、もちろん、議員一人ひとりの努力(答弁する市長側も含む)にかかっているのでしょうが、やはり個人の努力だけに頼るのではなく、市議会全体の問題として捉え、議会運営のやり方などを見直すことが一番の近道ではないかと感じます。
今のやり方では、努力しなくても給料だけもらえる政治家をのさばらせる温床になったとしても、市の執行部と議会とが切磋琢磨できる土壌には程遠い状況ではないかと感じます。
そしてもう一つ感じるのは、質問する側と答弁する側が同じ方向を向いていないということです。
一つ一つの考え方は違っていたとしても、大局的な流れの中で同じ方向を向いて話をしないといけないのに、話がかみ合っていない、都合の悪い話になると逆切れしたり、逃げたり、はぐらかしたり···。
お互い足の引っ張り合いをすることしか頭になかったり、疑心暗鬼の状態のままだったり、突き詰めていけば、お互いの信頼関係が築けていないということに行き着くのかもしれません。
しかし、相手のほうが悪いからとか、取り付く余地も与えないからとかという理由で、お互いが背を向けたままでいることは、実はどちら側にとっても一番楽な方法であると同時に、市民への背信行為であることを肝に銘じてもらわなければなりません。


議員の質が悪いなどの理由で「定数を減らせ」と言うのは簡単ですが、私はその前に、「当事者は今の体制の中で一体どれくらいの努力をしてきたのか?」と問いたいです。
現状のどこに問題があって、その問題を解決するためにはこれからどんな取組が必要で、それぞれがどんな意識で臨み、どのように現状と向き合い、改革を進めていけばいいのかをどれだけ考えてきたのかと···。
そのような根本的な改革にチャレンジしないままで、定数さえ削減すれば改革の目指す姿に近づくというのは単なる空想にすぎません。


話は変わりますが、皆さんは三木市議会の一般質問の議事録武雄市の議事録を見比べたことはあるでしょうか?
見比べたことがないという方は、ちょっと目を通すだけでもいいのでぜひ一度見比べてみてください。
大きな違いは、一問一答方式、一人の持ち時間をフルに使ってのやり取りなのですが、その内容は、まさに議論を一つ一つ重ねる政策論争そのもので、議事録を読むだけでも臨場感たっぷりの緊張感あふれる雰囲気が伝わってきます。
今の三木市議会の一般質問でのやり取りを聞く限りでは、武雄市のやり方で通用する政治家は市長を含めて果たして何人いるのだろうかと感じてしまいます。
そして、今の会派を代表して質問をするやり方もまた改めてもらいたいとつくづく感じました。
やはり、市民に普段の活動をPRできる機会、一番手っ取り早く知ってもらえる機会こそがこの一般質問の場だと思いますので、ベテラン、新人に関係なくできるだけ多くの議員が登壇する運営方法に改めてもらいたいと思います。


そのような真の意味での三木市をよい方向に導くための政策論争が展開できる場を創り上げていくことで、政治家自身も切磋琢磨しながら成長していけるでしょうし、そのような姿を市民にアピールし続けていくことこそが、市民からの信頼を勝ち取る一番の近道ではないかと感じます。
当然、そのためには、市長と議会の間に信頼関係が横たわっていることが前提条件となることは言うまでもありません。
本当の意味での「改革」とはそういうものではないのかと私は思います。
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by kkamoike | 2009-12-10 21:16 | 三木市政 | Comments(0)

「意識の問題」なのか、「能力の問題」なのか、はたまた・・・

 『三木はどうなるのだろう?』
今朝の雑感日記さんには、三木市政に対する不安が書き綴られています。
このような漠然とした不安を払拭するのが政治家の一番の仕事であり、それを実現するための一番の近道は、市民に対する情報発信と説明責任ではないかと思いますが、現実はそれが上手く機能していないということなのでしょう。


市民をこのような不安に陥れる要因、機能していない原因は二つ考えられます。
一つは、政治家自身は市民が思うほど不安に感じていないということが考えられます。
一言でいえば、「意識の問題」となるわけですが、仮に問題があったとしてもそれを問題として認識できなかったりだとか、今直面しているややこしい問題にはできるだけ関わりたくない、気づかないフリをしてしまうのもこのような「意識の問題」に含まれてくるのではないかと思います。
もう一つは、「能力の問題」です。
漠然とした不安を感じたり、このままで本当にいいのだろうかというような気持ちはあるけれども、それに対して、自分の意見が主張ができなかったり、相手の意見に対し反論する術を知らなかったり···。
要は自分が考えていることを市民や相手に対して、分かりやすく伝え、説得させることができないという類の問題です。


そして、何より、政治家による情報発信と説明責任が一番市民の目にとまりやすい機会が、議会という場であるはずなのですが、現状は、必要な情報が必要なタイミングで伝わらなかったり、議論すべきタイミングでしかるべき議論がなされないなど、やることなすこと全てなし崩し的に物事が決まってしまっていまる状況です。
まちの将来を大きく左右する重要な政策が次から次へと提案される状況であるなら、議会という場でもっと喧々諤々の議論が展開されてもいいはずですし、市民の議会への注目度がもっとアップしても不思議ではないはずですが、残念ながら、そのような緊張感が溢れる場には程遠い、お粗末な状況だと言わざるをえません。


このような体たらくな状況、あるいは「死に体」の状況を建て直すための議会改革に関する具体的な提案については、ふるさと日記さんがしっかりと纏めておられます。
当然、政治家の皆さんはプロですから、先進地視察もいろいろな所に行かれて良いところ悪いところをいっぱい勉強してこられているはずですから、『今さら何を言っているんだ。』とか『そんなことは百も承知だ』とおっしゃるかもしれませんが、一市民にこれほど具体的に、懇切丁寧に改革案を提示されるということは、ある意味、情けないことだと感じてもらわなければ困ります。
市民からそのように言われるということは、今どういう状況で検討がなされているのかということが、全然伝わっていないからだという反省に立っていただかなければなりません。
これまで市民から声高に、議会に対して特別な注文をつけられることがなかったということもあるのかもしれませんが、私は、あらゆる場面において、市民を前提に考える意思(気持ち)がない、もっときつい言い方をすると、市民のほうを向いて仕事をしていないのではないかとさえ思ってしまいます。


三木市では、現在、様々な行革が断行されていますが、先ずは、こういう議論の基礎となる問題から、政治家自身襟をただし、改めていくべきだと私は思います。
議論の土台がしっかりしたものになっていないと、単に時間とお金の浪費だけを招くことになりかねないからです。
いずれにしても、今の三木市の政治家は、あらゆる面での本気度が足りず、真剣さに欠けている気がしてなりません。
市民にアピールしているほど、自分たちは「危機」を感じていないのかもしれませんね。
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by kkamoike | 2009-09-30 19:42 | 三木市政 | Comments(2)

議員とともに成長し、「三木のまちづくり」を一緒に考えていく気があるかどうか

前回の記事では、議会に対する論文を引用させていただき、地方議会のあり方について考えました。
議会自体に改革していこうという意欲と取組が必要だということは言うまでもありませんが、我々市民もまた、政策立案ができる議員を育て、政策重視の政治を実現していくためには、それ相応の覚悟と根気が必要なのだということがよくわかりました。
たまたま、同じ日の同じ時間帯に、fuji-takeさんの「ふるさと日記」にも議会に関する記事がアップされていました。
こちらは議員定数について、ご自身のお考えを述べられています。ぜひご一読ください。
私は、議会に対して、こんなふうに意見が出されるということは、議会運営や議員に対して、いい意味でも悪い意味でも関心が持たれているということであり、何とかならないのか、何とかしてほしいという、ある意味、議会や議員に対する期待の表れではないかと感じています。


そんな中、議員を見守り、育てていくという観点において、市民の模範とならなければならないはずの、行政の長ともあろうお方から、またしても耳を疑うような問題発言が飛び出しました。
私はこのことが非常に悲しく、残念でなりません。
その発言こそ、今日の一般質問の場で、市民力の米田議員の質問に対して発せられた、「ネガティブ」という言葉です。
この言葉を発するに至った質問とは、市の「財政危機宣言」を受けての、市民や職員の反応、市に対する影響をどう考えるのかを問う内容、まさにそれは、市民があまり表に出すことのない気持ちを代弁した発言だったわけですが、その市民の想いや表に出てこない声に対し、あろうことか、「ネガティブ」な発言と一等両断に切り捨てたのです。
恐らく、こんな市民を冒涜する発言が恥ずかしげもなく口にできるのは、議員という存在を軽く見ている証拠であり、市民の代弁者である議員に対して尊敬の念を持ち合わせていらっしゃらないからでしょう。
それとも、全くの個人的感情に任せた、私的な発言だとでもおっしゃるのでしょうか。
以前にも「若いのにコンサバティブな・・・」という発言をされましたが、若いとか年がいっているとか、男性だとか、女性だとかは一切関係ない話です。それぞれ市民の信任を得て議員に選ばれた方であって、市長と同じ政治家でいらっしゃるわけですから、そのような発言を議員に対してするということは、市民がコンサバティブであり、ネガティブだと言っていることと同じことなのです。


私は、今回の米田議員の発言の一部始終を聞かせていただきましたが、市長の恫喝とも取れる下品な対応にも臆することなく、理路整然と二回目、三回目の質問をされたことに、三木市議会の新しい風、可能性を肌で感じることができました。
正直、これまでまともに質問ができる議員は、共産党の議員ぐらいしかいらっしゃらないのかと希望を失っていたのですが、次の議会からは、俄然、米田議員の発言に注目していきたい、いや、注目されるに値する雰囲気(落ち着いた口調や間の取り方など)や自ら理論展開をリードしていく力、議論のイニシアチブを握るといった実力を持たれつつあると感じました。


市長自身が、議員を陥れたり、言葉尻をとらえて非難や口撃を仕掛けたりすることしか頭にないようでは、三木の政治はいつまでたっても良くならないと思います。
行政の長には、これほどの質問が出来る議員が目の前に現れてきたことに対する喜び、高度な議論が市民生活をより良くしていく貴重な場になることへの感謝、そして、三木のまちづくりを一緒に考えていこうという誠実な心を持ち合わせた器であってもらいたいものです。
そのような姿勢を持つことが、市議会の活性化につながっていくのだと思います。
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by kkamoike | 2009-09-10 21:16 | 三木市政 | Comments(5)

『地方議会のあり方と議員の政策立案』

いよいよ今日から9月議会の一般質問が始まりました。
議会のあり方については、先日来、ピーマンさまからもご意見を頂戴していますが、ピーマンさまからのご意見も含め、議会自体がいろいろな取組を検討し、チャレンジしていかないと、政治に対する不信感、閉塞感はいつまでたっても払拭することはできないと思います。

私が、常日ごろ、議会に対して問題だと感じているのは、本来、市民の代表、市民の代弁者であるはずの議員の存在、個々の議員の活動が実際の市政運営にどう関わったのかが見えないということ。
さらに、個々の議員がどういうまちづくりを目指そうとしているのかを含め、選挙時の公約があまりにも抽象的すぎる、すなわち具体的な政策を持ち合わせていないことが、議論が必要な場で議論できない、理論武装ができない議員を生む要因になっているのではないかということです。
これは、実際に政策立案に深く、直接的に関われる立場ではないと考えることからくる弊害なのかもしれませんが、有権者としては、この議員はどんなまちづくりを目指しているのかとか、どの政策に力を入れ、どういう方向を向き、どんなアプローチで政策の実現を目指そうとするのかなど、できるだけ議員に関する多くの情報を市民が知るということからはじめないと、議員自身も手を抜くとまではいいませんが、大事な審議のをする時に自分の都合の悪いことにはだんまりを決め込んだり、責任を持たなくて済むような逃げの対応をしてしまうような気がしてなりません。
このことは、以前にもコメントとして述べたことです。


さて、今回のタイトル『地方議会のあり方と議員の政策立案』という卒業論文がインターネットに掲載されています。初稿は2004年とやや古いですが、地方議会における問題点を整理した上で、具体的な取組に対する提言が体系的にまとめてありますので、今回は、この論文とその中で私が関心を持って読んだ部分をご紹介したいと思います。

議会の停滞により生まれてくる弊害については次のようにまとめてあります。
(12ページより抜粋)
ア)活動に存在感がないため、市民が議会の存在に注意を払わなくなる
イ)関心がなくなり、投票率が低下していく
ウ)低投票率の選挙では組織票、高年齢の固定票が選挙戦を左右する
エ)特定組織や高齢者向けを意識した政策や、公約をアピールせざるを得ない。サービスの対象も彼らに収斂していく
オ)政策立案より地元サービスを重視する地元団体選出議員や腰掛議員が増え、執行部監視機能や政策立案機能は形骸化する
カ)緊迫関係にない執行部と議会の癒着、馴れ合いを生む
キ)不祥事が起きて益々市民の不信を招く


また、議会空洞化の主な背景としては、「議員の能力不足」、「議員を取り巻く環境」などが挙げられています。
『議員の能力不足』という項目では、
(16ページ抜粋)
「···年4回の定例会で一度も一般質問に立たない議員が少なからず存在することは紛れもない事実である。決して低からぬ議員報酬と民意の代表という立場にありながら、この実態が世論に受け入れられるとは思えない。選択と集中、費用対効果などニューパブリックマネジメントの概念は、行政のみならず、議会にも取り入れられるべきである。
また、二元代表性において首長と議員はともに有権者の信託を受けた存在であるが、一方の議員に立法者であるという認識は薄い。議会事務局や議会図書館の脆弱さも合わさって、立法ノウハウも蓄積されておらず、議員自身も政策立案のトレーニングを受けていないのが現状である。」

と指摘されています。

また、『議員を取り巻く環境』という項目では、
「一般的に地方議会の開催は100日前後。それ以外の日時は自分の家業にいそしんだり、地元選挙区の集会に出席することが議員の日常。「議会や政策の勉強をするより、後援会や老人ホームで歌っていたほうが票になる」とは某宮城県会議員の言葉である。4年に1度、失職のリスクを抱える議員たちにとっては、100人いるけれど30%しか投票しない若年層より、70人であっても投票する高齢者層に訴求する政策を掲げることが合理的選択といわざるをえない。」
と指摘されています。

その上で、
「後援会や老人ホームで歌っているより、政策を立案して執行部を監視し、議会活動をアピールしたほうが落選リスクを減らすことができると議員たちに思わせる環境作りも、実のところは重要な要素ではないだろうか」
「官民あげて政策重視の選挙文化を育んでいくための市民教育、地域文化の涵養という地道な努力以外に王道はないものと思われる。」

と結論付けておられます。

そして、地方議会改革の改善策については、次の項目が挙がっています。
(26ページより抜粋)
①議会としての広報戦略
②議員定数削減と立候補促進政策
③議員評価制度
④議長職の権限強化
⑤議会の監視機能の強化
 (ア)公聴会など議会として市民と触れ合う機会を増やす。···議会にも市民委員会、審議会など答申機関を設けることによって議会がシンクタンクを抱えることが可能になる。
 (イ)議会活性化のための視点として、全国統一でなくその自治体、自治体にあった会議規則を作っていくべきである。
 (ウ)一般質問などにしても、資料配布はもとよりパワーポイント、OHCなどビジュアル設備を取り込み、市民にわかりやすい議事運営をこころがける。
 (エ)議会の進行についても、対面形式、一問一答など一般質問形式の改善を行う。
 (オ)議会事務局スタッフの独自採用。議会独自がプロパーの職員を採用し、政策立案や議会運営の専門家を育成していく必要がある。



今回紹介した論文は、冒頭にも書いたように、初稿が2004年ですが、この時点で問題として挙げられているいくつもの項目や内容は、今もなお、真剣に向き合い考えていかなければならない重要な課題として立ちはだかっているものばかりです。
そして、文末にはこんな言葉が述べられています。
まったくそのとおりであると思います。
『では地方議会など不要であるかといえば、その活性化もまた強く時代の要請をうけているのである。
···すべからく我々の社会の根底にながれる正義や健全なる懐疑といった民主主義を支えるエレメントもまた、地方自治によって育まれている。
その一方の担い手である地方議会が、従来のフォロー的ポジションを再構築しながら新しい時代における自分の立ち位置を認識し、分権時代の議会の役割を積極的に掴み取っていく理論武装と心構えが、この瞬間に求められているのではないだろうか。
従来既存の地方自治論を踏まえた上で、これからの地方政治の可能性と潜在性に強く期待する。』



結局、最後は、議員一人ひとりが現状をどう認識し、問題点を解決するためにどう行動に移すかということだということに尽きるのかもしれませんが、論文作者が言うように、
「官民あげて政策重視の選挙文化を育んでいくための市民教育、地域文化の涵養という地道な努力」
が我々市民にも求められてくるのだと思います。
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by kkamoike | 2009-09-09 21:12 | Comments(0)

まちづくりの根幹をなす議論なしでははじまらない

少々古いネタですが、
数日前の神戸新聞に、三木市の平成20年度の決算見込みに関する記事が掲載されていました。
この記事に関して、fuji-takeさんのブログ「ふるさと日記」に、感想を書いておられます。要は、新聞には「黒字」と書いてあるけれども、基金を10億円以上取り崩しての決算など、赤字同然ではないのか?というご指摘です。
ごもっともです。
また、fuji-takeさんは、市の会計を家計に置きなおしてこんなふうに表現しておられます。
『家計で、今月10万2300円貯金を切り崩したから、9400円手元に残ったのを黒字と言えるでしょうか?
だんなさんが無駄遣いして貯金減らして、今月黒字だなんて言ったら奥さん怒りません?』

確かに怒ります。(「怒られます」というほうが正しい表現でした。)


三木市の「財政危機宣言」には、毎年10億円以上の基金を取り崩すという大前提があります。
このまま毎年、基金を10億円ずつ取り崩す状況が続けば、5年後には基金は底をつき、財政再建団体に陥るかもしれないという内容です。
当然、この状況を指を加えたまま放置しておくつもりはないと思いますが、どうも今のやり方を見ていますと、毎年10億円の取り崩しを前提として、予算規模を従来の規模から10億円を確実に増やす形で予算執行していくために、いろいろな市民サービスをカットしているとしか思えないのですが···。


一見、サービスをカットしても、別のもので市民に還元されるものがあるならそれはそれでいいんじゃないの?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、本来、必要であるサービスがどんどん削られ、一方で、計画性のない事業や、今必要のないハコモノが建てられたり、病院経営の構造的な改革には着手せず放置したままの状態であるとするなら、それは、単なる税金の垂れ流し、行政経営の怠慢以外の何ものでもありません。
財政危機宣言に伴うサービスなどのカットは、あくまで一時避難的な措置であって、恒久的なカットにしてはならないと私は認識しています。
一時的な措置、財政的なやり繰りをするための措置として、サービスカットに取り組むのはよいのですが、10億円以上の収支不足が今後も発生する状況が当たり前と考えるのは正常な状態だとは言えず、三木市の財政規模は身の丈にあった予算規模になっているとはいえません。
にもかかわらず、10億円の収支不足が当たり前と見せかけるような予算編成を今後も続けるということは、三木市民を欺く財政的なトリックの何者でもありません。
以前、収支不足の原因として、小野市との比較をした資料が掲載されていることを紹介しましたが、この資料の意図するところは、まさしく、今後、10億円の収支不足を恒久的なものであると見せかけるための作為的な情報操作であり、三木市の財政規模を今よりも10億円膨らまそうとするためのトリックにほかならないのです。


今回の9月議会では、そのあたりの真相を深く切り込み、問いただせる議員は果たしているでしょうか?
分かっていて質問しないのは、議員の行動もまた、市民を欺いていることと同じことだということを認識すべきでしょう。
本当の三木市のあるべき姿はどんな姿なのか、理想とする財政規模はどれぐらいなのか、まちづくりの根幹にかかわる部分の議論を疎かにしたまま、いくら議論をしていても意味がないことを、市長も、議員も、そして私たち市民もそろそろ気づくべきではないかと思います。
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by kkamoike | 2009-09-07 19:49 | 三木市政 | Comments(13)

市の経営者としての責任を放棄した市長と受け狙いの判断しかできない議員たち

6月市議会、職員給与の削減条例が共産党を除く賛成多数で可決されたそうです。
市長は、市民病院の長期貸付を行わなかった理由として、職員の給与費削減の目途が立たなかったためと恥ずかしげもなくおっしゃっていますが、本当に病院を何とか立て直したいしたいと思うのなら、削減案が継続審議になったからといって、すぐに経営改善への取組を自ら投げ出すようなことをするのではなく、削減が実現するまで何が何でもしのぐべきだったと思います。
さらに、削減がいつまでも実現しないのでは話になりませんので、経営者として、きちんと労使交渉の席で話を付ける努力が必要だったわけです。
しかし、残念ながら、今の市長には、危機的状況の中で本気で自分が管理する組織や人たちと真正面から向き合う気概も覚悟もなかったということです。


市長が市長なら議員も議員です。
給与費削減については、前回、労使間の合意がなされていないからという理由で継続審議に至ったと記憶しています。
今回、共産党の大眉議員さんのブログで紹介されている反対討論の全文によると、依然、合意がなされていないため共産党は反対という立場を取っておられます。
一方、前回の3月議会で継続審議にしておきながら、今回、賛成に回った議員の方たちからは、最終日に賛成討論すらなされなかったようです。
前回同様、労使間での合意がなされていないにもかかわらず、なぜ今回は賛成したのか、その説明責任がまったく果たせていません。
私からすれば、
「職員からの受けも大事だから一回ぐらい反対しとこか」、
「今回は、いつまでも反対していたら市民の受けが悪くなりそうだからそろそろ賛成しとこか」
というぐらいの判断だったとしか受け取れません。
これなら、最初から賛成している、「市長派議員」と揶揄されている方たちのほうが、判断の中身はともかく、まだ一貫性があるだけマシです。
なんだかんだ言って、皆さん、本当は「市長派」なんじゃないんですか?
ちょっと反対するポーズを見せているだけなんじゃないですか?
まさか独裁政治に陥りやすいオール与党体制なんてことないですよね?···


「前回反対して、なぜ今回賛成したのか」という一番大事な部分について、しっかりとした賛成討論もしないまま簡単に賛成に回るぐらいなら、最初から反対などせずに賛成しときなさいよと言いたいです。
それこそ、まさに時間とお金の無駄遣いのなにものでもありません。
そして、それが原因で、わずか数年後に統合に伴い廃止されることが決まっている現在の市民病院のために、本来、その必要のなかった外部監査費用まで支払わなければならなくなってしまい、自ら廃止、縮小などの決断すらできない市長の策略に、これいいことにまんまと乗せられてしまう始末です。


三木市が全国初の『財政危機宣言』が発せられたのもわかるような気がします。
市長さんも議員さんも一体何がしたいんですか?
三木の政治家さん、もっと市民のことを第一に考え、行動してくださいよ。
そしてお願いですから市民の税金を無駄にしないでください。
本当に危機意識持っておられますか?
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by kkamoike | 2009-06-27 00:01 | 三木市政 | Comments(5)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。
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