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どうぶつのつぶや記

来年こそ良い年になりますように

あるていど歳をとれば、人にはわからないことがあると思うのは当然のことです。
しかし若いうちは可能性がありますから、自分にわからないかどうか、それがわからない。
だからいろいろ悩むわけです。
そのときに「バカの壁」はだれにでもあるのだということを思い出してもらえれば、ひょっとすると気が楽になって、逆にわかるようになるかもしれません。
そのわかり方は、世間の人が正解というのと、違うわかり方かもしれないけど、もともと問題にはさまざま解答があり得るのです。
そうした複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。
でも多くの人は、反対に考えているようですね。
ほとんどの人の意見が一致している社会がいい社会だ、と。

養老孟司「バカの壁」
まえがきより


人それぞれの考え方があるのは当たり前です。
リーダーにはいろんな意見や異論に対し柔軟に耳を傾け、その上で市民にとって一番良いと思う政策を力強いリーダーシップを発揮しながら引っ張ってもらいたいものです。
相手の言い分を認めず、自分のやりたいことを自分だけの判断でやることは「リーダーシップがある」とはいいません。
それは単なる、「我が儘を通す」であったり、「自分勝手」でしかありません。


「あの人はどうして自分のやり方が気に食わないんだ!」
「なぜ私の意見に反論ばかりするんだ!」
と腹を立てたり、自分を見失ったりするのではなく、心に余裕を持って相手の意見に耳を傾けてみる。
あるいは、一旦、相手の言い分を聞いてみて、直した方がいいと思うところは恥ずかしがらずに改めてみる。
そんなふうに、みんなの心に余裕が生まれ、多様な考え方が尊重され、受け入れられる風潮が三木市政にも市議会も、そして私たちの市民の生活の場にも広がっていけば、三木は必ず素敵なまちに生まれ変わっていくはずです。
来年はそんな新たなスタートに相応しい年になることを心から願っています。


今年一年、ありがとうございました。
来年こそよい年になりますように。
皆さんもよいお年をお迎えください。
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# by kkamoike | 2009-12-31 12:24 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(4)

「改革」は中身が大事

皆さんは、 「改革」と聞いてどういう取組をイメージされ、「改革」が実践されたと評価できるのはどの段階で合格点を与えられますか?
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)によると
改革(かいかく、reform)とは、ある対象を改め、変化させる事。革命に異なり、現時点での基本的な体制を保ちつつ、内部に変化を作ることをいう。
政治家がスローガンとして乱用する事が多く、流行語的な要素を含んでいるため、聞く側はその改革が国民の生活にとって良い物であるかどうかを見極める必要がある。

と書いてあります。


今回の議員定数の削減案についてはどうでしょうか?
「削減」だけが目的化してしまってはいないでしょうか?
議会運営のあり方も含めた市議会全体を見直すことが必要ではないのでしょうか?
本来は、後者の目的を果たす上での一つの取組として今回の定数削減の話が浮上してくるべきものだと私自身は考えます。
「数が減った」
「経費が浮いた」
「はい、改革完了!」
それって、本当の意味での改革なのでしょうか?
少なくとも、私はそうだとは思いませんし、そうであるとは思いたくありません。
選挙の得票目当てで、当事者を抜きにしたまま一方的に住民との約束を取り付けるような姑息な手段を取るのではなくて、議会運営のあり方も含めた議会改革全体をしかるべき所で、正々堂々と議論するべき問題なのだと思います。


2008年1月に書かれた所沢市議会議員のブログに議員定数に関してわかりやすい記事が掲載されていましたので、参考までにご紹介します。
議員定数を考える
(抜粋)
一般的には、定数が増えると、当選のハードルが低くなり、知名度や地盤のない候補の当選する機会が増え、その分だけ新しい声や少数意見が議会に反映されるといわれており、また、定数が減となれば、財政負担が軽くなることはもちろん、議員の権限と責任が相対的に大きくなり、審議の充実と効率化が期待できるといわれている(注2)。
しかし、定数を増やしたことにより、本当に新しい声や少数意見が議会に反映されるようになったのか、あるいは、定数を減じたことにより、本当に審議の充実と効率化がなされたのかについての実証的研究は未だかつてなされてはいない。「議員定数については、理論的な根拠や合理的な基準がない(注3)」のが実態である。

(注2)定数の増減には、当然、デメリットも存在する。定数の増は、議員に係る経費を一定とすれば、財政負担を重くするし、定数減は議員の固定化をもたらすとされる。また、定数減については、昨今の経済状況もあり、行財政改革の議会版とみる傾向があるが、一般会計予算に占める議会全体の経費の割合(議会費)は、ほとんどの自治体で1%にも満たない。もっとも、この1%を多いとみるのか、少ないとみるのかについては、判断の分かれるところである。
(注3)大森彌『新版 分権改革と地方議会』(ぎょうせい、2002年)p.74。



「改革」という言葉は、聞こえの良い言葉のようにもとれるわけですが、その「改革」の中身については我々有権者一人一人がしっかりと見極めることが大事であって、その目的や有効性についても私達一人一人が正しく判断していくことが必要なのだと感じました。
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# by kkamoike | 2009-12-28 20:36 | Comments(0)

私が投票の際、基準にしたいこと

私は、マニフェストに掲げてある個々の政策が全て実現されるにこしたことはありませんが、現実に即さないものまで無理に実現にこだわる必要はないと考えています。
撤回することに関して、きっちりとした説明責任さえ果たしてくれれば構いません。
公約を守って社会が悪い方向に向かうのであれば、公約を見直すことで社会が良い方向に向かうほうがまだマシだと感じています。


少し余談になりますが、4年前に現職市長が掲げた退職金を借金返済に充てるということが実現できなかった点は容認するわけにはいきません。
このケースは、最初から実現できないことを公約として掲げたのかどうかは知りませんが、できないならできないで、同じ効果が期待できる別の方法で対応できたはずだからです。
したがって、この公約については、きっちり最後まで実現にこだわるべきだったと今でも感じています。
最初に本人自らが法律的に実現は可能だと言い切ったこと、また、退職金を返済に充てることは出来なくてもボーナスカットなどの別の方法で対応した首長が実際におられることなどの理由からです。


話を元に戻して、以前、私は各候補者のマニフェストを見比べるのが楽しみだとも言いましたが、正直、政策の比較に興味があったわけではありません。
現職と新人では蓄えている情報量や経験、知識に差があるわけですから、現職が新人よりも細かく現実味のある政策、説得力ある内容を並べ立てられるのは当然のことですから、むしろ、私はマニフェストから伝わってくる候補者の想いについてどちらにメッセージ性を感じることが出来るかということに興味があったわけです。
個々の政策も含めたマニフェスト全体の内容から伝わってくるもの、個々の政策を打ち出すこととなったバックボーンをどれだけ感じ取ることができるかということを見比べたいと考えています。
もう少しわかりやく表現するとすれば、マニフェストをとおしてどれだけ三木の未来像を最も具体的にイメージすることができたかによって、候補者を選択してみたいと思っています。


さらに、私が選挙において投票の基準にしたいと考えているのは、マニフェストより民意も含めたいろいろなところからの声をどう市政運営に反映していくのか、市政運営を行っていく上でより自由な発言や議論が許され、実行される市政運営を実現できるのはどちらの候補者なのか、コモンセンス(常識や良識)を持ち、批判に対して真摯な対応ができる候補者はどちらなのかという点を重点に置きたいと思っています。
もう少し分かりやすく言えば、どちらが民主主義のルールを守れるかということです。


そういえば、前回の議会の一般質問で米田議員は、「子育て応援特別手当」の支給も、事前に議会ときちんとした形で協議がなされていればもっと市民に喜ばれる形で支給要件を三木市独自のものとして考えられたのに、もっと税金を有効に使うことができたのにというようなことを述べておられました。
病院統合の件やコンベンションホールの件、その他、産婦人科誘致や、もっと遡っていうならマックスバリュー跡地の件など、数え上げたらきりがないくらい、これまで市長の独断で数々の政策が行われてきた(行おうとしてきた)わけですが、これらの政策についても事前に必要な人たちと必要な最低限度の議論がされていれば、市民にとって、三木市の将来にとってもっと良いもの、もっと良い判断が導き出されていたのではないかと悔やまれてなりません。
そうしたちょっとした手間(しかし、省いてはならない大事な手続き)を省いたばかりに、余計な時間やお金、労力を費やすことになったケースもあったのではないでしょうか。


そのようなことから、私の場合、候補者を選択する際には、自分だけの狭い視野で三木市政を引っ張っていくことのない人かどうかをきっちりと見極めた上で候補者を選びたいと考えています。
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# by kkamoike | 2009-12-27 13:59 | Comments(0)

議員定数の削減について

「議員数を4名削減します。そして、4名分で4年間1.3億円浮いた分を産業振興や雇用創出に使います。」
これは現職の薮本市長が発表したマニフェストの中の2番目の項目です。

もて木議員も指摘しておられますが、仮に実施できたとしても、4年間で1.3億円の財源が捻出されるかどうかはこの時点で既に疑わしい部分があるようです。
また、もて木議員はこんなこともおっしゃっておられます。
『そのお金が捻出できなければ、雇用の創出や産業の振興が遅れる!というのは論理のすり替え』であると。
私もこの点についてもまったく同感です。


そのお金がなければ雇用の創出も産業の振興も「しない」、「できない」ということでしょうか?
市民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしいです。
今あるお金の中で先ずは優先順位をどのように付けていくかという問題であり、言わば、「雇用の創出」も「産業の振興」も待ったなしの状態のはずです。
市民にとっては死活問題といえるぐらい大きな問題なのです。
議員定数を削減することなんて、自分一人の判断ですぐ出来る問題ではないですし、時間がかかる問題なのです。
例えは悪いですが、味噌も糞も一緒に考えてはいけません。
(念のために言っておきますが、どっちが糞だという意味ではありません。どちらも大事な問題です。何もかも一緒にするなといいたいだけです。)


そんな悠長な、トンチンカンな発想からいつまでたっても抜け出せないから、いつまでたっても三木市は活性化しないし、市民に本当に必要な施策が打ち出せないままなのだと思います。
だから、どんどんどんどん周りから支持者が離れていくんだと思います。
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# by kkamoike | 2009-12-26 09:51 | Comments(2)

「付加価値」が生み出せる組織づくり

以前、「雑感日記」に「価値創造」という記事が書いてありました。
新たな「付加価値」を生み出していかなければ、企業の成長は望めません。
一方で、市役所や公務員の世界において付加価値を生みだしていこうとする意欲や気運が高まりにくいと言われてしまう背景には、努力しなくても「そこそこやっていける」というある程度の(中途半端な?)土台が整っているからなのかもしれません。
しかしそう思っているのは、行政側だけであって、実際に市民が感じる危機感との温度差(ギャップ)は依然大きくひらいたままなのが現状ではないかと感じています。


問題というのは、それが「ある」ことが問題なのではなくて、そのような現状に気が付かない、あるいは気付かないために問題を問題として捉えきれず解決されないまま放置していることが問題なのだと思います。
人は誰でも楽なほうへと流れていくものですが、一旦、楽を覚えてしまうと考えなくなる習慣が出来てしまい、それらの習慣が人の成長を阻害する大きな要因となっていくのだと思います。
これが組織の「退化」を招き、rfuruyaさんも普段からおっしゃっておられるように、淡々と仕事をこなしているだけでは、そこに「仕事をしたという価値」は存在しても、組織の財産となる「付加価値」は決して生まれることはないのだと思います。


このような問題を解決していくには、もちろん一人一人の努力が必要なことは言うまでもありませんが、そこで働く人たちに問題を意図的に認識させ、一つの目標実現に向けた意欲や努力を引き出せる環境づくり、あるいは勇気を持ってチャレンジできる環境づくりを並行して進めていなければ、組織としてなかなか思うような成果をあげることは難しいと思います。
逆に言えば、そういう環境、体制づくりができていない状況で、いくら「意識改革」だけを唱えたところで思うような効果は期待できないのではないかと思います。


最後に、組織として最低限押さえておきたい項目を2つ挙げたいと思います。

○組織が目指す「ビジョン」の明確化
これがはっきりと、確固たるものとして示されていなければ、みんなの力は別々の方向に注がれてしまい、組織力が分散させてしまいます。
問題を認識したり、問題を解決していく上でも明確なビジョンを策定することは言うまでもありません。
また「言われたことだけをやるだけ」のタイプから「自ら考え行動していく」人材を育てていく上においても、組織のビジョンを自分の言葉ではっきりと語れなければなりません。

○失敗を恐れないセーフティーネットの確立
変わっていきたくても、失敗を恐れていては行動に移すことはできません。
失敗を恐れずに動くためには、仲間、上司への「信頼感」が必須となります。
頑張った結果、たとえ失敗したとしても誰かがフォローしてくれるという「安心感」がチャレンジ精神を後押しすることになるからです。
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# by kkamoike | 2009-12-24 20:16 | マネジメント | Comments(4)

市議会「新時代」の幕開けにできるかどうか

昨日『新しい時代を感じさせる一言』と題した記事を書きましたが、三木市議会では一足先に「新しい時代」への挑戦が始まったようです。
先日の神戸新聞には、もて木議員大西議員がそろって会派を脱会し、当面は一人会派として活動をされるという記事が掲載されていました。
お二人の勇気と決断に心から拍手とエールを送りたいと思います。


私はこれまで、特に市長派チルドレンとされた議員に対し数々の憎まれ口を叩いてきました。
おそらく、お二人からも恨まれているんだろうなと思っていますが、そういうことも全部ひっくるめて私にとっては久々に明るく嬉しいニュースとなりました。
議会に関しては暗い話題や活気のなさばかりがクローズアップされがちでしたが、最近の米田議員の一生懸命な活動の姿勢に引き続いて、お二人にもその決意の表れを行動にして示していただくことになれば、市民の議会を見る目も自然に変化してくるのではないか、周りの同僚議員に与える好影響も出てくるのではないかと期待します。


もて木議員も書いておられますが、本来、地方政治に与党も野党もないのは明らかです。いやむしろそういう概念で動くべきではないはずです。
今、ほとんどの市会議員が新人候補の稲田さんを推薦されているようですが、私は、その行動の源にあるのは、真の地方政治を自分たちの手に取り戻す、市長と議会の健全な関係を築くための確固たる意思の表れなのだと解釈しています。
仮に新しい市長に新人候補がなった場合に市議会の言いなりにさせようとするような邪な性質のものではもちろんないと思っています。
また、俗に言う「市長派チルドレン」などとは明らかに異なる概念なのだと思っています。
3年前?に、このような「市長派チルドレン」のような関係を自ら望み、そういう会派作りに関わってこられたであろう現職市長のほうがよっぽど「しがらみ」のある市政を目指してこられたのではないかと私自身は感じています。
市会議員であるにもかかわらず、市長の言うことに100%賛成、従うなんてありえません。
市長も議員も同じ市民から信託を受けた政治家である以上、いかなる理由があろうとも法律で規定されていること以外は基本的に対等でなければならないはずです。
自分の意思でもって考え行動することこそが真の政治家というものだと思います。
もちろんお互いの立場を尊重し合い、相手の権限に委ねなければならない部分は委ねていく姿勢が根底にあるのは言うまでもないことですが・・・。
ですから、今回の件は、現職の市長への反逆でも何でもありません。
お二人が本来の政治家としてとるべきスタンスに身を置かれただけのこと、自己改革に向けて一歩足を踏み出されただけのことなのです。


定数削減が叫ばれる中、議員としてのスタンス、資質などを自ら見つめ直し、議員自らが改革への道を自分の足で一歩踏み出されたことは大変素晴らしいことだと思います。
なにはともあれ、お二人の新しい門出に拍手です。
お二人のまともで勇気ある行動がこれからの三木市議会改革への挑戦に向けた大きな後押しになることを心から祈っています。
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# by kkamoike | 2009-12-23 08:57 | 三木市政 | Comments(2)

新しい時代を感じさせる一言

昨日のいなだ三郎さんの後援会、出張と重なり行けませんでした。この方のブログを読んでますます聞きに行きたかったという無念の想いを強くしました。
rfuruyaさんがいつもおっしゃっておられますが、話し言葉でも、文章でも、何事もその人の想いがこもっているものには心を動かされるものですね。
冒頭でご紹介した方のブログの記事からもその人の想いがストレートに伝わってきて、文章を読んだだけで久々に心が じ~ん と熱くなりました。
ホンモノの「感動」ってこのように伝播していくものなんですね。
会場に居合わせたわけでもないのにその空気や感動が伝わるって素晴らしいです。


それぞれ応援にこられた方たちのお話もよかったということですが、私が今朝の「雑感日記」「ぼっけもん修さんのてげてげ日記」を拝見して一番心に残った言葉が、鈴木宗男さんの「会場のみなさん、一日ひとりでいいんです。いなだをよろしくお願いしますではないです。今度の市政はいなだにまかしてみようじゃないか。こう声がけしましょう。」というメッセージです。
この言葉に新しい時代の幕開けを感じさせる何かが詰まっていると私は直感しました。
「任せてみようじゃないか」という言葉、いいですね。
なんだかうまく言えませんが、そこには、「あの人に一任」という責任放棄とも他人任せとも取れる意味なんかではなくて、自分達の責任においてあの人を支えよう、一緒にみんなで苦労と喜びを分かち合おうというメッセージが込められているような気がして、今こうして文章を書いている間にも涙が溢れてきそうになりました。


三木は小さな地方都市ですが、有権者がそのような意識のもとに、三木市の未来を考え、自分が支えたいと願う候補者に一票を投じる意識が広まっていくのなら、これまでにない素晴らしく、強固な土台が築かれていくのではないでしょうか。その一番の原動力が今回の選挙で生まれれば、選挙に対する有権者の意識も市政に対する意識もおのずと変わってくるのではないかと感じました。
この風をホンモノの風にできるかどうか、この流れをどれだけ三木市民の末端にまで広げていけるかは、これからの動き、それぞれの候補者と今まさに候補者を支えようとがんばっておられる人たちをはじめとした我々有権者一人ひとりの肩にかかっているのだと思います。
一人でも多くの人が想いを一つにすることで、小さな力が大きなうねりとなっていくことを切に願っています。


相手を批判したり陥れたりすることによって生まれるマイナス志向の結束力とかではなく、新たな時代を自分達の手で創造していくという意味での未来志向型の結束力をぜひ実現してほしいと願っています。
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# by kkamoike | 2009-12-22 21:49 | Comments(13)

私が「現職のマニフェスト」に欠けていると感じる点

『ガンバレ!やぶさんの瓦版 マニフェスト最終特集号』が出ました。
自分を選べば「発展」し、相手を選べば「衰退」するなんて、まるで私には 「今この壷を買っておかないと、そのうちあなたに不幸が訪れますよ」という類いのセールストークのようにしか感じないのですが···。
壷を買おうが買おまいが、幸せだと感じるのは自分の気持ち次第、努力次第なのです。
まちづくりも同じではないでしょうか。そう、結局は人に与えられたり押し付けられたりするものでも、誰かによってもたらされるものでもなく、自分たちの手でみんなで作り上げていくものなのだと思います。
その中での役割分担としてリーダーとして果たすべきことは何かを考えるべきなのです。
リーダーにしか出来ないことを。
(この部分は現職だけでなく、新人にも物足りなさを感じるところです。)
以前にも書きましたが、政策(「政策」というより「個々の事業」レベル?)なんて別にリーダーが一つ一つ事細かく決めなくても、官僚(公務員)に考えさせたらいいのだと思います。
政治家はどういうまちづくりがしたいのか、どんな方向に進めていきたいのか、またそれを実現していくには、今、三木市で何が欠けていて、どういう点を克服しなければならないのかということを正直に現実と向き合いながら、その解決方法を我々市民に訴えかけ、考えを共有してもらうことに腐心すべきなのではないかと思います。


「前進」か「後退」か?
「改革」か「逆行」か?
「発展」か「衰退」か?
これらは、これまで薮本さんが訴えてきたフレーズですが、
仮にある有権者が薮本さんを選ばないとしても、それらの人たちは、
「後退」や「逆行」、「衰退」を望んで候補者を選択するわけではありません。
選ぶ人たちも選ばない人たちも、みんな一様に、「前進」、「改革」、「発展」を心から願っているのです。
また、仮に薮本さんが選ばれなかったとしても、私たちは常に前を向いて進んでいかなければならないのです。
しかし、それらの「前進」、「改革」、「発展」はリーダー一人の力で成し遂げられるものではありません。
市民や団体、企業など、もちろん議員や職員も、あらゆる社会を構成する人たちが力をあわせて三木市の未来を作り上げていくべきものなのです。


薮本さんのマニフェストで欠けているのは、自分一人の力で何でもできると過信しているところではないかと思います。
新人候補は、薮本さんの政治を「独善政治」と批判しているわけです。
それが事実かどうかは別として、そういう声が上がっているというのは、市民の間でもそういう不満が広がっているということなのでしょうから、そのあたりの体制をどう立て直していこうとしているのかを訴えるべきなのだと思います。
しかしながら、現実は、残念ながら、それらの部分が完全に抜け落ちているのだと思います。


しっかりとした土台があって、はじめて様々な政策が輝き、生きてくるのだと思います。
生きたお金の使い方ができる人は、その辺のポイントは必ず押さえられているはずです。
個々の政策も大事ですが、私たちがリーダーに語ってほしいのは、注ぎ込むお金を無駄にしない、効果があるものにしていくためのリーダーとしての考え方、確固たる理念、仕組みづくりなのだと思います。
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# by kkamoike | 2009-12-21 20:29 | Comments(3)

デジタルもアナログも

前々回の記事、そして前回の記事と候補者の政治活動について述べてきました。
有権者が候補者の素顔を知るには、やはり直接候補者と接する機会が一番なのだと思います。
高い壇上から、あるいはスーパーや駅前の辻たちなど自分の言いたいことだけを言う場ではなく、普段地域で行われている集会のように、会話形式で本音で対話が出来よるような場が一番なのだと思います。


選挙まで1ヶ月を切り、おまけに年末年始も重なるということで、各陣営にとってはほとんど残り時間がない中で、今さらそんなことはできっこないと言われるかもしれませんが、せめて市内の数箇所でも結構ですので、ミニ集会のようなものを開いて、候補者と時間の許す限り率直な意見交換が出来る機会を作っていただければありがたいと思います。
もちろん情報発信もきっちりお願いします。


武雄市の樋渡さんは、情報網を駆使して活躍されている政治家のようなイメージがありますが、それ以上に市民とのふれあいを大事にされている政治家でもあります。
あちらでもこちらでも
そのバイタリティにはいつも感心させられます。
デジタルもアナログもちゃんと押さえておられます。
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# by kkamoike | 2009-12-19 09:03 | Comments(8)

「三木市長選挙公開討論会」の開催 実現せず

今回の三木市長選挙公開討論会、開催が実現せずに本当に残念でした。
わずか数週間でここまで準備を進められたminminさんをはじめ発起人の皆さんのご苦労に感謝と敬意を表したいと思います。本当にお疲れ様でした。


今朝の雑感日記では、rfuruyaさんが「対応」をキーワードに書かれていますが、各候補者の回答内容を見ても三者三様、それぞれの個性が表れているのがよくわかりますね。
これはあくまで私の個人的な感想ですが、現職の薮本さんの対応は、(どんな選挙のプロがついておられるのか知りませんが)極めて役所的で、確かに非の打ち所のない反論なのかもしれませんが、何か温かみというか、もうちょっと普通の、市民の立場に立った対応が出来ないものかとも感じました。


そういえば、どなただったか、先週の市政報告会の感想で、40分近く原稿にも目を通さずに自分の思っていることについて自信を持ってしゃべっておられたことを評価されていましたが、曲がりなりにも4年も市長を務め、それまでからも二十何年間公務員で行政経験がおありの方なのですから、また、頭もいい人なわけですから、これぐらいの時間、自分のペースで、自分の思い通りのことをしゃべることくらい当たり前といえば当たり前のことです。
肝心なのは、自分の予期せぬことや、自分にとって都合の悪いことなどを質問された場合の対応なのだと私は思います。
この前の現職候補の報告会や、今度の新人候補の考える会などは、後援会が主催した筋書きの決まった芝居みたいなものですから、はじめから候補者が素晴らしく見える、あらゆる点において落ち度のないように進められるのは当然です。
どれだけ自分をいいように演出できるか、演技力が試される場でもあるわけです。
最初からそういう場だと分かっているだけに、私なんかは、ちょっとした失敗や愛嬌のある面が見られるくらいのほうが、人間味があって好感が持てます。


今後、ラジオでの討論会も企画されているようですが、できるだけ候補者の本音が聞ける討論会になることを期待したいと思います。
私達が見たいのは、候補者の素顔と本音なのです。
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# by kkamoike | 2009-12-18 19:37 | Comments(3)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。
S M T W T F S
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