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どうぶつのつぶや記

「三木金物」の良さか体感できるキッカケづくり

●少し前になりますが、「インディペンデンスボードウォーク」の取組がグリーンピア三木で行われたという記事が、「がんばれ!みき」「さるとるファイト!」で紹介されていました。
とてもいい取組だなぁと感心して拝見したのですが、そういえば、三木にはまだまだ自然や緑が多いところだからこそこのような取組もしっくりくるんだなと感じました。
そして、「木」を使った取組も三木ならではでないかと···
さるとるさんの記事によると
作りたい人は、1枚1000円でボードを購入でき、
絵や文字などをかくマジックなどは、その場で貸してくれ、
自分で取り付けることも可能で、
あずけておけば、後で、設置もしてくれる

ということのようですが、
例えば、このボードを作る段階から三木ならではの特色を考え、ある工程を取り入れてみるっていうのはどうでしょうか。
例えば、ボードの作成づくりからチャレンジできるというような工程があってもいいような気がします。


●少し話がそれますが、グーグルの検索で「ネイチャー、木、工房、道具」と適当な単語を入力すると、検索結果の広告欄に三木金物オンラインショップ「アルデ」のページのリンクが出て来ます。
なるほど、子どもが対象となるネイチャークラフト体験なんかでも様々な工程で道具が使われることが予想されるために、このようなリンクがされているのでしょうか。


●もちろん金物の振興を考える上では、金物の「販売」が基本なのでしょうが、例えば、高級道具、なかなか手が出ない道具を使って子どもたちが気軽に「ものづくり」にチャレンジしていける環境を作り上げていくのも面白いと思います。
あるモノを完成させる楽しみだけでなく、例えば、作る工程での木を切る、削るなど、道具を使う際に伝わってくる感触も楽しむことができれば、道具を通して子どもたちの感性に訴えかけられるものが生まれるのではないかと思います。
いい道具そのものの味わいを楽しむことができれば、やはり「いい道具は違う」という感覚を自然に覚えるでしょうし、道具に対する愛着も湧いてくるのではないでしょうか。
まさに「百聞は一見にしかず」ですよね。


●いくらいい道具が使い心地が良く、切れ味なども抜群だということは分かっていても、実際に購入するとなるとなかなか手が出せないわけですから、例えば、このようなネイチャー教室やある特定のイベントの際にいい道具が実際に使える仕組みがつくり出せないものか···。
すなわち、用途、期間限定での道具のレンタル(貸出)事業を展開していくというのはどうでしょうか?
道具は、使えば使うほど味が出るともいいますし、そういう高価な道具でもレンタルが可能なら相応の費用負担で使うことができるでしょうし、そうなれば子どもたちが産地自慢の道具と気軽に接する機会を創り上げることができるのではないかと思うのですが。
(そんな簡単にはいかないモンなんですかねぇ。)
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# by kkamoike | 2010-03-23 20:25 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(8)

施政方針から伝わってくる「攻め」の姿勢(市政)と「守り」の姿勢(市政)

一昨日、やけにアクセスが増えたと思ったら、さるとるさん三条市の国定市長さんがそれぞれの記事にリンクしてくださっていました。
ありがとうございました。
そして、国定市長さんが私のブログの内容に気付かれたのは、もちろんrfuruyaさんがリンクしてくださったからです。いつもありがとうございます。


さて、その三条市長さん、最近の記事は、施政方針の中で特に思い入れの強い取組を我々一般の読者に対してもわかりやすく発信してくださっています。
三条市の伝統産業である『ものづくり』をいかにして足腰のしっかりしたものに育てていくか、そして将来を担う子どもたちにいかに引き継いでいくのか、ここ数日のブログの記事を拝見していると、市長の考え方には一本のしっかりとした筋が通っているのがよく伝わってきます。
子育て支援、高齢者施策、教育、その他諸々の事業が、基礎的自治体である市町村で同じように行われているわけですが、それらのサービスを提供するだけなら、極端な話、別にどこの自治体に住んでも構わないわけです。
個々の自治体が持つ特性をとことん生かしたまちづくりがあって、はじめて、それらの「当たり前」のサービスが、その自治体ならではのサービスへと格上げされ、独自性という光を放つものになっていくのではないかと思います。
以前、国定市長がおっしゃられていたことが、今、ぼんやりとではありますが、わかりかけた気がします。
(抜粋)
私はいつも考えます。
〝このまちにとって不可欠なものは何なんだろう?その要素が失われてしまうと活力そのものが奪われてしまうものは何なんだろう?このまちが他の地域と比べて突出した、このまちの色合い、アイデンティティは何なんだろう?〟と…
この問いを市長就任後も絶えず自らに問いかけ続けました。
そして、今、確信しております。この地域の殆ど全ての人が〝当たり前だ〟と思っているものに…それは〝ものづくり〟です。このまちは、誰が何と言おうと〝ものづくり〟に立脚しているのです。しかも〝工業系のものづくり〟が圧倒的な主役です。
それは、農業を否定しているのではない、建設業を否定しているものでもない、教育や福祉が不必要だと言っているのでもない。
しかし、この〝ものづくり〟を否定してしまえば、〝ものづくり〟を軽視してしまえば、このまちの色合い、アイデンティティ、求心力は、あっという間に瓦解していきます(ちなみに、お隣の燕市も全く同様だと思います。だからこその燕三条地域です)。
〝ものづくり〟があるからこそ、人口を、少なくとも、この程度にまで集約ができて、〝ものづくり〟が一定のパフォーマンスを維持していたからこそ、農業·建設業·商店街のことにも目を向け、教育·福祉分野の充実に資源を投入できるのです。
この、私たちにとっての色合い、アイデンティティ、求心力そのものである〝ものづくり〟が今危ない。危なくなってから1年半。
だからこそ、今こそ、この〝ものづくり〟が瓦解しないよう、全力を投入しなければならない。



残念ながら、同じ“ものづくり”に立脚したまち、金物という伝統地場産業を持つまちである我が三木市からは、三条市長さんの口から伝わってくるほどの熱意が、(三木)市長自らの言葉からも、実際の施策の優先順位やその中身からも、切迫感といいますか、ひしひしと伝わってくるものがまだまだ足りないような気がします。
突き詰めて考えれば、物事に対するスタンス、考え方、もっと大きく言えば、まちづくりの根幹となる部分をどう見据え、どういう手順でまちづくりを組み立てていくのかという、まちづくりの進め方が180度違っているように感じたりもします。
それは、何を「核」としてまちづくりを考えていくかという認識の問題でもあると思います。
実際にやっていること(やろうとしていること)はそれほど大きくは変わらないのかもしれませんが、何を最優先するのか、事業などの組み立て方、持っていき方次第で、まちづくりに対する迫力や意気込みは大きく異なってくるのだと思います。
まさにそれが「一体感」を創り上げる原動力になっていくのでしょうね。
将来を見据えた「攻め」のまちづくりを展開していくのか、どちらかというと現状の問題への対応に重きを置いた「守り」のまちづくりを展開していくのか···、このことは、それぞれの市の施政方針の中に頻繁に出て来る言葉や表現を見れば一目瞭然ですが、要はこの違いが、3年先、4年先と年を重ねるごとに大きな勢いの差となって表れてくるような気がします。
もっと三木市も、他市の良いところ、特に同じような課題や背景を持つ三条市の良い部分、先見性のある部分をどんどんと取り入れ、見習っていくくらいの貪欲さ、したたかさが欲しいものです。
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# by kkamoiKe | 2010-03-20 11:52 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(2)

リーダーの意識一つで改革は成し遂げられる

職員の意識改革を主な目的として始めたトイレ掃除
もて木さんのブログによると、
『以前よりトイレが汚くなってきているのでは』との指摘に対し、
市長は、『職員が一生懸命やっているのに、そんなことを言われる市民がおられるのは残念だ。今後も継続する。』
とのコメントを返されたとか···
トイレ掃除は仕事なのか、それとも単なる職員の自主的な意識改革のための手段なのか。
今一度、「トイレ掃除」のあるべき姿を考える時期が来ているのではと思います。
トイレ掃除を「仕事」として捉え、専門の業者に任せるほうが、トイレをきれいにするなどの維持面と、費用的な面の両立が最も効率的に成し遂げられるというのであれば、一旦決めたことであっても、これまでの成果を検証した上で、勇気を持って見直す決断をするべきなのだと思います。
トイレの使用が職員だけに限られているのならともかく、市民も利用するのであれば、たとえ一部の市民の声であったとしても、そのような指摘を受けることはあってはならないはずです。
市民が利用する際に、いつも気持ちよく、綺麗に保たれている状況を維持することが大事であって、このような市民のことを第一に考えたサービスを提供することが、(公務員が行おうと、民間業者が行おうと)まさしく『プロの仕事』といわれるものになるのだと思います。


●議員定数の削減問題
定数の削減のみならず、今、まさに議員に一人ひとりの意識改革が求められているのだと思います。
トップが、経費の面だけでなく、議員一人ひとりの意識改革も含めて、議会に対して口出しをしたのであれば、当然、トップ自身も意識改革が求められるはずです。
例えば、市長の議会での立ち居振る舞いや、
議員によって対応をあからさまに変えるというような態度などは、今すぐにでも改めるべき事柄です。
また、一つの意見として、市のリーダーが今何を考え、どういう方向に進もうとしているのかといったことを、些細なことでもいいので情報発信を怠るべきではないという指摘は全くそのとおりだと思います。
時代は私たちが考えている以上のスピードで変化していっているのです。
トップ自らも常に時代の要請に応じて変わることにチャレンジしていく必要がありますし、自ら模範を示していかなければならないのだと思います。
そうでないと、「改革を成し遂げたい」という想いは、誰の心にも届かないでしょうし、まして人の心を捉え、動かすことはできないと思います。


●ところで、今朝の雑感日記で紹介されていた『ドライバー モリゾウのBLOG』の最新記事には、びっくりするぐらいのコメントが数多く寄せられているのですが、その中でこんなコメントを見つけましたのでご紹介します。
シゲ [2010年3月17日 15:13] *

モリゾウさんはじめまして。
私は現在29歳で微力ながらごくごく小さな技術系企業の専務取締役をしております。
いわばクレーム産業の一員です。
今回のモリゾウさんの一連の動向やメディアで取り上げられていた対応を拝見しておりまして、ただ圧巻の一言でした。
私もモリゾウさんみたいに、人、企業をリーディング出来ればと思うばかりです。
私は今回の問題事には関心は無く、モリゾウさんの対応や姿勢にずっと注目してました。(生意気言ってすいませんが。)
でも、モリゾウさんみたいな人が居るからこそ、目標が持てる、又やる気が沸いてくる、といった人も必ずおられると思います。
現に私がその一人です。今後も頑張って下さい。最後に、私も早くレクサスに乗れる様頑張ります!



●寄せられているコメントは、リーダーを心から尊敬し、応援するメッセージがほとんどなのですが、こんなふうに周りから言ってもらえる、評価してもらえるリーダーでありたいものですね。
『人を動かす力』があるということは、何より会社や社員を愛し、顧客を大切にする姿勢、そして過ちがあれば率直に認め改める潔さなどが、日々のこのような身近な情報発信の中からも十二分に伝わってくるからなのでしょう。
そして何より、リーダー自身のありのままの姿が包み隠さず表現されているからなのだと思います。
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# by kkamoiKe | 2010-03-18 21:21 | リーダーの条件 | Comments(0)

ワンランク上のおもてなしを考える(付加価値を生み出すしくみづくり)

毎日チェックするブログの一つに「パティシエを目指していたサミーの営業日記」があります。
直近の記事は「期待だけでは終わらない、ワンランク上のサービスって!」と題した記事で、「漬物」の販売に関連したワンランク上のサービスについてでした。
単に「漬物」という商品を販売するだけではなく、その商品を美味しく召し上がっていただくコツ、その人の嗜好に合わせた食べ方の伝授などもしてもらえるのだそうです。
この話を読んで、以前にテレビで紹介されていた内容を思いだしました。
それは、「本のソムリエ」です。
東京のとある本屋では、単に本を販売するだけではなく、その人が今、何を求めてお店にいらっしゃったのか、その人の目的に合った本を紹介してくれる、通称「本のソムリエ」がいらっしゃるそうです。


ところで、三木市は、言わずと知れた、酒米「山田錦」のふるさとでもあり、日本一の生産を誇っています。
しかし、ここ近年は、日本酒全体の販売が落ち込み、酒米の流通価格も年々下落し続けているとのこと。
深刻な後継者不足も課題となっているようです。
こうした状況であるにもかかわらず、果たして、三木市が全国に誇れる「酒米の山田錦」、あるいは、「(山田錦で作られた)日本酒」をどれくらいPRしているのでしょうか?
また、それらを生かしたまちおこしは一体どれくらいの試みがなされているのでしょうか?
「山田錦まつり」という全国にも類を見ないユニークなイベントもありますが、「三木金物まつり」同様、毎年恒例になっているとはいうものの、もう少し、年間を通した取組、仕掛けができないものかと思ったりもします。


例えば、冒頭に紹介したような付加価値を提供していけるような何らかの取組を三木市全体で考えられないものか···。
日本酒に合う三木オリジナルの料理レシピを発信したり、日本酒に合う料理コンテストを開催したり、また日本酒が美味しくいただける季節感も含めて満喫できるような市内の絶景おすすめポイントを選定したり、そして、その場所で実際にお酒と料理が楽しめるイベント(もちろん有料で)を開催したりするなど···
単に生産者目線から酒米の売り上げを伸ばし、日本酒の販売促進だけを考えるのではなく(実際はそうではなく、ちゃんと考えておられるのでしょうが)、生産者と消費者が一体となった形で、三木市を日本酒に合うまちに仕上げていこうという、まさに市民全体が、あるいは酒蔵メーカーなども巻き込む中で、一丸となった取組、面白くて、興味がわくような、ワクワクする仕掛けづくりが、今まさに求められているのではないかと思います。
極端な話、テレビ番組の「秘密のケンミンSHOW」で取り上げられるくらいの、オリジナリティのある、地域を挙げての取組、盛り上がりがほしいところですね。
かなり話が大きくなってしまいましたが、要は、ひとりでも多くの市民が日本酒の美味しい飲み方に関心を持ち、その飲み方などをマスターすることで、三木市のいたるところで「おいしい日本酒が飲めるおもてなし」が実現できれば、市民同士の一体感の醸成だけでなく、本当の意味で「酒米 山田錦」が市民の誇りとして根付いていくのではないかと感じました。
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# by kkamoiKe | 2010-03-17 20:54 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(7)

アイデンティティ(自分らしさ)という要素

今朝の『雑感日記』には、三条市長日記が取り上げられています。
私も読みました。
とてもわかりやすく、しっかりとしたコンセプトを感じました。
自分(市)にとっての拠り所をしっかりと持っている(抑えている)ということは、いかなる局面に立たされたとしても、原点に立ち返ることができる強みが生まれることでもあるのだと感じました。
今回は、三条日記の中にも出てきた『アイデンティティ』について書いてみたいと思います。


人が人生の中で、自分らしく生きていくのは大変難しいことですが、逆に考えれば、それは、人生における最大で、永遠のテーマであると言えます。
この「自分らしさ」を追い求める過程こそが人生の醍醐味であり、その過程の中で生まれる喜びや悲しみ、苦しみといったものが「生きている」という証そのものなのだと思います。
自分は何を拠り所として生きていけばいいのか、それを見つけ出し、それによって導き出される理想を追い求めていくことが喜びとなり、生きがいにつながっていくのだと思います。
人が生きる上で、アイデンティティ(自分らしさ)を確立することが大事なように、物事を進めるときにも、アイデンティティという要素がバックボーンにないと中身のないものになってしまうのだと思います。


まちづくり、まちおこしにも同じことがいえるのではないでしょうか。
そこに住む人が楽しめない、関心がない取り組みをいくら進めようとしても、また、自分たちが楽しめないものをいくら地域の核として盛り上げようとしても上手くいかないのだと思います。
なぜなら、そこには、「アイデンティティ」というもの(要素)が忘れ去られているからです。
自分たちが楽しめるものが何か、自分たちのまちの強みは何かを考える。
そして、自分たちが心底楽しめ、誇れるものを見つけ出した上で、実際に自分たちが楽しんでみることが大事なのだと思います。
まちを元気に、生き生きとさせる方法は、自分たちがこのまちに住んで楽しい、こんなところが大好きだという部分を発見し、自分たち自身が楽しめることから始まるような気がします。


『自分たちが楽しめないのに、人を楽しませることなどできない』
とつくづく思うのです。
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# by kkamoiKe | 2010-03-16 19:15 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(0)

市会議員に期待すること

前回の記事に対し、もて木さんからコメントをいただきました。
もて木議員をはじめ多くの議員の皆さまへのエールの意味も込め、コメントに対するお返事を書かせていただきます。



もて木さま
偉そうなことばかり言って申し訳ありません。
しかし、市長のやり方の善し悪しは別にして、既に、議会への提案という形で表舞台(土俵)にあがってきてしまっているというのは紛れも無い事実です。
私自身も、今回の市長のやり方には納得していませんし、もて木さんや大西さんをはじめ、この問題について質問した議員の方たちは自らの保身のために意見を述べられたとは思っておりません。
しかし政治は結果が全てだと思います。
議会という、ある意味、市民にオープンにされる数少ない議論の場で、いかに結果を残し、世論を導いていくか、まさに『真剣勝負』の場なのだと思います。
そういう意味からも、私は、経験の浅い議員も、経験の豊富な議員も関係なく、この議会という政治家として最高のパフォーマンスを発揮しなければならない場で死に物狂いの姿勢で議論を交わすくらいの熱気というものを市民に伝えていただきたいのです。
議員の皆様のこれからの益々のご活躍を陰ながら応援しています。
がんばってください。
一市民より
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# by kkamoiKe | 2010-03-13 09:58 | 三木市政 | Comments(1)

市民のレベル以上の政治家は生まれない

この間の三条市長日記を読んでいて、ふと目に止まったものの中にこんな記述がありました。
『さて、今日から、三条市議会では、一般質問が始まりました。将来のまちの方向感、教育、福祉、財政などなど、各般にわたってのご指摘をいただきましたが、圧巻は、今期限りで引退を表明されている某議員さん。通算90回以上続けてきた一般質問の総仕上げということもあり、大変〝格調高い〟ご指摘を繰り広げられていらっしゃいました。これまでの長きにわたって、三条市政に叱咤激励をいただき、ありがとうございました。』


一見、この何気ない文章の中に、色々な意味で、大事なことが表れていると感じました。
『相手に対する敬意』
『市政に対する情熱』
『政治家としてのこだわり』など···
これらのどれが欠けても自由闊達な議論が展開される議会にはなり得ないのだと感じました。


翻って、今の三木市議会はどうでしょうか?
rfuruyaさんは、先日、傍聴された際の感想をこのように述べておられます。
市長の『不遜』な態度などは全くもって論外ですが、私は議員が行う一般質問に何が欠けているのかが、今回の三条市長日記の記事を読んでようやく見えてきたような気がします。
簡単に表現すれば、発言そのものに「魂が込められていない」ということです。
政治家としての信条を熱く語る部分がもっともっとあってしかるべきだと思います。
内容はもちろん、言い方も含めて···。


自分がわからないことを聞いて、「ハイ、わかりました」だけで終わってしまうのではなく、例えば、今回の議員定数の削減に関する審議にしても、質問した議員は結局、①どういう部分が納得がいかないのか
②方法論はともかく削減することには賛成なのか反対なのか
③では自分はどういう方向に進めるべきだと考えているのか
など、少なくとも、聞いている多くの市民は議員がどうしたいと思っているのかがほとんど見えてこなかったのではないかと思います。
しっかりとした自分なりの主張、代替案を持った上で、その理念や方針を熱く語った上で、相手の主張に切り込むことをしていかないと、説得力も、迫力も全く見られない、心を揺さぶることのない、ただの一般質疑になってしまうのがオチなのだと思います。
残念ながら、今回の議会一般質疑全般にわたり、唯一つ印象に残ったのは、「単に自分達の都合だけで定数削減に反対しているのではないか」という疑念だけでした。


三木の議会が本当の意味で機能しはじめるのは一体いつになるのでしょうか。
『議会での議論のレベルが、政治家のレベル、ひいては市民のレベルそのものである』
と断言するのは言い過ぎではないような気がします。
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# by kkamoiKe | 2010-03-12 19:55 | 三木市政 | Comments(1)

篠山市の「市政執行方針」

議会において当初予算が審議されるこの時期、どこの市も「施政方針」が発表されます。
この「施政方針」は新年度に向けてどんなまちづくりをめざし、どんな取り組みをしていこうとしているのかをまとめたものだといえます。
どこの市でも同じような課題を抱えているとはいうものの、この手の「方針」は、作り手の考え方次第でいくらでもオリジナリティ溢れるものにもなるでしょうし、他の市と何ら代わり映えのないものになる可能性もあるのだといえます。
県下の主要な市の「方針」を見比べてみましたが、三木市がどうこうというよりも、どこの市も全般的に「方針」の中で自分の市の特徴をどう生かしていくのか、生かしていこうとしているのかといった部分がもう一つ見えにくい、わかりにくいように感じました。


そんな中、個人的に「これはおもしろそう!非常にわかりやすい!」と感じたのが篠山市の「市政執行方針」です。
興味のある方はぜひご覧ください。
中身はもちろん篠山独自のカラーがちりばめられていて大変興味深かったのですが、「方針」全体の構成といいますか、組み立てについても素人にもわかりやすいようにまとめられていると感じました。
また、抽象的な表現はあまり用いずに、できるだけ具体的な取組事例を用いることで、市民にとっても身近に感じられる内容になっているのではないかと感じました。
何本かの柱が具体的にしっかりと示されていること、そしてそれに応える個々の政策からは篠山のオリジナル感が伝わってくるようで、これこそが篠山市のまちづくりの真髄だといわんばかりの強いメッセージを感じ取ることができました。
たかが「方針」、されど「方針」です。
あなどってはいけません。


大事なのは、「方針」の内容を市民にどう訴えかけ、まちづくりに関心を持ってもらうかということではないでしょうか。
そのためにも、「方針」は市民の興味や関心を呼び起こすきっかけになるものでなければならないでしょうし、実際に市民がまちづくりに参加するときの自分の立ち位置、これからの行動を考える上での道しるべ(方向性を示すもの)でなければならないと思うのです。
さらに、議会で審議し、まちづくりの議論を深めていく上でもこの「方針」が基本になるわけです。
これをおろそかにしていては、議論は上手く噛み合わないでしょうし、ちぐはぐな議論になるばかりか、効率の悪い議論となってしまうのではないかと思います。
もう少し細かいところに踏み込んで考えてみると、この部分があいまいなまま、何がしたいのかわかりにくい状態のままだと、市の取り組みを内外にPRしていく上での情報戦略においてもちぐはぐな状態となり、とてもじやないですが、インパクトのある情報発信は期待できないようにも思います。
逆に、篠山市のようにわかりやすく体系立てていると情報戦略が立てやすくなるように思います。


ところで、今回の三木市議会でも審議が予定されている「議員削減」ですが、この問題は、何らかの形でいつかは決着をつけないといけない問題だと私も思っていますが、削減さえすれば万事、問題は解決するのだという過信は禁物です。
削減の議論ばかりに熱心になるのではなく、削減も議会改革の一つの項目であるととらえるのなら、議論の質を高めていくための根本的な改革にもこの際、真剣に考え、全力で取り組んでいくべきではないかと思います。
経費を節減するという観点からの「改革」しか頭にないから、このような中身のない薄っぺらい議論になるのだと思います。
もっと市民レベルでも、市役所レベルでも、議会レベルでも、様々なステージで、議論の質を上げていくことについて真剣に考えるべき時期が来ているのだと思います。
そんな時だからこそ、メッセージ性のある、オリジナリティ溢れる「施政方針」の提示が求められているのだと思います。
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# by kkamoiKe | 2010-03-04 20:35 | 三木市政 | Comments(14)

「お互いに学びあい、成長していく」ということ

やまかずさんの「教育論」とてもよかったです。
ますますファンになりました。
私も今回のオリンピックでの代表選手たちの活躍、その一方で偏った報道の仕方などを目にする中で感じたこと少しだけ、自分の考えを整理する意味も込めて書いてみたいと思います。


今の世の中、大人も子どもも、社会のシステム、マスコミの対応に至るまで、ゆったりとした気持ちで相手と接するといいますか、広い心で包み込むおおらかさといいますか、もっと身近な言葉で言うなら「見守る」という心のゆとりが非常に欠けてきているんじゃないかと感じます。
「見守る」とは、単にその人の行動をじっと見ているだけではなく、ある時は励ましたり、ある時は誤った方向に行ってしまいそうなった時に、自分が経験してきたこと、学んできたことなどを踏まえて的確なアドバイスや助言をして軌道修正してあげることなんだと思っています。
間違った道だと知ってて、その間違った道をあえて進む場合もあれば、間違っていることを知らずに進んでしまう場合もあります。
それは大人でも子どもでも同じことで、人間、誰だってそういうことはあるわけです。
そう考えると、人間というのは何歳になっても未完成であるし、学ぶ機会の連続なんですよね。


「学ぶ」というのは、教職の資格を持っている人や年齢が上の人から教えてもらうことばかりじゃありません。
親は子育てをする中で、子どもから教えられる事があるでしょうし、先生も生徒と向き合う中で、生徒から学ぶことはいくらだってあるはず。
スポーツの世界も、まさに今、オリンピックたけなわですが、世界を相手に戦っている人たちの中には若い人たちも多いわけですが、もちろん彼らと彼らを支える指導者などの人たちとの間にも教え、教えられの関係が幾度となく繰り返されているはずです。
そして、私たちもまた、彼らのひたむきな姿勢や挑戦に大きな感動を覚え、いろいろなことを学ばせてもらうわけです。


さらに、「学ぶ」ことは、人と人とのかかわりの中から生まれてくるもので、いうなればそこに社会とつながっているという自覚を持てる場面であると同時に、社会に貢献している(貢献していこう)という意識が芽生えてくる場面でもあるのだと思います。
世の中には、ある程度器用に立ち回れる人もいますが、不器用な人もいっぱいいます。
不器用だからといって「あいつには何をさせてもダメだ」とか、「おまえはいつも何をしているんだ」とか、「情けないやつだ」と頭ごなしに言ったりする前に、相手に今何が足りないのか、それを克服するにはどういう手助けをすればいいかを真剣に考えたことがあるのかと問うてみたいです。
優しい言葉や相手の機嫌を損なわない言葉ばかりをかけてあげることがいいとは思っていません。
あえて冷たく突き放すことが必要な時もあっていいと思います。
しかし、少なくとも、どんな教え方やアドバイスをしてあげるにしても、その底辺に相手を思いやる気持ちがないと、「教育」は成り立たないのだと思います。


人間、誰でも未完成なところもいっぱいありますが、そういうところに少しずつでも自分で気付いたり、人から気付かせてもらったりすることはお互いにとっての学びにもなっているはずです。
そして、失敗したり、上手くいかなかったりすることもまた、成長する上での糧へとつながっているはずです。
お互いに学びあいながら、成長する。
そうしながら今をともに生きているんだ(ちょっと大袈裟かな?)という想いや喜びが共有できる社会になればいいなと思っています。
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# by kkamoike | 2010-02-20 17:54 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(0)

「自分の心をコントロールする」ということ

長い間、書けずにいます。
書かないのではなく、書けないのです。
なぜだか、突如、書けなくなってしまいました。
もしかして、プチ「燃え尽き症候群」???
別に自分のことでもないのに笑っちゃいますよね。
それとも単なる「怠け心」か???


それにしても、日々、多くの方が訪問してくださっています。
そして、さりげなく応援してくださる方たちにも心から感謝しているのですが、しかしその反面、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今回、あらためて感じたことは、日々さまざまな関心をお持ちになり、いろんな側面から記事が書き続けられる人たちって、本当に凄いなということです。
それにしても、自分ではどうしようもない心の動き、心をコントロールできない自分に対するもどかしさを感じる時って、こんなものなのでしょうか。


そんな中、最近、心が良い方向に動いたことがありました。
それは、先日のぼっけもん修さんが書かれた上村愛子さんの記事を読んでジーンと来たことです。
ぼっけもん修さんの文章にはいつも感動させられるのですが、私自身も今回のモーグル決勝をテレビで見ていて、オリンピックというその瞬間のために4年間、全ての力を注ぐ選手たちの心の強さとひたむきさになんともいえぬ大きな感動を覚えました。
一方で、どんな状況にも負けない「強さ」を持つにこしたことはありませんが、例えば、
「上手くいかなくても当たり前」
「自分の思うようにできなくても当たり前」
なんだと思える心を持てるようになることも、ストレスマネジメントを高める上でも、また、自分自身の心をコントロールする上で非常に大事なことなんだなとあらためて気付かされました。
この「当たり前」という言葉、以前にある人から、「できなくて当然」と考えるのではなく、「成功する(当たる)前」の過程だと考えればいいんだよと教えてもらったことがあります。
そして、生きていく上では、自らを追い込むほど頑張って生きていかなければならないこともあるけれども、その過程で心の葛藤や逃げたいという心が芽生えたとしてもそれを「打ち消したり」、「自分を責めたりする」ことをしないことも大事なんだと···。
そのような失敗や上手くいかないことがあるから「成功」がある。
たとえ「成功」という目に見える形のものを手に入れることができなくても、最終的には自分自身が納得できる結果がもたらされるはずだと···


ふと、そんな言葉が頭をよぎり、自然と肩の力が抜けたような気がしました。
「自分の心をコントロールする」ということは、自分の心を楽にさせることができる発想を持てることでもあるんでしょうね。
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# by kkamoiKe | 2010-02-17 21:38 | マネジメント | Comments(4)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。
S M T W T F S
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