どうぶつのつぶや記

市会議員に期待すること

前回の記事に対し、もて木さんからコメントをいただきました。
もて木議員をはじめ多くの議員の皆さまへのエールの意味も込め、コメントに対するお返事を書かせていただきます。



もて木さま
偉そうなことばかり言って申し訳ありません。
しかし、市長のやり方の善し悪しは別にして、既に、議会への提案という形で表舞台(土俵)にあがってきてしまっているというのは紛れも無い事実です。
私自身も、今回の市長のやり方には納得していませんし、もて木さんや大西さんをはじめ、この問題について質問した議員の方たちは自らの保身のために意見を述べられたとは思っておりません。
しかし政治は結果が全てだと思います。
議会という、ある意味、市民にオープンにされる数少ない議論の場で、いかに結果を残し、世論を導いていくか、まさに『真剣勝負』の場なのだと思います。
そういう意味からも、私は、経験の浅い議員も、経験の豊富な議員も関係なく、この議会という政治家として最高のパフォーマンスを発揮しなければならない場で死に物狂いの姿勢で議論を交わすくらいの熱気というものを市民に伝えていただきたいのです。
議員の皆様のこれからの益々のご活躍を陰ながら応援しています。
がんばってください。
一市民より
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# by kkamoiKe | 2010-03-13 09:58 | 三木市政 | Comments(1)

市民のレベル以上の政治家は生まれない

この間の三条市長日記を読んでいて、ふと目に止まったものの中にこんな記述がありました。
『さて、今日から、三条市議会では、一般質問が始まりました。将来のまちの方向感、教育、福祉、財政などなど、各般にわたってのご指摘をいただきましたが、圧巻は、今期限りで引退を表明されている某議員さん。通算90回以上続けてきた一般質問の総仕上げということもあり、大変〝格調高い〟ご指摘を繰り広げられていらっしゃいました。これまでの長きにわたって、三条市政に叱咤激励をいただき、ありがとうございました。』


一見、この何気ない文章の中に、色々な意味で、大事なことが表れていると感じました。
『相手に対する敬意』
『市政に対する情熱』
『政治家としてのこだわり』など···
これらのどれが欠けても自由闊達な議論が展開される議会にはなり得ないのだと感じました。


翻って、今の三木市議会はどうでしょうか?
rfuruyaさんは、先日、傍聴された際の感想をこのように述べておられます。
市長の『不遜』な態度などは全くもって論外ですが、私は議員が行う一般質問に何が欠けているのかが、今回の三条市長日記の記事を読んでようやく見えてきたような気がします。
簡単に表現すれば、発言そのものに「魂が込められていない」ということです。
政治家としての信条を熱く語る部分がもっともっとあってしかるべきだと思います。
内容はもちろん、言い方も含めて···。


自分がわからないことを聞いて、「ハイ、わかりました」だけで終わってしまうのではなく、例えば、今回の議員定数の削減に関する審議にしても、質問した議員は結局、①どういう部分が納得がいかないのか
②方法論はともかく削減することには賛成なのか反対なのか
③では自分はどういう方向に進めるべきだと考えているのか
など、少なくとも、聞いている多くの市民は議員がどうしたいと思っているのかがほとんど見えてこなかったのではないかと思います。
しっかりとした自分なりの主張、代替案を持った上で、その理念や方針を熱く語った上で、相手の主張に切り込むことをしていかないと、説得力も、迫力も全く見られない、心を揺さぶることのない、ただの一般質疑になってしまうのがオチなのだと思います。
残念ながら、今回の議会一般質疑全般にわたり、唯一つ印象に残ったのは、「単に自分達の都合だけで定数削減に反対しているのではないか」という疑念だけでした。


三木の議会が本当の意味で機能しはじめるのは一体いつになるのでしょうか。
『議会での議論のレベルが、政治家のレベル、ひいては市民のレベルそのものである』
と断言するのは言い過ぎではないような気がします。
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# by kkamoiKe | 2010-03-12 19:55 | 三木市政 | Comments(1)

篠山市の「市政執行方針」

議会において当初予算が審議されるこの時期、どこの市も「施政方針」が発表されます。
この「施政方針」は新年度に向けてどんなまちづくりをめざし、どんな取り組みをしていこうとしているのかをまとめたものだといえます。
どこの市でも同じような課題を抱えているとはいうものの、この手の「方針」は、作り手の考え方次第でいくらでもオリジナリティ溢れるものにもなるでしょうし、他の市と何ら代わり映えのないものになる可能性もあるのだといえます。
県下の主要な市の「方針」を見比べてみましたが、三木市がどうこうというよりも、どこの市も全般的に「方針」の中で自分の市の特徴をどう生かしていくのか、生かしていこうとしているのかといった部分がもう一つ見えにくい、わかりにくいように感じました。


そんな中、個人的に「これはおもしろそう!非常にわかりやすい!」と感じたのが篠山市の「市政執行方針」です。
興味のある方はぜひご覧ください。
中身はもちろん篠山独自のカラーがちりばめられていて大変興味深かったのですが、「方針」全体の構成といいますか、組み立てについても素人にもわかりやすいようにまとめられていると感じました。
また、抽象的な表現はあまり用いずに、できるだけ具体的な取組事例を用いることで、市民にとっても身近に感じられる内容になっているのではないかと感じました。
何本かの柱が具体的にしっかりと示されていること、そしてそれに応える個々の政策からは篠山のオリジナル感が伝わってくるようで、これこそが篠山市のまちづくりの真髄だといわんばかりの強いメッセージを感じ取ることができました。
たかが「方針」、されど「方針」です。
あなどってはいけません。


大事なのは、「方針」の内容を市民にどう訴えかけ、まちづくりに関心を持ってもらうかということではないでしょうか。
そのためにも、「方針」は市民の興味や関心を呼び起こすきっかけになるものでなければならないでしょうし、実際に市民がまちづくりに参加するときの自分の立ち位置、これからの行動を考える上での道しるべ(方向性を示すもの)でなければならないと思うのです。
さらに、議会で審議し、まちづくりの議論を深めていく上でもこの「方針」が基本になるわけです。
これをおろそかにしていては、議論は上手く噛み合わないでしょうし、ちぐはぐな議論になるばかりか、効率の悪い議論となってしまうのではないかと思います。
もう少し細かいところに踏み込んで考えてみると、この部分があいまいなまま、何がしたいのかわかりにくい状態のままだと、市の取り組みを内外にPRしていく上での情報戦略においてもちぐはぐな状態となり、とてもじやないですが、インパクトのある情報発信は期待できないようにも思います。
逆に、篠山市のようにわかりやすく体系立てていると情報戦略が立てやすくなるように思います。


ところで、今回の三木市議会でも審議が予定されている「議員削減」ですが、この問題は、何らかの形でいつかは決着をつけないといけない問題だと私も思っていますが、削減さえすれば万事、問題は解決するのだという過信は禁物です。
削減の議論ばかりに熱心になるのではなく、削減も議会改革の一つの項目であるととらえるのなら、議論の質を高めていくための根本的な改革にもこの際、真剣に考え、全力で取り組んでいくべきではないかと思います。
経費を節減するという観点からの「改革」しか頭にないから、このような中身のない薄っぺらい議論になるのだと思います。
もっと市民レベルでも、市役所レベルでも、議会レベルでも、様々なステージで、議論の質を上げていくことについて真剣に考えるべき時期が来ているのだと思います。
そんな時だからこそ、メッセージ性のある、オリジナリティ溢れる「施政方針」の提示が求められているのだと思います。
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# by kkamoiKe | 2010-03-04 20:35 | 三木市政 | Comments(14)

「お互いに学びあい、成長していく」ということ

やまかずさんの「教育論」とてもよかったです。
ますますファンになりました。
私も今回のオリンピックでの代表選手たちの活躍、その一方で偏った報道の仕方などを目にする中で感じたこと少しだけ、自分の考えを整理する意味も込めて書いてみたいと思います。


今の世の中、大人も子どもも、社会のシステム、マスコミの対応に至るまで、ゆったりとした気持ちで相手と接するといいますか、広い心で包み込むおおらかさといいますか、もっと身近な言葉で言うなら「見守る」という心のゆとりが非常に欠けてきているんじゃないかと感じます。
「見守る」とは、単にその人の行動をじっと見ているだけではなく、ある時は励ましたり、ある時は誤った方向に行ってしまいそうなった時に、自分が経験してきたこと、学んできたことなどを踏まえて的確なアドバイスや助言をして軌道修正してあげることなんだと思っています。
間違った道だと知ってて、その間違った道をあえて進む場合もあれば、間違っていることを知らずに進んでしまう場合もあります。
それは大人でも子どもでも同じことで、人間、誰だってそういうことはあるわけです。
そう考えると、人間というのは何歳になっても未完成であるし、学ぶ機会の連続なんですよね。


「学ぶ」というのは、教職の資格を持っている人や年齢が上の人から教えてもらうことばかりじゃありません。
親は子育てをする中で、子どもから教えられる事があるでしょうし、先生も生徒と向き合う中で、生徒から学ぶことはいくらだってあるはず。
スポーツの世界も、まさに今、オリンピックたけなわですが、世界を相手に戦っている人たちの中には若い人たちも多いわけですが、もちろん彼らと彼らを支える指導者などの人たちとの間にも教え、教えられの関係が幾度となく繰り返されているはずです。
そして、私たちもまた、彼らのひたむきな姿勢や挑戦に大きな感動を覚え、いろいろなことを学ばせてもらうわけです。


さらに、「学ぶ」ことは、人と人とのかかわりの中から生まれてくるもので、いうなればそこに社会とつながっているという自覚を持てる場面であると同時に、社会に貢献している(貢献していこう)という意識が芽生えてくる場面でもあるのだと思います。
世の中には、ある程度器用に立ち回れる人もいますが、不器用な人もいっぱいいます。
不器用だからといって「あいつには何をさせてもダメだ」とか、「おまえはいつも何をしているんだ」とか、「情けないやつだ」と頭ごなしに言ったりする前に、相手に今何が足りないのか、それを克服するにはどういう手助けをすればいいかを真剣に考えたことがあるのかと問うてみたいです。
優しい言葉や相手の機嫌を損なわない言葉ばかりをかけてあげることがいいとは思っていません。
あえて冷たく突き放すことが必要な時もあっていいと思います。
しかし、少なくとも、どんな教え方やアドバイスをしてあげるにしても、その底辺に相手を思いやる気持ちがないと、「教育」は成り立たないのだと思います。


人間、誰でも未完成なところもいっぱいありますが、そういうところに少しずつでも自分で気付いたり、人から気付かせてもらったりすることはお互いにとっての学びにもなっているはずです。
そして、失敗したり、上手くいかなかったりすることもまた、成長する上での糧へとつながっているはずです。
お互いに学びあいながら、成長する。
そうしながら今をともに生きているんだ(ちょっと大袈裟かな?)という想いや喜びが共有できる社会になればいいなと思っています。
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# by kkamoike | 2010-02-20 17:54 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(0)

「自分の心をコントロールする」ということ

長い間、書けずにいます。
書かないのではなく、書けないのです。
なぜだか、突如、書けなくなってしまいました。
もしかして、プチ「燃え尽き症候群」???
別に自分のことでもないのに笑っちゃいますよね。
それとも単なる「怠け心」か???


それにしても、日々、多くの方が訪問してくださっています。
そして、さりげなく応援してくださる方たちにも心から感謝しているのですが、しかしその反面、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今回、あらためて感じたことは、日々さまざまな関心をお持ちになり、いろんな側面から記事が書き続けられる人たちって、本当に凄いなということです。
それにしても、自分ではどうしようもない心の動き、心をコントロールできない自分に対するもどかしさを感じる時って、こんなものなのでしょうか。


そんな中、最近、心が良い方向に動いたことがありました。
それは、先日のぼっけもん修さんが書かれた上村愛子さんの記事を読んでジーンと来たことです。
ぼっけもん修さんの文章にはいつも感動させられるのですが、私自身も今回のモーグル決勝をテレビで見ていて、オリンピックというその瞬間のために4年間、全ての力を注ぐ選手たちの心の強さとひたむきさになんともいえぬ大きな感動を覚えました。
一方で、どんな状況にも負けない「強さ」を持つにこしたことはありませんが、例えば、
「上手くいかなくても当たり前」
「自分の思うようにできなくても当たり前」
なんだと思える心を持てるようになることも、ストレスマネジメントを高める上でも、また、自分自身の心をコントロールする上で非常に大事なことなんだなとあらためて気付かされました。
この「当たり前」という言葉、以前にある人から、「できなくて当然」と考えるのではなく、「成功する(当たる)前」の過程だと考えればいいんだよと教えてもらったことがあります。
そして、生きていく上では、自らを追い込むほど頑張って生きていかなければならないこともあるけれども、その過程で心の葛藤や逃げたいという心が芽生えたとしてもそれを「打ち消したり」、「自分を責めたりする」ことをしないことも大事なんだと···。
そのような失敗や上手くいかないことがあるから「成功」がある。
たとえ「成功」という目に見える形のものを手に入れることができなくても、最終的には自分自身が納得できる結果がもたらされるはずだと···


ふと、そんな言葉が頭をよぎり、自然と肩の力が抜けたような気がしました。
「自分の心をコントロールする」ということは、自分の心を楽にさせることができる発想を持てることでもあるんでしょうね。
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# by kkamoiKe | 2010-02-17 21:38 | マネジメント | Comments(4)

政治家は語れてなんぼ

選挙の余韻もようやく収まってきたようです。
一時的にブログのアクセス数も多くなっていましたが、最近は、平常どおりのアクセス数に落ち着いてきました。

今回も前回に引き続き、議会のネタです。
今回の市長選挙でも、常々市民が不信感を持っている市会議員の資質が随所に露呈されたのではないかと私自身は感じています。
どういう点でそのように感じたのかいくつかの事例で紹介したいと思います。


投票日前、ある場所に某市会議員の方が新人候補を引き連れてお見えになったのですが、ただ「よろしく頼みます」という内容の言葉ぐらいしか発せられず、そのまま新人候補を紹介されました。
もちろん主役は市長選挙の候補者なのですが、私としてはせめて、この市会議員が「候補者の訴えるこの施策を一緒に進めていきたいと思っている」であるとか、「この候補者がめざしているこういうまちづくりの方向性に共感したから私は彼を応援しています」など、自分の描くまちづくりの姿と重ね合わせながら推薦理由をしっかりと語ってもらいたかったと強く感じました。

相手がどうだこうだというような比較論だけを用いるのではなく···


また、現職候補がマニフェストに掲げておられた「議員定数削減」に関する見解も、残念ながら市会議員の方の口からは一切触れられませんでしたが、一有権者の気持ちとしては、議員自らの言葉で、「この問題は、現職候補に言われなくとも必ずや自分たちの手で定数削減も含めた議会の改革を断行していくので期待して見守ってほしい」という意気込みぐらいは語ってもらいたかったと感じました。


やはりこのような短い時間しか与えられていない場面でも、自分の考え、まちづくりについてのビジョンがしっかりと語れない、あるいは効果的なメッセージを発せられない政治家では、有権者の市会議員を見る目が厳しくなるのも頷ける気がします。
もう「顔パス」だけで有権者がついてきてくれる時代ではないのですから。
「政治家は語れてなんぼ」の時代なのだと思います。
有権者はそんなちょっとしたところをしっかり見ているものなんだと思います。
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# by kkamoiKe | 2010-01-25 17:57 | リーダーの条件 | Comments(2)

議員定数削減問題と三木のまちづくり

議員定数の削減について反対しているわけではないのですが、この議論の切り口の一つとして、今の議員の存在、活動が見えないから、「定数を減らしてもよい」という発想はおかしいような気がします。
例えば、全ての議員が有能な人であり、市民のために一生懸命活動できる人たちばかりであったなら、私は定数「20」でも多いとは思いませんし、支払う報酬についても決して高いと思わないでしょう。
議員の能力や活動が不十分だということと、定数が多いから少なくするということは分けて考えるべき問題だと思っています。


そして、若い有能な人たちが議員という政治家を志し、議員という職業で生活が成り立っていくような環境を長期的な展望にたって整備するにはどうすればよいか···
本来、定数適正化を含めた議会改革の議論は、そんな観点からも行われるべきだと思っています。
「削減」ありきの改革、「削減」しか能のない改革は、もう時代遅れなのだと思っています。
若い世代に魅力あるまちづくりを真剣に考えるのであれば、若い有能な政治家をたくさん輩出できる環境づくりをまずは真剣に考えることが必要ではないでしょうか。
高齢者の割合が多い、将来に明るい展望を見い出しにくい三木市の厳しい現状があるからこそ、単に定数削減に賛成、反対という単純な議論だけに終始するのでなく、斬新な発想にもとづく冷静な議論が、今こそ望まれているのだと思います。
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# by kkamoike | 2010-01-20 21:14 | 三木市政 | Comments(6)

声を上げることの大切さ 

2010.1 三木市長選開票結果
投票率60.61% (前回54.5%)
薮本 吉秀 23727 (前回23752)
稲田 三郎 16658



ブログのカテゴリーの中に「2010.1三木市長選挙」を設けてきた以上、選挙結果をふまえた私なりの総括をしないままやり過ごすわけにはいきませんので、少しだけ感想を述べさせていただきたいと思います。
私としては薮本さんのこの4年間のやり方、手法がとにかく気に入らなかったこと、また実績などのトータル的な自分なりの評価から、できることなら新しい人が市長に選ばれ、双方向の対話のできる、風通しのよい三木市政を実現してほしかったのですが、とても残念な結果となってしまいました。
今回の選挙で分かったこと、勉強になったことはたくさんありました。
特に勉強になったことといえば、
選挙では、正論ばかりを主張しても勝てない場合があるということ。
また、多くの人が正しいと感じることであっても、全ての人が同じように思っているとは限らないということです。
このことは、社会を生き抜くための術としても、心しておかなければならないことだと私自身強く感じた次第です。


さて、今回、稲田さんがわずか2か月という非常に短い期間の選挙活動の中で獲得した「16658」という得票数をどう捉えるか?
(ちなみに、前回5期20年をめざした現職候補の加古さんが獲得した票数は12954)
自称「市民派」、「無党派」の薮本さんには、今回の選挙の結果を受け、結果的に少数派となった「16658」にものぼる市民の声にも真摯に耳を傾けていただき、改めるべきところは改めていくという、まさに市民派の名に恥じぬ歩み寄り、対話、説得、説明責任を果たしていただきたいと思います。
私は、このことこそが真の改革を実現するための第一歩になると確信しています。
有権者に受けのよいスローガンや、美辞麗句ばかりの公約を並べるだけではダメで、これまで何度も言ってきましたが改革のためのしっかりとした土台は、何をおいてもお互いの「信頼関係」を抜きにして語ることはできません。
もちろん、選挙期間中、現職候補が新人候補の姿勢を執拗に攻め続けた「なかよし政治」でも真の信頼関係は築けないと私自身も感じています。
しかし、自分勝手なやり方でもダメなのです。
適度な緊張感を持って、お互いの意見を堂々と、きちんとした議論のできる場で主張しあえる、本当の意味で切磋琢磨できる関係から生まれてくる「信頼関係」を何としてでもこの4年間で築き上げ、次のリーダーにバトンタッチしてしていただきたいと切に願っています。
それは今後の市長の力量が最も試される部分でもあると思います。
一方で、我々市民もこれまで以上に厳しく市政をチェックし、おかしいことはおかしいと声を上げ、これまでのような「民意」を盾にルールを無視した横暴政治を引き続き起こさせないようにしっかり監視していくことが大事だと思っています。


今回の選挙で、場合によっては体を張ってでも声を上げることの大切さを教えてくださった稲田さんの気持ちに、今度は、私たち市民がそれぞれの立場でこたえる番なのだと思います。
今回、新しく選ばれた市長を支持した人も支持しなかった人も、お互い、おかしいことにはおかしいと口に出せる勇気、逆によい取組に対しては素直に評価ができる勇気を持ちたいものだと強く感じました。


何はともあれ、両陣営の関係者の皆さんお疲れ様でした。
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# by kkamoike | 2010-01-18 20:48 | Comments(8)

「品格」のはじまりは「たのもしさ」を持つことから

前回、「リーダーの真の品格」に関して記事を書いたところ、武雄市長物語さんに取り上げていただきました。
おかげさまで昨日の訪問者数はとんでもない数字に跳ね上がりました。
そして、さらに今日は、雑感日記さんにも取り上げていただきました。
ありがとうございました。


今回は、前回の記事でも使った、普段私たちの生活の中でもよく耳にする「品格」という言葉についてあらためて考えてみたいと思います。
いつものようにネタ探しをしていると、こんなブログの記事に出会いました。
抽象的なことしか書かれていない辞書などの解説より、より具体的に突っ込んだ内容になっている点で大変わかりやすく、胸の中にストンと落ちるような「説得力」を感じました。
もしよろしければご一読ください。
特に、「お葬式で亡くなられた人を携帯で撮る行為は許されるか?」というテレビ番組内での議論からの理論展開はかなり興味深かったです。
突き詰めて考えれば、この記事の後段に書いてあるとおり、相手に対する「おもいやり」、「いたわり」の心を持つこと、自分の主観で判断するのではなく、相手がどう思うか、どう感じるかという心遣いをもつことが「品格」のはじまりなんだという筆者の意見に思わず納得してしまいました。


さらに、この記事の中でも紹介されている司馬遼太郎さんの「21世紀に生きる君たちへ」を別のところで全文を読みましたが、すごく鳥肌が立ちました。
以下、特に感動した部分を抜粋したいと思います。
鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。
人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。
人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
もう一度くり返そう。
さきに私は自己を確立せよ、と言った。
自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。
それらを訓練せよ、とも言った。
それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。



21世紀の今を生きる私たち一人ひとりがどれほど司馬遼太郎さんのこの言葉を実践し、その意味を子どもたちに教え伝えることができるか。
その大事な役割・使命が大人である私たち一人ひとりの肩にかかっているということをあらためて感じました。
このような心構えを持って行動していくことが品格ある人を育て、品格ある組織、社会、国をつくっていくのでしょうね。
「教育」って本当に大切なんだということがよくわかります。
そして、どんな時も、子どもたちの模範となるような行動、恥ずかしくない行動を大人の責務としてきっちり果たしていかなければならないこともあらためて感じました。
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# by kkamoike | 2010-01-14 20:23 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(2)

非常時にこそ、リーダーの真の品格が顔をのぞかせる

『前へ、もっと前進』
この言葉は、皆さんご承知のとおり、樋渡市長がこの度の武雄市長選挙に向けて市民に対し発しておられるメッセージです。
物事をポジティブに捉えるか、ネガティブに捉らえるによって、大袈裟かも知れませんが、その人の生き方そのものが見てとれるような気がします。


樋渡市長のメッセージには他の候補者がいかなる人物であろうと、いかなる主張や政策を掲げようとも自分は自分の信じた道を突き進むのみという意思表示ともとれます。
相手よりも常に前を行くことで、武雄市を他のどの自治体のまちづくりよりも一歩も二歩も前に進めていくことができる。
そのことが必ずや市民の幸せにつながるという確信とそれをやり遂げる上での自信に溢れているようにも感じます。


私は、物事を常にポジティブに考えられる人は、周りを明るく、幸せにできる人であり、自分の生き方に確固たる信念を持っている人だと常々思っています。
樋渡市長は『他の候補を揶揄することなく』とおっしゃっておられますが、もちろん人と比べて自分を優位な位置に立たせようということなど最初から頭にはない方なのでしょうが、私は、むしろ、これまでのまちづくりや政策に「自信」があるからこそ、「揶揄」とまではいかないまでも変な小細工などを仕掛ける必要は一切ないと感じておられるのだろうと受け止めています。
そしてその「自信」を裏付けるものこそが、樋渡市長が4年間、市民の方とともに進めてこられたまちづくり、市民とのパートナーシップ、そして、揺るぎない信頼関係だと感じています。
信頼関係さえあれば、何も恐れることはないということなのでしょうね。


何事にも、どっしりと構えて事にあたることのできるスケール(器)の大きな人間を目指していきたいものです。
そういえば、以前読んだ本にこんなことが書いてありました。
『非常時にこそ、リーダーの真の品格が顔をのぞかせる』と。
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# by kkamoike | 2010-01-12 20:45 | リーダーの条件 | Comments(0)