ブログトップ

どうぶつのつぶや記

<   2009年 10月 ( 20 )   > この月の画像一覧

投資効果のある事業を考えることが重要

先日から、人、お金、時間などの限られたものをどのようにして有効に使っていくかという話を続けていますが、昨日の武雄市長物語では、公共事業について書かれてあります。


以前にも申し上げましたが、私が今の三木市長に対しハコモノ批判を繰り返しているのは、公共事業だから批判しているわけではなく、タイミング、ニーズ、費用対効果などの面で不適切だと感じるハコモノに対して批判しているのであって、有効なものであれば、市債という制度があるわけですから、将来の世代にわたって均衡に負担して作るべきだと思っています。
そういう意味で「借金」も必要があれば、有効性が認められれば、発行すること自体「悪」だとは思っていません。


ところで、先日、三木市が単独支給を決めた「子育て応援特別手当」ですが、国がこの制度を発表したとき、テレビのインタビューなどでは、子どもを持つ親から一回きりのお金をばら撒くのではなく、もっと子育てしやすい環境整備、教育環境の整備にお金を使ってほしいというような意見が多く見られました。
私もそのとおりだと思います。
また、今回の三木市の「子育て応援特別手当」単独支給の記者発表資料には、付け足しのように学校のソーラーパネルの整備も国の補助が凍結された場合、市単独で実施するとありましたが、これなども、本当に今の三木市の現状からして緊急に整備が必要なものなのかどうか非常に疑問です。
樋渡市長がおっしゃっておられるように、武雄市に限らず、三木市でも公共施設がたくさんあって、道路はもちろん、学校の校舎や公民館など建設されてからかなり年月が経過しているものや、もう少しすれば地域ごとに建てられているデイサービスセンターなどもメンテナンスが必要になってくることが予想されます。


今回の、子育て応援特別手当やそれ以外の国の補正予算凍結に伴い市単独で支給をすることとしたお金、
どうせ使うなら学校の耐震化工事などを前倒ししていくお金に充てる、
そういう子育て支援があっても私はよかったのではないかと感じます。
子育て支援を子育てしている世代にむけるのもいいですが(今回の支援金は一部の親世代が対象)、全ての子どもたちが平等に恩恵を受けるにはどうすればよいかという目線で考えれば、自ずと答えは出て来るのだと思います。
どうせお金を使うならもっと有効に使ってもらいたいものです。
お金はいくらでもあるというものではないのですから。
[PR]
by kkamoike | 2009-10-31 08:38 | 三木市政 | Comments(4)

「改革」はマイナス思考(削減)→プラス思考(創造)の時代へ

前回は「改革」について触れました。
その中で「人やお金をうまく使ってなんぼ」ということを書きましたが、先日の雑感日記さんの記事
は、マーケティングマインドを実践し、厳しい競争社会の中で結果を残してこられたrfuruya2さま
だからこその説得力ある内容で、「時間」はコストであることをわかりやすくご紹介いただきました。
人やお金だけでなく、そこで働く人たちに与えられたモノや時間の中でいかにパフォーマンスを上げていくか。その中で、目に見える形で結果を残してこそ本当の「改革」が実現したといえるのだというお話でした。


当然、そのためには、「人」が自分の頭でどう考え、どう行動に移せるかということが改革の成果を左右する重要な役割を担うことになるわけで、同じモノや時間でも人の意識や能力によってその中身は何倍にも充実したものに変えることができるわけです。
そういう意味で、「人」をどう育てていくか、「人」によって、モノや時間の値打ちは如何様にも高まるものであるといえるのではないでしょうか。


削減·消極的改革·守りの改革
    ↓
創造·積極的改革·攻めの改革


「改革」を削るという観点(マイナス思考)だけで考えるのではなく、与えられたもの(範囲)の中で期待以上のパフォーマンスを上げていくにはどうすれば良いかという観点(プラス思考)で取り組み続ける中にこそ、この混迷の時代を逞しく生き抜くヒントが隠されているのかもしれませんね。
当然、そこには、顧客満足(市の発展や市民の幸せ)を第一に考える気持ちが前提でなければならないことは言うまでもありません。
[PR]
by kkamoike | 2009-10-30 21:09 | マネジメント | Comments(2)

「入るを計って出るを制す」

「入るを計って出るを制す」とは、
「どれだけ収入があるかを計算して、支出をその範囲内に収めるようにする」という意味ですが、
「支出を極力抑えることで利益を出す」というふうに解釈している人は意外に多いのかもしれません。


無駄な(必要のないあるいは投資効果の薄い)支出を減らすことは当たり前のことですが、支出削減にばかりに目を向けていると、本来必要なものまで削ってしまうことになり、結果的に必要とされる活動をも停滞させたり、縮小させたりすることにもなりかねません。
せっかく有意義なものに発展する可能性のある活動の芽まで摘んでしまうことで、本来の改革の目指すところから大きくかけ離れてしまっては本末転倒と言わざるを得ません。
また、たとえ無駄を省き、お金を切り詰めたとしても、市民の望まない政策や、合意形成が計られないままの政策などを次から次へと自分勝手なまま世に送り出してしまうようでは、「出るを制している」とは言えません。


人もお金もうまく使ってなんぼ。
この両方がうまく使えていないことほどの「無駄」はありません。
究極かもしれませんが、これらの「無駄」をなくすことこそが最大の改革(本丸)になるのだと私は思っています。
別に、「お金は使えば使うほど良い」と主張するわけではありませんが、もっと「人」も「お金」も上手に動かすことに目を向けるべきだと思います。
沈滞した社会を好み、目指すのであれば話は別ですが。


「しがらみのある三木市に戻るのか、それとも改革をぶれずに断行するのか、市民の選択を仰ぎたい」
これは、先日の記事で紹介した現職市長のコメントです。
まぁ、改革の前提となる「財政危機宣言」自体、本当に三木市がそういう危機的な状況にあるのか疑問があるわけで、今回の選挙対策としてたくさんの事業やハコモノにお金をつぎ込んだり、次の任期でも好き放題したいがために、あるいは、本当の改革に着手しようとする気がない(できない?問題の先送り?)から、あえて「財政危機宣言」をしなければならない状況を作りだしているようにも思えるのですが···
このコメントの中に出てくる市長の考える「改革」とは一体何を指しておられるのか。
そして、この改革とセットで行われようとしている重点施策のバックボーンとなるものについても、現職の市長としてマニフェストの中で市民に分かりやすく丁寧にお示しいただけるものと期待しています。
[PR]
by kkamoike | 2009-10-28 21:51 | Comments(2)

人生


楽天球団の野村前監督の著書「野村ノート」には
〈人生〉という2文字から
「人として生まれる」(運命)
「人として生きる」(責任と使命)
「人を生かす」(仕事、チーム力)
「人を生む」(繁栄、育成、継続)
を連想する・・・
と書かれてあります。


その野村氏は自らの野球人生の中で「人を生かす」ことを実践、
選手には「人として生きる」ことを徹底的に教え込んだそうです。


こんな「人」を大事にできるリーダー、「人」の価値を知り尽くしたリーダーの下で育った選手たちは、今年、見事に監督の期待に応え、日本シリーズ出場は逃したものの、仙台のファン、日本のプロ野球ファンに夢を与える偉業を達成するまでに成長しました。


今回、三木市長選挙に立候補を表明した稲田氏は、
「人を大切にし、チームワークのある市政をつくりたい」ということを出馬表明の際に明言されました。
今年の楽天球団のように「人」が持つ無限の可能性を引き出し、市民の幸せのためにその「力」が最大限発揮されるような「夢」の持てるマニフェストをぜひ期待しています。
[PR]
by kkamoike | 2009-10-27 22:07 | Comments(2)

「しがらみ」を生む(=「一貫性がない」=「ぶれる」)政治家を選ばないことが重要

新人の稲田氏、現職の藪本氏 三木市長選に出馬を表明(産経新聞H21.10.25)
(抜粋)
両氏はそれぞれ市内で会見。稲田氏は、「三木のまちに漂っている閉塞感を打破したい」、藪本氏は「しがらみのある三木市に戻るのか、それとも改革をぶれずに断行するのか、市民の選択を仰ぎたい」と出馬の理由を述べた。



人は人や社会とのかかわりの中で生きています。
また、企業経営も行政の営みも同じく人や社会とのかかわりの中で動いています。
それらを「しがらみ」と言うのが適切かどうかわかりませんが、私は、人や企業(行政)が「しがらみ」のない世界で生きていく(存続していく)ことなど不可能だと思っています。


実はこの「しがらみ」という言葉、政治の世界でもよく使われますが、とかく悪いイメージの言葉として用いられることが多いようです。
それにしても政治の世界でよく使われるこの「しがらみ」とは一体何なのでしょうか?
今回引用した、記事の中にも、現職市長の口から「しがらみのある三木市に戻るのか···」というコメントがあったようですが、何を根拠にそのように断言ができるのかが不思議でなりません。
会社を経営されていたからでしょうか、それとも経済や産業界の後ろ盾があるからでしょうか?
仮にそんなことを根拠に「しがらみ」のある政治に戻ってしまうと危機感を煽っているとするなら、それは何もわかっていらっしゃらない、単なる有権者を煙に巻く方便に過ぎないと私は思っています。
ではお尋ねしますが、鳩山総理がブリジストン、岡田外相がイオングループとつながりがあること、麻生前総理が巨大財閥の御曹司ということなんかはどうなるのでしょうか。
また、選挙をすることとは、誰かしらの支援を受けるのは当たり前のことで、それが個人単位か組織単位かということの違いだけです。個人が良くて組織がだめだというのも何の正当性もありません。政党の支持を受けるということも選挙では当たり前のことなのです。その政党を支持する団体が見えるか見えないかだけで必ずバックにはいるわけです。


私は、一般的に悪く言われる「しがらみ」というものは、少なくとも、その人の家族関係や交友関係、職業などから生じてくるものではないと思いますし、その人を支援する団体があるから「しがらみ」のある政治になってしまうというような安易なコメントや判断は、一種の偏見に近いものがあると感じています。
これを言ってしまえば、世間と何のかかわりもない人しか立候補ができない、清廉潔白な政治は期待できないと言っているのと同じではないかと思います。



私が思う「しがらみ」とは、市政運営を執り行っていく上で掲げる
「大義名分」とするところから外れた関係、そぐわない関係を指すのではないかと思います。(「ぶれる」ともいいます。)
身近な例で言いますと、「財政危機宣言」という大義名分のもとに花火大会への補助金が打ち切られたにもかかわらず、「さんさんまつり」に対する補助金だけが支給された件や、先日の「子育て応援特別手当」の単独支給決定の件などは、いろいろな「しがらみ」の中から支給が決まったのではないかという憶測が事実、市民の間で流れているわけです。
4年前にも、自ら「しがらみ」のない政治を目指すと言っておきながら、結局「しがらみ」があるのではないかという目で市民から見られる政治をしているのは、市長自身ではないのかと感じています。


今度の選挙では、市政運営を執り行っていく中で、このような「しがらみ」を生む、「しがらみ」があるのではないかと疑われるような(=「一貫性がない」=「ぶれる」)政治家を選ばないことが重要なのだと思います。
[PR]
by kkamoike | 2009-10-26 20:42 | Comments(7)

そこに住む「人」たちが輝けるまちにする、そのために行政があるのです

選挙:三木市長選 現職·薮本氏、新人·稲田氏が出馬へ /兵庫
(10月25日15時1分配信 毎日新聞)

任期満了に伴い来年1月10日に告示、同17日投開票される三木市長選で、現職の薮本吉秀氏(50)と、新人で三木商工会議所副会頭の稲田三郎氏(56)が24日、市内で会見し、立候補表明した。共に無所属で出馬予定。前回同様、現職対新人の激戦が予想される。
再選を目指す薮本氏は「1期目から取り組んできた行財政改革や新しいまちづくりシステムへの移行などを次の4年間で成し遂げる責務がある」と強調。「政権交代を受け、ますます地域主権の確立が求められる。市行政を再生し、元気なまちづくりに転換する正念場」と話した。政策として金物産業の育成、現市民病院の経営改善と統合病院の開院、市民力による新たなまちづくりなどを挙げた。
稲田氏は「経済人として、縮小均衡から出ている閉塞(へいそく)感が街や役所に充満しているのを感じる」と指摘。19歳で早稲田大学を中退し、家業のスポーツ用品販売店を経営する経験を基に「企業経営で積み重ねてきたノウハウを市政に生かす自信がある。人を大切にしチームワークのある市政をつくるためにも副市長制を導入したい」と述べた。04年2月から同副会頭を務め、市観光協会長を兼務。



三木市長選挙への立候補者が名乗りを上げられたとのこと。
率直な感想として、先ずは一安心です。
市にとっても、市民にとっても選挙を通して市政をあらためて見つめ直す機会が与えられることになるわけですから。


お金はないよりあるほうがいいに決まっていますし、余裕がないよりあるほうがいいに決まっていますが、だからといって、じゃあ、いくらだったら安心に暮らせるかとか、市民が幸せを実感できるかというのは、特に定まった基準はないわけで、要はそこで暮らす市民がどう受け止めるかだと思っています。
肝心なのは、ないものねだりをせずに、限られた財源の中で、優先順位をつけ、必要なところに必要なお金を使っていくということです。そして、その根拠や意味合いをできるだけオープンに可視化することではないかと思います。
また、みんなが私利私欲に走るのではなく、大局的な立場から税金の使い方を考えていくことが大事なのだと思います。
行政ばかりに任せるのではなく、勝手な使われ方がされていないか、納得できる使い方がされているのかをきっちり監視し、必要なときには声をあげていくことが重要で、そういう機会こそが、まさに四年に一度行われる選挙の意義でもあるのだと思います。


三木市民は、お金は確かに大事だけれども、だからこそ、有意義に使う頭、考え方を持つことも大事だということが、この四年間でよくわかったのではないかと思います。
そこに住む「人」たちが輝けるまちにする、そのために行政があるのだと思います。
いろいろな意見があるでしょうが、私は、市役所で働く人にたちにやり甲斐を持ってもらうことと、職員の待遇を必要以上に厚くしたり、甘やかすこととは全く別だと思いますし、そこで働く人が生き生きとしていない自治体が市民を幸せにすることは不可能だと思っています。
また、職員のモチベーションが低いままだと、市民協働という部分においても市民との連携(チームワーク)や信頼関係はまず成り立たないと思っています。
そのような意味で、「人」という無限のパワーにスポットをあてた行政運営を考えていくという方向性は間違ってはいないと思います。


お金のために(市民が望んでいない事業資金を確保するために)人や暮らし、楽しみ生き甲斐などを犠牲にする政治ではなくて、人が輝くために与えられたお金をどのように有効に使っていくかということに腐心する政治でなければならないのだと思います。
人を大事にするという発想もお金を大事に使うということの例外ではありません。


ようやく、両陣営とも第一声は出されましたが、財政再建に取り組むことも、チームワークでまちづくりを考えていくことも手段であるけれども目的ではありません。
今後、これらの手段でどういう政策に重点を置いたまちづくりを展開し、どういう三木の将来像を描いていくのかということをマニフェストを通して市民にわかりやすく提示していただけることを期待しています。
今後の両候補者の動きから目が離せませんね。
私たちも、先ずは両候補者から発信されるメッセージの一つひとつに注視して、自分たちの頭で考えていくことが住民主体のまちづくりに向けた第一歩になるのだと思います。
[PR]
by kkamoike | 2009-10-25 15:25 | Comments(4)

国に楯突くことが「地域主権」だと勘違いしていませんか?

子育て手当、独自支給する自治体も 「住民の期待高い」
(朝日新聞2009年10月21日23時1分)

鳩山政権が、補正予算の見直しで執行停止を決めた「子育て応援特別手当」。当てにしていた財源が消えたものの、「子育て支援の必要性は変わらない」として、独自に支給を決めた自治体が出てきた。ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力、DV)被害者の事前申請は10月から始まっており、すでに受け付けた自治体は経緯の説明や書類の返送に追われている。
兵庫県三木市は、手当の停止がほぼ固まった15日、国の計画と同じく3~5歳児1人につき3万6千円を市独自に支給すると決めた。11月中旬に支給開始の予定だ。
突然の停止に、藪本吉秀市長は「自らの公約を実現するため、財源確保のみを考えた行為」などと批判。対象は1982人で、必要な費用約7千万円は基金を取り崩す。
北海道南富良野町も、停止が決まった直後独自支給を決めた。7月にゼロ歳児から大学生まで拡大することを決めて515人分約1800万円の補正予算を計上。9月の町広報で告知済みで、「住民からの期待が高い」と判断した。国の資金をあてにしていた3~5歳児分約220万円は、交付税の留保分で補う。
道内の秩父別町も20日、国では対象外の0~2歳児も含め町独自の支給を決めた。対象は90人。必要な予算は320万円。国から約130万円交付予定だったが、「子育ての負担は、どの世帯も同じ」として、0~5歳児すべてに支給することにした。不足分は町の基金を取り崩す。
DV被害者の事前申請は10月から始まっている。14日に1人から事前申請を受けていた北九州市では、16日の執行停止の閣議決定を受けて、本人に電話で連絡。20日には、市職員が改めて自宅を訪ね、経緯を説明した。
横浜市には、3人からの事前申請があった。申請書類には、多くの個人情報が記されているため、簡易書留にし、市と長妻昭厚生労働相のおわび文を同封して返送する手続きを取っている。
大阪市はDV被害者2人から手当の申請があった。休み明けの19日、電話で事情を説明した。
厚労省によると、DV被害者の事前申請を受け付けたのは6日時点で、広島市3人、名古屋市3人、さいたま市1人。



三木市の「子育て応援特別手当」単独支給の決定から、他のいくつかの自治体でも動きが出てきているようです。
ただし、三木市と根本的に異なるのは、地域の実情を踏まえた上での撤退や、支給の対象となる者の範囲を広げるなどの独自色を打ち出しているという点です。


ところで、今回の「子育て応援特別手当」ですが、もともと、前政権が打ち出した時点から、いろいろな面で不公平だという指摘がありました。
支給の対象となる年齢の児童を持つ世帯に対し、対象児童一人当たり36¸000円が支給されるわけですが、たまたま今回、該当した人たちだけが貰えるというのはどうなのでしょうか。
もらった人は「宝くじ」にでもあたったようなものですよね。
だって、去年5歳だった児童は貰えないわけですし、今年2歳の児童は来年3歳になっても貰えないわけで、たまたま当時の政府が提示した年齢に該当していたというだけなのですから···
また、一部の特定の人にだけ、その場限りのお金がばら撒かれるというイメージです。
まぁ、どこかで線引きをしないときりがないといえばそうなのかもしれませんが、それにしても、選挙前の苦し紛れに打ち出した政策とはいえ、対象範囲があまりにも限定的で、行政に求められる「公平性」や「継続性」という点からもお粗末な内容だと言わざるを得ません。


三木市は、国が考えた制度だから文句はないだろうと高を括っておられるのかもしれませんが、国が決めたことだからといって、全てが正しく、万全であるとは限らないですし、市民が納得するとは限らないのです。
地域の実情に応じたきめ細かな政策を、限られた財源の中で実施していく。
一旦周知してしまったからという理由だけで同じ条件のまま支給するのではなく、対象年齢を見直したり、所得制限を設けたり、要は、三木市の特色(地域性)や財政力などに応じて支給方法や要件を見直すべきだったのではないでしょうか。
例えば、三木の場合、全国でも例を見ない「財政危機宣言」を発っしているのですから、むしろ一定の所得制限を設けることのほうが市民にも納得してもらえる余地があったのではないかと思うのですが···。
その結果、対象から外れる人がいたとしても、その事情をきちんと説明し、納得してもらう、そのような工夫やひと手間かけることを惜しまず、一歩踏み出すことこそが「地方主権」のあるべき姿といえるのではないかと思います。


どうして、そういう判断が、他の自治体にできて、三木市にはできないのか?
残念ながら、三木市には「地方分権」時代を生き抜く上での、「地域主権」の土壌がまだまだ出来上がっていないのだなとつくづく感じました。
国に楯突くことが「地域主権」だと勘違いしていなければいいのですが···
[PR]
by kkamoike | 2009-10-22 20:39 | 三木市政 | Comments(6)

「現場の声を政策に」

日本が変わる:業界と団体 脱農協、農業再生へ新組織
「現場の声を政策に」(毎日新聞)

国の補助金を農協(JA)が受け取る代わりに農協票が自民党に流れる、戦後の農政のあり方は崩れつつある。
長崎県南島原市。雲仙岳のふもと、島原湾を望むタマネギの苗床で、70万本の苗が天に向かって伸びる。「40日もしたら畑に移植だよ」。「ながさき南部生産組合」代表理事の近藤一海(かずみ)さん(57)が成長した苗を満足そうに見やった。
約35年前、近藤さんは「農協に頼っていては食っていけない」と考え、農協を離れて独自に有機農法などでタマネギとネギの栽培を始めた。仲間5人と販路を開拓し、組合組織にした。今では150人に増えた仲間がジャガイモ、カボチャ栽培からアイガモ農法での米作にまで取り組んでいる。
直売所は連日にぎわい、組合の総売り上げは年18億円に達する。「組合員が利益を実感できるまでになった。消費者と直接つながり、我々の意識は変わった。売れる作物を考えた農業を行うようになった」。近藤さんは誇らしげだ。
    ◇  ◇
地域農業をけん引する近藤さんは、「食と農の再生会議」の主要メンバーでもある。
再生会議は、近藤さんが代表幹事を務める全国産直産地リーダー協議会を中心に、農家や生協、元JA組合長など100の団体、個人で構成される。農の現場の声を民主党の政策決定プロセスに反映させようと、今年6月に発足した。既に政治家たちと、政策についての意見交換などが始まっている。
昨年11月、全国産直産地リーダー協議会幹事会で、民主党が政権公約(マニフェスト)に掲げた「戸別所得補償の考え方を聞きたい」との声が上がったのが始まりだった。
協議会は、自民党が全国の農協を通じて行ってきた農政が農業の崩壊を招いたと考えている。そのため民主党が農業の現場を理解してくれるかどうかを確認する必要があった。つてを頼り、今年2月に小沢一郎代表(当時)との懇談が実現した。「戸別所得補償は、単なる農家補償ではなく、地域社会再生のための補償です」との小沢氏の説明に納得し、消費者団体も巻き込んだ組織作りを進めた。これまでの農政に不信感を抱く農家も数多く集まってきた。
元JA職員で再生会議事務局長の下山久信さん(63)は「これからは、農協ではなく、現場の意見を聞いて政策を立案しないと日本農業は崩壊する」と民主党の政策転換に期待する。9月に初めての地方組織が山形県で誕生し、組織の拡大が各地で行われている。
自民議員や農協の一部からは「農協に取って代わろうとしているだけ」と冷ややかに見る向きもある。だが再生会議会長で、元JA組合長の岩瀬義人さん(72)は胸を張る。「民主党に取り込まれて飼い犬になるつもりはない。これまでのような、バラマキ農政にならないよう、チェックするのも我々の役目だ」



谷垣総裁:自民への支持訴える JA全国大会で(毎日新聞)
自民党の谷垣禎一総裁は8日、東京都内で開かれたJA(農業協同組合)全国大会であいさつ。「自民党は生産者の声や要望をしっかり踏まえ、JAとスクラムを組んで活動をすることを約束する」と述べて自民党への支持を訴えた。
農協は自民党の有力支持団体だが、各地で民主党に軸足を移す動きが出ている。
谷垣氏は、民主党が掲げる農家の戸別所得補償制度について「民主党のリーダーは農業貿易の自由化の代償措置だと言う。仮にそうなら農業の将来は誠に暗い」と批判した。




記事の全文を引用したため、非常に長文になってしまったことをお許しください。
しかし、抜粋ではなかなかイメージがつかめないのではないかと思ったもので···。


さて、今回は、同じ課題に対する民主党と自民党のアプローチ、政策の違いを比較したかったわけですが、
それにしても対応の違いがよくわかりますね。
記事によると、自民党はこれまでのJAとタイアップした農政を展開することで農家を守る方向にあくまでこだわっていくようです。
まぁ、今の自民党の勢いからすれば、確実に票固めができる組織票を失うことは致命傷となるわけですから、急に掌を返すようなことはできないのでしょうけど、どうも新しい展望、期待感というものが感じられないといいますか、結局、それしかないの?という手詰まりの印象が拭い去れなかったのは私だけでしょうか。
今回の政権交代を実現した国民感情というものがまだまだ現実のものとして受け止められない、理解できていないのではないかとすら感じてしまいます。


実際の現場では、これまでの政策が単なるバラマキで、効果的な政策が一向になされてこなかったことからの不満の声があることや、JAの役割が十分に機能してこなかった、時代の変化についてこれていないという部分での反省や改善点に触れることもなく、民主党の政策批判を繰り返すだけでは、現場の心を引き付けどころか、訴えかけることすらできないのではないかと思います。


現場にどれだけ足を運び、今、何が必要かということをどれだけ一緒に考えることができるか。
これまでのやり方をただ単に踏襲するだけだったり、現場の声を聞かずに自分たちの価値観だけを押し付けるやり方は、もう通用しないのだと思います。
政治は確実に変わりつつあります。
これまでのように活動しているのかしていないのかわからなかったり、席に座ったまま状況を掴もうとしても本当の意味での現場の声は聞こえてこないのではないかと思います。
限られた財源の中で、市民が求めている政策の優先順位を取り違えることなく行っていく。
この当たり前のことをきっちり履行するには、日頃から現場に関心を持ち、現場に何度も足を運び、現場と向き合うことが必要になってくるのだと思います。


さて、三木の政治家さんたちは、選挙活動の時だけ一生懸命と言われないぐらい現場に足を運び、政治家としての理念や考え方を語ることで、現場を魅了できるほどの指導力が果たして発揮できているのでしょうか。
今回の「子育て応援特別手当」にしても、本当に現場が望んだ声だったのかどうか、今の三木市に本当に必要な政策だったといえるのかどうか、普段から現場に足を運ぶ活動が出来ていれば、答えは簡単に出てくるはずです。
現場に足を運んだ結果、それが市民が望むものであると判断したなら、もっともっと議員自身の口から今回の政策をPRすべきだと思います。
例えば、納得していない市民もたくさんいるわけですから、臨時の「議会だより」で今回の事の経緯から、目的、意義、期待する効果などを、国の言葉ではなく、市の言葉でしっかり説明し、理解を求めるぐらいは最低限必要だと思います。
説明、PRが不足していては、せっかくの血税投入効果も無駄に終わってしまいますよ。
[PR]
by kkamoike | 2009-10-21 21:16 | Comments(3)

「リーダーシップ」とは

前回は、「物言わぬ組織」について考えました。
厳密に言えば、「物が言えない組織」というほうが正しいのかもしれません。
これはあくまで私の推測ですが・・・。


組織の風通しを良くして、組織を構成する人たち(社員や従業員)のポテンシャルを高めていくことは、会社の業績、いわゆる経営状況を良くしていく上で、欠かせない要素であると考えます。
人が持つ能力を最大限に引き伸ばし、いかに会社経営に貢献してもらうか、そのような「人財」をうまく使いこなせる人がリーダーとして存在するかどうかが、大きな分かれ道になるのだと思います。
行政においては「首長」がそのリーダー役を担っているわけですが、政治判断も経営判断同様、リーダーシップをいかに発揮していくかということが重要になってきます。
言うまでもなく、「リーダー」とは、みんなをリードしていく人であるわけですが、部下をはじめとした周りの人がついてきてくれなければ事は進みません。
自分だけが息を巻いて突っ走ったところで周りからの賛同がなく、ついてくる者がなければ、リーダーシップが発揮できているとはいえないのです。


もう一つ、違う観点で捉えてみると、
いろいろな解釈があるでしょうが、私は基本的に「リーダーシップがある」と「ワンマンである」とは意味が違うと思っています。
ワンマン経営者のイメージは、自分の意見に反対するものは寄せ付けず、周りにイエスマンばかりを集めるというものです。
かなり古い記事ですが、いつも雑感日記さんが取り上げておられる大西宏さんのブログ「マーケティング・エッセンス」からの引用です。

ワンマン経営の悲劇 - ダイエーの教訓
『ワンマン経営は、イエスマンの集団をつくることはいうまでもありません。それだけではありません。極めて排他的な集団が生まれてきます。つまり中内さんの「村」みたいなものができあがります。それは決して正式な組織でもなんでもないのですが、「村」から外れた人たちは、たたとえ役員といえども誰もついてきません。誰も言うことも聞いてくれません。多くの優秀な人材がはいってきても、やがて辞めざるをえなくなってしまいます。業績をあげたかどうかなんかは関係ないのです。』

『ワンマン経営は、経営者本人の意思でないとしても、本人の見えないところで組織の弱体化を生み出していきます。讀賣が、プロ野球問題であのような酷い社説をだし、自らの権威を傷つけたわけですが、まともな体質があったなら、社内で反対意見がでたはずです。おそらくダイエーと同じような恐怖政治があるのだと想像します。』

『知恵の時代の主人公は「人」です。「人」を「道具」としか思わなかった中内さんは、きっと、このことに気がつかなかったのでしょう。時代の変化が激しくなるにつれ、「人本主義」という考え方は、今後さらに重要になってくるに違いありません。ダイエーの破綻は、会社は「人」であり、「人」がお客さまと向き合って、生き生きと仕事できなければ、どんなに大きな会社でも破綻するという教訓だと思います。』

2004年に書かれた記事ですが、今もこの教訓から学ぶべきところは多いような気がします。


一方、リーダーシップのある経営者は、自分と意見の異なる者の言い分にも耳を傾ける度量の広さを持っているというイメージです。
リーダー自身が、何を実行すべきか、なぜそれを実行するのかということを部下たちに語りかけることで、部下からの共感や支持が得られるのだと思います。
一旦、信頼関係が出来れば、どう実行すべきか、いつ、どこで、誰がなどの具体的なことは部下たちに安心して任せられることになるのだと思います。
逆に、いちいち細かいことにまで口出ししなければならない状況というのは、部下との信頼関係が作りきれていないということの表れです。
「任せれば、人は楽しみ、動き出す。」 by星野佳路
以前、当ブログでも紹介しましたが、こんなリーダーのもとなら、人だけはなく組織も動き出し、そこから斬新な発想が生まれ、新しい価値が創造されていくことにつながっていくことになるのではないでしょうか。


リーダーシップとは
立場や権力をバックに人を動かすというものでもなく、また単に力まかせに部下を引っ張っていくというだけでも不十分で、むしろ人についていきたいと思わせる、この人と一緒に仕事がしたい、大きな目標を成し遂げたいと思わせること、そのような共感が生まれる中で、結果的に人がついてくるという要素が大きなウエイトを占めるものではないかという気がします。
[PR]
by kkamoike | 2009-10-20 20:54 | リーダーの条件 | Comments(2)

物言わぬ政治家、物言わぬ組織からの脱却こそが「地域主権」への第一歩

三木市は本当にこれからどうなっていくのか、冷静な判断ができる指導者がいない中で、市政はますます混迷を極めるのではないか、今回の「子育て応援特別手当」の市単独の支給決定に至った市の判断を見るにつけ、ますますその思いが強くなりました。
ふるさと日記さんは、今回の件において議会からの発信が何もされないということに疑問を投げかけておられます。
また雑感日記さんは、今回の政策が組織内でどのように決められたのか、その経緯がわからないと感じておられるようです。
私もお二人のご意見に全く同感です。
三木市政が開かれた市政運営になっていない、極めて閉鎖的な状況の中で意思決定がなされているのではないかという疑念を市民に抱かせてしまっているのは非常に残念なことであり、これから「地域主権」の実現を目指していくうえで、見過ごすことのできない深刻な問題だと思います。


このような深刻な問題を克服する手立ては、やはり、市政に携わる人たちから地道に情報発信を続けていくしか方法はないのではないかと思っています。
しかしながら現状は、市からの情報発信自体、ピントがずれている内容が多かったり、市長や議員など、一政治家としての発信もほとんどされておらず、肝心なことに関しては緘口令がひかれているかのごとく一切の情報発信がされませんから、私たちも今の三木市政がどの方向に進んでいるのか、どういう目的で政策決定がされたのかさっぱりわからないのです。
市長のやることに何でも賛成なのか、自分の意見を持っていないだけなのか、持っているけれども公にする自信がないのか・・・
いずれにしても、黙っていては話にならない(仕事にならない)のです。
物言わぬ政治家はもう時代遅れです。
政権交代によって、国政の世界では、いろんな意味で政治家の意識、行動が変りつつあります。
そして、国民の政治家を見る目も徐々に養われてきているのです。


市民に市政を身近に感じてもらうことが、これからの地域に根ざした市政を展開していく上で必要な要件だということは、誰もが認めることだと思います。
そのためにも、市民にわかりやすく市の動きを伝えていく、そのような最低限の情報発信を、組織として、政治家個人として日常的に行っていくのが基本ではないのでしょうか。
決して、難しいこと、高度なことを求めているわけではありません。
情報発信の方法が、ブログやホームページでなければならないとも言っていません。
どんな形でもいいので、自分の出来る方法で、市民に語りかけ、いろいろな場面で意見を交わす、そして、市民に見える形で報告するという基本姿勢を、まずは愚直に守り、実行していただきたいのです。


もう一点、組織の内部でも、どれだけ市長に意見を言えるキーマンをつくるかということも忘れてはなりません。
以前からもこのブログで再三、指摘してきたことですが、やはり一般の職員がおかしいと思っても、市長に直接物申すことはなかなかできないでしょう。
だからこそ、副市長という存在、市長の右腕となり、場合によっては、市長の暴走、誤った方向に進みそうなときに冷静にその動きを制御し、コントロールできる人の存在というものが、やはり必要になってくるのではないかと、今回の件であらためて強く感じました。
副市長という存在を「削減対象経費」にしか見られないのは、裏を返せば、人の可能性、使い方を知らないからだと思います。
ぜひ次の市長には、副市長の存在意義がわかる人で、上手に使いこなせる人であってもらいたいですし、同時に、議会や職員を敵に回すのではなく、ともに三木市発展のために持てる力を存分に発揮してもらえる関係づくりが築ける人であってもらいたいと思います。
また、その期待に応えうる議員、職員であってもらいたいと思います。
[PR]
by kkamoike | 2009-10-19 20:24 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(5)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。