どうぶつのつぶや記

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「意識の問題」なのか、「能力の問題」なのか、はたまた・・・

 『三木はどうなるのだろう?』
今朝の雑感日記さんには、三木市政に対する不安が書き綴られています。
このような漠然とした不安を払拭するのが政治家の一番の仕事であり、それを実現するための一番の近道は、市民に対する情報発信と説明責任ではないかと思いますが、現実はそれが上手く機能していないということなのでしょう。


市民をこのような不安に陥れる要因、機能していない原因は二つ考えられます。
一つは、政治家自身は市民が思うほど不安に感じていないということが考えられます。
一言でいえば、「意識の問題」となるわけですが、仮に問題があったとしてもそれを問題として認識できなかったりだとか、今直面しているややこしい問題にはできるだけ関わりたくない、気づかないフリをしてしまうのもこのような「意識の問題」に含まれてくるのではないかと思います。
もう一つは、「能力の問題」です。
漠然とした不安を感じたり、このままで本当にいいのだろうかというような気持ちはあるけれども、それに対して、自分の意見が主張ができなかったり、相手の意見に対し反論する術を知らなかったり···。
要は自分が考えていることを市民や相手に対して、分かりやすく伝え、説得させることができないという類の問題です。


そして、何より、政治家による情報発信と説明責任が一番市民の目にとまりやすい機会が、議会という場であるはずなのですが、現状は、必要な情報が必要なタイミングで伝わらなかったり、議論すべきタイミングでしかるべき議論がなされないなど、やることなすこと全てなし崩し的に物事が決まってしまっていまる状況です。
まちの将来を大きく左右する重要な政策が次から次へと提案される状況であるなら、議会という場でもっと喧々諤々の議論が展開されてもいいはずですし、市民の議会への注目度がもっとアップしても不思議ではないはずですが、残念ながら、そのような緊張感が溢れる場には程遠い、お粗末な状況だと言わざるをえません。


このような体たらくな状況、あるいは「死に体」の状況を建て直すための議会改革に関する具体的な提案については、ふるさと日記さんがしっかりと纏めておられます。
当然、政治家の皆さんはプロですから、先進地視察もいろいろな所に行かれて良いところ悪いところをいっぱい勉強してこられているはずですから、『今さら何を言っているんだ。』とか『そんなことは百も承知だ』とおっしゃるかもしれませんが、一市民にこれほど具体的に、懇切丁寧に改革案を提示されるということは、ある意味、情けないことだと感じてもらわなければ困ります。
市民からそのように言われるということは、今どういう状況で検討がなされているのかということが、全然伝わっていないからだという反省に立っていただかなければなりません。
これまで市民から声高に、議会に対して特別な注文をつけられることがなかったということもあるのかもしれませんが、私は、あらゆる場面において、市民を前提に考える意思(気持ち)がない、もっときつい言い方をすると、市民のほうを向いて仕事をしていないのではないかとさえ思ってしまいます。


三木市では、現在、様々な行革が断行されていますが、先ずは、こういう議論の基礎となる問題から、政治家自身襟をただし、改めていくべきだと私は思います。
議論の土台がしっかりしたものになっていないと、単に時間とお金の浪費だけを招くことになりかねないからです。
いずれにしても、今の三木市の政治家は、あらゆる面での本気度が足りず、真剣さに欠けている気がしてなりません。
市民にアピールしているほど、自分たちは「危機」を感じていないのかもしれませんね。
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by kkamoike | 2009-09-30 19:42 | 三木市政 | Comments(2)

「訴求力」とか「○○力」とか···

「三条市長日記」も、私のお気に入りの、毎回更新を楽しみにしているブログの一つです。
少し前になりますが、
「訴求力」という記事がアップされていました。
見せ方を工夫すれば、相手に対する「訴求力」も違ってくるということですが、実際、私たちの周りを見回してみても、その力を発揮することでもたらされるであろう効果に気づかずに、見過ごしたままになっていることって以外に多いのではないでしょうか。
立ち位置や軸足をどこに置くか、あるいは、どこにポイントを置くかによって、見え方や捉え方は全く異なってきます。


言うまでもなく、「訴求力」を高めるには、訴求したいと思う相手や内容について普段から深く考えているということが必要となります。
インプットがなければアウトプットができないように、普段から注意深く見たり、考えたりしていない人に、ある日突然、良いアイデアはなかなか浮かんでこないのではないでしょうか。
普段から、どれだけ相手のことを考えているか、どういうやり方、伝え方をすれば相手の心に届くか···やはり何事も、相手の立場に立って考える習慣や観察眼が備わっていないと訴求力を高めることは難しいのかもしれませんね。


市の職員の方は、難しい試験をパスされて、厳しい競争率を勝ち抜いて、公務員になっておられるのだと思いますが、私は、単に勉強ができて、知識がある人が必ずしも優秀な公務員だとは思いません。
もちろん、そのような意味の頭の良さはないよりもあるにこしたことはないでしょうが、相手が何を求めているのか、どうすれば相手の気持ちに訴え、期待に応えることができるか、要は、いかに人(市民)の気持ちに立って物事を考えることができるのかが重要なのではないかと思います。このことは企業人にも同じことが言えます。


三条市長さんがおっしゃる「訴求力」、そして、
昨日、ご紹介した武雄市長さんのコメントにあった「プロデュースして、アレンジして出す力」、
ともに通じるところがあるなと感じました。
これからの時代に求められる公務員像のヒントがここにあるのかもしれませんね。
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by kkamoike | 2009-09-28 19:46 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(3)

「人財」をどれだけ生み出せるかが重要

以前、武雄市長物語の「腹八分の資本主義 日本の未来はここにある! 」という記事の中に、こんなコメントが書いてありました。
「無いモノ」ねだりするのではなくて、そこに実際「あるモノ」を活かそうと思っています。
今あるモノをどうやって活かすか、素材だけではダメで、そこにはきちんと誰かがプロデュースして、アレンジして出す。



限られた財源の中で、どう地域の特色を生かしながら、まちづくりを考えていくか。
ほとんどの自治体が財政的な余裕がない中で、一生懸命工夫して、今あるものの中でやりくりしようとがんばっています。
そして、新しい価値を見出し、まちに元気を取り戻そうとがんばっています。
今あるものや、昔からあるものにスポットを当てて、これまで見ようとしなかったり、見えていなかった部分ををどう掘り起こしていくか。


そういう意味では、今回の「ナメラァート」というイベントは、三木の新しい価値、可能性を違った角度から引き出した素晴らしい企画であったと評価できるのではないでしょうか。
こんな三木の良さや素晴らしさが再発見できる企画や発想がこれからもどんどん広がっていけばいいですね。
三木も武雄に負けないくらい、素晴らしい取組が広がりつつあることを心強く感じました。
こんな動きがどんどんどんどん広がっていけば、別に箱物や○○整備なんかに巨額の税金を無理して注ぎ込まなくても、まちは十分活気づき、心が満たされ、潤っていくのになと感じました。


まさにハードなんかより、ソフトの時代。
誰かがプロデュースして、アレンジして出すためには、やはり「人」、ですよね。
そういう「人」をこれからどう育てていくか。
まさに、これからの行政、まちづくりは、その部分が問われているのだと感じました。
大事ですよね、「人づくり」って。
そう、これからは、「人財」をどれだけ生み出せるのかがポイントです。
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by kkamoike | 2009-09-27 18:18 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(2)

人を巻き込んでいく上での考え方

他の方の意見や考え方を知ることによって、今まで気づかなかったことの発見や、新しい発想へとつながっていくのもブログの大きな魅力の一つではないでしょうか。
最近、特に注目しているのは、三木市のことをテーマにした「ふるさと日記」というブログです。
自分には書けない内容、今まで気付かなかった部分、より具体的な提案にまで踏み込んだ内容は、非常に勉強になります。
今日の「ふるさと日記」で取り上げられた記事は、市役所改革というカテゴリーで、「信頼される市役所をつくる方法」というものです。


具体的な提案内容は、それぞれの考え方があるので、ここでは言及しませんが、物事の考え方、方向性はあらゆる事象に通じる部分があり、共感できるところが非常に多いと感じました。
職員の方たちの給与水準の引き下げの話にしても、人事院勧告などのこれまでの慣例を一気に蔑ろにしてしまうわけにはいかないでしょうが、例えば、マイナス思考から導き出された結論(財政難だけを強調して→給与水準の引き下げを行う)と、協働のまちづくりを作り上げていく上で、欠かせないプロセスなんだという大枠を決めた中でのプラス思考から導き出される結論(新しいまちづくりを描き出し→それに見合う新たな給与水準を構築する)とでは、同じ給与の引き下げという手段を駆使したとしても、その背景となる目的や意義(そもそもの発想、起点、呼びかける中身など)というものは全く異なっていますから、その事実を受け入れる側の気持ちや考え方も必然的に違ってくるのではないかと感じました。


要は、同じことをするにしても、やらされ感が残ったままだったり、上からの押し付けだけでは、人の心を前向きにさせたり、心を動かすことはできないということではないかと思います。
繰り返しになりますが、個々の取組の選択肢自体は人それぞれのやり方があるでしょうが、物事を進める際にどういう順序で話を組み立て、結論付けるかなどの人を巻き込む上での考え方というものは、すべてに共通するものがあると感じました。
内部管理、まちづくりや協働にも同じことがいえるのではないでしょうか。


同じことをするにしても、やり方やものの考え方の順序が違えば、もたらされる結果は全く違ったものになる。
そのことをよく理解したリーダーこそが、部下や外部の人からの人望を集めることとなり、よい成果をもたらすことになるのだと感じました。
そして、こういう場面においても、まちづくりについてどれだけ熱く語れるかという力量が、リーダーには求められることになるのでしょうね。
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by kkamoike | 2009-09-25 22:35 | リーダーの条件 | Comments(16)

「削減」から「創造」のまちづくりへの転換

危機的な財政状況を立て直すため、藪本さんが市長になられて、まもなく4年が経過しようとしています。
この間、様々な取組がなされてきたと思いますが、果たして現状はどうでしょうか。


就任されて3年目に全国でも類を見ない「財政危機宣言」を発したということは、言い換えれば与えられた4年という任期内でマニフェストに掲げた約束が果たせなかった、結果が出せなかったということになるのではないでしょうか。
就任当初、第一に掲げたはずの「財政再建」が実現できなかったということを市長はどのように受け止め、この現実を市民にどうご説明をされるおつもりなのでしょうか。そして、市民はこれをどう受け止めるのでしょうか。


これからの4年間も、これまでと同じ「削減」に軸足を置いた政策が進められるということは、まちづくりの更なる停滞をもたらすことにはなるのではないかと危惧します。
私は、どこかの時点で、「削減」に軸足を置いた施策から脱却し、新しいまちづくりの「創造」に向けた施策に切り替えないと、三木のまちづくりはいつまでたっても「停滞」から抜け出せないのではないかと感じています。
今や、「1年一昔」と言われる時代です。
4年で再建の目途が立てられなかった人が、さらに4年という年月をかけて目途を立てられるとは到底思えません。


次に市長を目指す人には、ぜひ、新たなスタートに向けて市民と心を一つにする意味でも、再建に向けての現実的で腹をくくった具体的なタイムスケジュールの提示と同時に、再建後の新しい三木の姿を描いた「創造」の部分について、市民にわかりやすく明示してもらいたいと思います。
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by kkamoike | 2009-09-24 20:00 | Comments(4)

国民が期待する「政治主導」とは

前回は、政権交代によって期待が持てると感じた点を述べました。
連日、ニュースでは、○○相がマニフェストに掲げた「△△△の見直しについて言及した」という話題が取り上げられています。
マニフェストに掲げてあるから、選挙に勝ったから、「やります」というのは間違いではないのかもしれませんが、私自身は、今回の政権交代が実現する前から話題となっている「政治主導」とあわせて、不満を感じているところがあります。
それは、個々の政策が、最終的にどういう姿の社会を作り上げようとしているという部分が、十分に国民に伝えられていないのではないかという部分です。
その部分を明確に示すことこそ、政治主導の本来の姿ではないのかと感じています。



例えば、
厚生労働相が明言した、後期高齢者医療制度の廃止
一旦、改革路線で医療費の抑制と財源確保の名目で導入されたものを改める内容だと思っているのですが、マニフェストで廃止すると約束したから、廃止すると言うだけではなくて、あらためて、担当政権になった立場で表明するわけですから、前政権の方針と照らし合わせて、どこをどういうふうに方向転換しようとしているのか、改革の目的はどっちに向いているのか。要は、高齢者から保険料を取らない分、今度は、誰から、あるいはどこから、代わりになる財源を持ってくるのか、税金で賄うことになるのかなど、国民にとって裏表の部分をはっきりと示し、今後、日本の国は、こういう方針で老人医療体制を維持していくということをまずは明確に示してほしいのです。
これから日本の国は、高齢者には負担を求めない福祉国家を目指していくのか。あるいは、若い世代の人数はどんどん減ってくるけれども、高齢者を支えるためにこれまで以上の負担を若い世代に求め続けていくのか。

子育手当についても、マニフェストの時点では、家計支援という景気対策の名目で検討されていたようですが、景気対策であるなら所得制限を設けるほうがいいのではないかとか、所得制限を設けないなら社会で子どもを育てるという名目に基づく政策に転換するべきではという意見もあるようです。
いずれにしても、この子育手当を有意義な政策にしていくには、どういう子育てのあり方がいいのかをもう一度確認する必要があるのではないでしょうか。
手当を支給する、しないの議論以前に、子育てとはどうあるべきなのかということの方針を示し、国としてどう「子育て」に関わっていこうとしているのかなど、国民にあるべき姿や社会の関りという部分での将来像を示してほしいのです。

また、今回の温室効果ガスの25パーセント削減も、高らかに宣言をしたのは良かったのかもしれませんが、25パーセント削減の先にある、日本の環境国家としての未来像を国民にわかりやすく示してほしかったと感じています。

政策を実行するかしないかだけを宣言するのが、政治主導の目指すところではないはずです。
これからの国の方向性を考え、社会のあるべき姿を国民にわかりやすく示すことこそが、まさに政治主導の一番の目指すべきところとなるのではないでしょうか。




翻って、三木市はどうでしょう。
三木市はどんなまちを目指そうとしているのかということについて、三木の政治家は分かりやすい言葉で、熱く語ってくれているでしょうか。
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by kkamoike | 2009-09-23 12:48 | Comments(0)

政治家が発する「言葉」の力

以前、rfuruya2さんの雑感日記で、『政治は創造』ということが取り上げられ、多くの反響を呼びました。
私も、その内容に100%賛成したわけですが、政治家の創造(力)が国の方向性を示し、理想の国づくりに向けて官僚をうまくリードしていく上での原動力となる。
そして、最終的には、国民や市民に期待感や安心感を与えることにつながっていくのではないかと感じました。
そして、ここ最近、テレビなどの報道を見ていて、つくづく大事だなと感じるのは、この「創造(力)」とあわせて、政治家による「言葉」の力、いわゆる発信力です。
前々回の記事にも取り上げましたが、米田議員の一般質問のやり取りからこれからの三木市の政治の可能性や期待感を持てたのは、まさしく米田議員の生きた「言葉」の力があったからではないかと感じています。


そんなことをいろいろ考えていると、ちょうど今日、雑感日記さんにこんな記事がアップされていました。
こちらもrfuruya2さんのご意見に同感です。


国において、新政権が発足する中で、従来の政治との違いを一番強く感じるのは、テレビに映る閣僚の姿勢と発言です。
誰かに言わされている、自分の言葉でない言葉でしゃべっているという感じを我々有権者に感じさせないように努力している点ではないでしょうか。
このような姿が、テレビにどんどんどんどん映し出されると、これまでの閣僚がいかに手を抜いていたか、あるいは遠慮していたか。
いや、これこそが、しくみや体制、やり方が時代に合わなくなってきている中で、政治家自身も変えなければと気が付いているにもかかわらず身動きが取れない状況だったのかもしれません。
だから、これまでの閣僚の多くは、一人の生身の人間でありながら、誰かの操り人形のような、まさしく「官僚依存症」ともとれる力のなさ、頼りなさがあったのだろうかと、今になってつくづく感じるのです。


連日、テレビの報道番組に引っ張りだこの藤井財務相などは、知識と経験がある上に、かなりの論客ですから、あっという間に話しの中に引き込まれてしまいます。
その上、妙な話なのですが、藤井財務相に限って言えば、なぜか私自身、「大変でしょうけど、お体に気をつけて、がんばってくださいね。日本の国を頼みます···」というような、これまでの閣僚には持ったことのない期待と感謝の念が湧いてくるのです。
個人的に受け入れられるから?という単純なレベルだけの話なのかもしれませんが。
ただ、全ての大臣に対して、同じ気持ちが湧いてくるというわけではありません。
少なくとも、我々有権者をこういう気持ちにさせる政治家というのは、その人が持つ信念と、その信念が発する言葉に乗り移ることで、そのメッセージがダイレクトに私たちの心に伝わってくるからなのだと思います。


まさに、政治家の言葉の発し方ひとつで、政治家の本気度がわかりますね。
そして、言葉の力ひとつで、国民、市民を落胆させたり、勇気づけたりできるということなのですね。
今回は、新政権が発足した今の時点で、今後に期待が持てると感じる点を少しだけ書かせていただきました。
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by kkamoike | 2009-09-18 21:20 | Comments(7)

危機感を煽るのではなく、安心感を与えるのが政治の役目

米田議員のブログには、今回の一般質問の背景となった、市民が感じる不安についてこう述べられています。
「昨年9月末に財政危機宣言が市長よりされ、
様々な市民生活や活動に影響が出ている中で、
行政側の意識の変化より市民の不安·不満がたまりつつある。」
と。


そんな中、どの政策に重点を置くかとか、どの事業を優先して行うかということは、人によって考え方がそれぞれ違うから、しょうがないと言ってしまえばそれまでなのですが、
広報に掲載されていた内容を見ても、あまりにもそれらの事業の決定、進めるタイミングなど、「財政危機宣言」を発した今の時期になぜ?と思うものがあります。
例えば、旧玉置家住宅の整備や三木鉄道跡地に関係する整備費などは、今、この時期にこれだけの事業費を投じて本当に取り掛からなければいけないものなのかという疑問があります。
これは、私個人の思いだけでなく、私の周りにいる多くの人も不思議に思っていることです。
一方で、花火大会などは、具体的な再開の時期は示されていません。
市民が不安に思っていることというのは、まさにこのことだと思うのです。
すなわち、財政危機宣言を発する状況に至ったのはやむを得ないとしても、宣言しっぱなし、言いっぱなしのままでは不安だということなのです。


「このままいけば破綻するかも」といった不安を煽るばかりで、肝心の再建に向けた工程表、スキーム(計画)が具体的に、市民にわかりやすく示されていないから市民は不安を感じているのだと思うのです。
例えば、安心できる財政水準の明示、市民病院の再建の見通し、あるいは、大規模な整備事業を選択したことによって将来もたらされる効果など。
市民により身近なところで言うなら、いつまで我慢すればいいのか、あるいは、花火大会はいつ復活させるのかなど、要は「安心」できる到達点、目標をはっきりと示してほしいということなのです。
大事なのは、「財政危機宣言」を受けて、そのあとの対処法をどう考え、具体的にどう取り組んでいくのか、そしてそれを市民にどう示し、安心感を与えられるかだと思います。


今の三木市の市政運営を見ていると、このような根本となる部分をきっちりと押さえないまま、ただ地元の要望に沿って多くの事業が野放しに展開されているような気がしてなりません。
「三木式地域主権」と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、このような「財政危機宣言」を発する異常事態の今だからこそ、市の執行部だけでなく、議会や市民も巻き込んだ取組、一体となって政策の優先順位を考え、政策決定をしていく仕組みづくりを確立し、市全体でもって、シビアな目で「選択」と「集中」を実践していかないと、お金なんていくらあっても足りないと思います。


市にとって、市民に安心して生活を送ってもらうための取組は、どんな事業よりも優先されるべきものであるはずです。
そのような意味からも、一刻も早く、市民が安心して生活が送れるよう、その裏づけとなる計画を速やかに策定し、市民にわかりやすく示していく必要があるのではないかと考えます。
「五年後には破綻するかも」といった市民の気持ちをネガティブにさせる宣言ではなく、「○年後には県下で○番目の財政水準にし、市民サービスの満足度も今以上にアップさせます。」といった市民の気持ちをポジティブにさせてくれるような宣言をしてもらいたいものです。
この方のように。
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by kkamoike | 2009-09-12 14:43 | 三木市政 | Comments(0)

議員とともに成長し、「三木のまちづくり」を一緒に考えていく気があるかどうか

前回の記事では、議会に対する論文を引用させていただき、地方議会のあり方について考えました。
議会自体に改革していこうという意欲と取組が必要だということは言うまでもありませんが、我々市民もまた、政策立案ができる議員を育て、政策重視の政治を実現していくためには、それ相応の覚悟と根気が必要なのだということがよくわかりました。
たまたま、同じ日の同じ時間帯に、fuji-takeさんの「ふるさと日記」にも議会に関する記事がアップされていました。
こちらは議員定数について、ご自身のお考えを述べられています。ぜひご一読ください。
私は、議会に対して、こんなふうに意見が出されるということは、議会運営や議員に対して、いい意味でも悪い意味でも関心が持たれているということであり、何とかならないのか、何とかしてほしいという、ある意味、議会や議員に対する期待の表れではないかと感じています。


そんな中、議員を見守り、育てていくという観点において、市民の模範とならなければならないはずの、行政の長ともあろうお方から、またしても耳を疑うような問題発言が飛び出しました。
私はこのことが非常に悲しく、残念でなりません。
その発言こそ、今日の一般質問の場で、市民力の米田議員の質問に対して発せられた、「ネガティブ」という言葉です。
この言葉を発するに至った質問とは、市の「財政危機宣言」を受けての、市民や職員の反応、市に対する影響をどう考えるのかを問う内容、まさにそれは、市民があまり表に出すことのない気持ちを代弁した発言だったわけですが、その市民の想いや表に出てこない声に対し、あろうことか、「ネガティブ」な発言と一等両断に切り捨てたのです。
恐らく、こんな市民を冒涜する発言が恥ずかしげもなく口にできるのは、議員という存在を軽く見ている証拠であり、市民の代弁者である議員に対して尊敬の念を持ち合わせていらっしゃらないからでしょう。
それとも、全くの個人的感情に任せた、私的な発言だとでもおっしゃるのでしょうか。
以前にも「若いのにコンサバティブな・・・」という発言をされましたが、若いとか年がいっているとか、男性だとか、女性だとかは一切関係ない話です。それぞれ市民の信任を得て議員に選ばれた方であって、市長と同じ政治家でいらっしゃるわけですから、そのような発言を議員に対してするということは、市民がコンサバティブであり、ネガティブだと言っていることと同じことなのです。


私は、今回の米田議員の発言の一部始終を聞かせていただきましたが、市長の恫喝とも取れる下品な対応にも臆することなく、理路整然と二回目、三回目の質問をされたことに、三木市議会の新しい風、可能性を肌で感じることができました。
正直、これまでまともに質問ができる議員は、共産党の議員ぐらいしかいらっしゃらないのかと希望を失っていたのですが、次の議会からは、俄然、米田議員の発言に注目していきたい、いや、注目されるに値する雰囲気(落ち着いた口調や間の取り方など)や自ら理論展開をリードしていく力、議論のイニシアチブを握るといった実力を持たれつつあると感じました。


市長自身が、議員を陥れたり、言葉尻をとらえて非難や口撃を仕掛けたりすることしか頭にないようでは、三木の政治はいつまでたっても良くならないと思います。
行政の長には、これほどの質問が出来る議員が目の前に現れてきたことに対する喜び、高度な議論が市民生活をより良くしていく貴重な場になることへの感謝、そして、三木のまちづくりを一緒に考えていこうという誠実な心を持ち合わせた器であってもらいたいものです。
そのような姿勢を持つことが、市議会の活性化につながっていくのだと思います。
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by kkamoike | 2009-09-10 21:16 | 三木市政 | Comments(5)

『地方議会のあり方と議員の政策立案』

いよいよ今日から9月議会の一般質問が始まりました。
議会のあり方については、先日来、ピーマンさまからもご意見を頂戴していますが、ピーマンさまからのご意見も含め、議会自体がいろいろな取組を検討し、チャレンジしていかないと、政治に対する不信感、閉塞感はいつまでたっても払拭することはできないと思います。

私が、常日ごろ、議会に対して問題だと感じているのは、本来、市民の代表、市民の代弁者であるはずの議員の存在、個々の議員の活動が実際の市政運営にどう関わったのかが見えないということ。
さらに、個々の議員がどういうまちづくりを目指そうとしているのかを含め、選挙時の公約があまりにも抽象的すぎる、すなわち具体的な政策を持ち合わせていないことが、議論が必要な場で議論できない、理論武装ができない議員を生む要因になっているのではないかということです。
これは、実際に政策立案に深く、直接的に関われる立場ではないと考えることからくる弊害なのかもしれませんが、有権者としては、この議員はどんなまちづくりを目指しているのかとか、どの政策に力を入れ、どういう方向を向き、どんなアプローチで政策の実現を目指そうとするのかなど、できるだけ議員に関する多くの情報を市民が知るということからはじめないと、議員自身も手を抜くとまではいいませんが、大事な審議のをする時に自分の都合の悪いことにはだんまりを決め込んだり、責任を持たなくて済むような逃げの対応をしてしまうような気がしてなりません。
このことは、以前にもコメントとして述べたことです。


さて、今回のタイトル『地方議会のあり方と議員の政策立案』という卒業論文がインターネットに掲載されています。初稿は2004年とやや古いですが、地方議会における問題点を整理した上で、具体的な取組に対する提言が体系的にまとめてありますので、今回は、この論文とその中で私が関心を持って読んだ部分をご紹介したいと思います。

議会の停滞により生まれてくる弊害については次のようにまとめてあります。
(12ページより抜粋)
ア)活動に存在感がないため、市民が議会の存在に注意を払わなくなる
イ)関心がなくなり、投票率が低下していく
ウ)低投票率の選挙では組織票、高年齢の固定票が選挙戦を左右する
エ)特定組織や高齢者向けを意識した政策や、公約をアピールせざるを得ない。サービスの対象も彼らに収斂していく
オ)政策立案より地元サービスを重視する地元団体選出議員や腰掛議員が増え、執行部監視機能や政策立案機能は形骸化する
カ)緊迫関係にない執行部と議会の癒着、馴れ合いを生む
キ)不祥事が起きて益々市民の不信を招く


また、議会空洞化の主な背景としては、「議員の能力不足」、「議員を取り巻く環境」などが挙げられています。
『議員の能力不足』という項目では、
(16ページ抜粋)
「···年4回の定例会で一度も一般質問に立たない議員が少なからず存在することは紛れもない事実である。決して低からぬ議員報酬と民意の代表という立場にありながら、この実態が世論に受け入れられるとは思えない。選択と集中、費用対効果などニューパブリックマネジメントの概念は、行政のみならず、議会にも取り入れられるべきである。
また、二元代表性において首長と議員はともに有権者の信託を受けた存在であるが、一方の議員に立法者であるという認識は薄い。議会事務局や議会図書館の脆弱さも合わさって、立法ノウハウも蓄積されておらず、議員自身も政策立案のトレーニングを受けていないのが現状である。」

と指摘されています。

また、『議員を取り巻く環境』という項目では、
「一般的に地方議会の開催は100日前後。それ以外の日時は自分の家業にいそしんだり、地元選挙区の集会に出席することが議員の日常。「議会や政策の勉強をするより、後援会や老人ホームで歌っていたほうが票になる」とは某宮城県会議員の言葉である。4年に1度、失職のリスクを抱える議員たちにとっては、100人いるけれど30%しか投票しない若年層より、70人であっても投票する高齢者層に訴求する政策を掲げることが合理的選択といわざるをえない。」
と指摘されています。

その上で、
「後援会や老人ホームで歌っているより、政策を立案して執行部を監視し、議会活動をアピールしたほうが落選リスクを減らすことができると議員たちに思わせる環境作りも、実のところは重要な要素ではないだろうか」
「官民あげて政策重視の選挙文化を育んでいくための市民教育、地域文化の涵養という地道な努力以外に王道はないものと思われる。」

と結論付けておられます。

そして、地方議会改革の改善策については、次の項目が挙がっています。
(26ページより抜粋)
①議会としての広報戦略
②議員定数削減と立候補促進政策
③議員評価制度
④議長職の権限強化
⑤議会の監視機能の強化
 (ア)公聴会など議会として市民と触れ合う機会を増やす。···議会にも市民委員会、審議会など答申機関を設けることによって議会がシンクタンクを抱えることが可能になる。
 (イ)議会活性化のための視点として、全国統一でなくその自治体、自治体にあった会議規則を作っていくべきである。
 (ウ)一般質問などにしても、資料配布はもとよりパワーポイント、OHCなどビジュアル設備を取り込み、市民にわかりやすい議事運営をこころがける。
 (エ)議会の進行についても、対面形式、一問一答など一般質問形式の改善を行う。
 (オ)議会事務局スタッフの独自採用。議会独自がプロパーの職員を採用し、政策立案や議会運営の専門家を育成していく必要がある。



今回紹介した論文は、冒頭にも書いたように、初稿が2004年ですが、この時点で問題として挙げられているいくつもの項目や内容は、今もなお、真剣に向き合い考えていかなければならない重要な課題として立ちはだかっているものばかりです。
そして、文末にはこんな言葉が述べられています。
まったくそのとおりであると思います。
『では地方議会など不要であるかといえば、その活性化もまた強く時代の要請をうけているのである。
···すべからく我々の社会の根底にながれる正義や健全なる懐疑といった民主主義を支えるエレメントもまた、地方自治によって育まれている。
その一方の担い手である地方議会が、従来のフォロー的ポジションを再構築しながら新しい時代における自分の立ち位置を認識し、分権時代の議会の役割を積極的に掴み取っていく理論武装と心構えが、この瞬間に求められているのではないだろうか。
従来既存の地方自治論を踏まえた上で、これからの地方政治の可能性と潜在性に強く期待する。』



結局、最後は、議員一人ひとりが現状をどう認識し、問題点を解決するためにどう行動に移すかということだということに尽きるのかもしれませんが、論文作者が言うように、
「官民あげて政策重視の選挙文化を育んでいくための市民教育、地域文化の涵養という地道な努力」
が我々市民にも求められてくるのだと思います。
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by kkamoike | 2009-09-09 21:12 | Comments(0)