どうぶつのつぶや記

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小さな行政(役所)を目指しているんじゃなかったんですね。

行政が行うべき事業かどうか、どの部分まで行政が関わるのか、
このことは、いわゆる「小さな行政(役所)」でいくのか、「大きな行政(役所)」でいくのかという方向性を示すことでもあります。

先日の記事に対して、ピーマンさまからこんなコメントをいただきました。
その中で、ピーマンさまは「小さな行政(役所)」について、こんなふうにおっしゃっておられます。
『役所(行政)と、民間に分岐点を考えた時、そこに利益が発生するか否か?だと思うのです。
行政が一つの事業を実施する場合、需要と供給の関係もあるでしょうが、そこに利益が発生しないことが、一つの要件ではないでしょうか?
安易に利益の生じる事業に着手するべきではないと思うのです。(と同時に安易に不利益な事業に着手するべきではないのですが。)
その考えを是とするなら、役所は利益の出ない事業ばかりを担うことになるわけですが、であるからこそ、事業の中身を吟味し、利益が出なくても真に私たち市民にとって必要不可欠な事業のみを展開するべきだと思うのです。
そして、それこそが小さな役所に繋がることでは、と思うのですが。』


そうですね。
私も、行政が本来果たすべき役割を考えたとき、効率だけではどうしても片付けられない部分があるのは事実だと思います。
一方で、現在の地方財政を取り巻く状況からすれば、行政のスリム化、「小さな行政(役所)」は時代の要請でもあると思います。
「民間に預けられることはできるだけ民間に」という発想も間違いではないと思っています。
そんな中で、行政が市民の要望にどこまで応えるべきかという判断については、やはり最終的にはその自治体の財政状況や、どの事業に重きを置くかといった、財源の配分の仕方などによって違ってくることだと思います。



ただ、今の三木市のやり方を見ていて分からないのは、財政難を理由に、急激な職員数の削減·合理化を進めているわけですが、その一方で、展開している事業を見てみると、他の自治体が手を出さないような事業、例えば、三障害施設の運営に手を出してみたり、公民館を中心としたよりきめ細かなサービスの提供を試みたり、図書館サービスをこれまで以上に充実させたり、さんさんギャラリーの企画運営に着手したり、ボランティアセンターに職員を常駐させたり、挙句は、出会いサポート事業などにも関与したりと····、
とにかく、私が思い付くだけでも、これまで以上に人的サービスの必要な事業が次から次へと展開されているわけです。
花火大会の中止など、一過性のイベントの中止や受益者負担金などの負担割合の見直しなどはあったものの、基本的な人的サービスを取りやめますという話はほとんど伝わってきません。
それどころか、本来民間業者がするべきトイレ掃除までも自前でしているのを見ると、本来の業務以外にもかなりの負担がかかってきているようにも感じるわけです。
「人がどんどん減って、現場は大変だ」という話を聞く反面、いろいろな事業を展開し、手を広げていっているようにも思うわけですが、一体、どんなカラクリで仕事が回っているのか?
まったくもって不思議でなりません。



冒頭の話に戻りますが、
『限られた予算しかない、財政難だから、あれもこれもできない。』
頭では行政も市民も解っているはずなのですが、個々に判断する時には、なぜか、そのようなことは頭からすっ飛んでしまうのかもしれません。
まぁ、組織内で意志決定する際にも、「総論賛成、各論反対」はよくある話ですが···

市民に自覚があるとかないとか、そういう問題ではなく、市民は、いい意味でも悪い意味でも行政が決めたことには黙って従う(従わざるを得ないという表現のほうが正しいかも)傾向があるのだと思っています。
今回の財政危機宣言に端を発した様々な取組にしても、個人単位ではいろいろ不満を持っていらっしゃる方はおられるでしょうが、全体的には、しょうがないなという雰囲気ですから···。
したがって、私自身は、市民に、この事業は行政が行うべき事業かどうかの判断、理解を求めるのは正直、酷ではないかと感じています。
やはり政治がその方向性をしっかりとリードしていくことが必要で、選挙向けにいい顔ができるかどうかという基準で判断するのではなく、整合性のある政策、一貫性のある政策を市民に対しきちんと提示していくことが大事なのではないかと感じています。
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by kkamoike | 2009-08-21 20:26 | 三木市政

何ができるかではなく、先ず何がしたいのかを考えるべきじゃないんですか?

米田さんもて木さんのブログに総務文教常任委員会の内容がアップされています。
何でも、下石野分校跡を改修し、「別所ふるさと交流館」を整備するとのことですが、目標利用者数をクリアするためのより具体的な活用方法については、今から智恵を絞り直す必要があるとのことです。
いやはや何とも暢気な話ですね。


一般的に、施設をつくる際に「心」=「理念」=「想い」がないと、いくら立派な施設をつくったとしても、ただの「ハコモノ」になってしまいます。
これは、施設を検討する段階で、つくり手が第一に心得ておかなければならない、最も重要な点だと思います。


今、三木市では、統合病院をはじめとして、様々な施設整備が巨額の税金を投入して行われていますが、それぞれの施設に、このつくり手の「心」=「理念」=「想い」というものが十分に描けていない段階で、整備に着手してしまうと、その施設の利用者はもちろん、そこで働く人たちにとっても、魅力的な施設にはなり得ないということを十分に頭に入れておく必要があります。
サービスを提供する立場の人を「劇を演じる役者」に置き換えるとするなら、その脚本(シナリオ)に魅力がなければ、役者にいい演技を期待することなどできないということです。当然、観客を呼び寄せることも、喜ばせることもできないということです。


ところで、三木市では、歳出を抑制するための職員数削減によって生じる人的サービスの低下を、市民パートナーやボランティアなどの、いわゆる「市民力」の活用によって補っていこうとしているわけですが、このような人たちの力を借りる上で重要な要素というのは、(その事業に携わることに対する報酬など、お金の支払い義務がほとんど生じない分)まさにその施設のコンセプトや意義、そこで行う事業の魅力といったものであって、それらの要素が従事する人の意欲に大きな影響を及ぼすということです。
逆に、事業自体に魅力がなければ、事業を手伝おうという意欲を起こす人は、誰も出てこないということを覚悟しておかなければなりません。


いずれにしても、施設を整備してから何ができるかを考えるのではなく、施設を整備する前に何がしたいのかを考えるべきなのです。
その上で、その内容が、施設利用者はもちろん、施設で働く人たちにとっても共感を得られるものであるのかどうかを事前にリサーチしておくというのは、民間にとってはごく当たり前のことです。
それにしても、こういう旧態依然とした役所の体質から、未だに抜け出せないようでは、いつまでたっても税金の無駄遣いを改めることなどできないのだと思います。
「財政危機宣言」を発している全国で唯一の市なのですから、市長も議員さんも、もっと真剣に、もっと危機意識を持って仕事に取り組んでください。
頼みますよ、ホントに。
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by kkamoike | 2009-08-19 22:25 | 三木市政

病院問題を見つめ直す(その3 ~統合病院という選択~)

病院問題を見つめ直す
最後は、三木市が選んだ「統合病院」という選択肢について考えてみたいと思います。

1回目で取り上げた「医師不足の問題」、2回目に取り上げた「財源問題」、この2つの超難問を同時に解決する道は、「統合病院」しかない!
そう断言されたかどうかはわかりませんが、これまでの経緯の中で市民や市議会を巻き込んだ議論が全くといっていいほどなかったところを見ると、ほとんど、市長の独断で決まったといっても過言ではないでしょう。
政治家の仕事は決断することですから、それはそれでいいのかもしれませんが、十分な下地が整っていなかったり、しかるべきタイミングでなかったり、根本的な問題を先送りにしたままの状態での決断は、「無謀」としかいいようがありません。


以前より、「雑感日記」のrfuruyaさんが取り上げてこられたとおり
医師不足の問題、赤字の問題は、三木市に限ったことではなく、日本全体の構造問題であるはずなのですが、統合病院ができれば、全てバラ色に解決されると考えているところに大きな誤解があるのだと思います。
さらに、看過できないのは、先日の記事に対するコメントでピーマンさんが指摘されたとおり、『市長の政治生命にかけても···』という説明だけで事業に邁進したということ、さらには、現病院の赤字経営に至った原因などの検証や、構造的部分の改革に着手せぬまま、統合病院にシフトさえすればすべての問題は必然的に解決できるというような印象を市民に与え、十分な説明がほとんどされてこなかったという点です。


そこには、市民とともに今ある問題を共有し、良いことも悪いことも、便利になることも、我慢してもらわなければならないことも、みんなひっくるめて市民にぶつける中で、市民と一緒に三木市に真に必要な地域医療の体制、あり方とはどのようなものなのかをともに考える覚悟というものが見られない、それどころか、市民が抱える可能性のあるリスクには一切触れることなく、耳障りの良いことしか発信しない姿勢は、1年後に迫った市長選挙に照準を絞った下心があったと思われても仕方がありません。
本当に、「統合病院」という選択肢しかなかったのか···




①「医師の偏在が問題だといいますが、専門医は偏在させなければ力を発揮できません。専門医は都市の大病院に"偏在"させ、広範な症状を基本的に診ることができる総合医をあまねく地域に行き渡らせるべきです。それには、住民も専門医信仰、総合病院信仰を棄てなければなりません」
(兼古稔 北海道上富良野町立病院副院長のコメント)

②医師不足が現に生じていて、できる範囲の医療、「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」に絞っていかなければ立ち行かないのに、国民全体がそのことを理解していません。その地域でどんな医療機関が求められているかを絞り込んでいかなければならないと思います。医療が進化していく中で、地域に合った、そして医療機関に合った医療提供の在り方というのがあると考えます。(伊関氏のコメント)




「統合病院しか選択の余地はない」という前に、もっと考えなければならなかったことがあったのではないか···。
伊関先生のコメントからそんなことを強く感じました。
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by kkamoike | 2009-08-17 22:28 | 三木市政

病院問題を見つめ直す(その2 ~自治体の財源問題~)

病院問題を見つめ直す 2回目は、『自治体の財源問題』を取り上げます。


当たり前のことですが、三木市民病院は三木市あっての病院なわけです。
市民病院を維持する前提には、三木市の健全財政の実現が必要不可欠です。
市の財政力と公立病院の診療レベルは間違いなく比例するものだからです。
診療レベルが高い病院があるにこしたことはないわけですが、逆に、市の財政力に見合った医療体制というものをきっちりと考えておかないと、たちまち市も病院も立ち行かなくなってしまうのだと思います。


ところで、三木市の「財政危機宣言」は、そもそも現在の市民病院の経営を維持することを目的に発せられたものだったわけですが、現在の悪化した経営に対するしっかりとした検証や具体的な構造改革に着手することもないまま、向こう5年間、真に必要な市民サービスを削ってまで、現状の病院体制を維持しようとするとんでもない宣言なのです。


これまで何度も言っていることですが、立派な病院があるにこしたことはありません。 しかし、行政の仕事は、病院オンリーではないのです。 また、財源(税金)をいくら注いでもいいというわけではないのです。
今、市が負担している状況を当たり前の水準だと思っているのではないですか?
はっきり言って、今の状況は、向こう5年間、今の病院経営を維持するためだけに、現行の市民サービスを提供するために必要なお金だけでなく、将来の子どもや孫たちのために残しておかなければならないお金までも食い尽くしていることと同じなのです。


どうも、市長も議員も、そのあたりの感覚が麻痺しているのではないでしょうか?
所詮、自分たちのお金ではないから、いくらでも際限なく、そして、医療という聖域をダシにして、市民に我慢を強いることで何とか経営がやりくりさえできれば、結果オーライぐらいの考えしか持っていないのではないかと感じずにはいられません。


前回の記事で、市民2さまからこんなコメントをいただきました。
私も全く同感です。
統合病院という簡単な答えを出す前に、今の経営状況の悪化を分析し、その上で、市の財政力、さらには地域の実情にあった医療体制の確立を目指す発想、その可能性について議論する機会がどうして持たれなかったのか、まったくもって、自分たちの責任を放棄しているとしか思えません。
私たち三木市民は、統合病院になっても赤字で多額の税金が必要となり、他の必要なサービスがどんどんどんどん削られることになるのではないかということを心配しているのです。




最後に、伊関氏のコメントから病院経営、自治体財政に関連したものをご紹介します。
① (病院経営には、自治体の)一般会計からの繰入金がありますが、自治体本体の財政も厳しく、支出には限界があります。資金の余裕はどんどんなくなっており、余裕がないことで、医療の質の維持のための再投資ができなくなる。再投資ができないから、競争に負ける。さらには現金を使い果たして一時借入金で借金生活。一度借金生活に入ると、どんどん借金が積み上がっていくことになります。北海道の夕張市総合病院では39億円の借り入れを抱えていました。借り入れも、企業債は地方交付税の裏付けもあるし、毎年の返済額が明確ですから、住宅ローンのようなものです。ところが、一時借入金は金融機関からいつ「一括で返せ」と言われてもおかしくない、ある意味消費者金融に近い性格です。ジリ貧になっていると返す余裕はなく、積み上がった一時借入金が、突然の病院の「死」を招くことになるのです。
⇒参考 2007年度の地方公営企業法の一時借入金ランキング (ちなみに三木市は全国で65番目)

② (2009年5月25日付の琉球新報の県立病院のあり方についての特集への寄稿より)沖縄県立6病院の財務状況は全国的に見ても最悪のレベルにある。2008年度の80億円の一時借入金については、総務省の病院特例債30億円(今後5年で返済することが予定されている「借金」である)と09年度から3年間一般会計からの繰入金を08年度の70億円から15億円上乗せした85億円とすることで解消される見込みであるという。
しかし、病院会計に現金がなく、借金の返済に追われている状況には変りはない。
高度·専門化した医療に対応するには、最新の医療機器や多くの医療スタッフなど投資を必要とする。
借金の返済を迫られているということは、新たな医療への投資の余力がないことを意味する。
必要な投資が行われないまま時間が経ち、病院の魅力が劣化することで優秀なスタッフや患者が離れ、経営が破綻した自治体病院は少なくない。
「本気」の県立病院の経営再建を進め、医療への安定した投資が行える体制を確立することが必要である。

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by kkamoike | 2009-08-15 18:24 | 三木市政

病院問題を見つめ直す(その1 ~医師不足の問題~)

元埼玉県庁職員で、自治体病院に勤務した経験を持つ伊関友伸さんは、自治体病院の経営問題に関して積極的な発言を続けてらっしゃいます。
「夕張問題」では市総合病院の病院経営アドバイザーなども務められていました。
あらゆる機会を通して感情論ではなく、熱い情熱と冷静な目で原因を掘り下げ、解決策を示しておられます。
そんな伊関氏が対談の席で発言されたコメントを参考にさせていただきながら、自治体病院を取り巻く問題点とこれからの地域医療のあり方を3回に分けて考えてみたいと思います。
1回目は、『医療制度改革に伴う医師不足を初めとした問題』を取り上げます。



まず、伊関氏のコメントをご覧ください。
①医療崩壊を起こさない、地域医療を守るという観点でみれば、総務省の公立病院改革ガイドラインは財政面に偏りすぎだ。3年をめどに収支を改善しろというのは、「もっと稼げ」、医師不足が深刻でも「入院ベッドを埋めろ」などということになり、医師のやる気をそいで退職させてしまう結果にもなりかねない。まず優先するべきは、地域医療を守ること。そのためには、医師不足の現状で医師が働きやすい環境をどうつくるのか。その議論を飛ばして、財政的な理由だけから病院を譲渡·廃止することになれば、混乱するだけだ。

②地域住民や議員にも、医師不足の原因の一端はあると考えています。公の病院ということで、好き勝手に振る舞う。軽症でも休日·夜間に受診するコンビニ救急がとても多いし、タクシー代わりに救急車を使う人もいます。飲酒して受診し、現場でトラブルになる事例も少なくないようです。こうした状況に対し、事なかれの行政は何も言えません。議員は、住民の代表として、住民に節度ある受診を訴えるべき立場にありますが、逆に特別扱いを要求したり、よく勉強をせず思い込みで「病院たたき」をする例も少なくありません。その結果、志のある医師ほど心が折れ、病院から立ち去ってしまう。そうした結果が、「医療崩壊」なんです。

③近年は首長選挙でも病院が争点になることが増えてきた。悪いことではないが、感情ではなく、きちんと議論がされるべきだ。政争の具にして首長や議員が口を出せば出すほど、医師がいなくなり地域医療は崩壊していく。

④すべての公立病院が厳しいわけではなく、医師が集まる病院と集まらない病院に二極化している。集まらない病院では残った人の負担が重くなってさらに辞めていくという悪循環になる。医師の待遇を改善し、やりがいのある態勢をいかにつくれるか。そこに地域がどう知恵を絞るかだ。




やはり、自治体病院が抱える問題の根底には、医療制度改革による影響、とりわけ「医師不足」の問題が大きく横たわっていることがよく見てとれます。
また、医師不足は単に、医師の数だけに起因するものではなく、医師を取り巻く全ての状況や環境とがセットになって、医師の疲弊を招いているのだとあらためて感じました。
したがって、医師不足の問題を改善していくには、ある病院単独の問題だけと捉えるのではなく、地域住民の理解や、他の医療機関との連携体制の構築など、ソフト面も含めたとろこをしっかりと議論していかないと、根本的な医師不足の問題解決にはならないのだと感じました。
私たち三木市民は、これらの問題をうやむやにしたまま(医療体制の見直しや再構築の確立をまたぬまま)で、新しい病院建設に着手したところで、また、病院から医師がいなくなるような事態にならないのかを心配しているのです。


最後に、ある番組で、伊関氏と対談された平井愛山 千葉県立東金病院院長のコメントを参考までに。
「もはや大学に頼ってみても地域の医療の再生はありません。地域に必要な医師を地域で育て上げることが必要です。それには、住民はもちろん、開業医や地域の薬剤師の協力が欠かせません。自(みずか)ら医師を育てる地域のみが医療を確保できる…これが医療再生のキーワードです」
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by kkamoike | 2009-08-14 21:19 | 三木市政

「徘徊」=「末端市場のマーケティング」⇒「戦える組織」

経営を考える際、物事の捉え方、判断一つで、最終的にもたらされる効果は、大きくも小さくもなるということを常に念頭に置いておかなければなりません。
例えば、単純な足し算や引き算だけで物事を考えていい場合と、ブロックのおもちゃのように、いろいろなパーツを自由な発想で組み合わせたり、繋げたりすることで、様々な仕上がり具合になるよう試さなければならない場合があります。
これを「まちづくり」に置き直せば、いろいろな相乗効果をもたらすような政策をトータルで考えるということになるのでしょうが、その可能性を求め、ああでもない、こうでもないと考える「遊び心」という要素も、実は経営を極める上で非常に重要な要素になるのではないかと感じます。
しかしながら、これはリーダーだけの力でできるものではありません。
「3人寄れば文殊の知恵」ではないですが、やはり組織全体がそのような発想の下、政策を議論できる風土をつくる必要があるのだと思います。
それには、リーダーと部下との信頼関係の構築が何よりも重要となってきます。


そんな中、武雄市長物語に「採用Tube」という記事がアップされていました。
さらに、この記事をもとに、熱烈な武雄ファン、樋渡ファンでいらっしゃるrfuruyaさんが、ご自身のブログで「役所のなかを徘徊する樋渡市長さん」と題した記事をアップされました。
キーワードは、「徘徊」=「末端市場のマーケティング」です。


この2つのブログの記事はまさに、冒頭の経営に必要なポイント、抑えどころがしっかりと網羅された内容だと感じました。
さらに、これらの記事を通して、感じたことは、組織の内部を掌握すること、すなわち、リーダーと部下との間にしっかりとした信頼関係が築けていない状況では、対外的な戦略もおぼつかなくなるということです。
日頃の行動、日常業務の中の一つ一つの行動に意味がある、そこにマーケティングのヒントが隠されているということです。
組織の内部を掌握することと、市場の動向や顧客のニーズを掴むことは、決して別の次元の問題ではなく、深く密接につながっているのだと感じました。


『私としては、とにかくやる気·前向きな人たちに門戸を叩いてほしい。公務員は安定しているからとか個人的な理由ではなく、このまちを自分たちの手で良くするんだ、という人たちと一緒に仕事をしたいと思っています。』
これは、樋渡市長がブログの中でおっしゃっておられる言葉です。
ありきたりの表現かもしれませんが、こういう公務員像をリーダー自らが自分の言葉でしっかりと示し、仲間として受け入れる意思を明確に示すことで、
公務員自身の意識も変わり、その結果、市民の公務員を見る目も必然的に変わってくるのではないかと感じました。
馬鹿の一つ覚えのように、ただひたすら「意識改革」という言葉ばかりを口にするよりもよっぽど実効性のある、部下の心に響くメッセージだと感じました。


先日、ご紹介したワタミ(株)の創業者  渡邉美樹氏の著書『「戦う組織」の作り方』には、こんなことが書いてあります。
(抜粋)
会社というのは、それぞれの人間が勝手な考えを持って動いている烏合の衆ではない。
ワタミであれば、私の目指すものに共鳴した人が、「ワタミで働きたい」と扉を叩いてくれている。
つまりワタミは、同じ志を抱いた人間同士の集まりだ。
(略)
社員の志を一つにまとめ上げるビジョンやミッションが示されていない会社や部署は、社員がてんでんバラバラの意見や考え方で動くことになる。
そして「根本的な部分で、同じ仲間」とは、とても言えないような集団ができあがる。
これではリーダーが部下を、部下がリーダーを信頼できない関係になっても仕方ないだろう。
問われるのは、「リーダーがしっかりと夢や志を持てているか」どうかだ。
そして「チームとしてどんな仕事を成し遂げたいのか、その思いをきちんと部下に伝えられているか」どうかだ。
このベースが脆弱だと、組織において信頼できる人間関係は成り立たない。



同じ、「徘徊」でもこちらの市長さんは、どうにもこうにも手が付けられないようです。
このリーダーが率いた組織の行く末がどうなっていくのか、また、まちづくりがどのように進められ、住民にどのような結末がもたらされるのか···
別の意味で注目しています。
それにしても、ブログや報道の記事を見るたびに暗い気持ちにさせられます。
少なくとも、自分自身も批判している組織の一員であるということ、そして、その組織を引っ張るリーダーであるという自覚ぐらいは持っていただきたいものです。


さて、三木の市長さんはどちらのタイプなのでしょうか?
前者のような良い意味での「徘徊」を積極的に行っていらっしゃるのでしょうか?
万一、「徘徊」を軽視しているとすれば、市民の目線に立った市政運営の実現は難しいかもしれませんね。
そういわれないためにも、がんばってどんどん「徘徊」していただき、部下との良好な信頼関係を築いていただきたいものです。
間違いなく、それが市民サービスの向上にもつながるわけですから。
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by kkamoike | 2009-08-12 20:33 | マネジメント

自治体行政における目標とは

真さまからこんなコメントをいただきました。
関西社会経済研究所のページに自治体の2006年度の財政状況をまとめた資料が発表されています。
市長交代時のもの。
この資料を見る限り、2006年当時、三木市の財政に危機的な状況を見出せません。
(この数字は前市長時代の財政を受け継いで間もないもので前市長の市政運営による指標と取れるでしょう。)
それから、3年後の「財政危機宣言」。
市のHPでは、その要因として
·景気低迷
·人口減による税収減
·国県の行革による収入減
·市民病院の経営悪化による支援増を挙げています。
景気低迷を除いて、それ以外の部分は当初から分かりきっていたものや市長のマニフェストで自らが解決するべき事案(=病院経営)であったはず。
ということは、この3年で現市長が財政運営を失敗したとしか考えられないのです。
そのシワ寄せが、花火大会の中止などと思うと非常にやるせない気持ちで一杯。
·怖ろしいほどの箱物行政
·議会軽視(議会もしっかりして欲しい)
これまでも、こういったことに是々非々でコメントされていますが、でも、言わずに いられない。



今回は、このコメントをもとに記事を書きたいと思います。
まず、コメントの中で紹介していただいた資料の中で興味深かった部分を抜粋します。
自治体の財政健全性に関する調査研究結果の概要(財団法人関西社会経済研究所 平成21年7月28日)
(抜粋)
『予算の枠を超える、「身の丈」を超えた支出を多くの自治体が行っている現状においては、財政運営の健全性を高める取組は不可欠である。
しかし、健全性の改善は自治体行政における目標ではない。
財政制約を重視することは適正な自治体運営の前提要件であるが、自治体運営において重要なことは、地方自治法第2条が定める「地方効用団体は、その事務を処理するに当たっては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果をあげるようにしなければならない」を実践することである。
地域住民に独占的に行政サービスを供給することから、効率性に対する関心が薄くなりがちだ。
これは自治体の宿命ともいえる。しかし、いま自治体に求められているのは「最小の経費で最大の効果」をあげることであり、民間企業と同じ「(行政サービス)生産主体」として行動することである。
その結果として、財政の健全化が実現される。
これが地方行財政改革の本来の姿である。
それでもなお財源不足が残るなら、そのときには住民に負担増や行政サービスの切り下げを求めることも検討しなくてはならない。
自治体には地方財政健全化法の限界を認め、その先を見据えた地方財政運営を行うことが期待されている。』



非常に、示唆に富んだ文章ですね。
この文章には、至極、当たり前のことが書かれているわけですが、ともすれば、我々は、政治家の言葉を鵜呑みにした結果、本来の行政サービスのあり方を見失ってしまっているのかもしれません。
ポイントは冒頭の
『財政運営の健全性の改善は自治体行政における目標ではない。』という部分です。
すなわち、自治体行政における目標は財政運営の健全化ではなく、あくまで、住民福祉の増進を図るため「最小の経費で最大の効果」をあげることで、財政の健全化はその結果によってもたらされるものだということです。
もちろん、身の丈に合わない過剰なサービスを提供しつづけることで、財政が傾くなんてことは、絶対にあってはならないことですが、必要以上に財政指標にこだわったり、体裁を整えるがために財政出動を制約することで市民生活に支障が出るのは本末転倒ではないかと感じました。


では、「財政危機宣言」を発した三木市の場合はどうなのでしょうか?
住民に負担増や行政サービスの切り下げを求める前に、「最小の経費で最大の効果」をあげるための「行政サービスの検証」はどれだけ行われたのでしょうか。
それよりも何よりも見過ごせないのは、当時の記者会見で、市長は自ら、三木市の財政状況が「将来負担比率が県内で第3位に位置するほど借金の削減に努めてきた」と述べる一方で、「健全化段階にある、体力のある今の段階にやっておかないと手遅れになるということで、あえて宣言に踏み切った」と述べておられる点です。
一見、真っ当な意見のようにも感じますが、このことは、上記の抜粋した文章に書かれてある内容、「最小の経費で最大の効果をあげなければならない」と謳われている地方自治法第2条の理念には反しないのでしょうか。


余力があるにもかかわらず、本来削るべきでない市民サービスまで切り下げる。
あるいは、どれだけ無駄があるのかの検証も十分になされないまま、市民サービスだけを切り下げる。
はたまた、「財政危機宣言」を発している自治体であるにもかかわらず、身の丈以上のハコモノを次から次へと建設する。挙句の果てには、将来にわたり大きな財政負担が目に見えている、病院建設、運営の維持管理経費などについて、必要な協議も十分になされないままどんぶり勘定で見切り発車する···。
はたして、本来の行政サービスのあり方を見失ってはいないでしょうか。
誤った考え方、偏った考え方に陥っていないでしょうか。
本来手をつけるべきではない事業や、今着手すべきでない事業にまで手を広げ、大風呂敷を広げていないでしょうか。
そのことで、本来力を注ぐべき事業が疎かになっていないでしょうか。
財政のつじつまあわせや体裁を整えることばかりに執着していないでしょうか。


もし、仮にこんな企業があるとしたら、顧客に喜ばれるサービスの提供などできるはずもなく、夢もときめきもないような企業に顧客が魅力を感じるはずなどありません。
本来の顧客サービスのあり方、事業の見直しや検証を忘れ、現状を維持することだけに執着する···
そんな後ろ向きな姿勢の企業に明るい未来などありません。
まぁ、これも行政だから、今は潰れずに済んでいるのかもしれませんが···。


私たちは、もう一度、今の三木市の「改革」という名のもとに行われている取組、その方向性をもう一度見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
そして、藪本市長は、次回選挙時のマニフェストにおいて、今後5年間で行財政改革に取り組むことで、一体どれくらいの効果額を見込み、その財源で、どのような新たな政策を展開し、最終的に三木市をどのようなまちにしていきたいと考えているのかを具体的に示す責務があると思います。



最後に、お二人のブロガーが投稿された「花火大会」の記事に寄せられたコメントで、私が共感したものをいくつかご紹介します。
たかが花火大会、されど花火大会です。
これらのコメントには、行政サービスのあり方を考える上でのヒントが凝縮されているような気がします。


やまかずさんのブログ
Aさん
三木市が、日本一美しいまちやって。笑わせるなって感じやね。
心の問題。心が貧しすぎるわ。
市長も、今まで、金の計算ばかりしてきて、あんまり楽しんだ事がないんと違うかな。
だから、人の気持ちを高ぶらせるって事が、あまりできないんと違うかな。
···
こんなしょぼい花火大会ですら、中止にせざるをえん三木市に不安を感じますね。


ジーン影虎さんのブログ
Bさん
二言目には財政難!ほんまに色々考えたんかなぁ?ってのが正直な意見です。
ここに書き込みされている方々の方がよっぽど考えておられますよね。

Cさん
こう言う些細なものを削って、大きな無駄遣いは放置というのが日本流の経費削減の大原則ですから。
こう言う不況の時は、人が動いて消費してお金を回さないと景気回復にはならないのに、損して得取れって発想もないんでしょうね。

Dさん
なんとかならんものでしょうかね。
観光誘致の一環としてとか···
その土地の風習の伝統行事にまで財政改革の荒波がきましたか。
そのわりには扱いが小さい様な気がします。
同じ行事でも、なまはげや、御柱祭りが財政問題で中止になったりしたら全国クラスの騒動になるでしょうに
要は、無い袖でも振る振らないは人の決めることだと思います。

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by kkamoike | 2009-08-04 19:46

「子育て支援」で感じたこと、もろもろ

8月に入り新聞やテレビなどのマスコミは盛んに各党のマニフェストを取り上げています。
その中で各党が共通して重点を置いているのが、子育て支援です。
その政策を見てみると、自民党が「幼児教育の無償化」、民主党が「子ども手当 中学まで月2万6千円」となっています。


少子化の要因の一つに育児の経済的負担があることは否定しません。
ですから、そういう点からすれば、今まさに、「育児」真っ只中の人たちにとっては、ありがたい政策だといえるでしょう。
もらえないよりもらえるほうがいい、有料より無料のほうがいいのに決まっていますから。
しかし、こうした経済的支援だけで、子育てが安心してできるかというとそうでもありません。
この方もご自身のブログで、独自にリサーチした内容をもとに現状を書き綴っておられますが、私もやはり最終的には、所得を向上させ、安定した雇用を将来にわたり継続的に確保していくことが、安心して子育てができる環境づくりへとつながっていくのだと思います。
一方で、政策の対象を、今、子育てしている人だけに限定しているのも不十分ではないかと感じます。
お金がないから子どもが持てない世帯も多いわけです。
ともすると子どものいる家庭よりも子どものいない家庭の方が経済的に余裕がないケースも少なくないわけですから、やはりそのような人たちも視野に入れた政策、ビジョンを各党には示していただきたかったのですが···。
まぁ、そうなると、国民全体の所得向上、雇用の安定というマクロの話になってしまうわけですが、本来、政治には、そのあたりの政策や考えをもっと私たちに分かりやすく明確に打ち出してほしいと思うのです。
まぁ、今の政治の限界がそこにあるのかもしれません。


それともう一つ、今回の「子育て支援」というキーワードに関連して、以前から感じていたことをこの場で取り上げておきたいと思います。
三木市では、男女を結婚に結び付けようとする出会いサポート事業が行われています。
こんなことまで行政が関わらないといけないの?と個人的には思うわけですが、私が知らなかっただけで、最近は、他の自治体でもこのような取組が行われており、行政だと安心感があるのか、地域によってはおおむね好評を得ているところもあるというニュースがテレビで放送されていました。
ただ、私が今回言いたいこと、疑問に感じていることは、事業の中身ではなく、なぜ、この事業を担当する部署が「子育て支援課」なのかということです。
このような事業は、むしろ「男女共同参画」など、別の部署が受け持つべきではないかと思うのですが···。
なぜなら、価値観が多様化している現代において、結婚の目的は、子どもをつくることだけではないからです。逆に、結婚しなくても子どもを持つ人だっているわけですから。
そのあたりのことに配慮が出来ない、無神経さをこの担当部署の割り当てから感じるわけです。
当然、三木市が行っている子育て支援策はこれだけではないのでしょうが、こういう事業を子育て支援の一環で行っていると胸を張って言える、行政としての「人権意識」にも、私は疑問を感じます。


8月は「人権尊重のまちづくり推進強調月間」です。
みんなで「人権」について考える機会にしたいものですね。
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by kkamoike | 2009-08-02 11:03