どうぶつのつぶや記

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政治家に向く人、向かない人~東国原ショックから~

東国原知事や橋下知事の動きが話題となっています。
今回の両知事の言動には、賛否両論あるようですが、これまでの首長としての取り組みに関して言えば、国を舞台に活動している人たちよりも、知名度も実績の面においても国民から高い評価を受けている面が多いのではないでしょうか。これは、大阪や宮崎に限らず、今、まさに地方を席巻している名物首長さんたちにもあてはまることだと思います。


一方、国会議員はといえば、今回の東国原知事の件でも、あからさまになりましたように、自分たちのテリトリーを侵されようものなら、すかさず、国と地方は根本的に違うのだという話を持ち出す人や、一から勉強してから大口を叩けなどと先輩面をきかせる人たちがいます。
東国原知事だからどうという訳ではなくて、あくまでも一般論ですが、全く逆のケースで見れば、国政に関わる立場からいきなり地方のトップになる人なんていくらだっているわけですから、大臣や国会議員だけ、経験がものをいう理屈は通用しないと思います。
まぁ、これが永田町の論理だということなのかもしれませんが、この辺りの空気が読めないようでは、いつまでたっても国民から期待される政治は実現しないと思います。


リーダー、特に政治家なんて、国や地方に限らず、何年やっても向かない人は向かないのです。
プロスポーツの世界と同じで、努力や経験だけで民衆を引っ張っていくほどの指導力が備わるというものでもありません。
政治の世界においても、力を発揮できる人というのは、他人とは違う何かを持っている人であることは間違いありません。


少なくとも自分が凡人の部類に入ると思っているような人や民衆の心を掴む自信が持てないような人は政治家には向いていないのだと思います。
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by kkamoike | 2009-06-30 19:53 | リーダーの条件

全ての政治家が同じ土俵に立つ時代がやってきた

国と地方、昔と今とでは、そのイメージは大きく異なってきたように思います。
それは、地方に個性、リーダーシップともに強烈な首長が数多く台頭してきたからかもしれません。
しかし、まだまだ地方の温度差はピンからキリまであるのも事実です。


「卵が先か鶏が先か」ではないですが、地方から国を変えるのか、国を動かさなければ地方は変わらないのか···。
これはある意味、永遠のテーマなのかもしれません。
しかし、一つだけはっきりと言えることは、これまでのような、国政、県政、市政、それぞれの求められる役割が明確に区分され、お互いのことに口出しすることすら阻まれていた時代から、政権交代の可能性、本当の意味での国から地方への権限移譲という可能性といった期待が高まる中で、新たな枠組みづくりと役割分担を担っていくという、これまでの常識にとらわれない意識とそれ相当の覚悟が国にも地方にも必要になってくるということです。


そのためには、大臣、知事、市長、国会議員、市会議員問わず、全ての政治家がこれまでの常識ではもはや通用しない時代がやってきていることを前提に、国民や市民に対して、国や地方のあり方と、その中での自らの役割を明確に示し、今、自分が何を考え、どういう行動をとろうとしているのかを、自らの言葉でしっかりと語れる政治家でなければ有権者の心を掴むことは到底できないのだと思います。


全ての政治家が同じ土俵に立ち、新たな枠組みづくりを考えていく時代がやってきているのだと思います。
政治家は、国民や市民に対し語りかけてなんぼです。
政治家に沈黙は不要です。
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by kkamoike | 2009-06-29 22:25

市の経営者としての責任を放棄した市長と受け狙いの判断しかできない議員たち

6月市議会、職員給与の削減条例が共産党を除く賛成多数で可決されたそうです。
市長は、市民病院の長期貸付を行わなかった理由として、職員の給与費削減の目途が立たなかったためと恥ずかしげもなくおっしゃっていますが、本当に病院を何とか立て直したいしたいと思うのなら、削減案が継続審議になったからといって、すぐに経営改善への取組を自ら投げ出すようなことをするのではなく、削減が実現するまで何が何でもしのぐべきだったと思います。
さらに、削減がいつまでも実現しないのでは話になりませんので、経営者として、きちんと労使交渉の席で話を付ける努力が必要だったわけです。
しかし、残念ながら、今の市長には、危機的状況の中で本気で自分が管理する組織や人たちと真正面から向き合う気概も覚悟もなかったということです。


市長が市長なら議員も議員です。
給与費削減については、前回、労使間の合意がなされていないからという理由で継続審議に至ったと記憶しています。
今回、共産党の大眉議員さんのブログで紹介されている反対討論の全文によると、依然、合意がなされていないため共産党は反対という立場を取っておられます。
一方、前回の3月議会で継続審議にしておきながら、今回、賛成に回った議員の方たちからは、最終日に賛成討論すらなされなかったようです。
前回同様、労使間での合意がなされていないにもかかわらず、なぜ今回は賛成したのか、その説明責任がまったく果たせていません。
私からすれば、
「職員からの受けも大事だから一回ぐらい反対しとこか」、
「今回は、いつまでも反対していたら市民の受けが悪くなりそうだからそろそろ賛成しとこか」
というぐらいの判断だったとしか受け取れません。
これなら、最初から賛成している、「市長派議員」と揶揄されている方たちのほうが、判断の中身はともかく、まだ一貫性があるだけマシです。
なんだかんだ言って、皆さん、本当は「市長派」なんじゃないんですか?
ちょっと反対するポーズを見せているだけなんじゃないですか?
まさか独裁政治に陥りやすいオール与党体制なんてことないですよね?···


「前回反対して、なぜ今回賛成したのか」という一番大事な部分について、しっかりとした賛成討論もしないまま簡単に賛成に回るぐらいなら、最初から反対などせずに賛成しときなさいよと言いたいです。
それこそ、まさに時間とお金の無駄遣いのなにものでもありません。
そして、それが原因で、わずか数年後に統合に伴い廃止されることが決まっている現在の市民病院のために、本来、その必要のなかった外部監査費用まで支払わなければならなくなってしまい、自ら廃止、縮小などの決断すらできない市長の策略に、これいいことにまんまと乗せられてしまう始末です。


三木市が全国初の『財政危機宣言』が発せられたのもわかるような気がします。
市長さんも議員さんも一体何がしたいんですか?
三木の政治家さん、もっと市民のことを第一に考え、行動してくださいよ。
そしてお願いですから市民の税金を無駄にしないでください。
本当に危機意識持っておられますか?
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by kkamoike | 2009-06-27 00:01 | 三木市政

私の憧れる政治家

今回の『武雄市長物語』、「マニフェスト」について書かれてあります。
まさに、これこそが「マニフェスト」っていう内容に出会えたような気がします。
マニフェストの中身、その評価や市民へのフィードバックのやり方など、見習うべき点はたくさんあるように感じました。


マニフェストについては、当ブログでもこれまで、批判めいたことをいろいろと書いてきました。
しかし、それは、マニフェスト制度を頭から否定する意味だった訳ではなく、
何かその目線の先が、私の思い描くまちづくりの方向性に合いなれない中身に受け取れたり、
本当にその公約が市全体のことを考えたものなのかどうか疑問だったり、
単なるパフォーマンスにすぎないものと受け取れたりしたためです。


マニフェストで、どれだけ候補者がまちづくりの「夢」を語ることができるか
マニフェストで、どれだけ市民が「夢」を描けるか
マニフェストで、どれだけみんなが「夢」に向かって力をあわせられるか
マニフェストで、どれだけ「夢」が実現できるか
マニフェストで、どれだけ次の「夢」に向かって挑戦しようという意欲が掻き立てられるか
···


みんなの幸せを心から願い、マニフェストで「夢」を語り、実現に向けて努力できる政治家、
そして、マニフェスト項目を一つ一つ実現するごとに、市民との間に揺るぎない信頼関係が築ける、
そんな魅力ある政治家に私は憧れます。
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by kkamoike | 2009-06-25 20:34 | みっきぃふるさとふれあい公園

報酬以上の働きをしてくださればそれでいいのです

佐賀·上峰町長の給与半減案否決 最年少首長の公約に議会反発(共同通信) 06月19日 17:57
佐賀県上峰町議会(定数10)は19日、武広勇平町長(30)が提案した町長報酬(月71万円)を50%削減する条例改正案を否決した。武広町長は3月、当時29歳で全国最年少の現職首長として当選し「財政が厳しい中、独身の自分に現在の給与はふさわしくない」と給与カットを公約に掲げていた。しかし、ほかの自治体に首長報酬削減が広がることを懸念し、条例改正に反対する声も上がっていた。採決結果は賛成3、反対6。


いやはや、この手の公約、いつになったら収まるのかと心配していたのですが、ようやく佐賀県のある町の議員がストップをかけたようですね。
それにしても、この「報酬○○%カットします!」という類いの公約ですが、どうも候補者の事情や下心が見え隠れするような、あるいは公約として正々堂々とした中身でないような気がして、正直、私は嫌いです。納得がいきません。
「自身の給与をカットする」と言えば聞こえは良いかもしれませんが、大体においてそれは空疎なパフォーマンスに過ぎないと思うわけです。


そもそも報酬が高いというのであれば、当選後に適正な報酬額をみんなで決め直せばいいわけで、少なくとも今回の記事に出てくるような、「独身だから···」とか、例えば「家がお金持ちだから···」「夫婦共働きだから···」などというような個人的事情に左右されるような形で、勝手にカット率を決めてしまったり、まして、公約に掲げ、政争の具にするべきものではないと思うのです。
報酬は決して「小遣い」のような性質のものではないわけですから。


それとも、自らの報酬を○○%カットできないような人は首長になる資格はないとでもいうのでしょうか?
それなら、お金持ちか、記事で取り上げられているような養う家族がいない独身者などしか政治家になる資格はないというのと同じです。
はたまた、他の候補者の追随を許さないがための公約なのでしょうか?


やはり、財力がある人もない人も、どのような生活レベルや条件の人であっても、平等に政治家に挑戦できるような環境を保つことが必要ではないかと思うわけです。
報酬カットの問題は一人の個人(候補者)レベルでどうこう決める問題ではなく、方向性を示したり、問題提起までくらいに止めるべきで、適正な金額をどれくらいにするのかは、みんなで決めるべき問題だと思うのです。


ところで、今回の記事で取り上げられた町長さんですが、
同じ「独身」をアピールするなら、報酬カットという中身のない政策で勝負するのではなく、若者の発想でもっと斬新な政策を打ち出し、『町長の報酬以上の働きをして、きっちり皆さんに満足感をお返しします!』というぐらいの意気込みを選挙戦の中で語って欲しかったと感じたのは私だけでしょうか。


それにしても、この手の公約を掲げる候補者には、別のところに下心があるか、これといった中身のある政策を打ち出せない自信のなさの表れかもしれませんので、候補者を選ぶ際にはその辺りのことに十分注意を払う必要があるといえそうです。


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by kkamoike | 2009-06-23 21:55 | マニフェスト

政治家は、まずは自分の頭で考え、自分の言葉で語ることからはじめるべし

自分の住むまちで進められようとしている政策や事業が、今本当に必要なものなのか、一体どれぐらいの投資効果があるのかということなどは、なかなかわからないものです。
広報紙を使った都合のいい内容のみを流す情報操作は頻繁にされるけれども、肝心なことはほとんど明らかにされないまま大きな事業が次から次へと私たちの知らない間に進められようとしている現状を見ると、正直不安になってきます。
今般の国の経済対策に伴い実施される事業もまた、地元経済を活性化させる事業?という大義名分のもと、旧三木駅跡地の整備費、旧玉置家の用地購入費といった予算が今回の6月議会に提案されています。
しかしながら、これらは今年度だけで事業が完結するというものでもなく、複数年にわたって多額の費用負担、財政出動が伴う大型事業であるはずです。
「財政危機宣言」を発した極めて異例の状況にある自治体が、世界的な経済危機の中で打ち出された国の政策の主旨をよく分かった上で、将来の三木市にどれだけの経済効果をもたらすと判断して事業を採択しようとしているのか、本当にそれに値する中身なのかどうかと考えてしまいます。


なぜこんなことを突然言い出したのかというと、「三条市長日記」のこんな記事を読んだからです。
三木市と同じ「金物」という地場産業を持つ三条市の市長さんは、今回の国からの経済対策の意味を自分のまちの特徴や課題に置き換え、分析し、自分の言葉でこんな風に考えを議会や市民にわかりやすく伝えておられます。
主な部分を、そのまま抜粋させていただきますが、

『時間が勝負の〝超短期的な措置〟とは違い、中期的展望に立った経済対策は必然的に事業規模も大きく、後年度への財政の影響もしっかりと見通す必要があり、各分野にまたがっている経済危機対策に係る補助メニューを紐解き、三条市にとって効率のよい、国の補助金を最大限活用した対策を作りこんでいく必要があると思っています。
そのためには、時間が必要です。とても、6月定例会には、間に合いませんでした。
次の9月定例会を視野に入れながら、〝パズル〟を組み立ててまいりたいと思っております。
しかし、無節操なパズルは禁物です。
次の中期対策のキーワードは〝産業(+観光)〟に加え、〝教育〟と〝環境〟と考えています。
まだまだ、経済対策と格闘する毎日が続きそうです!!』



ふむ、三木市でも、多くの政治家がいらっしゃいますが、果たして、三条市長さんが考えていらっしゃるようなことをきちんと理解した上で、今の三木市にとって本当に必要な政策や事業を考えておられるのかどうか。
疑うわけではないですが、どうも安易に判断しているんじゃないの?と感じずにはおれません。
「国の補助がもらえるから、有利な市債を借りれるから・・・」
単にそれだけの理由で事業を前倒しして実施するというだけのものなら、この際、三条市長さんを見習い、もう一度じっくり、後年度への財政の影響などもしっかりと見通してから採択するべきかどうかを決められるほうが良いのではないかと思います。
正直、私自身は、これまで「借金」が完全悪だとこれっぽっちも思ったことはありません。
ただ、今の市長は、前回の選挙の際、借金を「いけないもの」=「悪」と仕立て上げ、そのような借金に依存する当時の市政運営を完膚なきまでに痛烈に批判してきたわけです。
その結果、いわば彼の「借金」に関する公約が支持され、当選に至った経緯を考えると、当時の彼の考え方と、今の考え方にはかなりのズレといいますか、ギャップが生じてきていると思わざるを得ないのです。
そして何より、全国でただ一つの『財政危機宣言』を発した自治体なわけですから、その状況から見ても、4年前の選挙時よりも、財政状況は悪化の一途を辿っているのです。


そんな中、通常よりも有利な市債を充てることができるからといっても借金には違いないわけで、後々、交付税で見てくれるといっても、国の財政事情も考えると、本当にあてにできる保証はどこにもないのです。
およそ4年前、借金に依存している財政体質を痛烈に批判していた人が、今、まさに当時のやり方と全く同じ手法で借金を膨らませようとしているわけです。
時代の背景が、当時はバブルによる景気対策、今は世界的な経済不況による景気対策の違いだけでやっていることも、国が地方を動かす口実(『あとあと、交付税で面倒を見ますよ』というような甘い口約束)もまた同じなのです。


三条市長と三木市長。
やはり、政治の世界も企業と同様、最終的には、「人」のようですね。
まぁ、市長に限らず、議員も政治家の分類になるわけですから、市長の言われるまま、何の疑問も持たず、ズルズルと政策をスルーするだけの役割しか果たせないようでは、話になりません。
政治家の質といいますか、レベルによって、政策を考えるスタンス、スタートラインの位置が全く違ってきます。
結果、おのずと到達するゴール(まちづくりの姿)も違ってくるということです。
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by kkamoike | 2009-06-22 19:20 | みっきぃふるさとふれあい公園

おかしいことをおかしいと受け取れる感性



リーダーになってもらいたい人の条件、

それは、

頭が良い、行動力があるにこしたことはないけれども、やはり、基本は、おかしいことをおかしいと普通に感じられる人でなければならないと思う。

なぜなら、そういう人でないと、他人の気持ちを汲むことはできないし、他人の目線に立って仕事をすることなどできないと思うから。
さらには、せっかくの頭の良さも、せっかくの行動力も全て違う方向に空回りしてしまうと思うから。
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by kkamoike | 2009-06-20 09:17 | リーダーの条件

公約(マニフェスト)

<阿久根市>庁舎使用取り消し 市職労が無効求め近く提訴へ(6月17日12時4分配信 毎日新聞)
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が庁舎内にある市職員労働組合(落正志委員長、203人)の事務所使用許可を取り消したのは地方自治法違反だとして、市職労は近く、取り消し無効を求める訴訟を鹿児島地裁に起こす。落委員長は「労使交渉ではらちが明かず、司法に委ねるほかないと判断した」と話している。
竹原市長は出直し市長選(5月31日)で市職労について「市民の税金を不当に使うことばかりしている背任組織」などと激しく非難し、「市職労事務所の追放」を公約。失職前の4月、来年3月までの事務所使用許可を決裁していたが、再選後の6月11日、「許可条件に疑義が生じた」として許可を取り消し、7月11日までの退去を命じていた。
自治労県本部によると、地方自治法は行政財産の使用許可取り消しには
(1)公共のために使う必要が生まれた(2)使用者が許可条件に違反した--のいずれかの要件が必要と規定しており、「今回の処分は該当せず違法」としている。
一方、竹原市長は17日、毎日新聞の取材に「人の家(市役所)に上がり込んでおきながら、『出ていけ』と言われて提訴するとは。あきれた話」と、市職労を改めて非難した。
市職労は市条例に基づいて78年から市庁舎内の「機械棟」の一室(50平方メートル)を無料で使う契約を結んできた。08年4月からは電気·水道代約1万5000円を支払っている。



この組合の事務所問題の他にも何かと話題を全国に提供されている阿久根市の竹原市長ですが、もう少し他のやり方はないものなのかと思ったりする部分があるのですが、阿久根市民は、この市長のやり方を支持したということなのですから、関係ない部外者が口を挟む余地はないわけです。
これが三木市の場合だと、私のような口煩い市民が文句を言おうものなら、たちまち「コンサバティブ」のレッテルを貼られてしまうでしょうか。


それにしても候補者が掲げる「公約(マニフェスト)」も大きいことから小さいことまでいろいろあるようです。
これらの「公約」もまた、当選した時点で「民意」というお墨付きを得たものとなり、具体的な政策として着実に推し進められていくことになるようです。


しかし、この「公約」、市民が全てを理解しているわけでもなく、実際のところ個々に承諾しているわけでもありません。
また、理想と現実のギャップを埋めることすら出来ずに、その事実が最後まで市民には知らされないでうやむやにされてしまうことだってあるわけです。
三木市の場合で言えば、市長の退職金の公約がその典型的な例といえるでしょう。


こうして見ると、一口に「公約」と言っても本当に実現可能かどうかわからないものまで掲げている悪質なケースも候補者によっては見受けられるわけですから、過大広告の審査ではないですが、第三者がその公約自体の信憑性などを選挙時に審査するプロセスや機関を設けることも、今後は必要になってくるかもしれません。


全然中身が違うと言われるかもしれませんが、公職選挙法では、選挙期間中のブログの更新が禁止されているそうです。
日々地道に発信していることが制限される一方で、こういったその場限りともとれる過大マニフェストの制限が設けられていないのも考えものではないかと個人的には思うのですが···。
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by kkamoike | 2009-06-19 19:55 | マニフェスト

「民意」の中身を見極めることが大事

一連の病院統合に向けた重要事項の決定、前回の補正予算での事業決定の経緯などを見ていると、
「あなたたち素人の市民は知らなくてもいいのですよ。決まったことにただ従っていればいいだけですから」
と言われているようにも感じます。


一方で、話がこじれて政策が暗礁に乗り上げようものなら、自ら有利なアンケートを実施して、答を誘導したものを「民意」と見做し、政策を強引に推し進めようとします。


本当は、「民意」なんて糞くらえと思っているくせに、都合のいい時だけ「民意」を持ち出し、あたかも市民の意見に耳を傾ける姿勢を示しているようにも受け取れます。

「民意」など最初から聞く気持ちがないなら、最初からそう言えばいいのにとも思いますが、市長は時に「民意」を必要以上に持ち出すことがあります。
もちろん、「民意」とは、支持者の声でも、ある特定の市民の意見でも、自ら都合のいいようにでっちあげたアンケートによる結果でもないのですが、一連の対応を見ていると、どうも、私には「民意を笠に着た暴政」としか思えないわけです。

前政権の政治手法を批判し、「政治を市民の手に取り戻す」というようなスローガンのもと選挙戦を制し、今の市政が推し進められてきたと想像しますが、そこには、その政策が必要か必要でないかとか、有益か害があるのかなどの論点以上にモノを言っているのが「民意」であるように思えてなりません。


「必要な政策かどうか」ではなく「民意があるかどうか(=市民の支持を得た市長の政策·判断なのかどうか)」が全ての基準になっているとすれば、私たち市民は、その「民意」の中味を厳しく問い、見極めていく必要があるといえます。
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by kkamoike | 2009-06-17 20:25

「市民が望んでいることだから」、「市民のためだと判断したから」・・・。 だから?

今回の6月議会の一般質問の内容は、FMで放送されていたものを家族に録音してもらい、気になる議員の質問のみ選んで聞きました。
三木市も、開かれた議会を目指すのであれば、
武雄市に倣い、議会のやり取りをYou Tube で流す試みでもされたらどうでしょうか?
そうすれば、昼間働いている私たちのような世代はもちろん、子どもからお年寄りまで、職業などを問わず、好きな時間に、聞きたい政治家の発言をチョイスして聞くこともできると思います。ぜひご検討をお願いします。


今回の議会もそうでしたが、本来、議論されなければならない内容がきちんと議論されない背景には、ある意味、議会の様子がオープンにされていない状況に、政治家、特に市長自身が胡坐をかいてしまっているからではないかとあらためて感じました。
私が胡坐をかいていると感じた部分を何点かピックアップしますと、
聞かれていることに対して、誠意を持って応えようとする気がない。
相手の言い分に耳を傾け、質問している相手を説得させる気がない。
自分の主張、言い分だけを繰り返し、述べるだけ。
自分に都合の悪い質問にはまともに答えない。
挙句の果てに、相手を馬鹿にしたことを平気で言う。などなど
そのような意味から、正直、中身のない一般質問であったと評価しています。


ところで、今回の議会で、繰り返し、市長が述べた「市民主権」という言葉に則った、
「市民が望んでいることだから」、「市民のためだと判断したから」・・・
という類の発言の数々、黒嶋さんのブログに掲載されている病院統合に関する市長の答弁にも随所に出てきますが、実は、これほど他人任せで無責任な発言はありません。
これらの言葉には、仮に事業が失敗した場合、「市民の皆さんが望んだことですからしょうがないですよ。」という言葉で片付けられてしまう、まさに裏返しの意味が含まれていることがおわかりにならないのでしょうか?
そこには、選挙で選ばれた市長という重責を担う覚悟や責任感といったものは全く見られません。
市長は「政治生命に賭けて」というような発言もされたようですが、一体、市長の考える「政治生命を賭ける」とは、何をどうすることなのか、機会があれば一度議員さんから尋ねられてはどうでしょうか。


また、仮に、為政者の中に、市民の希望に応えようとする気持ちがあったとしても、「市民が望んでいること」と「市民のためになること」は必ずしも一致するとは限りません。
市民の望み通りの政治が行われたからと言って、それで市民が幸せになるとは限らないのです。
小泉改革が良い例です。(刷り込まれたものであるにしても)それは間違いなく、国民の望みでしたが、今もなお、国民の生活は悪化を続けており、その負の遺産は小泉の後継者さえ苦しめる有様です。小泉内閣による医療制度改革などは、その最たるものといえるでしょう。
もっと身近なわかりやすい例でいえば、図書館などもそうです。
流行りの本をタダで手元に置きたい、そんな市民の望みに答える一方で、市民の需要に乏しい専門書を廃棄する傾向にある公立図書館が出てきているといいます。
そのような姿勢に何の疑いも抱かないとしたら、あまりにもバランスを欠いた政策判断ではないかと私などは考えるわけですが、それでもなお、目先の歓心を買うことを選び、流行りの本をタダで手元に置き続けることこそが「市民の目線に立った」運営だと居直ることも同じようなことだと思います。


政治家が政策を判断する際に「市民が望んでいるかのどうか」という客観的な判断はもちろん必要です。
しかし、単にそれだけをもって最終的な意思決定の要素にしてしまうこと、さらには、決断の理由を聞く相手に対して、そのようなことしか理由として述べない姿勢、述べられないのは、あまりにも無責任な態度であり、政治家としての責任を果たしていないばかりか、最終的に失敗したときの責任を免れるための逃げ道をあらかじめ作っているようなものなのです。
「市民が・・・」という理由では、説明責任を果たしているとは言えないということです。
肝心なのは、自分がどう判断して、決断したかということです。
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by kkamoike | 2009-06-12 19:23 | 三木市政