どうぶつのつぶや記

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給与カット、これも『手段』であり『目的』ではありません

前回の記事でこんなことを書きました。
(前回の記事の内容)
統合病院建設の総事業費130億円~200億円だそうです。
費用の面で合意した割には、かなりのドンブリ勘定といいますか、上下幅ありすぎるような気がしないでもないのですが、とても全国初の「財政危機宣言」を発した自治体とは思えないくらい大胆な行動です。
これでは、給与カットされる職員の方たちもたまったものではないでしょうね。
自分達の削減された給与によって捻出された財源が湯水の如く、しかも中身もしっかりと示されないまま使われるとあっては、モチベーションも下がるわけです。
我々市民にしてみても、病院は必要なものだからいくらかかってもしょうがないなどと悠長なことを言っている場合ではありません。


これに対し、
三木市民さんからこんなコメントをいただきました。
(三木市民さんからのコメント内容)
公務員の給与カットを比較にだすのは話が違うと思います。
折角の良い内容が···市民目線から遠のきます。

さらに、三木市民さんからのコメントに対し私の思いをこんなふうに述べさせていただきました。
(私のコメント内容)
三木市民さま
コメントをいただき、ありがとうございました。
病院統合(病院経営)の話に職員の方たちの給与カットを持ち出すのは筋違いではないかというご意見、確かに私自身も日頃からそのとおりだと思っていますし、このブログにも以前、その考えはおかしいと書いたことがあります。
にもかかわらず、今回、あえて給与カットを持ち出したのは、今回の財政危機宣言の発端が病院経営の失敗であり、その具体的な解決方法が、病院経営の抜本的な改革には踏み込むことなく、職員の方たちの給与カットのみに頼る安易な姿勢しか見せていないことに対する反論の意味も込めて、皮肉の意味も込めて書かせていただきました。
今回の記事でお感じになったことと同様、置き換えれば、市長のやっていることも、結果、筋違いのことをされていることとなり、支持率アップを狙った市民受けはあっても、市民目線とはならないのではないでしょうか。
少々ムキになってしまった感があり、大変失礼しましたが、これに懲りず、また率直な感想をどんどんとぶつけていただければありがたいです。
あらためて市民目線の記事となるよう心掛けてまいりますので、今後ともよろしくお願いします



コメントを書いた後、自分自身、少々投げやりといいますか、乱暴なイメージのコメントを、思いつくまま書いてしまったような気がしてずっと引っかかっていました。
それは、私自身の考え方がうまく整理できていなかったのが原因なのかもしれません。
···ということで、前置きが長くなりましたが、今回の記事の内容は、昨日からもやもやしていたものを少しでもすっきりさせるために、今、自分で思うことを、三木市民さんへの再度のコメントという意味も含めて書いてみたいと思います。

給与カットとは、
ある目的を達成するための、「財源配分」という手段の一つだと思っています。
それは、市長や議員も含めた市で働く全ての方の給与がカットされたからといっても、私たちの税金が安くなるわけでも、還付されるわけではなく、別の用途に回されるからです。
以前にも『「手段」と「目的」を取り違えるな』という記事をアップしましたが、この給与カットについてももちろん、「手段」であって「目的」ではありません。
「給与」であれ、「建設事業費」であれ、私たちが支払った税金であるのに違いないわけで、大事なことは、どんな用途であっても、支払った税金が、きちんと適正に使われているかどうかということです。
「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、給与カットを議論する際、給与カットそのものの是非を議論することはもちろん大事なことですが、それ以上に大事なことは、カットした分の使い道や使い方をどうするのか、適正に執行していくにはどういうことに気をつけていけばいいのか、克服すべき点は何なのかといったことについて、しっかりとした議論をしておく必要があるということです。


「給与として支払っても、どうせ適正な使われ方などされるはずがない」
「病院建設事業だから適正な使われ方がされるはず」
といった、このような根拠のない思い込みは非常に危険です。
念のため言っておきますが、私は、決して給与カットに反対しているわけではありません。
本当に、どうにもならない状況であるなら、そんなことを言っている場合ではないということぐらいは十分承知しています。
今回の継続審議の件に関しても、市長が職員組合と話し合いをし、双方が納得しさえすれば、これほど大層に騒ぎ立てるほどの問題ではないはずです。
単に市長としての交渉能力、説得させる力がないだけのことなのに、議会に責任を押し付けるなどもってのほかです。
そして何より、私は、給与カットそのものが許せないのではなく、問題の核心から目をそらし、その場限りの給与カットで三木市の将来を左右する大問題を先送りしようとする姑息で怠慢な姿勢が許せないのです。


繰り返しになりますが、
給与カットした分が、最終的に、どのような目的でどのような内容に使われるのか、そのことを一番に考えなければなりません。
なぜなら、市民目線から見れば、どちらの用途に使われる財源も私たちから支払われている税金に何ら変わりはないからです。


病院の問題に真正面から向き合うことなく、危機に陥った病院経営をそのまま維持していくために必要な財源を捻出する目的で給与カットを行ったところで、
抜本的な見直しをしないまま、いくら税金(財源)をそっちに回したところで、何の解決にもならないのです。
そのことを、私たち市民もそろそろ気づき、注視し、声をあげていく必要があるのではないでしょうか。
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by kkamoike | 2009-05-30 08:35 | 三木市政 | Comments(2)

50億円の行方と・・・

建設費用の負担均等に 三木、小野統合病院(神戸新聞)
三木、小野市が計画する市民病院統合で、両市は二十五日、新病院建設の費用を原則的に両市で均等負担する、と発表した。人口は三木市が多いが、小野市内で建設することなどを考慮した。病院建設協議会設置が遅れたため、開業目標を当初の二〇一三年四月から、同年十月に半年間延期する方針も明らかにした。
神戸大も参加した第一回協議会が二十四日に開かれたことを受け、両市の市長が会見した。
人口は三木市が約八万人、小野市は約五万人で、統合病院は小野市内に建設する予定。それらを総合的に判断し、均等負担とした。
総事業費は、計画では約百三十億円だが、今後の協議で病床数(計画は四百床)の増加などが浮上すれば、百三十億円-二百億円程度に膨らむ可能性もあるとした。
協議会は当初、昨年末から今年一月の開催を予定していたが、費用負担を含めた両市の協議や、神戸大の人選に時間がかかったため、五カ月ほど設置が遅れた。
今後は、今年十一月に基本計画を策定、二〇一〇年二月にも一部事務組合を設立し、作業を進める。
三木市の薮本吉秀市長は「今後の自治体病院のあり方を左右する事業。絶対に成功させなければならない」と強調。小野市の蓬莱務市長は「将来を考え、長期的な視点で取り組んでいきたい」と話していた。


三木·小野市民病院統合構想:事業費は均等割り、両市合意 /兵庫(毎日新聞)
◇11月めどに基本計画
三木市と小野市の市民病院統合計画で、薮本吉秀·三木市長と蓬莱務·小野市長は25日、三木市役所で会見し、事業費は均等割りで合意したことを明らかにした。診療規模は400床(事業費約130億円)~500床(同200億円)で、11月をめどに基本計画を策定する。
費用の負担割合は▽均等割り▽人口割り▽所在地割り(建設地)で検討。人口は三木市が多く、建設地は小野市となるが、「将来の地域医療を考えて一緒に建設する」との考えから均等割りとした。
統合病院計画は、神戸大医学部が提案して昨年11月に両市が合意。従来のように自治体が病院を建設し、大学が医師を派遣するのではなく、高度医療や専門医の養成ができる医学部付属病院の機能を備えた「北播磨総合医療センター」を目指している。
両市は今月24日に統合病院建設協議会(会長、坪田紀明·兵庫医科大客員教授、11人)を設立。神戸大医学部付属病院副院長ら同協議会のオブザーバー2人と、医学部教授ら8人による「ワーキンググループ」の意見を聞きながら基本計画をまとめる。開院時期は当初予定の2013年春から半年遅れの同年秋を目標にしている。


今回は、関連記事の全文を掲載させていただきました。
ふむ、統合病院建設の総事業費130億円~200億円だそうです。
費用の面で合意した割には、かなりのドンブリ勘定といいますか、上下幅ありすぎるような気がしないでもないのですが、とても全国初の「財政危機宣言」を発した自治体とは思えないくらい大胆な行動です。


これでは、給与カットされる職員の方たちもたまったものではないでしょうね。
自分達の削減された給与によって捻出された財源が湯水の如く、しかも中身もしっかりと示されないまま使われるとあっては、モチベーションも下がるわけです。
我々市民にしてみても、病院は必要なものだからいくらかかってもしょうがないなどと悠長なことを言っている場合ではありません。


それにしても、行政が発信する情報と、市民が必要とする情報は、かならずしも一致しないものだと日ごろから所々で感じているわけですが、特に、今回の統合病院に関する情報は、発表当初から内容といいタイミングといい、チグハグしているような、そんな気がします。
まぁ、いろいろと水面下でこそこそとやってきたようなものですので、しょうがないと言えばしょうがないわけですが。


さて、本題にもどりましょう。
統合病院の建設事業費ですが、当初発表した資料では、総事業費は130億円でした。その内訳の中で、建物の積算が80億円(400床×@2000万円)となっていました。
今回、500床で200億円になる可能性もあるということですが、仮に1床あたりの単価が同じだとすれば、単純計算で見積もっても20億円の増加となります。
では、残る50億円は一体何に使われるのでしょうか?
建物のグレードを上げるつもりなのか、はたまた、当初の見込み誤りなのか、それとも、大学に言われるがまま費用のかかる最新鋭の医療機器を揃えないと手を引くよなんて言われちゃったのか···。
冗談はさておき、いずれにしても、はっきりとした説明はないままです。


そしてもう一つ、気がかりなことがあります。
それは、病院完成後の維持費の費用負担です。
現在の市民病院は年間20億円もの赤字が出ていたと記憶しています。
医師不足が原因とはいえ、今後、バラ色の計画で赤字から黒字に転換すればいいのですが、そんな保障はどこにもありません。
建設費の負担をどうするかを決めることも大事なことですが、将来どのような負担割合で病院事業を小野市と一緒に進めていくのか、そのことに関してもきっちりとした合意を今のうちから取りあわせておくことが、大事業を進める為政者の役目であると思うのですが。


(追記)
今回の記事、雑感日記で取り上げてきださいました。
さすがです。
説得力抜群です。
「無茶苦茶な計画?」
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by kkamoike | 2009-05-28 21:20 | 三木市政 | Comments(11)

アンケートと議会の審議

前回の続きです。
アンケート結果の捉え方は、人それぞれ異なるでしょうが、アンケートの実施にあたっては、対象者の選定方法などいろいろな面で偏りがないようにしなければなりません。
とりわけ質問の内容に偏りがないというのが大前提となります。


例えば、
「公共施設の無料化」について賛成か反対かを聞くとしましょう。
同じことを聞くのでも、設問の表現の仕方によって、その判断は異なってきます。

(設問1)
公共施設を全て無料化することに賛成ですか?反対ですか?
(設問2)
公共施設を全て無料化にした場合、他のサービスにしわ寄せが来たり、施設を使用する人、しない人との間に不公平感が生じるなどの問題が指摘されていますが、公共施設を全て無料化することに賛成ですか?反対ですか?

いかがですか?
当たり前の話ですが、(設問1)の内容なら、そのことによって生じるであろう不都合な点や問題点などに気づかなければ、だいたいの人は、賛成に「○」を入れるのではないでしょうか。
今回のアンケートで決定的に抜け落ちているのは、(設問2)で表現されているようなマイナス部分(=問題点)もひっくるめた事の詳細がありのままに説明されていないということです。


このように、正しい判断をする上で必要な情報を隠したままの状態で得られたアンケート結果が、はたして、本当に正しい「民意」といえるのかどうか···。
単なる市民の「願望」を「願望」のまま置き留めるのではなく、直面する現実の問題をきっちり伝え、その上で冷静な正しい選択をしてもらう。
そのようなプロセスを経て得られた結果こそ、本当の意味での「民意」だと私は思うのです。


そして、議会で審議すべきことは、このような欠点まみれのアンケートによる「賛成」、「反対」の割合の検証に終始することではなく、政策自体があらゆるケースにも耐え得る内容なのかどうかを徹底的に検証することだと思います。
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by kkamoike | 2009-05-22 19:33 | 三木市政 | Comments(8)

市長は議員という存在を貶めるな!議員は自らの活動で得た「民意」を信じ議決に反映すべし!

6月議会から、会派の構成が変わるそうです。
いろいろな思惑があってのことだと思いますが、政策の判断にあたっては、くれぐれも会派を優先するあまり自らの判断を歪めてしまうのではなく、最後まで自らの政治信念を貫く姿勢を見せていただきたいものです。会派や政党のつまらない面子にこだわった判断ではなく、冷静に「民意」をとらえ、議員一人一人の良識に基づいた行動を期待したいものです。


以前、当ブログに前回の議会で否決された案件に関する市民アンケートが実施されているとの情報をいただき、その内容をファイルで提供していただきました。
市長は何を勘違いしておられるのかわかりませんが、おそらく議会で認められなかった案件を市民アンケートを実施することによって、その結果を「民意」とみなし、その結果如何によっては、議会に無理やり承認させようという魂胆なのでしょう。
これは3月議会の閉会のあいさつの内容、そして、先日の広報みき5月号特集、シンポジウムのビラに書かれてある内容とアンケートの中身を比較しても明らかです。


しかし、アンケートの結果はあくまでアンケートの結果でしかありません。
なぜなら、議会制民主主義の下では、無作為のアンケートによって市の重要事項を議決するシステムはないからです。
もしそんなことがまかり通るのなら、議員など一人もいらないわけです。
この辺のことについては、もし市長の論法に異を唱えられない議員がいらっしゃるのなら、即、議員を辞職していただかなければなりません。


もう一つ、これは、以前にも当ブログで申し上げたことですが、議員の方たちは、提案された内容の是非を判断するためにあらゆる関係者や機関からの聞き取りや独自調査を行っているのです。
そこで得た情報量というのは、素人である私たち市民よりも圧倒的に多いのです。
それらの活動によって得た情報と、これまで蓄えた知識と経験に基づき、政策の本質や問題点、真の「民意」などがどこにあるのかを見極め、適切で、良識ある判断を下すことこそが議員の仕事であるはずです。
そして、我々市民は、それらの崇高な権限を持った議員を選挙で選び、わざわざ高い報酬を支払っているのです。


次回は、アンケートの結果の捉え方、議会で本来議論すべきことについて書いてみたいと思います。
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by kkamoike | 2009-05-21 22:45 | 三木市政 | Comments(0)

「未来」に対して責任を持つということ(続き)

前回の記事に対して、市民2様から多くのご意見、資料提供をいただきました。
rfuruya様からも「病院問題は、三木市の将来を大きく左右する大問題である」いうコメントもいただきましたが、この問題については、以前からもご自身のブログで事の本質に深く切り込んでおられます。
三木の市会議員の方に
民間移譲こそ最善の策

病院の統合が合意されるまでの間、三木市の地域医療がどういう状況になっているのか、将来の地域医療がどうあるべきか、その上でどう地域医療体制を構築していかなければならないのかなどについて、どれだけ市民を巻き込んだ真剣な議論がなされたのでしょうか。
市民2様がおっしゃるように、昔と今とでは、市民が市民病院に期待するものも、市民病院自体の役割も違ってきているのは間違いないと思います。
そして、医師不足をはじめとした公立病院が直面する厳しい状況は、三木市民病院だけに限ったことではなく、多くの公立病院にもあてはまることです。
さらに、統合病院が北播磨南部の拠点となるのであれば、三木市だけでなく、もっと広い見地から、広域の地域医療についての議論があってしかるべきではないかと思うのです。しかし、現実は、三木市も小野市もそのことについての具体的なことは触れず、沈黙を守ったままです。


生活圏の拡大や医療を取り巻く環境などが目まぐるしく変化しているにもかかわらず、導かれた結論は、三木市民病院と小野市民病院の統合という単純なスタイル、しかも神戸大学に丸投げともとれる他人任せの姿勢とあっては、結局、誰のための市民病院なのかと考えてしまいます。
まるで、『箱物は市で建ててください。あとはいいように使わせていただきます』
と言わんばかりの雰囲気を感じるのですが、このようなやり方と民間による病院経営と変わらない、いや場合によっては、民間のほうが自浄努力作用が働くだけましなんじゃないの?と私などは思ったりするのです。


三木市の場合、各地域に病院統合の説明にまわったと言っていますが、これも市民2様が指摘されるとおり、本来は、小野市との協議、交渉に入る前に行うのが、議員に対しても、市民に対しても筋であって、話し合べきう中身もまた統合を前提としたものではなく、先ずはこれからの地域医療を模索する場にする必要があったのだと思います。
統合を前提とした説明など、市民に対し説明をしたという既成事実を作るためだけのものでしかありません。


まぁ、いつもの姑息な手段、常套手段と言ってしまえばそれまでなのですが・・・
任期中に結果を出したいという「はやる気持ち」もわからないではないですが、やるからにはきちんとしたプロセス、合意を取り付けていただいてから進めていただきたいものです。
自作自演の「財政危機宣言」をだしにした、行き当たりばったりでこのような大事業を勝手に進められても将来の子どもたちにとってはいい迷惑なだけです。
なぜなら、計画性のなさと焦りから生じる様々な問題の後始末は、すべて未来の世代が尻拭いをしなければならないからです。
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by kkamoike | 2009-05-19 20:26 | 三木市政 | Comments(2)

「未来」に対して責任を持つということ

先日の記事に対して、市民2様から医療問題に関する詳しい資料1資料2とコメントをいただきました。
(興味のある方はご覧になってください。)
それにしても、市民(医療を受ける側)にとって「医療」という問題は、身近で一番関心の深い問題であるにもかかわらず、恐ろしいぐらい、他人任せというか、自分で決めたくても決められないというか、口を挟んだり、入り込む余地のない「聖域」のようです。
ただし、崩壊寸前の状態でも現状を維持しようとする動きには好意的に受け止められる傾向があるのに対し、現状を変えようとしたり、今まであったものを無くそうとしたりすることについては、大きな反発を招きます。
だから、三木市の場合も一連の病院問題については、武雄市をはじめとした抜本的な改革に着手した事例とは対象的に、「行政に一任!」といった安易な流れ、他人任せな雰囲気を作っているのかもしれません。


市民2様からの資料を拝見させていただき、病院統合の必要性に関しての説明責任がまだまだ不十分だということを改めて実感しました。
また、資料でも指摘されていますが、医療機関側の見地に立った必要性ばかりを強調するのではなく、市民の側(医療を受ける側)に立った必要性も十分考慮しなければならないと感じました。
さらには、地域医療を見据えた中での統合病院の存在意義とその役割、民間病院との連携、その特色の違いなどももっと明確に示すべきです。
そうでないと、市民2様がおっしゃるように、「わざわざ統合病院をつくらなくても、機能的には、今ある民間病院で十分賄えるんじゃないの?」という、未だ多くの市民が疑問に感じていることに対する答にはなっていない気がします。
この点をうやむやにしたまま、統合が進んでしまっては、三木市の将来が本当に取り返しのつかない状況になってしまう気がします。

今からでも、
①現在の病院経営に一定の限界ライン(存続·廃止·規模見直しなどの目安となるライン)を設ける
②病院統合を白紙に戻し、前述で指摘したような不都合な内容も含めた全ての情報を市民に公開し、その必要性の有無を問う
以上の2点について、市に対し求めていくことは無理な話なのでしょうか?
つまらない内容で市民アンケートを実施し、税金を無駄に遣うくらいなら、この内容こそ、全世帯アンケートで実施するなり、住民投票を行うなりして、今の世代が責任を持って白黒をはっきりつけるべき内容だと思うのです。
このままでは、三木市の将来が、本当に心配です。


昨日の記事にも書きましたが、「時の為政者」による判断が誤っていたとしても、その損失は為政者がいなくなった後も、市民の肩にかかってくることとなり、子供や孫へと受け継がれていくのです。
それだけ「時の為政者」による判断はとてつもなく重いということです。
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by kkamoike | 2009-05-14 18:46 | 三木市政 | Comments(14)

政治家の特権と官僚(公務員)の役割、有権者の意識

未来をつくりあげるのは、政治家の力だけでも、官僚(公務員)の力だけでもできません。
私たち有権者一人一人の候補者を見極める力(目)も重要だと思っています。

私が考える「政治家」とは、
自分がしたいことを自らの意志で実現できる、実現しやすい立場にある人だと認識しています。
そういう意味では、政策の特徴やそれを実現するためのアプローチなどは、人それぞれ違って当たり前だと思っています。
当然、政治家の下で働く官僚(公務員)の立場からすれば、示された方向性や、決められた政策が市民にとって本当に正しい選択なのかといったジレンマに陥ることもあるでしょう。
しかしながら、そういった政治家の判断によってもたらされる全ての結果は、良い面も悪い面も全部ひっくるめて、結果的にその政治家を選ぶこととなった全ての市民(有権者)が受け止めるべき現実であると私は認識しています。


一方、このような政治家の利点?欠点?ともとれる部分によって進められんとする内容を出来るだけスムーズに処理していくことは官僚(公務員)の最低限の役割であると思うのですが、一方で官僚(公務員)にしかできない、政治家には真似できない部分があるのも事実です。
それは、任期があり、選挙で選ばれる政治家に対し、官僚(公務員)は退職するまで行政に携わることができるということです。
そんな官僚(公務員)が心得なければならないもの···
それは、その時代の為政者がいかなる政策を展開しようとも、現在の市民にとっても、未来の市民にとっても、その内容が最善なのかどうか、公平なのかどうかといった観点からの判断力、政策形成能力を備え、良識と常識に裏づけされたバランス感覚などを常に持ち続ること。そして、いかなる状況になろうとも、真の市民サービスとは何かということ、自分の知識と経験から掴んだ軸を見失わないことです。


当然、政治家もそのような観点に立った政策が実行できればよいのですが、選んだ政治家が、4年後の選挙のことしか頭になかったり、目先のことにしか目が行き届かない人、いわゆる「政治屋」だとしたら、市民にとってこれほど不幸なことはありません。
このような「政治屋」を生まないためにも、私たち有権者一人一人が、候補者がまちの将来を真剣に考ることができる人かどうかをきちんと見極められる力(目)を養うことも大事なことだと思います。
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by kkamoike | 2009-05-13 22:55 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(0)

「手段」と「目的」を取り違えるな

前回の記事の続きです。伊関友伸さんのブログでは、夕張に赴任した後の村上智彦さんの活動の足跡が詳しく紹介されています。
地域医療を考えるヒントもいっぱいつまっています。


病院経営をはじめとした医療問題については、三木も夕張に負けず劣らず破綻寸前の危機的状況のはずですが、なぜか夕張ほどの切羽詰った危機感は伝わってきません。
市民からすれば、市内はもちろん、三木市周辺に多くの医療機関が存在するということもあるのかもしれません。
それにしても、これだけ市政の根幹を揺るがす大問題にもかかわらず、表立って議論されているのは、人件費のカットだけ···
本当に大丈夫なのでしょうか?
統合の問題にしてもいまひとつ市民の関心が高まらないのは、神戸大学に丸投げしている印象が強いからなのでしょうか?


前々回の記事のコメント欄には、三木と小野との統合を進めて来た中心人物である神戸大学の関係者が新県立加古川病院の院長になるとの噂があり、医師の確保がままならなくなるのではないかという懸念が広まっているという情報を市民2様からいただきました。
あくまで噂のようですが、頼りにしているとはいえ、一個人がいなくなることで統合病院における医師の確保が危ぶまれているとすれば、その程度の関係しか築けていないことのほうが問題だといわざるを得ません。
ふむ、いろんな意味で、非常に心配です。


今の段階でいえば、三木小野統合病院の件も、昨日、樋渡さんがご自身のブログで指摘しておられた、民主党の小沢代表辞任に大義名分がないとおっしゃっていることとよく似てるな~と思うのです。
次元が違うとお叱りを受けるかもしれませんが···
『政権交代の実現は、手段であって、目的ではない』と、樋渡さんはおっしゃっておられます。
『病院統合の実現もまた、手段であって目的ではない』ことを、市は今一度、肝に銘じ、今こそ市民を巻き込んだ目に見える形の議論を重ねていく必要があるのではないのでしょうか。
しかし、今のように「統合」ありきで物事が進んでいるようでは、大義名分の中身がさみしくなるのも無理はないのかもしれませんが···。


将来、子や孫の世代にとって負の遺産とならないことを祈るばかりです。
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by kkamoike | 2009-05-12 19:18 | 三木市政 | Comments(11)

街をデザインする(夕張の希望の光)

夕張市は国策でつくられ、国策でつぶされた街です。
『このままいけば何年か後には、「夕張市」のようになります。』
私の住むまちのトップはそう言います。
夕張市のようになったら大変だ、夢も希望もあったものではない。
実は、私もそんな目で見ていました。


でもある本で、絶望の淵に立たされた「夕張市」を本気で変えようと考えている医師がいることを知り、夕張の未来への可能性を感じました。
その医師の名は、村上智彦さん
村上さんが描くプランは、「炭鉱」から「観光」で失敗した街を「健康」で甦らせるというもの。


村上さんいわく、夕張市には、ハコモノがいっぱいあり、温泉もある。空気もいい。夕張には杉がないのでアレルギー性鼻炎も少ない。花粉症に苦しむ人達が、ここで四ヶ月ぐらいアパートを借りてゆっくり過ごすという企画を考えているそうです。
そして、立派なスキー場もある。団塊世代が今後、次々と退職していく。スキーの好きな人は、退職後、ここに空き家を借り、スキー三昧なんていうプランもあるといいます。
夕張は、総人口に占める65歳以上の割合が、既に40パーセント超。全国で最も高齢化率の高い市の一つですが、だからこそ、お年寄りがいきいきと生きられるように応援したいのだそうです。村上さんは、医師として、閉鎖された市立総合病院を買い取り、十九床の有床診療所「夕張医療センター」をつくり、さらに、病棟を介護老人保健施設にして、老人医療とリハビリテーションができるようにしたそうです。
そして、当面の目標は、仲間の医師を一人でも多く増やし、やがてはいくつかの医療施設がこの地に根付き、連携を取って助け合うシステムをつくりあげることだそうです。


『彼は、夕張医療センターで儲けようなんて夢にも思っていない。街を元気にしたい。街を明るくしたい。再びたくさんの人がやってくる街にしたい、と目を輝かせる。彼なら、きっと達成できる。』
村上さんのことを良く知る鎌田實さんはそう断言されます。


どんなに苦しい状況にあっても、街を元気に、街の良さを最大限に活かすという発想を常に持ち続けることの大切さをあらためて実感しました。
人生も同じですよね。
現状をいくら嘆いても、前を向いて歩くしかないのですから。
どうせ歩くのなら、明るい気持ちで夢を持って進みたいものです。
「人生」も「まちづくり」も。
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by kkamoike | 2009-05-11 22:27 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(2)

世の中の流れや風潮が、人間(政治家)の器を小さくしていないか?

遅刻や発言回数は… 議員の「通信簿」作成 尼崎 (神戸新聞)


尼崎市の市民団体「市民オンブズ尼崎」は、現職市議四十二人の四年間の活動を振り返る「議員通信簿」を作り、公表した。本会議の遅刻、退出時間が延べ三十五時間を超えたり、常任委員会での発言回数がゼロだったりする議員も判明。次期市議選は三十一日告示、六月七日投開票の予定で、同オンブズの梅沢康弘代表世話人(61)は「市民から見える範囲で、客観的に評価した。選挙での一つの判断材料にしてほしい」としている。
(中略)
今回は四年間に行われた計四十三日の本会議をすべて調査。議事録も今年三月までに公表された全記録を調べ、一回十分以上の本会議遅刻、退出時間の合計▽五回以上発言した常任委員会の割合▽前回選挙時に市から受け取ったポスター作製などの公費助成額-など計七項目をまとめた。
その結果、本会議の遅刻、退出時間が五百分を超えたのは四人。最長は二千百三十六分だった。本会議欠席回数は三回以上が六人。二十二-二十五回あった常任委員会で、発言回数ゼロが五回以上だったのが六人。公費助成額は、最も多い議員で七十五万円を超え、最少の議員と比べ五十万円以上の差があった。



いろいろな活動をする方がいらっしゃるもんですね。
それだけ議員の活動が有権者には見えにくいということなのでしょうか、それとも単に程度の悪い議員が多いだけのことなのでしょうか。
それにしても、どこの自治体の議員もこんなにルーズな活動をしているの?(尼崎市が特別なだけ?)と、そっちのほうに目が奪われてしまいましたが、中身的には、「ふ~ん、そんな評価の仕方もあるんだぁ」という感想ぐらいで、とりあえず、「調査、ご苦労様でした」と一声かけてあげたいぐらいでしょうか。
このような客観的な情報も、確かに、「ない」より「ある」ほうがましなのかもしれませんが、ほとんど作成者の自己満足の世界なのでは?と私なんかは思ってしまうわけです。
実際、このような資料が自分の手元にあっても、これを参考にして、投票するかというとかなり疑問です。確かに、このような調査があることによって、規律を守らないと選挙に不利になるから···と考え、気をつけるようになる議員もいるのかもしれませんが···。


有権者が政治家に対して求めるものとは?
少なくとも、私は、まちづくりにどれだけ関心を持っているのか、熱意はどれだけあるのか、情熱をどれぐらい注いでいるのか、議員として守るべきものをしっかり持っているのか、どんなまちづくりがしたいのか、どれだけ有権者に自分の夢を語り、実行に移せるか···
理想と現実は大きく掛け離れているのは重々承知していますが、要は、遅刻、欠席などをカウントする減点方式、いわゆるマイナス評価ではなく、プラス評価、その人のセールスポイントを加点評価していくという発想からの基準で選びたいと思いますし、事実、政治家をはじめとしたリーダーにはそのような部分が特に求められてくるのではないでしょうか。


実際の施策も同じことが言えると思います。
削減一辺倒では夢も希望もありません。むしろ、まちづくりは萎んでいく一方です。
夢や希望が持てる施策をどれだけ有権者に打ち出し、実行できるか。
お金をかけなくても、実現できることもあるはず。
それは昨日の記事で紹介したような「思想」の持ち方によって、やり方は大きく違ってくると思います。
有権者が本当に知りたいのは、その人自身を作り出す「思想」という部分なのではないでしょうか。


決して、今回の記事にある取組自体を頭ごなしに批判しているわけではありませんし、政治家は規律やルールを守らなくてもよいとは思っていません。
ただ、上記で述べたようなその人の「思想」の部分を知るには、やはり、他人が客観的に評価するのには限界があると思います。
となると、やはり、政治家、あるいは政治家を志すもの自身が、選挙期間だけのPRだけにとどまるのではなく、常日頃から、どれだけ情報発信をして、存在価値を示せるかだと思うのです。
政治家がそのような意識を持って行動できるかどうかは、有権者が政治家のどのような部分に関心を寄せるかということに大きく左右されるのだと思います。


選挙の際の一つの判断材料にすぎないとはいうものの、政治家をマイナス評価で判断しようとする視点もまた、世の中の流れや風潮が、人間の器を小さくしてしまっているのと同様に、政治家の器も小さくしてしまうことにつながらないのだろうか。
今回の記事を読んで、そんなことを感じました。
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by kkamoike | 2009-05-08 23:02 | Comments(3)