どうぶつのつぶや記

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「意識改革」、「意識改革」というけれど

部下のモチベーションを上げる要素の一つに「フィードバック効果」というものがあります。
この効果をもたらすためには、取り組みや結果に対して評価される機会が与えられる必要があります。
上司の重要な役割の一つとして、客観的な評価を知る機会を創り出す、つまり、部下の仕事に対するフィードバックを行うことが求められます。

部下は、常に「計画的にやっているつもり」「頑張っているつもり」「わかりやすく説明しているつもり」であるはずですが、実際には「つもり」になっているだけのことも多く、必ずしも周囲の評価と一致するとは限りません。
この「ズレ」を上司が部下に対して客観的に伝えるためには、部下の仕事を正確に把握していなければなりませんし、上司自身が尊敬される仕事の進め方をしていなければ、部下に不満や不信感をもたらすだけの結果となってしまいます。

そのためには、まずは上司自身が「部下を把握しているつもり」になっていないかを、自らチェックする必要があります。

また、部下本人に改善を促すためのフィードバックをする際には、必ず、その原因や対策なども同時に伝えることが重要です。
ただ単に「悪い」と指摘するだけでは、部下のモチベーションを低下させてしまうことにもなりかねません。
「次に何をすべきか」という成功や改善への道筋を示すのと同時に、部下の現状を正確に映し出してあげることが、達成に向けたモチベーションを生み出すポイントとなります。

「意識改革」も同じです。
「意識改革が必要」と、ただただ念仏のように繰り返すだけでは何の効果も期待できません。
そういうことを軽々しく口にする上司のほうこそ、本当の意味での「意識改革」が必要といえます。
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by kkamoike | 2008-10-31 21:59 | マネジメント | Comments(0)

「精神論」とマネジメント

三木市の「財政危機宣言」、一時期に比べると、しらけムードからなのか、期待感が持てない表れなのかはわかりませんが、あまり話題に上ることはなくなりましたが、依然、私の周りの評判はよくありません。
果たして、このような「ショック療法?」ともいうべきやり方で、まちは本当に元気になり、再生していくのでしょうか。
今後の展開を注意深く見守っていきたいと思います。

さて、トイレ掃除のときにも感じたことですが、「みんなで力や知恵を絞ればなんとかなる。」とか、「行政はもちろん住民側にも意識改革が必要」などといったいわゆる「精神論」を振りかざすことによって、この危機的状況を克服できるといった錯覚がマネジメントの根底にあるように感じてなりません。

しかし、みんなが知恵を出し合い、協力し合うという、前向きな気持ち、雰囲気を生み出すためには、実はこんなときだからこそ、逆転の発想で、底抜けに明るく、みんなが元気になる方法や仕組みを組織の内外で作り出し共有していくことが大事なのではないかと思います。
例えば、市が畑を耕し、種をまいたことで、こんな芽が市民レベルでも出て来るような流れを至るところで作り出すイメージです。

また、人の性格に置き直して考えた場合、自分ではコンプレックスの部分や人から欠点だと見られている部分であっても、ちょっと視点や発想を切り替えるだけで、セールスポイントになったり、長所としてとらえられるようになったりするように、まちづくりにおいても、そのまちにしかない魅力、まだ掘り出されていない隠れた魅力を探し出し、それを最大限に活かしていこうという意識から新しい発想や展開が生まれてくるのだと思うのです。

そのような試みに何度も挑戦し、いくつもの可能性を探っていくことでみんなの意識が変化し、自分たちの自信へとつながり、新たなパワーが生み出されてくるのではないかと思います。
そして、そのようなチャレンジを部下や市民にばかり求めるのではなく、トップ自らも実践し、市民の心に響く行動をとることが大事なのではないかと感じます。
そのような意識や行動もない中で、ただ職員や市民にアイデアの提示や意識改革を求めたところで、期待する成果が出てくる可能性は低いといえるでしょう。

今回の記事、特に、「精神論」に頼ったマネジメントがもたらすものについては、自分の力ではうまく表現しきれませんでした。
「マネージメントが精神論だけを語りだしたら…」というブログ記事にわかりやすく解説されていますので、ぜひそちらをご覧ください。
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by kkamoike | 2008-10-29 20:20 | マネジメント | Comments(8)

rfuruyaさんの言葉、樋渡さんの言葉

前々回の「お客様満足と自己実現」という記事は、rfuruyaさんのこんな記事の中にあった「CS」という言葉から端を発して書いたものでしたが、その後、rfuruyaさんのエキサイトに補足説明が、goo にはさらに発展的な内容として「目線がどこにあるのか?」という記事が書かれています。
そのgooの記事の中で、こんな記述がありました。


『いろんなものごとに『対応する目線』が近すぎるのだと思う。
企業も行政も、『もっと遠く』を視野に入れるべきだと思っている。
行政の首長さんも、近くばかり見て、選挙の票を持っている人たちばかりを意識する、『選挙運動のような』行政をやられすぎである。
武雄の樋渡さんが面白いと思うのは、
目線が武雄市以外、遠くへ、末端に向いていることである。
何の関係もないような他市の一般の人たちのメールにも直ぐ、ホントに直ぐ応えられるようである。
「レモングラス」という武雄の力を入れている事柄ではあるが、市長の激務を縫っての自らの対応である。
小さなことのようだが、
『目線が遠くにないと』大きい仕事は出来ないのだと思う。』


後段部分をそのまま引用させていただきましたが、実は、昨日アップした記事「政治家の言葉」を書いたときにも、武雄の「レモングラス」や「GABBA」、「楼門朝市」などが頭をよぎりました。

これは、先日、武雄市長物語でレモングラスのことが書かれてあった記事の一部分です。

いずれにしても、この武雄育ちのレモングラス。広告宣伝効果を含めれば、投資効果は抜群にあると思いますし、何よりも、「やればできるんだ!」という気持ちが少しでも芽生えればいいですね。
中山間地農業再生のきっかけ、多くの農業生産者の皆さんの所得向上につながってほしいと考えています。


「武雄市長物語」を読んでいると、様々なアプローチで、地域を盛り上げようとする樋渡さんの想いがこれでもかこれでもかというぐらい伝わってきます。

そこには、rfuruyaさんのおっしゃる「近くばかり見て、選挙の票を持っている人たちばかりを意識する、『選挙運動のような』行政」というイメージも、「上っ面だけの『綺麗な、上手な言葉』」、「極めて当たり障りのない、ありきたりの言葉」もありません。

住民を勇気づける「言葉」や「想い」がそこには溢れています。
そしてその「言葉」や「行動」は、単に武雄市民だけに向けられたものではなく、全国で試行錯誤しながら頑張っている、同じ地方自治体への熱いメッセージでもあるのだと感じました。
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by kkamoike | 2008-10-26 07:03 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(4)

政治家の言葉

先日、ある都道府県知事選挙の当選者が当選を果たした直後の所信表明のようなものをテレビのインタビューの中で述べておられました。
その内容は、ここで紹介するほどのものではない、極めて当たり障りのない、ありきたりの言葉でした。
「それができんねやったら誰も苦労はせえへんわ!」と思わずテレビに向かって突っ込んでしまうほどの内容でした。


たまたま前回の記事のコメント欄に山田錦さんから、綺麗上手な言葉に騙されない、それを見抜く目を有権者が持ち、客観的に評価や審判ができる制度が必要ではないかという意見をいただきましたが、今、思えばまさに、そのような目を持つ必要性を感じるテレビのインタビューでした。


財政難、人口減少、地域経済を取り巻く数々の問題、行財政改革への取り組みなど、全国のほとんどの自治体が抱える共通の課題をわざわざ取り上げ、全力で取り組みますと言ったところで、そのような姿勢で臨むことは、もはや当たり前のことなのです。いわば「時代の要請」でもあるわけですから、逆に言えば、そのような姿勢で取り組めない者は選挙に立候補する資格さえないと思っています。


今の政治家に求められていること、それは、暗い話題ばかりが先行する世の中だからこそ、自分の住むまちの特色をどのように活かし、どんな風にまち全体を盛り上げていくのかという部分を、もっともっと前面に出さなければならないのだと思います。
他の自治体にはない魅力を探り、それを活かすことで、将来、どのようなまちを目指したいのか。
そのことによってまちはどう変化し、そこに住む人達にどのような影響をもたらすのか。
そのような一歩も二歩も踏み込んだ内容で有権者の気持ちを掴み、勇気づける言葉を自分の言葉で語りかけられる政治家でなければならないと思うのです。




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by kkamoike | 2008-10-25 06:44 | マニフェスト | Comments(0)

お客様満足と自己実現

rfuruyaさんが
『止めることの奨め』という記事の中でこんなことを書かれていました。

基本はあくまでも、
『消費者の満足』=Consumer Satisfactionであって
『顧客得意先の満足』=Customer Satisfactionであってはならぬと思うのだが、
日本の場合のCSは後者の場合が圧倒的に多いように思うのである。
英語の訳語も堂々とCustomerと無意識のうちにそう使っているところが殆どである。



この話とは少し視点が異なりますが、実は、会社(組織)だけでなく、社員(個人)レベルでも、仕事をする上で、目を向けなければならない対象を取り違えてしまうことがしばしばあります。

ある雑誌の中で、仕事上の悩みに答える特集がありました。
「仕事を通じて自分の個性を発揮し、自己実現したいが、今の職場では、個性を発揮できそうにない···。」といった相談に対する答えはこんな内容でした。

「仕事は、自己表現や自己実現の手段ではなく、他人の需要に応えるものであり、いくら、これが私の自己表現ですと主張したところで、人がそれにお金を払ってくれなければ飯は食えない。だから仕事として成立させようとするのなら、自己表現をすることよりも、他人の需要に応えることが重要となる。他人の期待や要望に応えようとすることが結果的に、自分を輝かせることにつながる。」



ここでいう「他人の需要」とは、基本的に「お客様の気持ち」と置き換えてほぼ間違いないでしょう。
全ての企業の目的のベースに、「お客様(消費者)満足」があるはずです。しかし、その目的を見失ったとき、企業は必ず衰退に向かいます。
そのためにも企業(組織)は、会社の目的をはっきりさせるべきですし、そのことを社員に対して明言しなければなりません。
売上げがどうとか、利益がどうかといった話も大事かもしれませんが、あまりそのことばかりを強調していても、社員の心には響かないでしょう。
会社の目的を明言したうえで、「安心して、全力で仕事にあたりなさい。」
実は、それだけでもいいのではないかと思います。



経営者の姿勢や心がけが、普段の社員にかける言葉として表現され、その言葉で、社員の気持ちや行動は如何様にも変わります。
そして最終的には、会社の風土へとつながっていくのだと思います。
良い職場環境かどうか、良い企業であるかどうかの一つの目安は、全ての社員が会社の目的を理解し、安心して仕事ができる環境が社員に提供できているかどうかだと思います。
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by kkamoike | 2008-10-23 21:30 | マネジメント | Comments(3)

地域で子どもを育てる環境づくり

前回は、「校庭の芝生化」について書きましたが、このようなスポーツを楽しむ環境、癒しをもたらしてくれる環境、交流が活発化する環境を地域の人たちと共有すること、もしくは、月に何日かでも地域の人たちに開放することで、学校に通う人たちだけでなく、地域の人たちにもその素晴らしさを実感していただくことができるのではないでしょうか。

そうすることで、地域の人たちと子どもたちの交流、地域の人同士の交流が自然に生まれてくるのではないかとも思います。

今日の神戸新聞には、兵庫県が「まちの寺子屋」認定事業をはじめたというニュースが出ていました。

子どもにこま回しやお手玉といった昔遊びを教えながら、「あいさつをする」「靴をそろえる」などの世の中のルールを伝える団体·グループを「まちの寺子屋」として認定することにし、子育ての輪を地域に広げ、孤立しがちな家庭での子育ての支援を目的とした事業を始めたそうです。


地域で子どもたちを守り、子育てを支援していこうという動きがいろんな形で活発化してきているようですね。


私はアフタースクール事業を否定するわけではありませんが、どっちを選択しますかと聞かれた場合、個人的には、子どもの成長を考えたとき、このような「まちの寺子屋」のようなところに子どもを預けるのも面白いのではないかと感じました。

そして欲をいえば、小学校の高学年や中学生になっても、大人たちに混じって一緒に、低学年の世話や面倒を見てあげたり、一緒に宿題をしたりする。そんな環境の中で、年相応の役割を感じ取ってもらえれば、子どもたちの自覚も自然と身についてくるのではないかと感じました。
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by kkamoike | 2008-10-22 21:31 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(0)

校庭の芝生化

先日の続きです。
川淵三郎元Jリーグチェアマンの話の中に、もう一つ興味深い話がありました。
それが、今日のタイトルの「校庭の芝生化」です。


「スポーツ文化」を根付かせるお話の中でおっしゃったのですが、「校庭の芝生化」と聞いて、私が感じたのは、芝生を植えるのはいいけれども、学校側で維持管理するのは大変だろうし、予算面から考えても大変なのだから、結局は企画倒れになるんじゃないのかということです。


しかし、川淵さんから出た言葉は私にとって意外なものでした。

芝生になれば、そこで滑り込んだり、寝転んだり、はしゃいだり、緑化にもなり、みんなに癒しを与えてくれる。
何より、子どもたちに身近に芝生の上で遊んだりスポーツをしたりできる素晴らしい環境が整う。
そうすれば、子どもたちや学校関係者だけでなく、親や地域の人たち、みんなが芝生の素晴らしさが実感できて、芝生がもたらす生活の豊かさもみんなが実感できるようになる。
その結果、みんなで芝生を大事にしよう、自分たちの芝生を守ろうという意識が生まれ、自分たちの手で、大切にしようということになる。
芝生のありがたさが分からない学校では、自分たちの手で芝生を守るという意識は生まれない。
そのようなところでは、結局、「スポーツ文化」も根付かせることはできない。···

確かこのようなお話をされていたと思います。


なるほど、本当の意味での「スポーツ文化」を育む環境づくりというのは、誰かが維持してくれるという受身の意識ではなく、自分たちの手で環境を維持していこうという自主的な意識を持つことから生まれるものだとあらためて気づかされました。


当たり前のことといえばあたりまえのことなのですが、いつの間にか、私たちは何かにつけて与えられた環境を維持してもらうことも当たり前だと感じてしまっているのかもしれません。
与えれた素晴らしい環境を、自分たちの財産と受け止め、後世に残すも残さないのも、自分たちの意識の持ち方次第ということでしょうか。

「校庭を芝生化する」ことが目的になってしまうと、本来の目的を見失ってしまうということですね。
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by kkamoike | 2008-10-21 21:12 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(4)

「スポーツ文化」という考え方

抜けるような青空が広がっています。
スポーツの秋ですね。


先日、元Jリーグチェアマンの川淵三郎さんが「スポーツ文化」についてお話をされていました。

子供の野球やサッカーの練習に仕事帰りのお父さんが駆け付ける、そしてたまには子供たちや指導者と一緒に練習をする。
また、今日の夜は地域のバレーボール大会にむけての練習だから残業しないで早く家に帰る、そして子供と一緒に参加する。
海外では当たり前のことが、日本ではなかなか定着しない、しにくいのだそうです。
スポーツを特別なものとして考えるのではなく、普段の生活の一部として考え、スポーツを文化として定着させていくことが大事ではないかとおっしゃっておられました。


自分自身の健康管理だけではなく、家族や地域との交流が日常生活の中で当たり前の習慣になる。「スポーツ文化」を根付かせることは、地域を元気にすることにもつながります。


子供の頃から地域文化の一つにスポーツがあり、地域交流の場として当たり前に機能しているのなら、歳がいってから何をしようか、うまく地域に溶け込めるだろうかと、その時になって右往左往したり、不安になったりすることもなくなるのではないでしょうか。


歳がいってから打つ手を考える高齢化対策はなく、子供の頃から地域での暮らしの中で「スポーツ文化」に触れる環境を整えることで、自らの健康づくりだけでなく、今の地域社会が抱える様々な問題解決の糸口が掴めるかもしれません。

三木市には、そのような習慣を根付かせ、他の自治体の模範となるだけの環境が十分に備わっている、そんな気がします。
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by kkamoike | 2008-10-19 11:08 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(8)

医療恩恵指数

前回の『他人事』にかかわる話をもう一つ。
『五年程先には財政破たんするかもしれないという見通しとなりました。』
これは今月の広報に掲載の「市長のふれあいコラム」に書かれてあった一文です。

私はこの表現がどうしても引っかかってしょうがありませんでした。
どうも「他人事」のようにしか感じられませんでした。
皆さんはどう感じられますか。
良い見通しがたった時に使う表現ならわからないでもないですが、『財政危機宣言』をする上ではあまりにも軽率で無責任な言葉過ぎる、まして市のトップが広く市民に語りかけるメッセージとしては常識外れともいうべき、神経を疑う表現だと感じました。
このコラム、毎回、突っ込みどころは満載なのですが、今回は特に市民を馬鹿にした内容であったといえるのではないでしょうか。
まぁ今更、いちいち細かいことを批判ばかりしていてもしょうがないので(反省)、そろそろ今回の本題に移りましょう。

今回は視点を少し変えて病院について考えてみました。

「病院経営における地域経済への波及効果」とは一体どれくらいのものなのか。
これは、先日、セロトニンさんからいただいた質問コメントです。

この質問に関連して、病院(医療)の経済効果についてわかりやすく解説してあるブログを見つけました。
その内容を少しだけ抜粋しますと、
『国の10府省庁は5年ごとに、産業各部門間の経済取引の関係をまとめた「産業連関表」を作成している。
宮澤健一·一橋大名誉教授(経済学)らは、00年の産業連関表の基礎データを基に、全産業を医療や介護をはじめ、
農林水産業、公共事業、運輸など56分野に再編成した連関表を独自に作成し、ある分野に投入した費用が他分野の生産や雇用にどれだけ波及するのかなどを分析した。
生産増は所得増を呼び、消費につながって生産を増やすという形で経済波及効果は拡大していく。
連鎖的な波及効果まで含めた「生産誘発係数」を求めたところ、医療は約4·3で、公共事業の約4·1を上回った。
「4·3」とは医療に1兆円を投入すると、他分野で3·3兆円の生産を誘発することを示す数字だ。』
とあります。

公共事業よりも多くの経済波及効果がもたらされるということは···
三木市には大きな病院や個人の開業医が沢山ありますので、三木市内だけでも相当の経済波及効果を日々生んでいるといえるわけです。

市民病院だけで考えるのではなく、三木には、公立と民間、個人の開業医トータルで、一体、どれくらいの病院、医院が存在しているのでしょうか。
また、ベッド数、医師や看護師の数、医療機器の数など、どれくらい市内に存在しているのでしょうか。
もしかしたら市民一人あたりに換算した医師数や病床数などの割合は、他市と比べてもかなり高いのかもしれません。
さらに三木市の周辺にある、通勤圏内ならぬ通院圏内の病院のまで広げてみた場合、三木市民ほど恵まれた医療環境は他にないのではないかとさえ感じます。
比較するデータがないのでわかりませんが、三木の人口規模から見た場合、これらの病院に関する統計数値はおそらく全国でもトップクラスなのではないかと思います。
もしかしたら、ゴルフ場と同様、「ゴルフ銀座」ならぬ「病院銀座」と言われるくらいのレベルなのかもしれません。

一体、私たちがどれほど恵まれた医療環境にあり、どれほどの医療の恩恵を受けているのか、客観的なデータを示してほしいところです。
小野市との職員数の比較も結構ですが、このようなことも広報などで知らせてもらいたいものです。
確実にいえることは、但馬地域や丹波地域などの過疎地に比べれば当然恵まれているでしょうし、阪神間と比べても遜色ないぐらいの病院のラインナップではないかと感じます。
このような客観的なデータを見れば、市民病院がなぜ今、市内で苦境に立たされているかも市民にわかってもらえるかもしれませんし、これ以上、医療に税金を注ぎ込むべきかどうかの客観的に判断する材料にもなるのではないかと感じました。

行政全般が、スリム化のため、清掃業務や公共施設の運営など、率先して民間委託や指定管理者制度などを進めている中で、なぜ病院だけ公立にこだわろうとするのか私には理解できません。
このような数値的なものが出れば、市民一人当たり、医療の恩恵をどれほど受けているのかが判断でき、市民病院に対する考え方も違った見方ができるのではないかと感じます。
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by kkamoike | 2008-10-08 07:00 | 三木市政 | Comments(7)

他人事

「スタンス」とは、物事に取り組む心や考え方の姿勢です。
言葉や態度、行動に普段考えていることが表れます。

当然、「スタンス」が変われば、やり方も、アプローチの仕方も変わってきます。


furuya2さんの昨日の「雑感日記」には、こんな人の分析が紹介されていました。

『昨日のカバン屋さんが、いみじくも、このように『市民病院を残したい理由』を仰っています。
『最後に、じゃあ何故「ちゃんとした市民病院」と思ったかと言いますと、やっぱり、自分が身銭を切って、その費用を払うコトが無いからなのかも知れません。。。(笑)』


おそらく、産婦人科誘致に伴い支払った五千万円の融資の件も、このようなスタンスから生まれた結果であるといえるのではないでしょうか。


一方、先日、「わたしの妻は求職中」さんからは、こんなコメントをいただきました。『夢もって、志もって市の職員になられた働き盛りの20代、30代が心の病で長期休職されておられるとか?原因の奥底は何?』と···

将来の三木市の将来を背負って立つ若い人たちがどんどん潰れていく現状もまた、人も市民の貴重な財産という認識ではなく、使うだけ使って消耗してしまったら、「はい、それでおしまい」といった感覚から生まれてくるものなのかもしれません。

いずれも、しょせんは人のこと(お金)だから、自分の大切な人でもお金でもないからといった、いわゆる「他人事」という物事に対するスタンスが根底にあるのかもしれません。
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by kkamoike | 2008-10-06 23:57 | 三木市政 | Comments(0)