どうぶつのつぶや記

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「戦後教育の失敗」がもたらした弊害

「学力成績公表/功罪について議論尽くせ」9月29日付の神戸新聞社説です。

この問題がクローズアップされているのは、大阪府の橋下知事が積極的に関与し、大阪府の動向によっては、今後、他の都道府県にも少なからず影響を及ぼすと考えられているからでしょう。


今回の社説には、
『ここへきて府教委は知事の強い姿勢に折れて市町村別成績の情報を知事に提供することを決めた。知事にげたを預けた形である。情報公開請求があれば知事の判断で公表される可能性が高まった。
(中略)
制度上、自治体の教育委員会は首長の指示など影響を受けない独立した組織になっている。そうである以上、知事は教委への働き掛けにもっと慎重であるべきだ。』

と書かれてあります。


そういえば三木市でも、9月議会において、教育委員会が掌握している幼稚園の複数年保育に関して市長が公言した例がありました。
どうも最近は、本来の決められたルールを守らなくても全然意に止めない方が多いようで困ったものです。
このルール違反を犯すものが自治体の首長なのですから、その影響力は、計り知れません。

こういうルールを守らない人たちに、子どもの教育を語る資格があるのかというふうにも思うのですが。


一方で、視点を変えて見れば、本来、教育は国の所管事項のはず。
昔も今も、教育は、外交、防衛と並ぶ国家プロジェクトでなければならないはずです。

そうであるなら、橋下知事の行為は、市長と教育委員会という自治体内の枠組みだけにとどまらず、国と地方という大きな枠組までも無視した越権行為であるともいえます。
とはいえ、国がしっかりしないから、国には「戦後教育の失敗」がもたらした様々な弊害を打開することはもはや期待できそうにないから、地方自治体の一首長が口出しせざるを得ないという状況を生み出しているのかもしれませんが···。



もう一つ。
これは、あまりにも馬鹿らしすぎて、できれば触れたくはなかったのですが···
中山前国土交通大臣の一連のあきれた発言といい、根拠のない「日教組の組織率と学力との関係」にも異を唱えることなく、賛同までしてしまう橋下知事といい、公人とは思えない身勝手な言動を繰り返したり、自分の主義·主張を貫くためには正しくないことまでも平気で正当化してしまう行為もまた、「戦後教育の失敗」がもたらした弊害(癌)といえるのかもしれません。
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by kkamoike | 2008-09-29 21:14

理想の上司

ある雑誌の読者欄に「理想の上司」と題した投稿が寄せられていました。

部下を持つ立場となった投稿者の目標は、
『自分以上の部下を育てること』

そして、
『学んできたすべてのことを伝えたい。
経験した成功や失敗、すべてを語りたい。
見守りながら任せてみる、失敗したときも成功したときもそばにいる。
そしていつか部下が自分のなした以上の成果をあげたとき、心から「おめでとう」の言葉を贈りたい。』
のだそうです。

人員削減をはじめとした組織の合理化に伴い、労働者を取り巻く環境はどんどん厳しくなってきています。
職場の空気も良い時ばかりではありません。
それぞれが、与えられたノルマや成果を達成するために、周りに対する気配りすらできず、ぎすぎすとした雰囲気が職場を覆うこともめずらしくないのではないでしょうか。

要は、みんな余裕がなくなってきているのかもしれません。
自分のことだけでいっぱいいっぱいになっているのかもしれません。

そんな風潮が大勢を占めるつつある昨今ですが、この投稿者のような上司がそばにいてくれたら、部下としてどれほど心強く感じることでしょう。

クールにそつなく仕事をこなすだけの上司よりも、仮に、スマートに行かなかったとしても部下とともに成長していける上司を目指し、私もがんばっていきたいと感じました。
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by kkamoike | 2008-09-27 21:42 | マネジメント

「夢を持つ」ことの意味

先日、さるとるさんが、ご自身のブログで「夢」についての考えを述べておられました。

『成長するに連れて、現実を見るがゆえに、萎縮して「夢」が見れなくなっていきます。
最近は、子供たちでさへ、「夢」が乏しいと聞きました。
夢を語ることが恥ずかしいとか。
子どもが「夢」を語れない?!「夢」を見れない?!
よし!!大人である僕こそ、「夢」を見よう。
大きな大きな夢を見よう。
そして、子供たちに、自分らが「夢」を見ることは何ら恥ずかしいことでもなんでもないんやということを教えてあげよう。
もちろん、そう教えてあげるためには、「夢」を「夢」で終わらせることなく、現実にしていかなければなりません。
夢ばかり語っていても、現実にしていく実績がなければ、ただのほら吹きになってしまいます。
「大きくなるたび もっと大きな 夢を見る」
これは、「夢」を現実にしていってこそ語れる言葉なので、僕にとっては、実は、結構、きつい言葉です。』

とっても素敵な、素晴らしい文章だと感じました。
どんな道に進んでも、いくつになっても、「夢を持つ」ことは大切なことであり、決してあきらめてはならないものだとあらためて感じました。



『夢は、紙に書くと現実になる!』というタイトルの本があります。
自分の頭の中の考えを紙の上に書き出して整理する方法を通じて、人生の望みを叶えるための方策を自ら導いていく方法を、豊富な実例とともに紹介しています。
このほか、紙に書くという行為には、自分自身にとってのメリットもたくさんあるそうです。
自分が何を望んでいるのかわからなくなった時や物事に行き詰った時、不安を解消したいと思う時などにも役に立つそうです。

でも、自分の夢が何で、今、何をしたいのか、しなければならないのか、実は分かっているようで分かっていない人って結構多いんじゃないでしょうか。
私もそのうちの一人ですが、なんとなくそんな気がしています。

夢を紙に書き表せる。それだけでもなかなかできないことなのに、それだけでは終わらないところが、さるとるさんのすごいところだと感心しています。
今後のさるとるさんたちの動向に注目ですが、自分もそんなひたむきな姿勢をぜひ見習いたいと思いました。



話は少し飛躍しますが、最近?政治家に夢を持てなくなったとはいいすぎでしょうか。
それだけ夢を持つ、夢を語れる政治家が少なくなったということなのかもしれません。

「あれをします。」「これをします。」
何か小手先だけの、人気取りのための口先だけの約束のような感じを持つのは私だけでしょうか。
いろいろなことを試みたりもしていますが、結局それをやることで、このまちや、この国をどうしたいのか。
その肝心の部分が見えてこないことが多いような気がします。
それは、当然、政治家が夢を語らないということもあるでしょうし、自分の口で、自分の思っていることを表現できないことも一つの要因なのかもしれません。

一方で、今の政治家ばかりに責任を押し付ける私たちにも問題があるのかもしれません。
武雄人さんが以前、ご自身のブログでも触れておられましたが、「誰がなっても政治は変わらない」といったあきらめムードこそが、そのような政治家を輩出する土壌をつくっているのかもしれません。
自分たちにできることを自分たちの目線で考えてみる・・・。
そして、もっと身近な問題に視点を戻せば、「いまどきの子どもたちは夢がない」と嘆く前に、大人である私たちが、先ずは夢を見つづけなければ何も変わらないのではないのか・・・
そんなことをあらためて実感したさるとるさんの記事でした。
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by kkamoike | 2008-09-26 20:47 | 心に留めておきたい言葉

処分決定後に残された課題とは

ボート事故の関係者の正式な処分が決定しました。
決定の内容は、同じ行為をした県教諭よりも二ヶ月長い、三ヶ月の停職処分でした。

個人的には、賞罰審査委員会が行った余計な対応が、適切な処分を歪めたものであり、公平性に欠ける結果を招いてしまったのではないかと感じていますが、オンブズマン三木さんも言われているとおり、今回の処分決定に至るまでには、外部のものには分からない、苦渋の決断があったものと思われます。
ともあれ、処分自体は一応の決着はついたわけです。



しかし、市としては、依然、多くの課題や疑問が残されたままだと言わざるを得ません。

まず一つ目、
今回、三木市賞罰審査委員会が意見具申した内容と異なる決定を教育委員会が行ったことについて市としてどう受け止めるのか。

二つ目、
仮に、今回の事故と同じ事例が教育委員会以外の部署から出た場合、その対象者は免職となるのか。

三つ目、
決定前の段階から記者発表を行い、保護者や子供たちをはじめとした多くの市民に無用の混乱を招いた責任と、個人情報の取り扱いの観点から、市長以下、記者発表に関わった職員への処分は行わないのか。

四つ目、
適正な処分決定に寄与できなかったことを受け、賞罰審査委員会におけるメンバーなど委員会規則の見直しは検討しないのか。
また、今後、外部の専門家などを加えるつもりはないのか。

など、少なくともこれらのことについては、今こそ、直ちに、市長自らが、記者発表を行い、どう考え、どう対応していくのか、市民に対してきちんとした説明責任を果たすべき義務があると思います。
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by kkamoike | 2008-09-21 07:24 | 三木市政

1年後の自分へ

『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』

「NHK全国学校音楽コンクール」中学生の部課題曲のタイトルです。
アンジェラ・ アキさんが書き下ろした曲で、10代の時に実際に書いた「未来の自分への手紙」からインスパイアされた楽曲なのだそうです。



昨日、コンクールに挑戦する中学生たちの姿を追ったドキュメント番組がNHKで放送されていました。
その中で、コンクールに挑戦する生徒たちが、「コンクールを終えた時の自分へ」と題した手紙をアンジェラ・ アキさんと一緒に書くシーンがありました。
合唱部の部長を務める生徒が書いた手紙には、コンクールへの不安やリーダーとしての不安、友達にきつい言葉をかけることに対する不安、そして、それらの苦悩に押しつぶされそうな自分への苛立ちなどが綴られていました。
そして、コンクールが終わった後に書いた(過去の自分への)手紙には、コンクールを通して仲間たちと深めた絆や自分自身精一杯取り組んできたことが、彼女自身の自信や成長につながり、その結果、自分に対する迷いまでも打ち消すことができた喜びが表現されていました。
さらに、彼女は、以前よりも物事を深く考えるようになった分、悩みは以前よりも増えてしまったと言いつつも、今は、それらの悩みを真正面から受け止め、自分なりに解決していこうという前向きな気になったと語りました。
この番組を通して、無関心、無表情に見える現代の中学生の素顔、人間らしさを垣間見ることがでたわけですが、普段、人には言えない悩みを抱える彼女たちが、一つの音楽との出会いをきっかけにして、劇的なまでに成長していく姿に大きな感動を覚えました。



そして、ちょうどその放送があった日に、たまたま書店で購入した本があります。
そのタイトルは、『悩む力』(姜尚中 (著))
大人になればなるほど、悩みがあることは弱い人間だ、強い人間にならなければならないと思い込み、悩みがあることに対して否定的なとらえ方をしがちですが、今のこの時代だからこそ、大人になっても悩みはつきないという現実を逆にしっかりと受け止め、悩みと真正面から、真剣に向き合えばいいのではないかと感じました。



皆さんも未来の自分に手紙を書いてみませんか?そうすれば、何年か後に読み返すと、その時悩んでいたことが、別にたいしたことなかったって思える自分がいるかもしれません。
この曲の歌詞のように。

手紙 ~拝啓 十五の君へ~ アンジェラ・アキ 歌詞情報 - goo 音楽

アンジェラ・ アキさんの曲『手紙~拝啓 十五の君へ~』
姜尚中さんの本『悩む力』
ともにお勧めです。



そんなことを思いながら、ちょうど1年前にブログを書いてみようと思い立った日の記事を読み返してみました。
そこには、当時、根気が続かないかもしれないという自分に対する不安が確かに書かれてありました。
おかげさまで、途中、目的を見失いそうな時期もあったものの、いつもアクセスしていただく方や、いつもコメントをくださる方、またご自身のブログで私の記事を取り上げてくださる方たちの存在が、自分自身の励みとなり、なんとか1年が経過しようとしています。(感謝!)



『また1年、自分の感じたことを少しでも多くの方に読んでいただけるよう、マイペースでいいから記事を書き続けられていたらいいですね。』
そんなメッセージを添えて、この記事を1年後の自分への手紙にしたいと思います。
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by kkamoike | 2008-09-19 21:51 | 心に留めておきたい言葉

目的を見失うな

事故米に関するニュースの中で、「小泉構造改革による規制緩和によって業界が参入したことで、事故米が扱われるようになった」というようなコメントをする業者がありました。
これまでも食品偽装や耐震強度偽装問題などが起こるたびに、このような論調がありました。
最近のニュースを見ていると、あまりにも倫理感が欠如した企業が目につくため、規制緩和を後ろ向きに捉える論調が一部で出て来るのも無理のない話なのかもしれません。
しかし、「規制緩和」に至ったそもそもの経緯を見失ってしまっては、話が全然違う方向に傾いてしまうのではないでしょうか。


今、なぜ国や自治体に規制緩和の動きが出てきているのかというと、これまでと同様のやり方や経費のかけ方では、もはや国民の理解は得られないという大前提があるからだと思います。また、「規制緩和」を進める背景には、「緊張させないと人間は努力しないという思想」や、「競争が世の中を進歩させていいくという人類の結論」などがあるのだともいいます。


ただ、公の施設を管理したりするなどの指定管理者制度などの場合、とにかく経費が安く上がればそれでいいのかといえばそういうものでもないと思います。
もちろん黒字に越したことはありませんが、ただ儲けることだけを考えればいいというものでもないはずです。
例えば、図書館や文化会館などの施設はそのいい例ではないでしょうか。いずれの施設も当初の目的は、あらゆる文化に触れる機会を持つことで、市民の文化意識の向上を図るということにあるはずです。
従って、単に図書の貸出冊数や稼働率、観客の動員数だけを上げるというのであれば、その目的に見合う流行の本やイベントばかりを追い求めればいいことになります。


これは、決して民間の参入を拒むべきだといっている訳ではありません。上記に述べた国民のニーズに応えるという大前提に立って考えれば、「指定管理者制度」などの活用を通して、より効率的な経営、よりよいサービスのあり方を考える必要があります。
当然、その前提には、倫理観のない企業や、単に権限だけを委譲され、経営努力をしない第三セクターなどの公益法人の排除が求められることになります。

指定管理者制度などのNPMは、あくまで効率的な行政経営を目指すための一手段であって、制度自体の導入が目的ではないということです。
その目的と組織や施設のあるべき姿を見失ってしまっては、国民にとって本当に必要なサービスの提供はできません。

今回の記事は、自分の考えを整理する意味で書いてみました。
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by kkamoike | 2008-09-18 06:23 | マネジメント

三木の政治の分岐点

私は、共産党支持者ではないのですが、共産党の市会議員さんにはいつも一目置いてきました。ブログなどからも本当に普段からよく勉強をなさっておられると感じますし、議会での発言でも他の議員の方たちとは意見の質が違うといつも感心しながら聞いています。
しかし、今回、広野小学校の複数年保育について、市長自らが学校設置者としての権限で実施すると発言したことに対するくろしま議員のブログには少々がっかりしました。
広野幼稚園の件については、これまで議会の各会派からも要望してきた内容であり、本来教育委員会のことを市長は干渉しないことが原則であるものの、市長が黙っておれず発言したことは、結果として実施を強く望んでおられた人々にとっては喜ばしいにニュースだと述べられ、そこで記事を終えられていることに違和感を感じたのです。



一方、政志会のもて木議員はこの件に対する考えを次のように述べておられます。

『地元の人は歓迎だし、通園に苦労しているのはよくわかります。それが解消されるのですから、よかったのでしょうが、三木全体の幼稚園のあり方を今検討し、考えている時期であり、意見を聞く会を24回も続けていてその意見集約を見ているわけでないのに、三木全体の、複数年保育の考え方はどうなるのだろうと、いささか疑問です。
(中略)
複数年保育は、三木の幼稚園にとって長い間の夢であり、望みでした。それが6ブロックという方にせよ、実現し、最初は抽選などという仕組みも改め、希望者全員は入れるようになり、次は、幼稚園ごとの複数年保育についての検討だったはずです。その最初の取り組みが広野で、それが何年かのうちに他の園でも実現していくならいいのですが、その見通しも、明らかでない中で、広野幼稚園複数年保育は、他の幼稚園に混乱を起こさないか、心配です。』

私は、もて木議員が心配されていることはごもっともなことだと思いますし、議員として、政治家として必要な一番の肝をきちんとおさえておられると感じました。



今回の市長が発言した内容と、地元への利益誘導型の政治手法とどこがどう違うのか。
また、これまで批判され続けてきた、もうそんな時代ではないと言われ続けてきた手法とどこがどう違うのか、私にはわからないのです。

ある人やある地域からの要望が強いからといって、「やる」と判断するのであれば、声の大きな人や地域の意見ばかりが採用されることになりませんか?声をあげない人や対象者が少ない地域の意見はいつも後回しにされたり、取り上げてもらえないということになりませんか?そして何より、次の選挙を有利に戦うために市の予算や政策が利用されることに繋がりませんか?



本来、政治家が行わなければならないことは、一部の住民の利益だけを考えるのではなく、市全体のバランスを考慮し、市全体のあるべき方向性をしっかりと見据え、確固たる信念のもと、理路整然と政策をまとめあげることであるはずです。

もし、今回の件を誰も咎めることなく進んでしまうようなことがあれば、今後の三木市政は、非常に憂慮すべき状態に突入したと言わざるを得ません。
今こそ、議員の方たちの良識ある判断をお願いするとともに、とりあえず広野幼稚園だけやりましょうといった安易な判断をする前に、今、市内で幼児を育てていらっしゃる全ての親子さんたちに、あるべき将来像も含めた方向性をきっちりと示し、説明責任を果たすことこそが、政治家としての使命ではないでしょうか。
そのためにも安易に妥協しない徹底した議論を期待したいと思います。



あと、市長の学校設置者として行うと発言したことについても、本来、市長が干渉できない内容だとくろしま議員もおっしゃっておられます。私自身もこの点については、少々腑に落ちないところがあるのですが、残念ながら勉強不足でコメントできません。
一度よく勉強してみたいと思います。
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by kkamoike | 2008-09-15 07:03 | 三木市政

「責任の取り方」と「後始末」

昨日は、ボート事故に対する意見具申の発表についての私見を述べさせていただきましたが、事故関係者の処分をはっきりさせることは、組織として当然のことです。
ただし、しつこいようですが、その意思決定のプロセスにおいては、手順やルールというものを遵守することが何よりも重要であると確信しています。


当然、正式な処分決定が下されるまでは、処分の対象となる者のプライバシーをはじめ、最終決定に至るまでの経過も含めた情報の取り扱いは、慎重にも慎重を期さなければならないと思っています。また、それを守ることが、組織として、それ以前に人として当然のことであると思っています。
その理由は、昨日の記事で申し上げたとおりです。


さて今回の本題ですが、市のトップとして責任をとるとはどういうことをいうのでしょうか。
意見具申の内容を発表することによって、市のトップとしての責任を果たしたとお考えであるなら、それは大きな間違いだと私は考えます。
なぜなら、本来動くべきタイミングでないときに動くことが、どれほどの人に迷惑を与えることになるのか、また、今回の場合のように、最終決定の途中段階で発表するということが、身内(市の職員)であるとはいえ、どれほど個人の尊厳をおびやかし、権力に任せ相手を一方的に陥れることになるか容易に判断できるからです。
少なくとも、今回の場合、市のトップ自らが率先して英断を下したかのように発表することが、市のトップとしての責任の取り方ではないはずです。


それぞれの担当がいて、それぞれの与えられた権限に基づき役割を果たしていくのが「組織」というものです。
そういう意味では、今回の件に関していえば対応すべきトップは教育長であるはずです。
それを、意見具申の段階から、市のトップ自らがしゃしゃり出るのはおかしいと思うのです。その証拠に事故発生から意見具申発表まで事故に関して一切触れることなく、表面上は関与されてこなかったはずです。そうであるなら、最初から最後まで、教育長の処分決定を見守り、その決定に黙って従い、処分の事実を真摯に受け止めた上で、関係者に対する必要なフォローやケアをするのが、本来、市のトップとしての責任のとり方ではないのかと思うのです。
オンブズマン三木さんも指摘をされているとおり、少なくとも、議会の席で、教育長の言動を「けしからん」と責めたてる前に、いくらでも市のトップとしてやらなければならなかったことがあったはずですし、逆にしてはいけないこともあったはずです。
それぞれのケースに応じた責任のとり方ができないリーダーのもとでは、現場はただただ混乱するだけです。
そして最悪の場合、今回のように責任の取り方を誤れば、最後は誰かがその後始末をすることになるのです。
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by kkamoike | 2008-09-14 07:27 | 三木市政

教育長辞任発表と人事管理

9月上旬、教育委員会からの依頼を受けて市の賞罰審査委員会が開催され、ボート事故の関係者の処分に関する意見具申の内容が発表されました。
発表後、この件に関して、共産党のくろしま議員のブログでは、発表は教育委員会が最終決定したあとに行うものであって、決定でもないこのタイミングで発表するのはおかしいと述べておられました。

今回の教育長辞任発表の件については、新聞にも大きく取り上げられ、責任放棄であるとか、当然の決断であるということが書かれてありましたが、私は、ある面、教育長自身も、この意見具申で免職にすべきであるとされた二人の職員と同様、二次的被害者ではないかと思うのです。
別に、この方たちの身内でも知り合いでも、教え子でもないのですが、免職にすべきと意見具申された人達は、決定でもない段階から氏名まで発表され、あたかも免職に決まったように周囲から見られているはずです。曝し者のような感じです。
また、仮に最終決定が意見具申の内容と異なる決定がされた場合でも、一旦貼られたレッテルは、もとにもどらず、心に受けた傷は一生消えないのです。後ろめたさが残り、いつまでもマイナスイメージがついてまわるかもしれません。

先ずは、意見具申した内容の妥当性の議論とは別に、今回の意見具申の内容を発表したこと自体が、関係者に計り知れないプレッシャーを与える結果となったことを忘れてはなりません。

また、既に公表された内容を受けて、最終決定する側の責任者である教育長についても、同じことが言えるのではないかと思います。
最終決定でないにもかかわらず発表したことで、教育長を窮地に追い込んでしまったともいえます。

当然、私は、処分の内容が決まれば、潔く従うべきだという認識を持っています。
しかし、今回、ここで問題としていることは、意見具申の内容を発表した側の責任問題です。
この問題は、深く掘り下げれば、人権問題に繋がるかもしれません。あるいは、公の場を利用したバワーハラスメントに繋がるかもしれません。
正しい手続に則り、決定されることついて異義はありませんが、決定されていない段階での発表は、あまりにも影響が大きすぎたような気がします。

この問題に対する責任をなぜ議員はもっと追求しないのでしょうか。

世間の一般常識や、組織の意志決定のセオリーから大きく逸脱した行為、あるいは、人に対する配慮やおもいやりに欠けた行為が今回のように平然と行われる職場だから、年度途中に退職者が出たり、病気で長期休暇を余儀なくされる職員が続出するのではないでしょうか。
全ては根底でつながっているのだと思います。
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by kkamoike | 2008-09-13 06:51 | 三木市政

「環境問題」と「財政問題」

「環境問題」と「財政問題」
何だか卒論みたいなタイトルですが、あるブログを読んでいてなんとなく似ているなと感じました。
共通して言えることは、私たちが今を生きるために、その負担を将来に先延ばししているという事実です。



今、こうしている間にも、どんどん、どんどん日本の国、地方の借金は膨らみ続けています。
また、地球温暖化はとどまるところを知らない勢いで進み、それが原因と考えられる異常気象が世界各地を襲っています。


格差社会というものの、死に物狂いで働かなくてもそこそこ生きていける社会、飢餓で死ぬ人はまずいません。
そして、政治家も企業も個人も、社会全体が問題を先送りばかりしていても、それなりにしのぐことができる社会なのです。
しかし、これが、将来食べるために残していたパイを先食いしているだけだとしたら、自分たちの力を過信して、「しのいだ」気になっているだけなのかもしれません。
今、解決しておくべき問題を全て子供や孫たちの世代に押し付けているのかもしれません。



今の生活のレベルを落としたくないという気持ちが、必要以上の贅沢や暮らしやすさを追求してはいないでしょうか。
子供たちのために素晴らしい未来を残してあげたつもりが、実は借金で塗りかためられたものばかりでは、夢も希望もありません。

今からでもおそくはありません。
何不自由なく育った私たちの世代がどれだけ我慢することや辛抱することに耐えられるのか。
このことが我々の世代に課せられた課題であると受け止め、日々を主体的に生きなければならないのではないかと思います。

最後はオーラの泉、江原さんのメッセージ!?みたいになってしまいました。(笑)
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by kkamoike | 2008-09-11 22:50