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どうぶつのつぶや記

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病院審議会について

全国の多くの公立病院が経営危機に直面しているといいます。
それぞれの病院では経営状況の危機を乗り越えるため、様々な動きや展開が試されているようです。
それぞれの病院が模索している解決策には一長一短があり、地域医療の実情も複雑に絡まって、決してこれが一番いい方法であるという決まった答えはないようです。


樋渡市長がご自身のブログでおっしゃっておられた
「厳しい条件下で、市民医療を守ることが必要」という大前提に立てば、いつかのタイミングで、誰かが何らかの決断を下すことが迫られることは全ての公立病院に共通していえることだと思います。


現在、三木市においても、病院の審議会をはじめ、あらゆる方面で様々な場で議論がされているとのこと。
もて木さんのブログでの報告によりますと、アンケートも実施されたとのことですが、三木市の場合、地域によって市民病院の存在価値が大きく異なるという特殊事情がある中で、アンケート結果をどのように分析するのかは、至難の業ではないでしょうか。
上記で述べた分析がされないままの、本当の意味での市民の考えをまとめないまま「市民不在の議論」を机上でいくらしたとしても市民が望む結果にはならないのではないかと思います。


さらに、「デパート型」や「コンビニ型」といったような例えを用いて、市民病院のことだけを考え、これからの目指すべきスタイルや方向性を考えていても結論は出てこないのではないかと思います。
市内の他の民間病院、近隣の公立も含めた総合病院との連携も含めた「地域医療」における市民病院の役割を考えていく必要があると思います。


そのような考えのもとに出された結論(市民病院の役目)が、公立病院として相応しい役割といえるのか、市民に必要とされる医療が提供できるのかによって、今後の方向性を判断しなければならないと思います。
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by kkamoike | 2008-08-31 10:54 | 三木市政 | Comments(17)

子育て支援という視点からスポーツ振興を考えてみた

今、私の周りのブログでは、「スポーツ振興」がテーマとしてさかんに取り上げられています。
私も「スポーツ」によるまちおこしは、非常に面白く、可能性を感じています。



「スポーツ」でイメージする言葉···
「健康」、「さわやか」、「交流」、「夢」など···

「スポーツ」のいいところ···
老若男女問わず楽しめること、リフレッシュできること、継続的に楽しめることなど···

「スポーツ」を通して実現が期待出来ること···
地域おこし、市民同士の交流、世代間交流、地域間交流、他市との交流、子どもの健全育成、健康づくり、介護予防など···
以上、かなり強引な分類でしたが、結局何を言いたかったのかといいますと、
「スポーツ」という言葉からマイナスイメージはまず生まれてこないということが、最大のメリットではないかということです。



例えば、子どもたちに喜んでもらえるような、スポーツ振興策を考えるだけでもワクワクしてきますよね。

さるとるさんがおっしゃっておられたように三木にある素晴らしい施設が子どもたちをはじめ市民であれば優先して割安で利用することができたり、各施設を利用する際は、公共交通のフリーパスが使えたり、先日「ブログdeみっきい」で紹介されていたジュニアゴルフのようなものをイベント化したりして子どもたちにスポーツに親しんでもらう機会を多くつくったり、将来のプロスポーツ選手を目指す子どもたちのために本格的な教室を開催したり···



「子育て」施策は、福祉医療や保育所、学校などに限定されるというような考え方からは脱却して、スポーツ振興の具体策として子どもたちに喜んでもらえるようなサービスや取り組みを市全体で考えれば、子どもたちの心に直接訴えかける何かが生まれるのではないかと思うのですが。

子どもたちにいいイメージを持ってもらえたら、親もそれを感じ、三木に対していいイメージを持ってもらえるはず···子どもたちが喜ぶものは、大人も楽しめるはず。
子どもたちに受けるものは、やがてブームとなり、口コミで広がる。
三木のイメージは放っておいても広がっていくはずです。

こんなに上手くいくかどうかはわかりませんが、いずれにしても、子どもたちに夢を与える施策に勝る子育て支援はないのではと思うのです。
親の目線で考える子育て支援ももちろん必要でしょうが、子どもたちが夢中になる施策を考えることもこれからの時代は必要になってくるのではないかと私は思います。
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by kkamoike | 2008-08-26 20:39 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(2)

議員と市民それぞれに求められるもの

先日、いつも情報を提供してくださるセロトニンさんから、顔の見える形で、本音トークで、ガチンコの議論をする場が議員の間にあっていいのではないかというコメントをいただきました。
このことは、私も含め、多くの市民が望んでいることではないでしょうか。



このコメントのきっかけとなったのは、小野市の市会議員さんのブログだったのですが、そのブログの中で感じたことをもう少しだけ補足したいと思います。
個人の意見は意見として持たれるのは結構なのですが、議員のブログとして発信する以上、やはりそれなりの自覚と責任を持った内容を心掛けていただきたいと感じました。

私は、この方のブログで取り上げられた民間シンクタンクが行った調査結果を全面的に肯定するつもりはありません。
しかし、少なくとも新しいものの見方を民間の視点から提示し、住民が自分の住むまちを評価する上での選択肢が広がるように、これからの地方行政に寄与していこうとされている点は高く評価されるべきだと思っています。
このような民間による新しい発想、視点で分析した調査結果を、これまで自分が習得した知識と固定観念だけに縛られた形でしか批評できない、いやしようとしない、聞く耳をもとうとしない姿勢に、大きな驚きと失望を感じたのです。



これまで地方は国が示す方向に何の疑問も持たずにやってきたといっていいでしょう。その結果、多額の借金を抱えるようになり、その見返りとして約束されていた交付税までもが、国の都合でどんどん減らされ、益々地方は窮地に追い込まれてきているのです。
今回の調査結果については中身が専門的過ぎて、これは、私の想像でしかものが言えない部分なのですが、国や県からの補助金や交付税などを積算項目から除外するということは、今まさに地方が直面している国に頼れない時代にマッチした、自立したまちづくりを進めていく上で、一つの方向性を示しているのではないかと思ったりしています。



ほとんどの議員さんが民間の発想に学ぶことを肯定され、議会の答弁など機会あるごとにその必要性を唱えられているはずなのに、議員自らが民間の行った調査が意図するものを感知できず、民間の発想を頭から否定しているようでは、新たな時代にマッチした仕組みや考え方を地方自らの手で作り上げていくことなど到底出来ないのではないかと思いました。

このような不幸な状況を放置しないためにも、議員自らがブログなどを通して自らの考え方を発信することももちろん大事なのですが、自らの考えや政策を、議員同士で、本音トークで議論し合い、その議論の中で練り上げたものをまとめて議会として政策提案をしていく。そしてこれら一連のプロセスを市民の目にも見える形で、できるだけオープンにしていく努力が必要だと思います。

市民もまた、そのような地方の問題を自らの問題として捉えることのできない政治家をチェックしていかないと大変なことになるという危機感を持たなければならないと思いますし、おかしいと感じた時は、声をあげて議員の考え方をただしていくぐらいの意識を持つことが必要であると思います。
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by kkamoike | 2008-08-25 20:57 | 三木市政 | Comments(2)

つながりを広げるということ

自分の関わりのあることぐらいしか知らない人達は以外と多いのではないでしょうか。
子育てや介護など、日々の生活に追われて知りたくても時間的な余裕がない。
またパソコンが普及し、ITの時代となったとはいえ、特に高齢者の間では、そのようなものとは無縁の人達が私の住む地域でもまだまだ多いのが現状です。
でも実際、そんな人がほとんどではないかと正直思います。
ふれあいや交流といった掛け声とは逆に、目に見えない地域間の断絶、世代間の断絶、そして自分が属する職場や組織、団体間での断絶が広がってきているような不安を感じるときがあります。



今朝、rfuruya2さんが、三木市の「ブログdeみっきい」のことを紹介されていました。
ここ一週間ほどチェックしていなかったのですが、確かに、ここ数回の記事の充実ぶりには目を見張るものがあると感じました。
ブログの写真や文章も確かにいいのですが、私が注目したのは、書いている人の視点です。
以前、このブログでも紹介しましたが、さるとるさんや武雄人さんたちの「目の付け所が違う」のとよく似た感じなのですが、そこには、市としてのメッセージ、市職員としての市民同士のつながりをいかにコーディネートしていくのかという、私達一般のブログとは違う別の視点から発信されつつあると感じています。



その根底にあるもの・・・
それは、
市内には、こんなにも生き生きとした、躍動感溢れる活動や取組をされている人達がいることを知ってほしい。
その人達同士の中だけに終わらせておくのは勿体ない。
そのような想いなのではないかと感じるのです。


冒頭に書いたような知りたくても情報が得にくい人達、また、今はそんな活動に全く関心がない人達にも、そのような素晴らしい取組を伝えていくことで、新たな気持ちを思い起こさせたり、新たな行動につなげていくきっかけを与えてたりするのも、行政における広報の重要な使命なのだと思います。
そういう意味で、「ブログdeみっきい」のこれからに期待したいと思います。
広報紙でもこんなメッセージ性のある内容が増えれば、市内だけでなく、市外に向けたメッセージとしても十分通用する紙面づくりが期待できるのではないかと感じました。
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by kkamoike | 2008-08-23 09:03 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(5)

器(うつわ)があるのかどうか

淡路市長、この方も大変ユニークな方です。
ご自身の想いを日記風に綴られている『市長の日記』を拝見して感じたことです。
文章には、市長の人柄がよく表れており、市長の本音、特に歯に衣を着せぬ発言が大変印象的です。



8月19日の日記には、『勇気ある撤退とは』という内容が綴られている。
オリンピックの女子マラソン結果の責任について、日本陸上競技連盟が正確な情報を分析して、適切な対応をとらなかったことに言及され、その上で、情報開示の必要性と、リーダーとしての役割、市長である自分への戒めとされている。



その部分を抜粋して紹介すると、
『日本女子マラソンの結果が、多くのマスコミに話題を与えています。
責任はだれにあるのか?
言うまでもなく、日本を代表して行くのだから、日本陸上競技連盟にある。
正確な情報を分析して、適切な対応を取る。
常識の範囲内での基本的な行動を忘れてはならない。
そして、情報開示。
なにも語らないのは、リーダーではない。
貝原前兵庫県知事が、「災害時において、被災者に積極的に姿を見せ、大丈夫、心配ないという態度を示し続けることが、心のケアに繋がる」と言っています。
平常時に、パフォーマンスをするだけが行政の長の仕事ではない。
淡路市においても、心したいことです。』



やはりリーダーになる人には、このように自分に厳しく、謙虚であってほしいものです。
実際に行動が伴っていれば申し分ないのですが、少なくともそのような行動を意識することの重要性が分かっており、自分の問題として謙虚に受け止め、公の場で自らのとるべき行動を宣言する。
そのような潔さがなければ、リーダーの器であるとはいえないし、そのようなことすらできない人間は人の上に立つべきではありません。

実際にはそのような器がないのにもかかわらず、そのような意識を持つことの必要性を感じていなかったり、あるいは、自分はすでにリーダーとしての器が備わっていると思い込んでいる人には、もはや手の施しようはありません。
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by kkamoike | 2008-08-22 21:27 | リーダーの条件 | Comments(1)

伝えてほしいこと 伝えなければならないこと

「今が正念場、三木市の財政!」
広報みき8月号の特集記事である。
中身に目を通して感じたことは、果たして、この内容で特集といえるのかどうか、編集した方には申し訳ないが、単なる報告事項に過ぎないのではないかということである。
財政の状況はまだまだ大変な状況です。病院の経営も急速に悪化してきています。このままでは大変です。
しかし具体的な市の取組内容、目新しい内容については、ほとんど書かれていない。
結局、何をメッセージとして伝えたいのか、誰に何を伝えたいのか、私には理解できなかったのである。



今、地域医療を取り巻く状況は、全国的にも大きな社会問題となっている。
三木市もその例外ではない。

今年7月にはこんな記事が紹介されていた。
『兵庫県内の公的な病院の六割が、医師不足で診療縮小を余儀なくされていた。
神戸新聞社の調査で明らかになった地域医療の窮状。中でも都市部から離れた地域は、複数の診療科で常勤医確保のめどが立っていない病院も多い。外科医が常勤医不在の内科を担当するなど、必死のやりくりが続いている。
縮小診療科数が十六と地域別で最も多かった北播。三木市民病院(三木市)では常勤医の退職や派遣医師の引き揚げにより、二〇〇五年六月から一年間で神経内科が休診したほか、小児科、婦人科、皮膚科、眼科が入院の受け入れなどができなくなった。』

一方で、こんな記事もある。
『(月間WEDGE 2008年7月号P.16「特集 医療崩壊の危機 医師を増やしても解決しない」より)

全国各地で「医療崩壊」が叫ばれている。中でも病院勤務医の不足は深刻だ。
増員が叫ばれるが、単純に医師の数を増やしても解決にはならない。背景にあるのは、軽症患者が気軽に病気にかかる「コンビニ受診」の蔓延や、初期診療を幅広く行える家庭医や総合医の整備の遅れだ。さらに住民の受益と負担が連動していない地域医療のあり方にも問題がある。こうした根本的な課題にメスを入れなければ、医療崩壊の危機には対処できない。』

そんな中、
『兵庫県立柏原病院の小児科を守る会』の活動については、既にご存知の方も多いだろう。
この会は、子育て中のお母さんたちが、産科·小児科がなくなるかもしれないと知って、自分たちにできることをしていこうと結成されたものである。
実際に、この会の取り組みにより、コンビニ受診が減り、「地域住民の理解がある」ということで、新たに神戸大学の医局からも医師が派遣されたそうだ。
このように地域住民が地域の医療のことを考え、理解してくれるところで、医師は働きたいと考え、医師の確保が可能となるという良い実例が存在するのである。



三木市としてこの危機的な現状にどう取り組んでいくのか。
確かに今このタイミングで今回のような内容を市民に示すことも必要なのかもしれない。
しかし、別に危機的な状況にならなくても、「経営努力」などは日々検討するのが当たり前ではないのか。
そう考えると、わざわざ特集記事に位置づけるほどの中身なのかと感じる。
特集記事として組むのであれば、そのような状況報告のような薄っぺらい内容ではなくて、むしろ、今の地域医療の現状を丁寧にわかりやすく組むほうがよっぽどいいのではないかと思うのである。
その中で、今回のような現状にも触れるならそれもいいだろう。
そして、他の市で取り組まれている先進事例なども織り交ぜながら、今、市民として一番考えなければならないことを投げかける内容にしたほうが、よほど効果的で、意味がある広報特集になるのではないかと思ったりする。
そのことが、ひいては、市民病院も含めた地域医療を守っていこうという動きにもつながっていくのではないのだろうか。



今回の記事では市民の立場でも考えてもらうという視点が抜けているような気がするのである。
またここに書かれてあるような取組で簡単に解決できる問題でないことぐらい市民は知っている。また市民病院単独で解決できる問題ではないということも。
そういった意味で、市民向けに伝えなければならない内容は他にもたくさんあるはずだ。
膨大な情報の中から、今必要な情報を選別するのも広報の重要な役割なのだと思う。
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by kkamoike | 2008-08-20 20:07 | 三木市政 | Comments(3)

イメージというブランド戦略がもたらすもの

以前、「武雄市民物語」に武雄の楼門と「千と千尋」を関連させたユニークなアイデアが出されていました。
非常に夢のある話で、イメージがスッと湧いてきました。
どのあたりの次元までできるかは別として、非常に面白い企画であると感じたのと同時に、もしかしたら、武雄ならできるのではないかという印象を持ちました。



武雄人さんが書かれている内容を私なりに勝手にイメージしたので、もし間違っているようでしたらお許しをいただきたいのですが···
私の受けたイメージとしては、神戸の南京町や、横浜の中華街のような感じ、しかしそこには、飲食店などの商業施設が並ぶのではなく、市民の手でおもてなしをするような形の露店やバザーが立ち並ぶという感じです。そして武雄人さんがおっしゃるように、そこにいる人たちの服装や振る舞いに徹底的にこだわるなどの「異空間」というキーワードは欠かせません。

東京ディズニーランドや旭山動物園がリピーターを多く集め、大成功をおさめているのも、そこに行けば日常とは違う異空間が存在するからでしょう。
そして、もう一つ、忘れてはいけないこと···それは、そこに行けば期待を裏切らない大きな感動が得られるというメリットです。
しかし、この感動というもの、ハードだけ整えれば、勝手に生まれるというものではありません。そのような感動を呼び起こすためには、人々の「熱意」という要素が欠かせません。
そこに働く人たち、訪れる人たちが持つ「熱意」です。
その「熱意」があるから、感動させたい、感動したいと思わせる「創意工夫」が繰り返し行われるのではないかと思うのです。



行政が手がける事業の多くが、味気ないものに終始してしまうのは、つくることに関しては一生懸命だけれども、作った後のフォローにまで手が回らない、目が行き届かない、あるいは、それほど重要視されていなからではないでしょうか。
しかし、武雄には、そのようなフォローの部分での下地が整っているという印象を強く持っています。
私は、実際に武雄に住んでいるわけではないので、本当のところは分かりません。
本当のところは分からないけれども、そういう良い印象を第三者に与えるだけの情報発信がいたるところでなされているため、「武雄」という一つのイメージを作り出しているのだと思います。
言ってみれば、これも一つの「ブランド」戦略なのかもしれません。
だから、武雄人さんのこのアイデアも、武雄ならなんとなくうまくできるような気がするのです。



人に夢を描かせたり、夢を与えることができるのも、「イメージというブランド戦略」が成せる技かもしれません。
そして、「イメージというブランド戦略」が、市民自ら『アイデアを出してみよう!』という力を引き出し、それがひいては行政に対する信頼感へとつなっていくのだと思うのです。
小手先だけでイメージを良くすることなどできません。
これもまた日々の地道な積み重ねがあってはじめて創り出されるものなのでしょう。
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by kkamoike | 2008-08-18 21:43 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(5)

特徴あるものを見極めるには

あなたは、他よりも特徴があり、他とは違うということを見極めるにはどんな方法があると思われますか?


昨日、このブログで紹介した本の中に、一つのある方法が書かれてありました。
なぜ病院の医師は、CT画像を見て病気か正常かを見分けられるのかという問いに、ある医師はこう答えたそうです。
『ノーマルをたくさん見ているからわかるんですよ』


私の頭の中に一瞬「???」の文字が···
その後、暫くしてから、「そらせやわな~」と納得したのでした。


つまり、病気だけを見ていると、病気か正常かが分からないけど、ノーマルをたくさん見ていると、異常が分かるのだそうです。


でも、この当たり前のことが実は難しいのですよね。
聞いてみれば当たり前の話なのですが、私がその話に強い衝撃を受けた理由は、
既に、私の中で、異常の特徴をインプットする方法を模索する方向に頭が働いていたからなのでしょう。

私たちは、特別なものが見極められるようになりたいという思いがありますが、いろいろなもの、たくさんの普通のものを見ていることも必要だということのようです。
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by kkamoike | 2008-08-16 23:30 | Comments(0)

ブログに学ぶこと

ブログを読んで学ぶことは多い。
そこには大きく分けて二つの「学び」があると思っている。
知識や、世の中で話題になっていることなどの情報を得るという面での「学び」と、ブロガーの考え方や物事に対する取り組み姿勢に影響され、自分の思考パターンや行動に活かしていくという面での「学び」である。
このほか、ブログやコメントを読んで、様々な気づきや発見をすることもある。



今朝、何人かのブロガーの間で、武雄市のブログのことが話題としてがあげられていたが、その中で「武雄市民物語」というブログが紹介されていた。
私もほんの少し前に、このブログの存在を知り、最近は毎日興味深く拝見させていただいている。
実は、このブログを初めて読んだ時、「ピン!」と来るものがあった。
それは、三木を代表するブログ「さるとるファイト!」と相通じる要素があるということである。
いろんなことに対して「興味」や「関心」をお持ちになり、さらに自分のオリジナリティを作り出す努力を常に心掛けておられる点でお二人のブログは非常に似ていると思ったのである。
言い方を変えれば「人とは、目の付けどころが違う」のが特徴ではないかと感じている。



そういえば、最近読んだ『ビジネスマンのための「発見力」養成講座』という本の中にこんな話が書かれてあった。
『あなたは、セブンイレブンの看板にあるロゴを書けますか?』と。
著者は、講演でこの質問をよくするそうだが、ロゴなどほとんどの人が終始見ているはずなのに、ほとんどの人が書けない。書けたとしても最後の「N」が小文字の「n」だということに気づく人はほとんどいないのだという。
要は、『人は何万回見ても、見えないものは見えない。』ということが言いたいのだそうだ。
このセブンイレブンの話···私は、当然クリアすることが出来なかったのだが、この部分を読んで、セブンイレブンの看板を「関心」を持って見るようになり、本当かどうか見てみようと「仮説」を持つことができたのである。
著者曰く、
『まず、関心を持てば、全体像なり、何かが見えてきます。少なくとも見ようとします。次に重要なのは、「何を見るか」が分かっていることです。
「判断基準」が分かれば、言い方を変えれば、こうではないかという「仮説」を立てれば、ものがはっきり見えるようになります。』



これといった特徴がない、いいところがない、売り出すネタがない、何かいいアイデアありませんか?···
こんな言葉を時々耳にするが、実は、単に自分たちに見えていないだけで、本当は、私たちの周りには、いろいろなヒントやすばらしい素材がたくさん散らばっているのではないのかと思うのである。
普段から、どれだけ多くのことに関心を持ち、頭をフル回転させ、物事に取り組んでいるか。
たとえ思い付いた発想が小さなことでも、あるいは突拍子もないことでもいいではないか。
そういった日々の積み重ねが、いつか大きな発見や成功に結び付く成果をもたらすのだと思う。

「さるとるファイト!」や「武雄市民物語」は、そんな学ぶべき点がいっぱい詰まったブログなのである。
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by kkamoike | 2008-08-15 19:57 | みっきぃふるさとふれあい公園 | Comments(4)

言葉の持つ力

市の情報を伝える代表的な媒体に、広報誌やホームページがあげられる。
rfuruyaさんの言葉をお借りすれば、そこにはコンセプトというものが存在し、伝えたい相手が想定されてはじめて機能するものであり、そのようなものがないものは「広報」とはいわない。
そんな言葉の意味を噛み締めながら、あらためて各市のホームページを見渡してみた。


最近は、ホームページの中に「市長のページ」を設ける首長さんが比較的多く出てきているようだが、どこの首長さんも自分のカラーを前面に出していきたいという意欲の表れなのかもしれない。
その背景には、市民に親近感を持ってもらいたい、自分の考えていることや信条などを広く知ってもらいたいなど、それぞれの想いがあると思うのだが、いずれにしても、本音が見える文章には親近感を覚えるものである。
逆に、通り一遍等で社交辞令のような言葉に心を動かされることはほとんどない。
たとえ、短い言葉でも、たとえ不器用な言葉でも、書き手の想いを文章に込めることができれば、その想いは読み手に必ず伝わるのだと思う。


『発信する人の 「想いが感じられるものはいい」
その論旨に、賛成反対はまた別の問題である。
想いが文章に表れているのは好感が持てる。 それはホンネだということと私は認識している。
幾ら綺麗な文章で表現されていても、そこに想いが感じられないものが世の中には多いものである。
昨日今日、そんな想いのあるブログが発信されている。』


このくだりは、以前、rfuruyaさんが自身のブログに書かれた内容である。
大変光栄なことに、この中の一つに、私のブログ記事も取り上げていただいた。
この記事の言葉は、今も、私の「宝物」として、いつでも読み返せるよう、また、このようなスタンスをいつまでも持ち続けられるよう、お気に入りに保存している。


広報みきはともかく、せめて市ホームページにある「市長のふれあいページ」ぐらいは、「ふれあい」という名前がつけてあるぐらいなのだから、もっとフランクに、そしてざっくばらんな言葉で、普段思っていることを正直に書くコーナーがあってもいいと思うのだが。
それにしても、一体、誰とふれあいたいのだろうか···。
このままでは、いつまでたっても、市民とのふれあいは生まれないだろうし、市民との距離を近づけることもできないのではないかと思うのである。

昨日、今日、それぞれのブログで発信されている、事故後の市長の対応に関する意見に付随した想いを私なりに表現してみました。



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by kkamoike | 2008-08-14 20:16 | 心に留めておきたい言葉 | Comments(1)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。