どうぶつのつぶや記

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マニフェスト評価の正しい見方

マニフェストの進捗状況がホームページに掲載されている。
そもそもこのような政治色の濃いものが、市のホームページに堂々と掲載されていること自体どうなのかと首を傾げたくなるのだが、この内容もまた、市長の市政運営同様、突っ込みどころが満載です。


評価について、数値などで分析できるものなら分かりやすいのだが、数値化できないものは評価者の主観で評価されることになるのだろうか。


例えば、「時代を担う子どもたちを育てる教育費は削減しません。」

このような項目は、前年の予算や決算と比較して達成出来ているかどうかは容易に判断できる。

一方で、
①「三木と吉川のよさをお互いが尊重し、認め合うまちづくりを推進します。」

②「行政のムダを徹底して排除し、小さな市役所をめざします。」

③「助役·収入役は置かず、部の数は少なくし、部長には民間人も登用します。」

といった項目などは、いずれも「○···完了」となっているのだが、
何をもって「完了」と評価したのか、私にはその理由がわからないのである。

例えば、

①などの項目は、本当にそのようなまちづくりが推進されたかどうかについては市民が評価する内容だと思うのである。
もしかしたら市民にとっては「完了」には程遠い状況なのかもしれない。
客観的に評価することが求められるのではないのか。

②などの項目は、掲げられている内容の判断基準が曖昧すぎると思うのである。
どこまで取り組めば「ムダ」が排除されたといえるのか。
もともとのはっきりした基準がないから、本当に排除できたかどうかは疑わしい。
「小さな市役所」もどれくらいの規模で「小さな市役所」といえるのかが分からない。

③などの項目は、これまでもこのブログで再三、主張してきたが、
単に「助役や収入役」を置かなかったという事実に対する評価だけでいいのかと思うのである。
「完了」という評価は、設置したかしなかったかという事実に対する評価なのだろうが、
本来は、その取組が市政運営にどう影響したのか、不都合は生じなかったのか、そのような分析を踏まえた上での評価でなければ意味がないと思うのである。
また、民間部長を途中で登用しなくなったことに対する評価はどうなるのか。


一つ一つ指摘すればキリがないので、ここでは個々の項目に言及することは避けるが、
いずれにしても、ここで評価されている内容と市民が受け取る印象とはかなりの差があるように感じるのは私だけだろうか。

マニフェストに掲げた項目だけをもって「まちづくり」の評価ができるほど、「まちづくり」は単純ではない。
正直、このような評価結果に一喜一憂することはナンセンスであると思うし、このようなナンセンスなことの進行管理に貴重な時間と税金を費やすことは即刻やめてほしいものである。

そう考えると、少なくとも、「行政のムダを徹底して排除し、小さな市役所をめざします。」の項目は、「〇」にはならないはずである。
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by kkamoike | 2008-06-23 22:51 | マニフェスト

プロフェッショナルなのだから

市民の意見一つ一つに答えを返す。

市民から見るとあたり前のようにも思うし、わざわざご丁寧にと恐縮するところもある。

自分が教えてほしいことや、どうにも腹の虫が収まらず文句を言った時、返事を期待している場合に反応がないのは困る。
しかし、特に返事を望んでいない場合は、わざわざ返事などくれなくてもいいのにと思うことがある。


何が言いたいのかというと、もう、お分かりの方もいらっしゃるはず。
そう、市内の各地区で開催したタウンミーティングで出た意見やアンケートの意見に対し、一つ一つ市が丁寧に答えている件である。
その内容は、ホームページにも掲載されているし、地域内で回覧もされていた。

「ご苦労様でした。」の一言に尽きるが、読んでみようという気にはならない。

自分が参加し、なおかつ冒頭に書いたような返事を期待している場合は、その内容を探すこともあるだろう。
しかし、それでも、この膨大な資料に目を通すかどうかは疑問だ。


ここでも、これだけの資料をつくるには相当の時間と税金が使われているものと推測されるのである。

「これだけの手間隙をかけてつくったわりには、中身のない」と言ってしまえば一生懸命作られた職員の方々に失礼だが、この資料は「意見者に回答を示すだけが目的なの?」それとも「参加していないほとんどの市民にも見てもらいたいの?」と思ってしまうのである。

「こんな意見が出ました。市はこんなふうに答えています。みなさん見てください。さあ、どうぞ。」

これでは、参加しなかったほとんどの市民に目を通してもらうことなどできないだろうし、市としてのメッセージも伝えることは難しいだろう。


単に、市民からの意見に対して回答し、見たい人は見ればいいというような受身の対応ではなく、
出てきた意見を市としてどのように受け止め、どのようにしてまちづくりに活かしていくのか、もう一歩、二歩踏み込んだ形での総括的な市の見解をわかりやすく、見やすく示すことで、市が情報発信するにふさわしい資料が出来上がってくるのではないのかと思うのである。
平たく言えば、参加しなかったほとんどの市民に目を通してもらうには、どうすればいいのかという視点で物事を考えれば、おのずと答えはでてくると思うのだが···。

相手の気持ちにたって物事を考え、行動することは、戦略的な情報発信、先進的な広報をしていく上での基本中の基本なのである。

プロフェッショナルなのだから、同じ手間隙かけてするのならもう少し知恵を絞ってほしいものである。
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by kkamoike | 2008-06-21 22:12 | 三木市政

やり方の問題

もて木さんが文化振興ビジョンについて熱い想いをぶつけておられる。


それにしてもいろいろな計画やビジョンといった成果品?を作るのがお好きなようです。

我々市民から見て総合計画なども手間ひまかけて作ったわりには、それが実際の政策にどう活用されているのか、まちづくりにどう関わっているのかが全く見えて来ない。

作っただけで、ただ眺めているだけのものなら、別にあってもなかっても一緒のような気もするのですが。


なぜ今、文化振興ビジョンなのか。

文化振興ビジョンを策定して何がしたいのか。

まちづくり、総合計画と文化振興ビジョンの関係や位置付けはどうするのか。

市長自身の「文化」に対する想いや考えはどういうものなのか。
などなど

一番肝心なところの議論が抜け落ちているような気がしてならないのである。

本来、庁内会議ではそのような部分をもっと掘り下げて議論すべき場ではないのかと思うし、このようなことこそ市の幹部で心合わせをしておくべき内容だと思うのだが。

それなのに、直近の庁内会議で議論されているのは、計画をつくるための方法論などのわけのわからない議論が延々と繰り返されているだけなのである。

元々の確固たる方向性も定まらないまま、いくら担当者に案をつくらせても、無駄な時間と税金を使い込むだけなのである。
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by kkamoike | 2008-06-20 06:35 | マネジメント

目線の先にあるものの違い?

もう知っている人は知っておられるだろうが、武雄市長物語では連日、病院と地域医療に対する市長の想いが熱く述べられている。

中身の問題がいいことなのか悪いことなのかはわからない。
実際のところ、市が進めようとしていることに対し、反対意見も多くあるようだが、一つの政策に対して世論が分かれるのは決して異常な事態ではなく、むしろ健全なことであり、より良い結果に結び付けていくためには歓迎すべきことなのだと思う。

しかし、私が注目するのは、政策を進めるほとんどの段階において、全ての市民や関係者に対し、情報公開が正しくされているという点である。
まさに賛成派の意見も反対派の意見も正々堂々、オープンにされ、政策決定に至るプロセスが明らかにされているという点である。

万事において、まさにガチンコ勝負だから、必然的に議会での答弁や内容についても真剣勝負になるのだと思う。

同じ地方自治体であるのに、これほどまでに市政運営の中身、質が違うのは何故なのか。

同じように税金を支払っているのに、武雄市のような真剣さが伝わってこないのは何故なのか。

その答えは···
上手く表現できないが、市政運営を進める際の、目線の向いている方向が違うからなのかもしれない。
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by kkamoike | 2008-06-19 21:13 | 三木市政

公務員叩きの真相(2)

自分が低い給料しかもらえなかったり、サービス残業をやらされているからといって、公務員にも同様の雇用条件を強要させたがる風潮もまた、「公務員叩き」の代表的な一例といえる。

しかし、仮に自分の給料が公務員より低いのであれば、それは民間の平均給料よりも低く抑えられているわけで、雇用主に賃金の引き上げを要求するのが筋なのである。
また、サービス残業についても、本来はそのような労働条件の下で働かされていること自体違法なのだから、この場合も雇用主に対して抗議し、労働条件の改善を求めるのが筋なのである。

非難の相手は雇用主ではなく、自分より好待遇と思われる人に変更される。すなわち、荷を担うロバが憎むのは、荷を担わせた飼主ではなく、自分より軽い荷を担ぎ、多くの餌を与えられている隣のロバなのである。

自分より多く給料をもらっている人や、身分が安定している人を見ると許せない人たちにとって、「公務員叩き」をぶち上げる政治家は、まさに自分の不満や恨みを晴らしてくれるこの上ない正義の味方になるわけである。
そして、このメカニズムを知り尽くした政治家は、そのような発言をすればするほど支持が得られ続けることも知っているのである。
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by kkamoike | 2008-06-18 22:10

公務員叩きの真相

1週間前の朝日新聞に、「なぜ国家公務員の給料は下がらないのか」という橋本知事の発言が取り上げられていた。

たしか、藪本さんが三木市長に就任したときも、「公務員の給与は民間に比べて高すぎる」というようなことを述べていたのを記憶している。

そもそも、公務員の平均給与は正規職員のみを対象として算出されているのに対し、民間は派遣職員やアルバイト、パートタイマーなどを含めた平均であることをどれだけの人が知っているのだろうか。

民間企業の平均給与は、非正規社員の増加により引き下げられてきた。
「官」においても、民間委託が進み、低賃金で働かされる「官製ワーキングプア」が確実に増加しているといわれている。
これらの人たちも含めれば、公務員の平均給与も十分に下がってきているはずである。

このような実態から目を背け、頑なに自らの信念=偏見=誤解にしがみつこうとするのが、昨今の公務員叩きの真相といえるのではないか。

橋本知事の支持率が85%あるという。
三木市長の支持率は知る由もないが、数値的な裏付けのないデマであっても、その誤った理解が国民に行き渡っている間は支持が得られることになるのであろう。
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by kkamoike | 2008-06-17 19:02

政治屋か政治家か

市長がマニフェストに掲げている取組の一つに、「職員削減」がある。
財政難のため職員削減に取り組む自治体は、三木市に限ったことではない。

お隣の小野市などは、全国でも、指折りの少人数体制の自治体だという。
将来的に三木市も、「少数精鋭体制」にしていくという方向性に異論はない。
(ただし、「少数精鋭体制」と「単なる少人数体制」とは違う。)
ただ、わずか4年間で結果を出す必要があるのかという点については大きな疑問を持っている。
約束した削減人数を4年間で達成さえすればいいというわけではないと思うのである。
わずか4年間で一気に、職員数を削減することによって起こる弊害はないのだろうか。

このことについては、オンブズマン三木さんの「無能な役職をどれだけ減らしたか」の記事や先日、このブログの記事に対して、セロトニンさんや療養休暇不正受給さんからいただいた「ヒラメ族」に関するコメントなどを見るにつけ、やはり結果を急ぐばかりに大きな弊害が生まれ、確実に組織の機能を蝕んできているように感じるのである。

「職員の削減問題」のほかにも、オンブズマン三木さんが今回記事にされている「ごみの分別方法の見直し 」や、以前、このブログでも私見を述べさせていただいた、「施設の無料化問題」など、長期的な視野に立ってみた場合、正しい判断に基づいた政策といえるのか疑問に思うことばかりなのである。

「政治屋は次の選挙のことを考え、政治家は次の世のことを考える。」
東国原宮崎県知事の言葉である。

もうそろそろ、私たち市民も、選挙に立候補する人が「政治屋」なのか、本物の「政治家」なのかを見極める目を養わなければならない時期にきているのだと思う。
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by kkamoike | 2008-06-15 20:05 | 三木市政

政策協定とマニフェスト

もて木さんのブログに、「政策協定」に関する意見が述べられている。

この仕組みが全国の自治体でどれだけポピュラーなものなのかはわからないが、少なくともインターネットで「政策協定」を検索しても、ヒットする自治体はほとんど見られなかった。

私自身、「政策」とは、首長が選挙で約束した「マニフェスト」に基づき進められるものだと認識している。
「マニフェスト」を掲げた首長がいる自治体であるなら当然のことだと思っている。
中にはボトムアップによるものもあるだろうが、ほとんどの政策、特に重要な政策については、「マニフェスト」の中に盛り込まれているだろう。

そう考えると、市長と各部長との間で「政策協定」を結ぶことが、かえって責任の所在を曖昧にしてしまうのではないかと懸念するのである。

確かに、市長は4年に1回の選挙で審判が下されるわけだが、その判断材料となるマニフェストに基づいた政策評価を、各部長のボーナス査定に用いること自体、どう考えても納得がいかないのである。

「政策協定」は、「マニフェスト」を掲げた首長が当選した時点で、市民との間で自動的に結ばれるものだと考えるほうが、我々一般の市民にとっては分かりやすいと思うのだが。

ボーナス査定は、政策ごとの難易度の違い、評価の正当性や公平性の問題から考えても、もっと分かりやすい次元の、例えば、評定範囲を勤務状況や個人の能力などに絞って行うべきものではないのだろうか。

現在、三木市が行っている「政策協定」と「ボーナス査定」との連動は、単なる市民向けのパフォーマンスになっていないのか。
本来「勤務評定」とは、誰もが納得できる透明性と公平性を兼ね備えた、そこで働く者の意欲や、やりがいを高めるための仕組みでなければならないと思っている。
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by kkamoike | 2008-06-12 17:25 | 三木市政

議会の会派について

オンブズマン三木さんの「議会」の投稿記事を読んでの感想を、記事としてアップさせていただきます。



時々、議員の存在価値が何なのかわからなくなる時がある。

市民の信託を受けた政治家であるはずなのに、普段の活動や考えていること、どんなまちづくりをしたいのかというメッセージが市民にほとんど伝わってこないのは何故なのか。

以前、やまかずさんが自身のブログで「そもそも会派をつくる意味があるのか」というようなことを指摘されていたと記憶しているが、私も最近、疑問に思うようになってきた。

「会派」があることによって、彼らの考えていることや活動が分かりにくくなっていることはないのか。
きちんとされている議員の方には失礼な言い方になるが、「会派」という組織があるために、それを盾にして、あるいは都合のいいように利用することで、たいした仕事をしなくとも、議員として死に物狂いで4年間働かなくても、さらには議員としての資質を高め極めなくとも、「簡単に高給を手にすることができるうま味のある職業」と、市民に受け取られる一つの要因になっているのではないか。

市民が求めているもの、三木市にとって本当に必要なもの、それは、会派間の数の論理(力関係)、支持基盤や支持団体への点数稼ぎの活動ではなく、議員一人一人の顔の見える活動と三木を良くしていきたいという力強いリーダーシップの発揮なのだと思う。

この市民の思いと議員が実際にとっている行動とのギャップこそが、政治家に対する不信感が生まれる最大の要因なのかもしれない。
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by kkamoike | 2008-06-08 12:21 | 三木市政

6月議会に思うこと

何日か前の「武雄市長物語」に、国政(農業·食糧問題)に対する市長の熱い想いが述べられていた。

武雄市長がおっしゃりたいことは、今の日本を取り巻く情勢下では、まずはそこに住む人たちの生活基盤を強固なものにすべく、国内の生産者や消費者不在の政治にもうそろそろ終止符を打ち、方向転換する時期にきているのではないか。そのための国内向けのメッセージをもっと発信していくべきではないのかという内容であったと私なりに受け止めた。
武雄市長自身が発信している言葉の一つ一つに共感を覚えた。

昨今、多くの政治家が自分の言葉で表現できず、「玉虫色」といわれるわかりにくいメッセージばかりを連発する中で、わかりやすく、心に響く力強いメッセージだと感じた。


今、何を重点的に取り組まなければならないのか。そのためにはどのような手を打たなければならないのか。
タイミング、判断を誤れば、その損失はとてつもなく大きなものとなってしまう。
国家的なプロジェクトに近づけば近づくほどその影響は大きくなる。

財政難で限られたお金の範囲でしか予算は組めないのに、住民の要望は、社会が豊かになればなるほど多岐にわたる。そして政治家も、どこに対しても「いい顔」をしたがる。
口では『選択と集中』と格好いいことを言っているけれども、結局、多くの場合、決断が後回しとなり、総花的な、あれもこれもという中途半端な結果に終わってしまう。


振り返って、今、三木市は何を全力で取り組まなければならないのか。取り組んでいるのか。どれもこれも中途半端になっていないのか。
そんな熱い議論の展開や心に響くメッセージが伝わってこないのは私だけだろうか。
あれもこれもと欲張りってばかりいても、できることは限られているのである。

6月議会がはじまった。果たしてどんな熱い議論が期待できるのだろうか。
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by kkamoike | 2008-06-06 21:25 | 三木市政