どうぶつのつぶや記

<   2008年 03月 ( 20 )   > この月の画像一覧

「組織」も生き物

前回の副市長に関する投稿に対して、rfuruya2さんから、
『人はコストではありません。』というコメントをいただいた。

経験も実績も持っておられる方の意見は、わずかなフレーズでも重みがあり、説得力に満ちている。
いつもありがとうございます。



トップに「人はコスト」であるという認識があれば、部下はそのことを敏感に察知するものだと思う。

「人」を大事にできる、大事にしている会社かどうかは組織の編成方針や実際の体制を見ればわかるものだ。

「人」を大事にしない組織からは、お互いの信頼関係は生み出せないし、会社のために精一杯働き、貢献していこうという前向きな気持ちにはまずならないと思っている。

「組織」も「人」と同じ生き物なんだと思う。
[PR]
by kkamoike | 2008-03-30 09:44 | マネジメント | Comments(0)

副市長は必要か

小野市では、大型プロジェクトに対応するために副市長を1人増やして2人制にしたという。
加東市でもすでに2人の副市長を置いているし、
三木市と人事交流している武雄市においても2人の副市長を置いている。

いずれも三木市よりも人口が少ない市ばかりだ。
全国的には、どのような傾向にあるのだろうか?
大都市になると3人体制もめずらしくないようだ。

三木市では現在の市長のマニフェストの影響かどうかわからないが、副市長は一人もいない。
置くのがいいのか、置かないほうがいいのか、市民の本音はどうなのだろうか。
市民は本当に必要ないと思っているのだろうか?
そのようなことを市民アンケートで聞けばいいのにと思う。

課題やプロジェクトが山積しているのは、三木市も同じだろう。
むしろ、小野市や武雄市よりもスピード感や充実感、力強さの面でも劣っているように感じるのは私だけなのだろうか。
rfuruyaさんが常々おっしゃっておられる、三木にはいい素地がたくさんあるのにそれが十分に生かされていないというような課題もあると思う。

副市長を置くことによって、他の自治体との差別化を図り、地域を活性化するための取り組みがスムーズに行くのであれば、副市長の人件費ぐらいは安いことだと感じる人は少なくないと思うのだが。

市長の力量云々という問題ではなく、どういう部分に核となる人をつぎ込むのか、そのようなメリハリのある組織体制を構築し、足固めをしっかりすることから始めなければ、なかなかよい結果に結び付けることは難しいのではないかと思う。

仮に市長の面子だけで副市長を置かないというのであれば、市民として迷惑な話で、単なる人件費の削減効果よりもそれによってもたらされる損失のほうが大きいような気がするのだが。
[PR]
by kkamoike | 2008-03-29 01:02 | 三木市政 | Comments(1)

ホウレンソウ

マネジメントの基本として、「ホウレンソウ」(報告·連絡·相談)の徹底があげられる。

今週(平成20年3月26日付)の小野市長のコラムで興味深い内容が書かれてあった。
『小野市流「二束のホウレンソウ」』 である。

小野市長は、民間での経験も豊富で市長としての実績もおありの方だが、
「(この「ホウレンソウ」は、)どの業種であっても、最も重要なルールの一つである。これがしっかり出来なければ、役所でも会社でも組織として機能しない。しかし、理屈ではわかっていてもなかなか徹底できないのが実情ではないか。」
と述べておられる。

ここまでは一般論としてよく聞く話なのだが、個人的には次の記述に興味を抱いた。

「ところで、「ホウレンソウ」には、もう一つの「ホウレンソウ」がある。方向性をきちんと示し、部下を掌握して連携ネットワークをとり、総括してまとめるという上司に求められる「方·連·総」である。
部下からの「報·連·相」、上司に求められる「方·連·総」、この2つの「ホウレンソウ」を、「二束のホウレンソウ」と位置づけている。組織力を強めるためには、トップ自ら状況を的確に把握したうえで明確な方向を示し、部下はトップと同じベクトルで動くことが不可欠である。そのためのツールの一つが「二束のホウレンソウ」である。」

なるほど、うまく表現されるものだと関心した。

やはりマネジメントを知り尽くしておられる人だからこそ、このような表現ができるのだと思った。
小野市長がしっかりとした考え方の軸をお持ちであること、それをメッセージとしてわかりやすく相手に伝えるコミュニケーション(伝達)能力にも長けていること、さらには指導力の強さを感じた。

言わずもがな、武雄市長の樋渡さんもこのあたりの能力の高さについては(当然、ほかの能力も)、定評があり、他の首長をも圧倒する存在感だ。

「システム」が単なるシステムに終わることなく、正解にいうと、終わらせることなく、うまく機能しているところに小野市や武雄市の元気の源があるのだと感じた。
[PR]
by kkamoike | 2008-03-27 19:44 | マネジメント | Comments(0)

矢祭町の日当制について

今回の日当制の問題は比較的好意的に受け止める人とそうでない人と賛否両論あるようだが、私はあえてどちらかと聞かれれば後者のほうだ。

あくまで一般論として考えた場合だが、後ろ向きな意見の中にもあるように、日当制になると議員が続けられるのは、兼業ができる人か、お金持ちの人、あるいは時間的余裕がある人などに限定されてくるのではないかという心配である。
逆に、若者をはじめとした働き盛りの世代が議員を目指そうという気にはなりにくいのではないか、なりたくてもなれないという状況になってしまうのではないかと感じる。
ひらかれた地方自治、政治を目指すのであれば、日当制よりもむしろ、誰もが選挙や政治活動にチャレンジしやすい、あるいはできる制度や環境、また仮に失敗してもスムーズに社会復帰できる制度や環境を整備することのほうが優先されるべきではないかと思うのである。


そんなことを思っていた矢先に今度は、こんな話題が···

議員報酬の日当制導入が決まった福島県矢祭町の23日の町議選後に、古張允町長(67)が当選者らに「当選祝い」として現金を配っていたことが25日、分かった。県警は、公選法違反の疑いもあるとみて調べる方針。古張町長によると、23日夜、当選が決まった6人に現金入りののし袋を手渡そうとした。4人は断ったが1人が3万円、もう1人が1万円を受け取った。2人は書留で現金を返送したという。

こういう記事を見ると、今回の日当制導入が、本当に高い志を持つ人なんかを期待してるのだろうかと思ってしまう。
さらには、自分たちだけの特権、既得権を強固なものにするための今回の改悪、やっぱり単なる報酬カットというパフォーマンスだけだったの?と醒めた目で見てしまうのである。
[PR]
by kkamoike | 2008-03-26 23:25 | Comments(0)

「叱る」ことが受け入れられる人間になりたい

傍若無人:生徒8人がつば、放尿、喫煙… 福岡の中学校

この話題は、先日の「たかじんのそこまで言って委員会」でも取り上げられていた。
今どきの子どもたちがこんな子どもたちばかりというわけではないが、
番組に出ていた専門家は、教育を取り巻く環境が昔と比べて大きく変化していることが一つの要因として考えられ、
個々に見た場合、突然こんなことをする子どもたちが育つわけではなく、その親、そしてまたその親というように、それぞれの家庭で受け継がれてきた環境というものが子どもたちの成長を大きく左右するのではないかと分析していた。


ふと、以前、産経新聞に連載されていた東京都の石原知事のコラムを思い出した。

知り合いの友人が赴任先の校長から、「生徒を叱らないで下さい」と頼まれた話を聞かされて驚いたという内容だ。
さらに、東京オリンピックの頃の指導者の姿を懐かしく振り返って話すと、
バレーを教えているコーチからは、こんな言葉を返されたそうだ。
「おっしゃることはよくわかりますが、当節はなかなかあの頃のようにはいかないのですよ。今の選手は強く叱るとすぐに泣く、すねる、止めるという者までいるのでしてね」

それに対して、石原氏はこんなふうに考えを述べている。

「叱るという行為を欠いた教育なるものがこの世に有り得るのだろうか。未完成の人間を完成に導くために、先達が時には叱るという行為が教育の名の元に封じられるという、不合理を通り越した滑稽無為な現象が一体何を生み出し、彼らの何をどう向上させるというのだろうか。
(中略)
生徒を叱らないでくれと諭す校長は、教育という作業での本質的な責務を忘れているとしかいいようがない。そしてまた、子供を叱ってくれた教師に抗議してくる当節の多くの親たちは、教育としつけの場で先生たちに何を期待するというのだろうか。」

そして最後に、

「叱るべき相手に好感を持たれようと思う心は、実はその人間の弱さ、卑しさを露呈したものでしかないということを、その立場にある監督、教師、そして親たちが悟ることなくして、率いられる者たち、子供たちがどう救われることだろうか。」
と結んでいる。

連日いたたまれないニュースが報道されるたびにやり切れない気持ちになる人は多いと思う。
しかし、これらの問題は、一個人や家庭、組織だけの問題ではなく、社会全体の問題として捉える意識を一人一人が持つことからはじめなければならないのではないかと思う。
まさしくそれが「教育」なんだと思う。

そして、「叱る」ことに躊躇する人間ではなく、真正面から正々堂々と「叱る」ことができて、なおかつ、相手がそのことを自分のものとして受け止めてくれるような人間関係を普段から築いていられるようにしたいと感じた。
[PR]
by kkamoike | 2008-03-25 19:02 | マネジメント | Comments(0)

今、私たちに求められているもの

「行革」とは、未来永劫に続けていくぐらいの気概を持って取り組むべきことであり、合理性のあるものでなければならないと思っている。
単なる思い付きや、選挙の得票稼ぎ、木を見て森を見ずといった取り組み、小手先の市民騙しともとれる取り組み、あるいは、新しい首長に代わったらすぐに廃止されてしまうような取り組みなどは、「行革」とは言わないと思っている。

今回、とりあえずトイレ掃除が民間委託から時間単価の高い職員の手で行われることがほば認められたようだ。
未だに「行革」と「意識改革」の一石二鳥の効果を目指すと言っておられるようだが、やる以上は、きちんとその効果を検証し、その検証結果を公表してもらわなければならない。
業務日誌の作成を義務付け、従事した人の給料単価や作業時間を記録することはもちろん、職員に支払われた人件費のうちどれだけトイレ掃除に支払われたのかについても広報誌などで包み隠さず公表してもらわなければならない。
市長は、本当に委託をやめて経費が浮いたのかどうかを市民に正しく伝える義務がある。
少なくとも、やってみたが、逆に経費が高くつくから止めましたというようなみっともないマネだけはやめていただきたい。
また、職員の意識改革がなされたかについても、その評価結果をきちんと公表してもらわなければならない。

3月議会の委員会で、どのような議論があったのかはわからないが、議会の委員会で認められたからといって「行革」の取り組みの1項目が完了したと思ったら大間違いである。

以前にも触れたが、市長車の運転業務委託廃止の件についても、議会は行革の一環として民間委託に移行したにもかかわらず、それと正反対のこと(委託をやめて職員に運転させる)をしたわけだが、その取り組みについても未だ検証結果が公表されないままである。

本当に「行革」として評価される取り組みかどうかは、一年間の成果を検証し、その合理性が得られてはじめて認められるものであることを忘れてはならない。
一年後、どのような報告がなされて、市民がその内容をどう評価するのか、今から楽しみにしたいところだが、おそらく、そのような検証も、検証結果の公表もされないまま、市民を馬鹿にした対応になるのだろう。

いいことばかりを強調して売り込んでくるセールスマンに対して「何かおかしいぞ」と冷静に考える習慣があるのと同様に、政治の場合もそのような冷静な目を養うことが私たち市民にも求められているのかもしれない。
[PR]
by kkamoike | 2008-03-23 14:26 | 三木市政 | Comments(2)

「市民」の定義と必要な「根回し」

3月議会で、福祉会館を「市民活動センター」に改称する意向を示していた市側が、総務文教常任委員会の協議の中で「市民は福祉会館の名称に親しんでおり残してほしい。」などの意見が相次いだために、改称を取りやめたという記事が今日の神戸新聞に載っていた。


今回の件は、市の提案が議会に一部認められなかったわけだが、前回のマックスバリュ跡地利用の件と同様に、いずれも「市民」の理解が得られないという理由から議会側のストップがかかったと見られる。
市民の意見を第一に考え、行動されているはずの市長さんなのに、どうしていつも議会が把握している市民の意見と相反する行動に出るのか?
どちらの声が本当の市民の意見で、また、上に立つ者として汲み取らなければならない意見なのかは分からないが、
今回、市側が、議会から指摘された部分を譲歩したことを見ると、議会が把握している意見が市民の意見であると認めたということになるのだろうか。

いずれにしても、まずは「市民」の定義や対象をしっかりとおさえるところからはじめられてはと思う。
「市民」の定義や対象をあいまいにしたまま放っておくと、本当の市民の意見や気持ちを汲み取ることなどできないからだ。
市民活動を支援したり、フォローしたりするのは、その次のステップになると思う。
施設名やシステム、建物だけを整備しても中身が伴わなければ意味がない。


そして、今回の件にどれだけの時間が費やされたのかはわからないが、市民感覚からいえば、施設の改称ぐらいは事前に議会と調整しておけば済む内容だと思うのだが。
それよりももっとほかに時間を費やすべき事柄があったと思う。
必要な「根回し」ができないばかりに、このような必要のない議論を繰り返し、無駄な時間ばかりを費やすことになる。その結果、本当に議論しなければならない部分が疎かになる。
委員会での議論だけにとどまらず、そこに至るまでの過程には多くの人と時間が関わっているはずである。

そのような多くの人たちの苦労に報い、結果を出していくのがリーダーの務めだと思っている。
[PR]
by kkamoike | 2008-03-21 20:56 | 三木市政 | Comments(0)

橋本知事批判に抗議殺到

橋下知事が若手職員を集めた朝礼で、
始業前の朝礼を提案したものの、府幹部から「始業前の朝礼は超過勤務になる」と指摘されたことを披露し、「ならば勤務時間中のたばこ休憩や私語は全部減額させてもらう」と迫ったことに対して、「あなたがやっていることは府職員と府民を分断している」と言った女性職員への抗議が殺到しているという。


議論のやりとりの全容がわからないので、あまりいい加減なことは言えないのだが、少なくとも、このような組織内で議論していることについて、部外者が、まして、弱い者いじめをするかのごとく批判を繰り返し、世論が同じ方向に動いている?(動いているように見せかけている?)ことに正直、違和感を感じている。


まず、
サービス残業の実態があるから、改善してほしいといった知事への要求がなぜいけないのだろうか?
本来、職員が思っていることや考えていることを知事に伝え、自由に意見交換する場ではなかったのか?
と思うのである。


次に、
法律を遵守し、民間を指導する立場の官公庁で、当たり前のようにサービス残業が繰り返されているとすれば、それはそれで大問題だと思う。(知事がサービス残業を容認するような発言をしたことも含めて。)
民間でも役所でも、過労死や自殺が社会問題化している中で、労働環境を改善することは国家的な課題であるともいえる。


仮に、社会的に見てマナーを欠いた発言があったとしても、そのような発言に対する批判と、まっとうな意見に対する評価を一緒にして議論するのはおかしいと思う。

公務員を社会全体の非難の対象として、ひとくくりにするのは簡単だ。
「府民のため」という都合のいい言葉だけで、全てを自分の思い通りにできると勘違いしている知事の言動にも危険を感じる。


「府民のため」ならどんな違法労働行為でも文句を言わずにだまって従っていればいい、嫌ならやめればいいというような、独裁的ともとれる恐ろしい雰囲気すら感じる。
これは大阪府だけではなく、私の住んでいる三木市でも、トイレ掃除の件をはじめとして、このような危うい風潮が顕著に現れているような気がしている。

そして、マスコミがさらに面白おかしく取り上げる風潮があるのも問題を大きくしている要因だと思っている。


今回の女性職員の発言については、言い方に問題があったかどうかは別にして、中身的には、むしろあたりまえのことを言っただけだと思うし、職場の意見を代表して述べているのだろうから、やはりそこの部分はきちんと評価してあげるべきだと思う。

今回の件をきっかけに、今後、府職員が知事に思ったことを自由に発言できない雰囲気になってしまうとすれば、府民の代表である知事と府職員との間に大きな溝ができることは必至で、最終的には、この女性職員が発言した「府職員と府民との分断」を招くことにもなりかねないと思う。
[PR]
by kkamoike | 2008-03-19 21:30 | Comments(0)

仕事に対する取り組み姿勢

部下の自主的な行動を促し、自ら進んで仕事に取組む姿勢を持たせるためには、

その仕事がどのような目的で行われるのか、

なぜする必要があるのかといったといった基本的なことがしっかりと伝わっていなければならない。

自分が納得し、腹の中に治まらなければ、人は自らの意思で動くことはない。


仮に動いているとしても、それは、言われたことだけを淡々とこなすだけのものであって、

やりがいや向上心、創意工夫など仕事に対する前向きな姿勢がそこから生まれることはない。
[PR]
by kkamoike | 2008-03-17 22:43 | マネジメント | Comments(0)

「いのち」はどこにある?

今朝、NHKラジオで、聖路加国際病院理事長の日野原重明医師が小学生を対象に行っている「いのちの授業」の話が伝えられていた。


日野原先生は、その授業の中で、
「「いのち」はどこにあると思いますか?」
と子どもたちに尋ねる。
多くの子どもが、心臓のあたりを手で押さえるそうだ。

日野原先生は、

「確かに心臓は、人間が生きていくうえで欠かせない部分だが、あくまで体の一部分にすぎない。」
と答えた上で、


「いのち」は体の中のどこにあるか見せることはできない。
しかし、君たちは自分の意思で使うことができる時間を持っている。これが「いのち」なのです。」
と子どもたちに説明する。
さらに、「長生きをすれば人のために時間が使える」と子どもたちに教える。


日野原先生の言葉を聞いて、今という時間を大切に使うことが「いのち」を大切にすることにつながるという認識をあらためて実感した。


子どもたちにも、「いのち」の意味とその大切さを分かってもらいたいし、他人を思いやることのできるやさしい心を持った人間に育ってほしいと感じた。

自分も日野原先生の教えを頭に叩き込み、親として子どもたちの手本となるような生き方ができる人間になりたいと感じた。
[PR]
by kkamoike | 2008-03-15 23:12 | 心に留めておきたい言葉 | Comments(0)