ブログトップ

どうぶつのつぶや記

<   2007年 11月 ( 21 )   > この月の画像一覧

10年先を読む

すでに多くの方が目を通していらっしゃると思います。
樋渡市長の日経BPガバメントテクノロジーの記事のことです。

市民と行政の間にある垣根を低くし、提案や意見などの情報が双方向に流れるような媒体として、自治体サイトを今後、まちづくりの核にしていきたいという樋渡市長の考えが述べられていました。
その中で特に印象に残った内容は、

「サイトへの評価ではなく、サービスそのものの評価がサイトを通じて行われる、というイメージ」という部分です。


「う~ん、なるほど!」思わず納得させられました。

広報誌も今の紙媒体では、あまりにも方務的であること
今後、その課題を克服するためのサイト充実であること
その結果、10年後には、年間400万~500万円くらいかかっている現在の広報誌発行のコストも「無駄だ」といわれる時代がやってくるということ

現在のサイトの充実に向けた取り組みも、市長ブログの発信も、すべてこれらのことを計算に入れた上での下準備であるというあたり、一流と呼ぶにふさわしい「仕事の流儀」を感じます。
(まぁ、樋渡市長にしてみれば当然のことなのでしょうが···)

10年先を読んだ上での行動と、目先のことしか頭にない行動、あるいは10年先を読んでいるつもりでも視点を取り違えて行動するのとでは、10年後、市民にもたらされるサービス内容にとてつもなく大きな差がつくことは歴然です。
[PR]
by kkamoike | 2007-11-30 17:46 | リーダーの条件 | Comments(0)

グーグルの奥深さにあらためて感心

急激な原油価格の高騰や地球温暖化に伴う気候変動、国際的な流れとなりつつあるバイオエネルギーへのシフトなど、エネルギー資源をめぐる情勢は目まぐるしく変化している。

そんな中、今日の産経新聞によると、グーグルが現存する各種発電形式のうちもっとも安価とされる石炭発電よりもさらに安価で再生可能な代替エネルギーの開発計画を発表したとある。

さらに、半導体技術やITの分野で世界をリードしてきたシリコンバレーではここ数年、世界的な環境ビジネスの成長を見込んだ環境技術への投資が急増している。
と結ばれている。

今後、エネルギー分野でのグーグルの動向に注目です。


さて、話は変わりますが、そのグーグルといえば···
検索ページのシンプルさが特徴です。
そして、グーグルには、検索機能の他に、電卓の機能があることは広く知られています。
「人生、宇宙、すべての答え」と入力して計算させると、「42」と答えを返してくることも有名です。

こんな機能のほかにもいろんな機能があるようですが、11月26日の「日経トレンディ ネット」によると、グーグルのWeb翻訳も優れものであるという記事が掲載されていました。


グーグルの奥深さにあらためて感心させられた二つの記事でした。
[PR]
by kkamoike | 2007-11-28 19:29 | Comments(0)

プラーヌンクスツェレ

突然ですが、皆さんは、「プラーヌンクスツェレ」をご存知ですか?

私は知りませんでした。
ドイツで生まれた、討議方式で行う市民参加の新しい手法だそうです。

日本にはまだ広く普及はしていないようですが、東京の三鷹市などでは、この手法を試験的に取り入れているようです。
プラーヌンクスツェレの特徴は、

①無作為抽出
②有償
③中立の実施機関
④25名のプラーヌンクスツェレの複数開催と5人のみの討議
⑤「市民答申」の発行と公表
です。


この方法と現在一般的に行われているパブリックコメントなどの意見聴取の方法とをうまく対比した八王子市の市会議員のレポートを見つけました。

詳しい内容はこちらをご覧ください。



あと、この手法を詳しく解析した書籍もあるようです。
参考までに。

まちづくりと新しい市民参画


以前から市民参画や市民協働の手法に少なからず疑問や戸惑いを感じていたので、この手法の概略を知ったとき、今までモヤモヤしていた部分の解決の糸口が少し見えたような気になりました。

今後、この手法の成果がどのように現れてくるのか期待したいと思います。
[PR]
by kkamoike | 2007-11-27 20:41 | 三木市政 | Comments(2)

原理原則から考える

「原理原則から考える」
偉大なる実業家 稲盛和夫氏の言葉である。

人生も経営も、同じ原理や原則に則して行われるべきだし、また、その原理原則に従ったものであれば、大きな間違いをしなくてすむという強い信念のもと、手掛ける事業を次々と成功に導いてこられた。

稲盛氏の言う原理原則とは、人間として正しいか正しくないか、よいことか悪いことか、やっていいことかいけないことかという人間を律する道徳や倫理であり、これらをそのまま経営の指針や判断基準にしてこられた。

さらに、稲盛氏は、人生も経営も、難しく考えたり、やややこしく考える必要はなく、原理原則にのっとり、シンプルに考えればいいとおっしゃっている。

行政にも同じことが言えるだろう。
自分の考えに、私利私欲は入っていないか、一部の人に利益や恩恵が偏っていないか、皆に平等か、全体の奉仕者という立場で判断しているかなど、物事を判断する基準はシンプルであるべきだ。

その基準をいろいろ自分流にアレンジして持とうとするからややこしくなる。

全国で後を絶たない汚職や偽装は、自らややこしくした、あいまいな基準によってもたらされた結果といえるのではないだろうか。

そのような判断によってもたらされた結果は世間一般の常識からは大きく外れてしまうこととなる。
[PR]
by kkamoike | 2007-11-25 07:50 | リーダーの条件 | Comments(0)

市長の意気込みを聞いてみたい

選挙で箱物行政を厳しく批判していた人が
市長になって、たくさんの箱物に手をつけているようだ。

吉川支所と図書館分館の建て替えをはじめ、三障害施設、三木南地区の公民館の建設、瑞穂小学校の改築(改装)など···

そういえば、実現しなかったものの中にも、ふれあいセンター構想やマックスバリュ跡地構想などもあったと記憶している。

一方、先日、発表された県の行革案は県内の市町に大変厳しい内容となっているようだ。
私たちに身近な医療や福祉、子育て施策にも大きな影響を及ぼす可能性があるとのこと。

現在の市長が船出した時期から見ても、わずか数年で、自治体を取り巻く情勢は更に大きく変化してきている。

行革もはじめたばかり、箱物も建てたい、そんな状況の中での今回の県の行革···

あらためて市長の考えと意気込みを小野市長のように自分の言葉で市民に示す時期が来ているのではないか
[PR]
by kkamoike | 2007-11-22 23:37 | 三木市政 | Comments(5)

行革と市民協働

行革と市民協働がセットで述べられている。

私は、職員を削減して手が回らない部分を、市民協働などの形でフォローするものだと解釈している。

今まで、ある意味、行政に任せっぱなしだった市民の意識を変えるため、三木市においても様々な取り組みがされているようだ。

小泉内閣あたりから、「改革は痛みを伴うもの」というような言葉が、市民権を得たかのごとく独り歩きしている印象があるが、この「痛み」とは、一体、何を指しているのか。

多くの場合、相応の金銭的負担(税負担や保険料負担など)を指すと思っているのだが、「市民協働」もこの痛みに含まれると考える人はどれだけいるのだろう。

また、市民も「市民協働」という耳ざわりのいい言葉として好意的に捉えている人が多いようだが、「協働」として関わる以上、責任も伴うということを認識している人はどれくらいいるのだろうか。

「いっしょにまちづくりをしましょう。」
確かに必要なことで、大事なことだ。しかし、やる以上は、我々市民も、不平不満や文句ばかり言うのではなく、責任が伴うものであることを念頭に置いておく必要がある。

しかし、そのような意識を持つ以前の問題として、私が今一番腹立しく思っているのは、行政が「行革」と「市民協働」を全くの別物として切り離して説明しているような印象を受けることである。

表現を変えれば、行革は「ムチ」であり、市民協働は「アメ」であるかのごとく。

行革のアウトラインを明確にし、その空いた部分を市民協働という形で穴埋めするのか、アウトソーシング(民間委託など)で穴埋めするのかといったことなどの、市民への説明責任が全くといっていいほど果たせていないと感じるのである。

「市民協働」には責任が伴うということを認識してもらえないまま、「この部分は市民の皆さんにやってもらいます」というような具体的な内容も明らかにしないまま、委託契約を結ぶ際に行われている行為、例えば、交渉や説得、契約などといったものと同様の手続きを取らないまま、あいまいなまま放っておくと、いつまでたっても「市民協働」は実現しないと思う。

今のままだと、お互いの不信感だけが増長されるだけだろう。

行政は一刻も早く行革と市民協働のあり方や考え方を市民に丁寧に、わかりやすく、根気よく提示し続けていかなければならない。
[PR]
by kkamoike | 2007-11-21 12:14 | 三木市政 | Comments(0)

「行革」について

行財政改革、いわゆる「行革」が全国の自治体で取組まれている。

コストの削減の行き着く先は、民間の場合は利益につながっていくことが多いのだろうが、行政の場合は無駄を省くという側面は理解できても、そのことによって、必ずしも住民の利益につながる保障はない。


県の行革案に対して、県下の各市町の対応が新聞に取り上げられている。

市民サービスを後退させることのないように配慮願いたいというのが、多くの自治体の想いのようだ。



市民のための「行革」でなければならないはずなのに、結果的に市民にしわ寄せが回ってくるということは、どう考えても納得できない。


行革イコール市民の利益につながる···

確かに無駄なところは削ぎ落とす必要があるだろう。

しかし、数字上の、つじつまだけを合わせる「行革」になってしまっては、最終的には市民にそのツケが回ってくることもあることを、私たち市民も知っておかなければならない。


また、今、全国各地で取組まれている「行革」を、これまでのように行政任せにしてしまうと、いつの日かまた、「行革した結果」を受けた「行革」に取組まなければならない時代がくることも肝に銘じておかなければならない。

特に行政の場合、目先の利益に惑わされることなく、長期的なスパンで物事を考えなければならない部分もあるということを忘れてはならない。


地方の時代というのなら、多くの自治体がやっているから右に倣えでなく、その団体独自のメリハリのある、オリジナルな「行革」を目指してほしいものである。
[PR]
by kkamoike | 2007-11-20 13:15 | 三木市政 | Comments(1)

素直な心

「生き方」 稲盛和夫著

145~146ページ

感謝の心が幸福の呼び水なら、素直な心は進歩の親であるかもしれません。
自分の耳に痛いこともまっすぐな気持ちで聞き、改めるべきは明日といわず、今日からすぐに改める。
そんな素直な心が私たちの能力を伸ばし、心の向上を促します。

(略)

もちろん素直とは、右を向けといったらただ右を向く、そういう従順さのことではありません。
素直な心とは、自らの至らなさを認め、そこから惜しまず努力する謙虚な姿勢のことです。
人の意見を聞く大きな耳、自分自身を見つめる真摯な目。
それらを身のうちに備えて絶えず働かせることなのです。




いくら謙虚であろうと努めてもつい知ったかぶりをしたり偉そうに振る待てしまうことがある。
驕りや慢心そういった自分の間違った言動に気づいたときは自ら反省する機会を持ちたいと感じた。




d0133534_2126031.jpg

[PR]
by kkamoike | 2007-11-19 21:33 | 心に留めておきたい言葉 | Comments(0)

みんなが常に見ていることを忘れてはならない

東日本旅客鉄道 元会長 山之内 秀一郎氏の言葉


時代、状況によって求められるリーダーは変わります。

人望があればお神輿に担がれているだけでよい時代もありました。

今は自らが意思決定をし、行動するリーダーが必要な時代です。

ただ、振り返った時に部下がついてきてくれる、というのは絶対条件です。

それを決めるのは部下、社員で、みんなが常に「見ている」ことを忘れてはなりません。




d0133534_22312154.jpg

[PR]
by kkamoike | 2007-11-15 22:15 | リーダーの条件 | Comments(0)

人員削減について 2

「今の職員数○○○人を×××人まで減らします。」
人数を減らすだけなら簡単だが、ただ減らせばいいというものでもあるまい。

「適正な職員数」は、どのような基準ではじき出されるのだろうか。

現在の事業をこれだけ縮小して、今後このような事業に力を入れていくので、トータルこれだけの人数になりますというようなシュミレーションのもと、はじき出された数値であれば問題はないのだが。

私が、職員の削減にこだわる主な理由は次のとおりである。

①これまで、職員には、年数に応じた給料を支払ってきていること。(いい意味でも、悪い意味でも、たくさんの税金を投入してきている。投資の側面)

②経営に不可欠な要素の一つであること。(知的財産)

③職員のモチベーションを高めることで、その財産の価値は無限に高まること。

ただ削減だけすればいいというわけではないことぐらい、普通の感覚を持った市民なら誰もが感じていることである。

だだし、そのような人達が無条件にすべての職員の首切りを反対しているわけではないのも事実である。

市長が変わって、職員の意識も少しずつ変わってきているという人もいるのだが、まだまだ我々市民から見て、首を傾げたくなるような職員も正直いるのである。

ここで問題とすべきことは、単なる職員数の削減ではなく、一人一人を適正に評価した結果、職員としての資質など、一定の基準に見合わない職員をどのように処遇していくのかということである。

問題のある職員を野放しにしたままの状態で、職員数だけをひたすら削減していくのは考え直さなければならない。

なぜなら、問題ある職員への処分をあいまいにしたまま、職員数の削減数値だけを追い求めていては、能力がある職員は、どんどんやる気をなくしてしまうからである。場合によっては職場を去っていくという選択肢を選ぶ人も出てくることになるだろう。
自分ばかりがしんどい目にあうことになり、できない人の分をカバーしなければならなくなるからだ。
これでは職場のモチベーションを上げるどころか、組織の弱体化を招きかねない。

また、県の教員や職員の中には、鬱などの精神的ダメージを受けて休職している職員が大勢いると新聞などで発表されていた。

三木の場合、このような統計数値は全くといっていいほど市民に明らかにされていないが、一体どれぐらいいるのだろうか。

このような現状もしっかりと把握した上で、それでは実際に勤務できる職員はどれぐらいになるのか、また、それらの職員は何が原因で休職に至り、組織としてどうフォローしていくつもりなのか、そのようなところまで突っ込んだ調査や議論をしないと、削減数ばかりにとらわれていては、本当の行革はできないだろう。

市議会にも、もっとしっかりとした追求と現状の把握をしてほしいし、それに応じたきっちりとした対応を促してもらいたいものである。

少なくとも、市長のマニフェスト(削減目標数値)を達成し、市長の評価を上げるためだけの道具にしてはならない。

打つべきときに、打つべき手を打たないままだと、最終的に、市民に痛いしっぺ返しが帰って来ることになる。
[PR]
by kkamoike | 2007-11-14 19:36 | マニフェスト | Comments(0)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。