どうぶつのつぶや記

カテゴリ:みっきぃふるさとふれあい公園( 48 )

「三木金物」の良さか体感できるキッカケづくり

●少し前になりますが、「インディペンデンスボードウォーク」の取組がグリーンピア三木で行われたという記事が、「がんばれ!みき」「さるとるファイト!」で紹介されていました。
とてもいい取組だなぁと感心して拝見したのですが、そういえば、三木にはまだまだ自然や緑が多いところだからこそこのような取組もしっくりくるんだなと感じました。
そして、「木」を使った取組も三木ならではでないかと···
さるとるさんの記事によると
作りたい人は、1枚1000円でボードを購入でき、
絵や文字などをかくマジックなどは、その場で貸してくれ、
自分で取り付けることも可能で、
あずけておけば、後で、設置もしてくれる

ということのようですが、
例えば、このボードを作る段階から三木ならではの特色を考え、ある工程を取り入れてみるっていうのはどうでしょうか。
例えば、ボードの作成づくりからチャレンジできるというような工程があってもいいような気がします。


●少し話がそれますが、グーグルの検索で「ネイチャー、木、工房、道具」と適当な単語を入力すると、検索結果の広告欄に三木金物オンラインショップ「アルデ」のページのリンクが出て来ます。
なるほど、子どもが対象となるネイチャークラフト体験なんかでも様々な工程で道具が使われることが予想されるために、このようなリンクがされているのでしょうか。


●もちろん金物の振興を考える上では、金物の「販売」が基本なのでしょうが、例えば、高級道具、なかなか手が出ない道具を使って子どもたちが気軽に「ものづくり」にチャレンジしていける環境を作り上げていくのも面白いと思います。
あるモノを完成させる楽しみだけでなく、例えば、作る工程での木を切る、削るなど、道具を使う際に伝わってくる感触も楽しむことができれば、道具を通して子どもたちの感性に訴えかけられるものが生まれるのではないかと思います。
いい道具そのものの味わいを楽しむことができれば、やはり「いい道具は違う」という感覚を自然に覚えるでしょうし、道具に対する愛着も湧いてくるのではないでしょうか。
まさに「百聞は一見にしかず」ですよね。


●いくらいい道具が使い心地が良く、切れ味なども抜群だということは分かっていても、実際に購入するとなるとなかなか手が出せないわけですから、例えば、このようなネイチャー教室やある特定のイベントの際にいい道具が実際に使える仕組みがつくり出せないものか···。
すなわち、用途、期間限定での道具のレンタル(貸出)事業を展開していくというのはどうでしょうか?
道具は、使えば使うほど味が出るともいいますし、そういう高価な道具でもレンタルが可能なら相応の費用負担で使うことができるでしょうし、そうなれば子どもたちが産地自慢の道具と気軽に接する機会を創り上げることができるのではないかと思うのですが。
(そんな簡単にはいかないモンなんですかねぇ。)
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by kkamoike | 2010-03-23 20:25 | みっきぃふるさとふれあい公園

施政方針から伝わってくる「攻め」の姿勢(市政)と「守り」の姿勢(市政)

一昨日、やけにアクセスが増えたと思ったら、さるとるさん三条市の国定市長さんがそれぞれの記事にリンクしてくださっていました。
ありがとうございました。
そして、国定市長さんが私のブログの内容に気付かれたのは、もちろんrfuruyaさんがリンクしてくださったからです。いつもありがとうございます。


さて、その三条市長さん、最近の記事は、施政方針の中で特に思い入れの強い取組を我々一般の読者に対してもわかりやすく発信してくださっています。
三条市の伝統産業である『ものづくり』をいかにして足腰のしっかりしたものに育てていくか、そして将来を担う子どもたちにいかに引き継いでいくのか、ここ数日のブログの記事を拝見していると、市長の考え方には一本のしっかりとした筋が通っているのがよく伝わってきます。
子育て支援、高齢者施策、教育、その他諸々の事業が、基礎的自治体である市町村で同じように行われているわけですが、それらのサービスを提供するだけなら、極端な話、別にどこの自治体に住んでも構わないわけです。
個々の自治体が持つ特性をとことん生かしたまちづくりがあって、はじめて、それらの「当たり前」のサービスが、その自治体ならではのサービスへと格上げされ、独自性という光を放つものになっていくのではないかと思います。
以前、国定市長がおっしゃられていたことが、今、ぼんやりとではありますが、わかりかけた気がします。
(抜粋)
私はいつも考えます。
〝このまちにとって不可欠なものは何なんだろう?その要素が失われてしまうと活力そのものが奪われてしまうものは何なんだろう?このまちが他の地域と比べて突出した、このまちの色合い、アイデンティティは何なんだろう?〟と…
この問いを市長就任後も絶えず自らに問いかけ続けました。
そして、今、確信しております。この地域の殆ど全ての人が〝当たり前だ〟と思っているものに…それは〝ものづくり〟です。このまちは、誰が何と言おうと〝ものづくり〟に立脚しているのです。しかも〝工業系のものづくり〟が圧倒的な主役です。
それは、農業を否定しているのではない、建設業を否定しているものでもない、教育や福祉が不必要だと言っているのでもない。
しかし、この〝ものづくり〟を否定してしまえば、〝ものづくり〟を軽視してしまえば、このまちの色合い、アイデンティティ、求心力は、あっという間に瓦解していきます(ちなみに、お隣の燕市も全く同様だと思います。だからこその燕三条地域です)。
〝ものづくり〟があるからこそ、人口を、少なくとも、この程度にまで集約ができて、〝ものづくり〟が一定のパフォーマンスを維持していたからこそ、農業·建設業·商店街のことにも目を向け、教育·福祉分野の充実に資源を投入できるのです。
この、私たちにとっての色合い、アイデンティティ、求心力そのものである〝ものづくり〟が今危ない。危なくなってから1年半。
だからこそ、今こそ、この〝ものづくり〟が瓦解しないよう、全力を投入しなければならない。



残念ながら、同じ“ものづくり”に立脚したまち、金物という伝統地場産業を持つまちである我が三木市からは、三条市長さんの口から伝わってくるほどの熱意が、(三木)市長自らの言葉からも、実際の施策の優先順位やその中身からも、切迫感といいますか、ひしひしと伝わってくるものがまだまだ足りないような気がします。
突き詰めて考えれば、物事に対するスタンス、考え方、もっと大きく言えば、まちづくりの根幹となる部分をどう見据え、どういう手順でまちづくりを組み立てていくのかという、まちづくりの進め方が180度違っているように感じたりもします。
それは、何を「核」としてまちづくりを考えていくかという認識の問題でもあると思います。
実際にやっていること(やろうとしていること)はそれほど大きくは変わらないのかもしれませんが、何を最優先するのか、事業などの組み立て方、持っていき方次第で、まちづくりに対する迫力や意気込みは大きく異なってくるのだと思います。
まさにそれが「一体感」を創り上げる原動力になっていくのでしょうね。
将来を見据えた「攻め」のまちづくりを展開していくのか、どちらかというと現状の問題への対応に重きを置いた「守り」のまちづくりを展開していくのか···、このことは、それぞれの市の施政方針の中に頻繁に出て来る言葉や表現を見れば一目瞭然ですが、要はこの違いが、3年先、4年先と年を重ねるごとに大きな勢いの差となって表れてくるような気がします。
もっと三木市も、他市の良いところ、特に同じような課題や背景を持つ三条市の良い部分、先見性のある部分をどんどんと取り入れ、見習っていくくらいの貪欲さ、したたかさが欲しいものです。
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by kkamoiKe | 2010-03-20 11:52 | みっきぃふるさとふれあい公園

ワンランク上のおもてなしを考える(付加価値を生み出すしくみづくり)

毎日チェックするブログの一つに「パティシエを目指していたサミーの営業日記」があります。
直近の記事は「期待だけでは終わらない、ワンランク上のサービスって!」と題した記事で、「漬物」の販売に関連したワンランク上のサービスについてでした。
単に「漬物」という商品を販売するだけではなく、その商品を美味しく召し上がっていただくコツ、その人の嗜好に合わせた食べ方の伝授などもしてもらえるのだそうです。
この話を読んで、以前にテレビで紹介されていた内容を思いだしました。
それは、「本のソムリエ」です。
東京のとある本屋では、単に本を販売するだけではなく、その人が今、何を求めてお店にいらっしゃったのか、その人の目的に合った本を紹介してくれる、通称「本のソムリエ」がいらっしゃるそうです。


ところで、三木市は、言わずと知れた、酒米「山田錦」のふるさとでもあり、日本一の生産を誇っています。
しかし、ここ近年は、日本酒全体の販売が落ち込み、酒米の流通価格も年々下落し続けているとのこと。
深刻な後継者不足も課題となっているようです。
こうした状況であるにもかかわらず、果たして、三木市が全国に誇れる「酒米の山田錦」、あるいは、「(山田錦で作られた)日本酒」をどれくらいPRしているのでしょうか?
また、それらを生かしたまちおこしは一体どれくらいの試みがなされているのでしょうか?
「山田錦まつり」という全国にも類を見ないユニークなイベントもありますが、「三木金物まつり」同様、毎年恒例になっているとはいうものの、もう少し、年間を通した取組、仕掛けができないものかと思ったりもします。


例えば、冒頭に紹介したような付加価値を提供していけるような何らかの取組を三木市全体で考えられないものか···。
日本酒に合う三木オリジナルの料理レシピを発信したり、日本酒に合う料理コンテストを開催したり、また日本酒が美味しくいただける季節感も含めて満喫できるような市内の絶景おすすめポイントを選定したり、そして、その場所で実際にお酒と料理が楽しめるイベント(もちろん有料で)を開催したりするなど···
単に生産者目線から酒米の売り上げを伸ばし、日本酒の販売促進だけを考えるのではなく(実際はそうではなく、ちゃんと考えておられるのでしょうが)、生産者と消費者が一体となった形で、三木市を日本酒に合うまちに仕上げていこうという、まさに市民全体が、あるいは酒蔵メーカーなども巻き込む中で、一丸となった取組、面白くて、興味がわくような、ワクワクする仕掛けづくりが、今まさに求められているのではないかと思います。
極端な話、テレビ番組の「秘密のケンミンSHOW」で取り上げられるくらいの、オリジナリティのある、地域を挙げての取組、盛り上がりがほしいところですね。
かなり話が大きくなってしまいましたが、要は、ひとりでも多くの市民が日本酒の美味しい飲み方に関心を持ち、その飲み方などをマスターすることで、三木市のいたるところで「おいしい日本酒が飲めるおもてなし」が実現できれば、市民同士の一体感の醸成だけでなく、本当の意味で「酒米 山田錦」が市民の誇りとして根付いていくのではないかと感じました。
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by kkamoiKe | 2010-03-17 20:54 | みっきぃふるさとふれあい公園

アイデンティティ(自分らしさ)という要素

今朝の『雑感日記』には、三条市長日記が取り上げられています。
私も読みました。
とてもわかりやすく、しっかりとしたコンセプトを感じました。
自分(市)にとっての拠り所をしっかりと持っている(抑えている)ということは、いかなる局面に立たされたとしても、原点に立ち返ることができる強みが生まれることでもあるのだと感じました。
今回は、三条日記の中にも出てきた『アイデンティティ』について書いてみたいと思います。


人が人生の中で、自分らしく生きていくのは大変難しいことですが、逆に考えれば、それは、人生における最大で、永遠のテーマであると言えます。
この「自分らしさ」を追い求める過程こそが人生の醍醐味であり、その過程の中で生まれる喜びや悲しみ、苦しみといったものが「生きている」という証そのものなのだと思います。
自分は何を拠り所として生きていけばいいのか、それを見つけ出し、それによって導き出される理想を追い求めていくことが喜びとなり、生きがいにつながっていくのだと思います。
人が生きる上で、アイデンティティ(自分らしさ)を確立することが大事なように、物事を進めるときにも、アイデンティティという要素がバックボーンにないと中身のないものになってしまうのだと思います。


まちづくり、まちおこしにも同じことがいえるのではないでしょうか。
そこに住む人が楽しめない、関心がない取り組みをいくら進めようとしても、また、自分たちが楽しめないものをいくら地域の核として盛り上げようとしても上手くいかないのだと思います。
なぜなら、そこには、「アイデンティティ」というもの(要素)が忘れ去られているからです。
自分たちが楽しめるものが何か、自分たちのまちの強みは何かを考える。
そして、自分たちが心底楽しめ、誇れるものを見つけ出した上で、実際に自分たちが楽しんでみることが大事なのだと思います。
まちを元気に、生き生きとさせる方法は、自分たちがこのまちに住んで楽しい、こんなところが大好きだという部分を発見し、自分たち自身が楽しめることから始まるような気がします。


『自分たちが楽しめないのに、人を楽しませることなどできない』
とつくづく思うのです。
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by kkamoiKe | 2010-03-16 19:15 | みっきぃふるさとふれあい公園

「お互いに学びあい、成長していく」ということ

やまかずさんの「教育論」とてもよかったです。
ますますファンになりました。
私も今回のオリンピックでの代表選手たちの活躍、その一方で偏った報道の仕方などを目にする中で感じたこと少しだけ、自分の考えを整理する意味も込めて書いてみたいと思います。


今の世の中、大人も子どもも、社会のシステム、マスコミの対応に至るまで、ゆったりとした気持ちで相手と接するといいますか、広い心で包み込むおおらかさといいますか、もっと身近な言葉で言うなら「見守る」という心のゆとりが非常に欠けてきているんじゃないかと感じます。
「見守る」とは、単にその人の行動をじっと見ているだけではなく、ある時は励ましたり、ある時は誤った方向に行ってしまいそうなった時に、自分が経験してきたこと、学んできたことなどを踏まえて的確なアドバイスや助言をして軌道修正してあげることなんだと思っています。
間違った道だと知ってて、その間違った道をあえて進む場合もあれば、間違っていることを知らずに進んでしまう場合もあります。
それは大人でも子どもでも同じことで、人間、誰だってそういうことはあるわけです。
そう考えると、人間というのは何歳になっても未完成であるし、学ぶ機会の連続なんですよね。


「学ぶ」というのは、教職の資格を持っている人や年齢が上の人から教えてもらうことばかりじゃありません。
親は子育てをする中で、子どもから教えられる事があるでしょうし、先生も生徒と向き合う中で、生徒から学ぶことはいくらだってあるはず。
スポーツの世界も、まさに今、オリンピックたけなわですが、世界を相手に戦っている人たちの中には若い人たちも多いわけですが、もちろん彼らと彼らを支える指導者などの人たちとの間にも教え、教えられの関係が幾度となく繰り返されているはずです。
そして、私たちもまた、彼らのひたむきな姿勢や挑戦に大きな感動を覚え、いろいろなことを学ばせてもらうわけです。


さらに、「学ぶ」ことは、人と人とのかかわりの中から生まれてくるもので、いうなればそこに社会とつながっているという自覚を持てる場面であると同時に、社会に貢献している(貢献していこう)という意識が芽生えてくる場面でもあるのだと思います。
世の中には、ある程度器用に立ち回れる人もいますが、不器用な人もいっぱいいます。
不器用だからといって「あいつには何をさせてもダメだ」とか、「おまえはいつも何をしているんだ」とか、「情けないやつだ」と頭ごなしに言ったりする前に、相手に今何が足りないのか、それを克服するにはどういう手助けをすればいいかを真剣に考えたことがあるのかと問うてみたいです。
優しい言葉や相手の機嫌を損なわない言葉ばかりをかけてあげることがいいとは思っていません。
あえて冷たく突き放すことが必要な時もあっていいと思います。
しかし、少なくとも、どんな教え方やアドバイスをしてあげるにしても、その底辺に相手を思いやる気持ちがないと、「教育」は成り立たないのだと思います。


人間、誰でも未完成なところもいっぱいありますが、そういうところに少しずつでも自分で気付いたり、人から気付かせてもらったりすることはお互いにとっての学びにもなっているはずです。
そして、失敗したり、上手くいかなかったりすることもまた、成長する上での糧へとつながっているはずです。
お互いに学びあいながら、成長する。
そうしながら今をともに生きているんだ(ちょっと大袈裟かな?)という想いや喜びが共有できる社会になればいいなと思っています。
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by kkamoike | 2010-02-20 17:54 | みっきぃふるさとふれあい公園

「品格」のはじまりは「たのもしさ」を持つことから

前回、「リーダーの真の品格」に関して記事を書いたところ、武雄市長物語さんに取り上げていただきました。
おかげさまで昨日の訪問者数はとんでもない数字に跳ね上がりました。
そして、さらに今日は、雑感日記さんにも取り上げていただきました。
ありがとうございました。


今回は、前回の記事でも使った、普段私たちの生活の中でもよく耳にする「品格」という言葉についてあらためて考えてみたいと思います。
いつものようにネタ探しをしていると、こんなブログの記事に出会いました。
抽象的なことしか書かれていない辞書などの解説より、より具体的に突っ込んだ内容になっている点で大変わかりやすく、胸の中にストンと落ちるような「説得力」を感じました。
もしよろしければご一読ください。
特に、「お葬式で亡くなられた人を携帯で撮る行為は許されるか?」というテレビ番組内での議論からの理論展開はかなり興味深かったです。
突き詰めて考えれば、この記事の後段に書いてあるとおり、相手に対する「おもいやり」、「いたわり」の心を持つこと、自分の主観で判断するのではなく、相手がどう思うか、どう感じるかという心遣いをもつことが「品格」のはじまりなんだという筆者の意見に思わず納得してしまいました。


さらに、この記事の中でも紹介されている司馬遼太郎さんの「21世紀に生きる君たちへ」を別のところで全文を読みましたが、すごく鳥肌が立ちました。
以下、特に感動した部分を抜粋したいと思います。
鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。
人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。
人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
もう一度くり返そう。
さきに私は自己を確立せよ、と言った。
自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。
それらを訓練せよ、とも言った。
それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。



21世紀の今を生きる私たち一人ひとりがどれほど司馬遼太郎さんのこの言葉を実践し、その意味を子どもたちに教え伝えることができるか。
その大事な役割・使命が大人である私たち一人ひとりの肩にかかっているということをあらためて感じました。
このような心構えを持って行動していくことが品格ある人を育て、品格ある組織、社会、国をつくっていくのでしょうね。
「教育」って本当に大切なんだということがよくわかります。
そして、どんな時も、子どもたちの模範となるような行動、恥ずかしくない行動を大人の責務としてきっちり果たしていかなければならないこともあらためて感じました。
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by kkamoike | 2010-01-14 20:23 | みっきぃふるさとふれあい公園

『テキトー』、『いい加減』という言葉が持つ力

前回の記事で『信頼関係』について書いたところ、雑感日記さんに新年早々取り上げていただきました。
いつもありがとうございます。
その中で、「『生真面目で、固い人』よりも『テキトーでいい加減な人』のほうが信頼関係が生まれやすい」という意見を述べておられます。
私もまったく同感です。


『テキトー』、『いい加減』いい言葉ですよね。
これらの言葉はいろいろな場面で使われることがありますが、私はどちらかというと、自分に対しても、他人に対しても、「適度な具合で事に当たればいいんだ」とか、「良い加減に調整すればいいよ」というような使い方をできるだけしていきたいと思っています。
要は相手を思いやる気持ちを表現したいときや、自分に言い聞かせたいときにこの言葉をできるだけ、さりげなく使っていきたいと思います。


そんな言葉を頑張っている人(自分)、がんばろうとしている人(自分)、あるいは考えに行き詰まってしまった人(自分)、自信を持てなくなった人(自分)に掛けてあげることができれば、スッと肩の力が抜け、普段通りの気持ちで物事に向き合えるようになることで、自分本来の力、あるいはそれ以上の力が発揮できたりすることがあるかもしれませんよね。
そんな言葉をさりげなく掛けられる人は間違いなく、自分に余裕のある人でしょうし、自分に余裕がなければ他人や自分を思いやる言葉や勇気づける言葉は掛けられない、そんな気がします。


何事に対しても心に余裕を持つことがお互いの『信頼関係』をより強固なものにしていくんだと思います。
先ずは身近にいる人たちに一声かけることから始めてみませんか。
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by kkamoike | 2010-01-02 15:45 | みっきぃふるさとふれあい公園

来年こそ良い年になりますように

あるていど歳をとれば、人にはわからないことがあると思うのは当然のことです。
しかし若いうちは可能性がありますから、自分にわからないかどうか、それがわからない。
だからいろいろ悩むわけです。
そのときに「バカの壁」はだれにでもあるのだということを思い出してもらえれば、ひょっとすると気が楽になって、逆にわかるようになるかもしれません。
そのわかり方は、世間の人が正解というのと、違うわかり方かもしれないけど、もともと問題にはさまざま解答があり得るのです。
そうした複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。
でも多くの人は、反対に考えているようですね。
ほとんどの人の意見が一致している社会がいい社会だ、と。

養老孟司「バカの壁」
まえがきより


人それぞれの考え方があるのは当たり前です。
リーダーにはいろんな意見や異論に対し柔軟に耳を傾け、その上で市民にとって一番良いと思う政策を力強いリーダーシップを発揮しながら引っ張ってもらいたいものです。
相手の言い分を認めず、自分のやりたいことを自分だけの判断でやることは「リーダーシップがある」とはいいません。
それは単なる、「我が儘を通す」であったり、「自分勝手」でしかありません。


「あの人はどうして自分のやり方が気に食わないんだ!」
「なぜ私の意見に反論ばかりするんだ!」
と腹を立てたり、自分を見失ったりするのではなく、心に余裕を持って相手の意見に耳を傾けてみる。
あるいは、一旦、相手の言い分を聞いてみて、直した方がいいと思うところは恥ずかしがらずに改めてみる。
そんなふうに、みんなの心に余裕が生まれ、多様な考え方が尊重され、受け入れられる風潮が三木市政にも市議会も、そして私たちの市民の生活の場にも広がっていけば、三木は必ず素敵なまちに生まれ変わっていくはずです。
来年はそんな新たなスタートに相応しい年になることを心から願っています。


今年一年、ありがとうございました。
来年こそよい年になりますように。
皆さんもよいお年をお迎えください。
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by kkamoike | 2009-12-31 12:24 | みっきぃふるさとふれあい公園

信頼関係

今回の米田議員、大眉議員の質問に対する市長の態度や答弁の内容については、
rfuruyaさんやまかずさんが詳しく取り上げておられます。
昨日の私のブログ記事には、議会の改革に必要な前提条件の一つとして「市長と議会との間の信頼関係」を挙げましたが、まちづくりのあらゆる取組においても、他の様々な改革を推し進めていく上においても、この「信頼関係」が関係者の間でしっかりと築かれていなければ、所詮、絵に書いた餅、スローガンを唱えるだけ、笛吹けど踊らずの状態になってしまい、ただただ時間と労力だけが消費されてしまうのだと思います。


「まちおこしは 人おこし」いい言葉ですね。
この言葉は昨日のさるとるさんのブログで紹介されていた言葉です。
「そういうことだったら一緒にやろうじゃないか」
「あの人が言うんだったら、やってやるか」
「ぜひ私も力になりたい、貢献してみたい」など···
人の心を動かす根底には、必ず関係者の間に「信頼関係」が築かれています。


「協働」という言葉をあえて行政のほうから口にしなくても、それぞれのやるべき役割をしっかりと押さえ、相手の邪魔にならない配慮や心遣いがきちんと備わってさえいれば、そこに自然と「信頼関係」が生まれ、自主的にまちづくりに参加してみようと思う人たちが増えてくるのだと思います。
そうなれば、まちは必然的に元気になっていくのだと思います。
相手の考えを尊重し、相手の立場に立った行動を地道に積み重ねていくことが、人をその気にさせることへと繋がり、いわゆる「人おこし」から「まちおこし」へと繋がっていくのだと思います。


「財政危機宣言」や「病院問題」、「日本一美しいまち三木への取組」など、三木が今抱えている多くの問題に対し、市民は市民なりに疑問を感じたり、不安を感じたりしているわけです。
たとえ答弁する側にとっては、小さなこと、つまらないことであったとしても市民にとっては切実な問題なのです。
市議会の一般質問において、議員は自分の意思だけで質問をしているのではありません。
市民の代表として、市民の声を代弁してみんな質問を行っているわけですから、それらの質問に対して不誠実な対応を取ることや邪険に扱うような姿勢を見せることは、市民との間にある「信頼関係」を自ら断ち切る行為と同じことなのです。
これでは本当の意味での協働のまちづくり、改革をすることによってどんなまちの姿を描いていらっしゃるのか分かりませんが、それらを実現させることは難しいでしょう。
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by kkamoike | 2009-12-11 20:44 | みっきぃふるさとふれあい公園

今あるものを上手く活用しながら人を育てる、人との交流を促進させるまちづくり

前回はまちの魅力を引き出す体制づくりをどのように進めていくのかという観点から、組織に対する考え方を取り上げましたが、その記事に対してminminさんからまちの資源や特性をいかにして引き出していくのかという具体的な意見をいただきました。
同じものに同じ額の投資をしたり、同じ建物を建てたとしても、使いようによってはその効果は何倍にも広がっていきます。ちょっとだけ視点を変えたり、工夫をしたりするだけでも、全く違ったパフォーマンスや機能を発揮したりする事だってあるということですね。


三木市ほど立派な公共施設をはじめ、官民問わずゴルフ場をはじめとしたスポーツ施設や余暇を楽しむ施設などがこれほど充実しているところはないのではないでしょうか。
直接の生活支援や医療関係の給付などといった子育て支援ももちろん大切ですが、これらの施設をうまく活用した三木市独自の子育て支援というものがあっても良いのではないかと思ったりします。
もちろん、「子育てに役立ててもらう」以外にも「家族の絆」や「地域の絆」を深めるツールとしても、市内にある様々な施設を活用していくことで、市内に住む人たちに何らかの形で還元していく、さらに、三木市を繰り返し訪れてくれる人たちにも相応の還元をしていく、そういう官民問わない目に見える形の、利用する人たちが恩恵を実感できるような三木市全体のトータル支援システムを創り上げることができれば面白いまちづくりができるのではないかと感じました。


今ある三木の資源を、例えば「市民への還元」や、「人を呼び込む」という2つのテーマに絞ってネットワークを繋げ、一つの方向に引っ張っていくための指針を示すだけでも、三木の持つ資源の価値は今以上に高まり、三木市のイメージ向上にも繋がっていくのではないでしょうか。
そういう点からも、ゴルフ場などの施設を図書館のような発想で市民が気軽に活用したりできないかというminminさんのお話は非常に面白い視点で捉えられており、目からうろこが落ちる話のように感じました。
三木で生活したら、交通はちょっと不便だけど、緑は多いし、子供たちが自由に学べ伸び伸びと遊べる環境があって、いろんなイベントや利用の優遇制度もある。そんな環境で育った子供たちが、いつの日かいろんな場で活躍してくれるようになれば、さらに三木市には子供たちの豊かな創造性を育む環境が整っているという沖縄にも負けないくらいの評価がもらえるかもしれません。


財政的な指標の動向に一喜一憂するのも結構ですが、以前、このブログでも取り上げたブータンでの幸福指数を高める取組みたいなものが三木市でも考えられないものでしょうか。
そんな住民の満足度指数を高める取組を全国に先駆けて発信していけるほどの底抜けに明るい、ゆったりとしたまちづくりが実践できるようになれば面白くなるだろうなと感じました。
新しいものを次々と作り出す開発型の箱物行政ではなく、これからは、今あるものを上手く活用しながら人を育てる、人との交流を促進させるまちづくりを目指していくべきではないかとminminさんのコメントを読んで感じました。
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by kkamoike | 2009-11-16 20:53 | みっきぃふるさとふれあい公園