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どうぶつのつぶや記

カテゴリ:マニフェスト( 16 )

官僚支配

昨日に続き、民主党ネタです。
特にどの政党に肩入れしているわけではありません。
あえていうなら、民主党政権の誕生が現実味を帯びてきている状況だからこそ取り上げておきたい問題、そんなところでしょうか。


さて、今回は民主党がいう「官僚支配」についてです。
民主党の主張は、「官僚支配」こそが諸悪の根源であり、「自民党では官僚主導の政治から抜け出せない」というものです。
つまり、「官僚」こそが主犯であり、自民党は従犯に過ぎないというふうにも受け取れます。
しかし、私が思うに、民主党が糾弾する「腐敗政治」は、官僚たちが好き勝手にやった結果でもたらされたものというよりは、
むしろ自民党政治が結果的にそういう状況を作り出してしまったというほうが適切な表現ではないかと思うわけです。
例えば、かつて抵抗勢力と呼ばれた穏健派の議員や官僚達の反対を押し切って進められた小泉改革、さらには、政界と財界との癒着とそれによる無法の状況からもたらされた今の惨状があると私などは認識いるのですが、民主党はあくまで「官僚が主導権を握っていること」が問題であるといっているわけです。


仮に、官僚主導が本当の事実であったとしても、それ自体、何がいけないというのでしょうか?
法案や政策を決定したのが誰かということが問題視されているようですが、自分たちの生活を考えるなら「誰が」きめたかといことよりも、「何を」決めたかが重要になるはずです。
それが良い法案であるなら、たとえ官僚が主導したことであっても良い法案なわけですし、それがダメな政策であれば、たとえ政治家(民主党)の定めた政策であっても喜ばれるはずはありません。
行政と官僚で意見の分かれることも当然あるでしょうが、それはあくまで結果であって、それ自体が目的となるものではないはずです。


政策の是非を論じることよりも、その政策が有権者の支持を得ているかどうかに力点を置く政治が幅をきかしている昨今、ともすれば「有権者の支持を得ている」という後ろ盾を武器に、良識派の議員や職員、官僚らが異議を唱えようものなら、「民意に背く」抵抗勢力のレッテルを貼る暴挙が平然と認められてしまう恐ろしい状況です。
敵や味方という関係ではなくて、政治家と官僚がそれぞれの役割を再認識し、将来に向けた理想の国家像の実現に向けて共に汗を流す、そんな当たり前の信頼関係が築ける政治であってほしいものです。


産経新聞にこんなコラムが掲載されていました。
【論説委員「私の1冊」】河合雅司 城山三郎「官僚たちの夏」
『···世界一流の工業国に追いつけ追い越せという明確な目標のあったこの時代の官僚たちには「国家の将来を背負っている」という強烈な自負もあった。将来に向けた国家目標を描ききれずに悩む現代の官僚との違いが見て取れる。
民主党は政府に100人以上の議員を送り込み「政治家主導を確立する」考えを明らかにしている。選挙結果によっては、官僚組織は大きく変わるかもしれない。だが官僚たちも生身の人間だ。彼らが大きな使命感を持って仕事に打ち込めるような国家ビジョンを描くことこそ、政治に求められていると痛感する。』

まったくのそのとおりだと思います。
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by kkamoike | 2009-07-31 21:26 | マニフェスト | Comments(5)

無駄とは何か

無駄排除で財源捻出=民主代表

民主党の鳩山由紀夫代表は20日、神奈川県相模原市で街頭演説し、同党の政策は財源面の裏付けが不明確と与党が批判していることについて「自民党政権が続いているからお金が足りなくなる。官僚にコントロールされて、みんな大事な予算だと思わされてしまっているからだ」と述べ、歳出の無駄を徹底的に排除することで財源捻出(ねんしゅつ)は可能と反論した。
鳩山氏は「官僚任せの政治ではなく、優先順位の高い政策から世に出す。そんな世の中をつくるために大きな手術が必要だ」と述べ、衆院選での政権交代に向けて支持を訴えた。(時事ドットコム 2009/07/20-19:18)



民主党は、「政策には財源面の裏付けが不明確だ」との与党からの批判に対して、
「歳出の無駄を徹底的に排除することで財源捻出は可能」と反論しているようですが···。


それにしても「無駄」とは何なのでしょうか。
「行財政には無駄がある」ということばかりが強調されがちな世の中にあって、そのような風潮に便乗しただけのものだとすれば、それによってもたさられる行政のあり方に不安と疑念を持たざるを得ません。
その一方で、 鳩山代表は「優先順位の高い政策から世に出す」とおっしゃっておられますが、それらの政策を実現していく上で、「民主党が廃除しようとしている『無駄』は本当に無駄なものなのか」を問うことが忘れられてしまうとすれば、小泉改革の繰り返しにしかなり得ないでしょう。
国の役割、政治の役割が頭ごなしに否定されがちな昨今、ともすれば所得の再分配や社会保障、教育などの分野は切り捨てられがちです。
行政が本来行わなければならない社会保障などのきめ細かいセーフティーネットの構築や、採算の合わないため民間は手が出せないがどうしても必要な分野への投資などがどんどん手薄になってしまわないかと心配します。
無駄を無くすという大義名分のもと、国民の理解が得られない、いわゆる偏見を持たれている領域を容赦なく切り捨ることで、世論の受け狙いや自分たちへの支持を目論む計算なのかもしれません。
どこかの自治体と同じですね。


社会保障受給者が不正な受益者のように扱われる社会では社会保障が「無駄」とされ、
公務員がとんでもない高給取りの怠け者であるかのように伝えられている社会では公共サービスの担い手が「無駄」とされるという訳です。
そしてテレビに顔を出さない政治家は何もやっていないかのように思いこまれている社会では国会議員もまた無駄。
国民の多数派からは理解されなくとも、必要な部分をしっかりと守れる政治、国民の人気取りだけに終始するのではなく、国民に対して確固たるビジョンを示し、国民をリードする政治を目指して欲しいものです。


ちなみに、この方はこんなふうに言っておられます。
やはり言葉の一つ一つに説得力がありますね。
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by kkamoike | 2009-07-30 19:01 | マニフェスト | Comments(3)

報酬以上の働きをしてくださればそれでいいのです

佐賀·上峰町長の給与半減案否決 最年少首長の公約に議会反発(共同通信) 06月19日 17:57
佐賀県上峰町議会(定数10)は19日、武広勇平町長(30)が提案した町長報酬(月71万円)を50%削減する条例改正案を否決した。武広町長は3月、当時29歳で全国最年少の現職首長として当選し「財政が厳しい中、独身の自分に現在の給与はふさわしくない」と給与カットを公約に掲げていた。しかし、ほかの自治体に首長報酬削減が広がることを懸念し、条例改正に反対する声も上がっていた。採決結果は賛成3、反対6。


いやはや、この手の公約、いつになったら収まるのかと心配していたのですが、ようやく佐賀県のある町の議員がストップをかけたようですね。
それにしても、この「報酬○○%カットします!」という類いの公約ですが、どうも候補者の事情や下心が見え隠れするような、あるいは公約として正々堂々とした中身でないような気がして、正直、私は嫌いです。納得がいきません。
「自身の給与をカットする」と言えば聞こえは良いかもしれませんが、大体においてそれは空疎なパフォーマンスに過ぎないと思うわけです。


そもそも報酬が高いというのであれば、当選後に適正な報酬額をみんなで決め直せばいいわけで、少なくとも今回の記事に出てくるような、「独身だから···」とか、例えば「家がお金持ちだから···」「夫婦共働きだから···」などというような個人的事情に左右されるような形で、勝手にカット率を決めてしまったり、まして、公約に掲げ、政争の具にするべきものではないと思うのです。
報酬は決して「小遣い」のような性質のものではないわけですから。


それとも、自らの報酬を○○%カットできないような人は首長になる資格はないとでもいうのでしょうか?
それなら、お金持ちか、記事で取り上げられているような養う家族がいない独身者などしか政治家になる資格はないというのと同じです。
はたまた、他の候補者の追随を許さないがための公約なのでしょうか?


やはり、財力がある人もない人も、どのような生活レベルや条件の人であっても、平等に政治家に挑戦できるような環境を保つことが必要ではないかと思うわけです。
報酬カットの問題は一人の個人(候補者)レベルでどうこう決める問題ではなく、方向性を示したり、問題提起までくらいに止めるべきで、適正な金額をどれくらいにするのかは、みんなで決めるべき問題だと思うのです。


ところで、今回の記事で取り上げられた町長さんですが、
同じ「独身」をアピールするなら、報酬カットという中身のない政策で勝負するのではなく、若者の発想でもっと斬新な政策を打ち出し、『町長の報酬以上の働きをして、きっちり皆さんに満足感をお返しします!』というぐらいの意気込みを選挙戦の中で語って欲しかったと感じたのは私だけでしょうか。


それにしても、この手の公約を掲げる候補者には、別のところに下心があるか、これといった中身のある政策を打ち出せない自信のなさの表れかもしれませんので、候補者を選ぶ際にはその辺りのことに十分注意を払う必要があるといえそうです。


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by kkamoike | 2009-06-23 21:55 | マニフェスト | Comments(0)

公約(マニフェスト)

<阿久根市>庁舎使用取り消し 市職労が無効求め近く提訴へ(6月17日12時4分配信 毎日新聞)
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が庁舎内にある市職員労働組合(落正志委員長、203人)の事務所使用許可を取り消したのは地方自治法違反だとして、市職労は近く、取り消し無効を求める訴訟を鹿児島地裁に起こす。落委員長は「労使交渉ではらちが明かず、司法に委ねるほかないと判断した」と話している。
竹原市長は出直し市長選(5月31日)で市職労について「市民の税金を不当に使うことばかりしている背任組織」などと激しく非難し、「市職労事務所の追放」を公約。失職前の4月、来年3月までの事務所使用許可を決裁していたが、再選後の6月11日、「許可条件に疑義が生じた」として許可を取り消し、7月11日までの退去を命じていた。
自治労県本部によると、地方自治法は行政財産の使用許可取り消しには
(1)公共のために使う必要が生まれた(2)使用者が許可条件に違反した--のいずれかの要件が必要と規定しており、「今回の処分は該当せず違法」としている。
一方、竹原市長は17日、毎日新聞の取材に「人の家(市役所)に上がり込んでおきながら、『出ていけ』と言われて提訴するとは。あきれた話」と、市職労を改めて非難した。
市職労は市条例に基づいて78年から市庁舎内の「機械棟」の一室(50平方メートル)を無料で使う契約を結んできた。08年4月からは電気·水道代約1万5000円を支払っている。



この組合の事務所問題の他にも何かと話題を全国に提供されている阿久根市の竹原市長ですが、もう少し他のやり方はないものなのかと思ったりする部分があるのですが、阿久根市民は、この市長のやり方を支持したということなのですから、関係ない部外者が口を挟む余地はないわけです。
これが三木市の場合だと、私のような口煩い市民が文句を言おうものなら、たちまち「コンサバティブ」のレッテルを貼られてしまうでしょうか。


それにしても候補者が掲げる「公約(マニフェスト)」も大きいことから小さいことまでいろいろあるようです。
これらの「公約」もまた、当選した時点で「民意」というお墨付きを得たものとなり、具体的な政策として着実に推し進められていくことになるようです。


しかし、この「公約」、市民が全てを理解しているわけでもなく、実際のところ個々に承諾しているわけでもありません。
また、理想と現実のギャップを埋めることすら出来ずに、その事実が最後まで市民には知らされないでうやむやにされてしまうことだってあるわけです。
三木市の場合で言えば、市長の退職金の公約がその典型的な例といえるでしょう。


こうして見ると、一口に「公約」と言っても本当に実現可能かどうかわからないものまで掲げている悪質なケースも候補者によっては見受けられるわけですから、過大広告の審査ではないですが、第三者がその公約自体の信憑性などを選挙時に審査するプロセスや機関を設けることも、今後は必要になってくるかもしれません。


全然中身が違うと言われるかもしれませんが、公職選挙法では、選挙期間中のブログの更新が禁止されているそうです。
日々地道に発信していることが制限される一方で、こういったその場限りともとれる過大マニフェストの制限が設けられていないのも考えものではないかと個人的には思うのですが···。
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by kkamoike | 2009-06-19 19:55 | マニフェスト | Comments(0)

退職金「受け取り拒否」でも公約違反でしょ

退職金「受け取り拒否」三木市長が表明(神戸新聞)

就任四年目を迎えた三木市の薮本吉秀市長は、二十二日の定例記者会見で、公約に挙げていた退職金の全額返上について、当初の趣旨通り「受け取りを拒否する」と表明した。同市が加盟する兵庫県市町村職員退職手当組合からの支給となるが、規約変更は難しく、市などに寄付すると公職選挙法違反となるため、法務局に供託される見通し。公約で意図した人件費削減には直接つながらないが、薮本市長は「一期目の公約を守るという自らの信念」と話した。
同組合には県内十九市十二町と三十の一部事務組合が加盟。それぞれ毎月負担金を支払い、組合が各自治体などの長や職員の退職金を支払っている。組合規約を改正して不支給とするには、加盟する自治体などの議会の承認が必要。受け取り拒否は初のケースになるという。
薮本市長は二〇〇六年一月の初当選時に、人件費削減の一環として退職金の全額返上を公約。市は毎月、30%カットした市長の給料月額を基準に、同組合に負担金約二十一万円を払っている。
任期の一〇年一月まで務めた場合、支給される退職金は千三百五十万円。同組合や総務省によると、供託後、十年たつと国庫に入るが、薮本市長がその時点で公職に就いていると「国への寄付行為になる」という。
この点について、薮本市長は「今コメントできることはない」とした。
県内首長の退職金をめぐっては、手当廃止を表明していた明石市の北口寛人市長が昨年十一月、一期目の手当を受け取る方針を表明。約五分の一に減額修正する議案が市会で可決された。尼崎市では、恒久的に市長の退職金を減額するとした条例改正案が〇七年、市会で否決された。川西市の大塩民生市長は、退職金半額支給を公約し、相当額を期末手当からカットしている。



また今回も、よく分からない話をされています。
そもそも実現できもしないことを「公約」に掲げてはいけませんね。
実現に向けてどれだけ努力されたのかも、この記事からは見えてこないのですが。
公約する前に、実現できるか、できないかをよく調べていただかないと、それを信じて投票する人だっているわけですから。
もし仮に、最初からできないとわかっていて公約に掲げたとしたなら、それは「詐欺」と同じですが、そうでなかったことを祈るばかりです。

市長が掲げた公約の中身は、「退職金を受け取らない=財政負担を軽減する」というものだったはずなのですが、いつの間にか、「退職金を受け取らない=市長の政治信念」というふうにすり替えられてしまったようです。

新聞にも報道されていましたが、受け取り拒否が成立した場合、市がこれまで支払ってきた負担金が市に戻ることもなく、市長に支払われるはずの退職金も市には戻らず、供託を経て、十年後には国庫へ消えていってしまうようです。
つまり、市長が退職金を受け取っても、受け取らなくても、市の財政負担は同じということです。
市長の懐に入るならまだしも、それだけのお金が供託され、最終的には、何の関係もない国庫に流れ出てしまうのは、貴重な市民の税金が無駄に消えてしまう感じがして、もったいない限りです。

記者発表の資料には、今回の退職金の支払いに要した費用が発生しても、既にそれ以上の報酬カットを行っているというような意味不明な説明がされていましたが、いやはや、なんとも潔さがありません。
市民にとって、大事なのは「退職金を受け取らない=財政負担を軽減する」であり、「退職金を受け取らない=市長の政治信念」ということなど別にどうでもいいことなのです。
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by kkamoike | 2009-01-24 07:25 | マニフェスト | Comments(6)

トップの報酬カットは単なるまやかし

アメリカ自動車産業のビッグ3の経営危機に伴い、それぞれの首脳の破格の待遇が批判の的となっている中、JALの社長の質素な倹約ぶりが話題となっていました。
この記事の中で、
『JAL広報部は「日本の経営トップの感覚としては、さほど特別な取り組みではないとの認識です。文化の違いでしょうか」と話している。』
と書かれてありましたが、このケースがどうということではなしに、確かに、日本の場合、多くの経営者が自身の報酬を減額してみせることで、世論の支持を集めようとする人は少なくありません。
ただ、冷静に考えると、現実問題、経営者の給料を減らして経営が変わるケースとなると、ビッグ3ほどの企業とまではいかないまでも、経営者に多額の高給が支払われている大企業か、逆に、わずか数人の社員しかいない零細企業ぐらいなものでしょう。
そう考えると、経営者が給料を減らす目的、狙いは、別のところにあるような気がします。


三木市においても、現在、「財政危機宣言」を発していますが、このような状況下で、市長が満額の報酬を貰っているとなると、「この非常事態に何を考えているんだ!けしからん!」という類いの声が一部の市民からあがったりもするでしょう。
しかし、逆に、トップが報酬を減額しているとなると、自ら率先して身を削っているといった美談にすり替えられることになります。また、「財政危機という状況だが、市長もできる限りのことをしているのだからやむを得ない」といった同情的な世論が巻き起こることにもなるわけです。
こうなれば多少個人の懐は痛んだとしても、経営的な批判をかわすことができ、安心感も得られます。
あるいは、市長自ら報酬をカットしているのだから、市民や職員もそれなりの負担を受け入れるのはやむを得ないといった風潮を作り出そうとしているのかもしれません。
自らの報酬をカットし、市民や職員とで痛みを分かち合う構図をアピールすることで、これらの痛みは仕方ないことだと正当化しようとしているのかもしれません。


しかし、自身の報酬を減らすことで世間の歓心を買おうとしたり、美談の主になろうとするのは、まやかし以外のなにものでもありません。
なぜなら、市長の報酬額など、私たちの生活には直接、何の関係もないのですから···
市長にしかできない仕事への対価なのですから、それに応じて支払われた報酬はきちんと受け取るべきです。
それ相応の仕事がきちんと出来てさえいれば、誰からも文句をいわれる筋合いはないはずです。


問われるべきは、市民に必要なサービスが提供できるかどうか、職員に適切な賃金を支払えるかどうか、それだけです。
良い市長とは、市民や職員に提供するべきものを提供できる市長であって、献身的な市長のことではありません。

それでもカットにこだわるのであれば、財政難だから(みんなの為に)自ら報酬をカットしましたといった押し付けがましい献身さをアピールするやり方ではなく、経営者として財政難に陥れた責任を取るという意味で、いわゆる「ボーナス査定」のような形でカットの割合を決めればどうかと思います。
議員の皆さん一度提案されてはいかがでしょうか。
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by kkamoike | 2008-12-20 22:55 | マニフェスト | Comments(0)

政治家の言葉

先日、ある都道府県知事選挙の当選者が当選を果たした直後の所信表明のようなものをテレビのインタビューの中で述べておられました。
その内容は、ここで紹介するほどのものではない、極めて当たり障りのない、ありきたりの言葉でした。
「それができんねやったら誰も苦労はせえへんわ!」と思わずテレビに向かって突っ込んでしまうほどの内容でした。


たまたま前回の記事のコメント欄に山田錦さんから、綺麗上手な言葉に騙されない、それを見抜く目を有権者が持ち、客観的に評価や審判ができる制度が必要ではないかという意見をいただきましたが、今、思えばまさに、そのような目を持つ必要性を感じるテレビのインタビューでした。


財政難、人口減少、地域経済を取り巻く数々の問題、行財政改革への取り組みなど、全国のほとんどの自治体が抱える共通の課題をわざわざ取り上げ、全力で取り組みますと言ったところで、そのような姿勢で臨むことは、もはや当たり前のことなのです。いわば「時代の要請」でもあるわけですから、逆に言えば、そのような姿勢で取り組めない者は選挙に立候補する資格さえないと思っています。


今の政治家に求められていること、それは、暗い話題ばかりが先行する世の中だからこそ、自分の住むまちの特色をどのように活かし、どんな風にまち全体を盛り上げていくのかという部分を、もっともっと前面に出さなければならないのだと思います。
他の自治体にはない魅力を探り、それを活かすことで、将来、どのようなまちを目指したいのか。
そのことによってまちはどう変化し、そこに住む人達にどのような影響をもたらすのか。
そのような一歩も二歩も踏み込んだ内容で有権者の気持ちを掴み、勇気づける言葉を自分の言葉で語りかけられる政治家でなければならないと思うのです。




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by kkamoike | 2008-10-25 06:44 | マニフェスト | Comments(0)

マニフェスト評価の正しい見方

マニフェストの進捗状況がホームページに掲載されている。
そもそもこのような政治色の濃いものが、市のホームページに堂々と掲載されていること自体どうなのかと首を傾げたくなるのだが、この内容もまた、市長の市政運営同様、突っ込みどころが満載です。


評価について、数値などで分析できるものなら分かりやすいのだが、数値化できないものは評価者の主観で評価されることになるのだろうか。


例えば、「時代を担う子どもたちを育てる教育費は削減しません。」

このような項目は、前年の予算や決算と比較して達成出来ているかどうかは容易に判断できる。

一方で、
①「三木と吉川のよさをお互いが尊重し、認め合うまちづくりを推進します。」

②「行政のムダを徹底して排除し、小さな市役所をめざします。」

③「助役·収入役は置かず、部の数は少なくし、部長には民間人も登用します。」

といった項目などは、いずれも「○···完了」となっているのだが、
何をもって「完了」と評価したのか、私にはその理由がわからないのである。

例えば、

①などの項目は、本当にそのようなまちづくりが推進されたかどうかについては市民が評価する内容だと思うのである。
もしかしたら市民にとっては「完了」には程遠い状況なのかもしれない。
客観的に評価することが求められるのではないのか。

②などの項目は、掲げられている内容の判断基準が曖昧すぎると思うのである。
どこまで取り組めば「ムダ」が排除されたといえるのか。
もともとのはっきりした基準がないから、本当に排除できたかどうかは疑わしい。
「小さな市役所」もどれくらいの規模で「小さな市役所」といえるのかが分からない。

③などの項目は、これまでもこのブログで再三、主張してきたが、
単に「助役や収入役」を置かなかったという事実に対する評価だけでいいのかと思うのである。
「完了」という評価は、設置したかしなかったかという事実に対する評価なのだろうが、
本来は、その取組が市政運営にどう影響したのか、不都合は生じなかったのか、そのような分析を踏まえた上での評価でなければ意味がないと思うのである。
また、民間部長を途中で登用しなくなったことに対する評価はどうなるのか。


一つ一つ指摘すればキリがないので、ここでは個々の項目に言及することは避けるが、
いずれにしても、ここで評価されている内容と市民が受け取る印象とはかなりの差があるように感じるのは私だけだろうか。

マニフェストに掲げた項目だけをもって「まちづくり」の評価ができるほど、「まちづくり」は単純ではない。
正直、このような評価結果に一喜一憂することはナンセンスであると思うし、このようなナンセンスなことの進行管理に貴重な時間と税金を費やすことは即刻やめてほしいものである。

そう考えると、少なくとも、「行政のムダを徹底して排除し、小さな市役所をめざします。」の項目は、「〇」にはならないはずである。
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by kkamoike | 2008-06-23 22:51 | マニフェスト | Comments(0)

職員削減とサービスの関係

大阪府の橋下知事が、警察官の削減に対する府民や議会などからの反対意見が予想以上に多かったため、公約撤回に踏み切る方向に動いているとのニュースが流れていた。

多くの府民は、警察官を削減して経費を節減することよりも、治安の維持を優先するべきと判断したと見ていいだろう。

言い換えれば、府民の多くは、そのサービスが必要だと考え、サービスを維持するための人件費は必要だと判断した。

もともと橋下知事がどういう理由で削減案を提示したのかはわからないが、やはりこれも「机上の空論」のなせるワザだったのだろうか。

「犯罪件数が減り、検挙率も良くなっているから、警察官を減らします」というのであれば反対する者も少なかったかもしれない。
削減ありきで物事をすすめようとするから、結果的に判断を誤ることになる。


三木市政でも相変わらず数年前に市長がマニフェストで掲げた職員削減数だけが独り歩きしているようだ。

今回の大阪府の警察官の事例のように削減とサービスの関係がわかりやすければいいのだが、市民にとって削減の影響がどんな形でサービスに跳ね返ってくるのかが誰にもわからない、情報公開がされておらず、わかりにくいところに問題がある。

削減ありきではなく、自分たちの受けるサービスの質や量をどう見直していくのかという合意形成の場がすっぽりと抜け落ちている。

選挙に有利な情報ばかりを市民に流すのではなく、負の側面があることもしっかりと説明できる政治家こそが真の政治家なのだと思う。
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by kkamoike | 2008-05-30 06:49 | マニフェスト | Comments(2)

マニフェストの評価の仕方

マニフェストに掲げられた項目の背景には、それぞれ何らかの目的や理想とする姿があるはず。

例えば、「三木鉄道」。マニフェストの細かい所までは知らないが、鉄道廃止の一番の目的は、おそらく赤字続きの鉄道を廃止することで市の会計負担を無くし、健全な財政基盤をつくることだと思う。
当然、これだけではないだろうが、立候補者から市民に伝わる部分というのは非常に限定されるはず。
しかし、有権者が期待する効果や理想の姿は、人それぞれ違って当たり前。

マニフェストの項目だけ見れば、廃止を決めた段階で「はい、完了!」となる訳だが、有権者の立場から考えるとそうはいかない。評価の視点は三木鉄道廃止後にも及ぶはず。
例えば、廃止によって浮いた予算がどのように有効に使われるのかとか、代替交通の充実、有効な跡地利用の活用も含めた地域の活性化など、市民一人一人、その評価項目や点数の配分は異なって当たり前なのだ。

マニフェストは選挙公約として立候補者が纏めたものだが、その公約内容が市民と交わされた時点で市民一人一人のものとなる。
そういう意味では、rfuruyaさんがおっしゃった言葉をお借りするなら、学校の試験のような一律の評価基準でもって評価できるほど単純なものではないことがおわかりいただけると思う。

マニフェストの評価の仕方は市民一人一人違っていいのだと思う。
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by kkamoike | 2008-02-04 00:08 | マニフェスト | Comments(0)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。
S M T W T F S
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