どうぶつのつぶや記

カテゴリ:リーダーの条件( 36 )

リーダーの意識一つで改革は成し遂げられる

職員の意識改革を主な目的として始めたトイレ掃除
もて木さんのブログによると、
『以前よりトイレが汚くなってきているのでは』との指摘に対し、
市長は、『職員が一生懸命やっているのに、そんなことを言われる市民がおられるのは残念だ。今後も継続する。』
とのコメントを返されたとか···
トイレ掃除は仕事なのか、それとも単なる職員の自主的な意識改革のための手段なのか。
今一度、「トイレ掃除」のあるべき姿を考える時期が来ているのではと思います。
トイレ掃除を「仕事」として捉え、専門の業者に任せるほうが、トイレをきれいにするなどの維持面と、費用的な面の両立が最も効率的に成し遂げられるというのであれば、一旦決めたことであっても、これまでの成果を検証した上で、勇気を持って見直す決断をするべきなのだと思います。
トイレの使用が職員だけに限られているのならともかく、市民も利用するのであれば、たとえ一部の市民の声であったとしても、そのような指摘を受けることはあってはならないはずです。
市民が利用する際に、いつも気持ちよく、綺麗に保たれている状況を維持することが大事であって、このような市民のことを第一に考えたサービスを提供することが、(公務員が行おうと、民間業者が行おうと)まさしく『プロの仕事』といわれるものになるのだと思います。


●議員定数の削減問題
定数の削減のみならず、今、まさに議員に一人ひとりの意識改革が求められているのだと思います。
トップが、経費の面だけでなく、議員一人ひとりの意識改革も含めて、議会に対して口出しをしたのであれば、当然、トップ自身も意識改革が求められるはずです。
例えば、市長の議会での立ち居振る舞いや、
議員によって対応をあからさまに変えるというような態度などは、今すぐにでも改めるべき事柄です。
また、一つの意見として、市のリーダーが今何を考え、どういう方向に進もうとしているのかといったことを、些細なことでもいいので情報発信を怠るべきではないという指摘は全くそのとおりだと思います。
時代は私たちが考えている以上のスピードで変化していっているのです。
トップ自らも常に時代の要請に応じて変わることにチャレンジしていく必要がありますし、自ら模範を示していかなければならないのだと思います。
そうでないと、「改革を成し遂げたい」という想いは、誰の心にも届かないでしょうし、まして人の心を捉え、動かすことはできないと思います。


●ところで、今朝の雑感日記で紹介されていた『ドライバー モリゾウのBLOG』の最新記事には、びっくりするぐらいのコメントが数多く寄せられているのですが、その中でこんなコメントを見つけましたのでご紹介します。
シゲ [2010年3月17日 15:13] *

モリゾウさんはじめまして。
私は現在29歳で微力ながらごくごく小さな技術系企業の専務取締役をしております。
いわばクレーム産業の一員です。
今回のモリゾウさんの一連の動向やメディアで取り上げられていた対応を拝見しておりまして、ただ圧巻の一言でした。
私もモリゾウさんみたいに、人、企業をリーディング出来ればと思うばかりです。
私は今回の問題事には関心は無く、モリゾウさんの対応や姿勢にずっと注目してました。(生意気言ってすいませんが。)
でも、モリゾウさんみたいな人が居るからこそ、目標が持てる、又やる気が沸いてくる、といった人も必ずおられると思います。
現に私がその一人です。今後も頑張って下さい。最後に、私も早くレクサスに乗れる様頑張ります!



●寄せられているコメントは、リーダーを心から尊敬し、応援するメッセージがほとんどなのですが、こんなふうに周りから言ってもらえる、評価してもらえるリーダーでありたいものですね。
『人を動かす力』があるということは、何より会社や社員を愛し、顧客を大切にする姿勢、そして過ちがあれば率直に認め改める潔さなどが、日々のこのような身近な情報発信の中からも十二分に伝わってくるからなのでしょう。
そして何より、リーダー自身のありのままの姿が包み隠さず表現されているからなのだと思います。
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by kkamoiKe | 2010-03-18 21:21 | リーダーの条件

政治家は語れてなんぼ

選挙の余韻もようやく収まってきたようです。
一時的にブログのアクセス数も多くなっていましたが、最近は、平常どおりのアクセス数に落ち着いてきました。

今回も前回に引き続き、議会のネタです。
今回の市長選挙でも、常々市民が不信感を持っている市会議員の資質が随所に露呈されたのではないかと私自身は感じています。
どういう点でそのように感じたのかいくつかの事例で紹介したいと思います。


投票日前、ある場所に某市会議員の方が新人候補を引き連れてお見えになったのですが、ただ「よろしく頼みます」という内容の言葉ぐらいしか発せられず、そのまま新人候補を紹介されました。
もちろん主役は市長選挙の候補者なのですが、私としてはせめて、この市会議員が「候補者の訴えるこの施策を一緒に進めていきたいと思っている」であるとか、「この候補者がめざしているこういうまちづくりの方向性に共感したから私は彼を応援しています」など、自分の描くまちづくりの姿と重ね合わせながら推薦理由をしっかりと語ってもらいたかったと強く感じました。

相手がどうだこうだというような比較論だけを用いるのではなく···


また、現職候補がマニフェストに掲げておられた「議員定数削減」に関する見解も、残念ながら市会議員の方の口からは一切触れられませんでしたが、一有権者の気持ちとしては、議員自らの言葉で、「この問題は、現職候補に言われなくとも必ずや自分たちの手で定数削減も含めた議会の改革を断行していくので期待して見守ってほしい」という意気込みぐらいは語ってもらいたかったと感じました。


やはりこのような短い時間しか与えられていない場面でも、自分の考え、まちづくりについてのビジョンがしっかりと語れない、あるいは効果的なメッセージを発せられない政治家では、有権者の市会議員を見る目が厳しくなるのも頷ける気がします。
もう「顔パス」だけで有権者がついてきてくれる時代ではないのですから。
「政治家は語れてなんぼ」の時代なのだと思います。
有権者はそんなちょっとしたところをしっかり見ているものなんだと思います。
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by kkamoiKe | 2010-01-25 17:57 | リーダーの条件

非常時にこそ、リーダーの真の品格が顔をのぞかせる

『前へ、もっと前進』
この言葉は、皆さんご承知のとおり、樋渡市長がこの度の武雄市長選挙に向けて市民に対し発しておられるメッセージです。
物事をポジティブに捉えるか、ネガティブに捉らえるによって、大袈裟かも知れませんが、その人の生き方そのものが見てとれるような気がします。


樋渡市長のメッセージには他の候補者がいかなる人物であろうと、いかなる主張や政策を掲げようとも自分は自分の信じた道を突き進むのみという意思表示ともとれます。
相手よりも常に前を行くことで、武雄市を他のどの自治体のまちづくりよりも一歩も二歩も前に進めていくことができる。
そのことが必ずや市民の幸せにつながるという確信とそれをやり遂げる上での自信に溢れているようにも感じます。


私は、物事を常にポジティブに考えられる人は、周りを明るく、幸せにできる人であり、自分の生き方に確固たる信念を持っている人だと常々思っています。
樋渡市長は『他の候補を揶揄することなく』とおっしゃっておられますが、もちろん人と比べて自分を優位な位置に立たせようということなど最初から頭にはない方なのでしょうが、私は、むしろ、これまでのまちづくりや政策に「自信」があるからこそ、「揶揄」とまではいかないまでも変な小細工などを仕掛ける必要は一切ないと感じておられるのだろうと受け止めています。
そしてその「自信」を裏付けるものこそが、樋渡市長が4年間、市民の方とともに進めてこられたまちづくり、市民とのパートナーシップ、そして、揺るぎない信頼関係だと感じています。
信頼関係さえあれば、何も恐れることはないということなのでしょうね。


何事にも、どっしりと構えて事にあたることのできるスケール(器)の大きな人間を目指していきたいものです。
そういえば、以前読んだ本にこんなことが書いてありました。
『非常時にこそ、リーダーの真の品格が顔をのぞかせる』と。
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by kkamoike | 2010-01-12 20:45 | リーダーの条件

「人脈」をまちづくりのために最大限生かせる政治家であれ 

人とのつながりを「しがらみ」と見るか、「人脈」と見るかは人それぞれでしょうが、私はポジティブな意味で「人脈」を生かす方向に考えたいと思います。
教えて!gooのベストアンサーによると
元々、しがらみは漢字で「柵」と書くように、川などの流れをせき止めるために、杭などをうちこんでそこに竹などを渡し、堰を造ったものを指す言葉でした。
そこから転じて、ものごとの流れをせきとめ、まとわりついてくるもの。
人間関係などにおいても、何かに不随して、流れを止めるようなもろもろの余分なことなども指すようになったと思われます。

とあります。


一人よりも二人、二人よりも三人、三人よりも···
この人となら一緒にやっていける、この人とならいろんな情報を共有できる、この人と同じ夢を追いかけ実現していきたい···
そんな共通の目的を持って一緒にがんばっていこうという人たちと連携できればきっと素晴らしいまちづくりが実現できるはずです。
一人では何も出来ませんが、情報提供してくれる人や、協力してくれる人が一人でも多くいるということがまちづくりの力強い推進力となるはずだからです。
そういう意味で「人脈」と「しがらみ」は根本的に違うものだと思っています。


まちはいろんな人、家族、地域、職業、業界、団体、サークル、趣味などの「和」で構成されています。
まちづくりとは、いわばそのようないろいろな人たちとのつながりによって成り立っているものだとも言えます。
その人たちの生活を豊かに、向上させるためには、出来るだけその人たちからの本音を引き出す必要があるわけですが、その人たちとのつながり、お互いの間に信頼関係がなければ、本音を聞き出すことはできないでしょう。


原口総務相が新年にあたり松下政経塾で学んだ5つの誓いを書いておられます。
その中の一つにこんな誓いがありましたのでご紹介します。
「感謝協力の事」
いかなる人材が集うとも、和がなければ成果は得られない。常に感謝の心を抱いて互いに協力しあってこそ、信頼が培われ、真の発展も生まれてくる。



どれだけの人に心を込めて、自分のことのように力を入れて応援、協力してもらえるか···
そして、その期待にどれだけ応えられるか···
これも政治家の実力、市長にふさわしい器(人柄や力量)があるかどうかを判断する上で重要な要素の一つになると私自身は受け止めています。
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by kkamoike | 2010-01-06 19:26 | リーダーの条件

「リーダーシップ」とは

前回は、「物言わぬ組織」について考えました。
厳密に言えば、「物が言えない組織」というほうが正しいのかもしれません。
これはあくまで私の推測ですが・・・。


組織の風通しを良くして、組織を構成する人たち(社員や従業員)のポテンシャルを高めていくことは、会社の業績、いわゆる経営状況を良くしていく上で、欠かせない要素であると考えます。
人が持つ能力を最大限に引き伸ばし、いかに会社経営に貢献してもらうか、そのような「人財」をうまく使いこなせる人がリーダーとして存在するかどうかが、大きな分かれ道になるのだと思います。
行政においては「首長」がそのリーダー役を担っているわけですが、政治判断も経営判断同様、リーダーシップをいかに発揮していくかということが重要になってきます。
言うまでもなく、「リーダー」とは、みんなをリードしていく人であるわけですが、部下をはじめとした周りの人がついてきてくれなければ事は進みません。
自分だけが息を巻いて突っ走ったところで周りからの賛同がなく、ついてくる者がなければ、リーダーシップが発揮できているとはいえないのです。


もう一つ、違う観点で捉えてみると、
いろいろな解釈があるでしょうが、私は基本的に「リーダーシップがある」と「ワンマンである」とは意味が違うと思っています。
ワンマン経営者のイメージは、自分の意見に反対するものは寄せ付けず、周りにイエスマンばかりを集めるというものです。
かなり古い記事ですが、いつも雑感日記さんが取り上げておられる大西宏さんのブログ「マーケティング・エッセンス」からの引用です。

ワンマン経営の悲劇 - ダイエーの教訓
『ワンマン経営は、イエスマンの集団をつくることはいうまでもありません。それだけではありません。極めて排他的な集団が生まれてきます。つまり中内さんの「村」みたいなものができあがります。それは決して正式な組織でもなんでもないのですが、「村」から外れた人たちは、たたとえ役員といえども誰もついてきません。誰も言うことも聞いてくれません。多くの優秀な人材がはいってきても、やがて辞めざるをえなくなってしまいます。業績をあげたかどうかなんかは関係ないのです。』

『ワンマン経営は、経営者本人の意思でないとしても、本人の見えないところで組織の弱体化を生み出していきます。讀賣が、プロ野球問題であのような酷い社説をだし、自らの権威を傷つけたわけですが、まともな体質があったなら、社内で反対意見がでたはずです。おそらくダイエーと同じような恐怖政治があるのだと想像します。』

『知恵の時代の主人公は「人」です。「人」を「道具」としか思わなかった中内さんは、きっと、このことに気がつかなかったのでしょう。時代の変化が激しくなるにつれ、「人本主義」という考え方は、今後さらに重要になってくるに違いありません。ダイエーの破綻は、会社は「人」であり、「人」がお客さまと向き合って、生き生きと仕事できなければ、どんなに大きな会社でも破綻するという教訓だと思います。』

2004年に書かれた記事ですが、今もこの教訓から学ぶべきところは多いような気がします。


一方、リーダーシップのある経営者は、自分と意見の異なる者の言い分にも耳を傾ける度量の広さを持っているというイメージです。
リーダー自身が、何を実行すべきか、なぜそれを実行するのかということを部下たちに語りかけることで、部下からの共感や支持が得られるのだと思います。
一旦、信頼関係が出来れば、どう実行すべきか、いつ、どこで、誰がなどの具体的なことは部下たちに安心して任せられることになるのだと思います。
逆に、いちいち細かいことにまで口出ししなければならない状況というのは、部下との信頼関係が作りきれていないということの表れです。
「任せれば、人は楽しみ、動き出す。」 by星野佳路
以前、当ブログでも紹介しましたが、こんなリーダーのもとなら、人だけはなく組織も動き出し、そこから斬新な発想が生まれ、新しい価値が創造されていくことにつながっていくことになるのではないでしょうか。


リーダーシップとは
立場や権力をバックに人を動かすというものでもなく、また単に力まかせに部下を引っ張っていくというだけでも不十分で、むしろ人についていきたいと思わせる、この人と一緒に仕事がしたい、大きな目標を成し遂げたいと思わせること、そのような共感が生まれる中で、結果的に人がついてくるという要素が大きなウエイトを占めるものではないかという気がします。
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by kkamoike | 2009-10-20 20:54 | リーダーの条件

人を巻き込んでいく上での考え方

他の方の意見や考え方を知ることによって、今まで気づかなかったことの発見や、新しい発想へとつながっていくのもブログの大きな魅力の一つではないでしょうか。
最近、特に注目しているのは、三木市のことをテーマにした「ふるさと日記」というブログです。
自分には書けない内容、今まで気付かなかった部分、より具体的な提案にまで踏み込んだ内容は、非常に勉強になります。
今日の「ふるさと日記」で取り上げられた記事は、市役所改革というカテゴリーで、「信頼される市役所をつくる方法」というものです。


具体的な提案内容は、それぞれの考え方があるので、ここでは言及しませんが、物事の考え方、方向性はあらゆる事象に通じる部分があり、共感できるところが非常に多いと感じました。
職員の方たちの給与水準の引き下げの話にしても、人事院勧告などのこれまでの慣例を一気に蔑ろにしてしまうわけにはいかないでしょうが、例えば、マイナス思考から導き出された結論(財政難だけを強調して→給与水準の引き下げを行う)と、協働のまちづくりを作り上げていく上で、欠かせないプロセスなんだという大枠を決めた中でのプラス思考から導き出される結論(新しいまちづくりを描き出し→それに見合う新たな給与水準を構築する)とでは、同じ給与の引き下げという手段を駆使したとしても、その背景となる目的や意義(そもそもの発想、起点、呼びかける中身など)というものは全く異なっていますから、その事実を受け入れる側の気持ちや考え方も必然的に違ってくるのではないかと感じました。


要は、同じことをするにしても、やらされ感が残ったままだったり、上からの押し付けだけでは、人の心を前向きにさせたり、心を動かすことはできないということではないかと思います。
繰り返しになりますが、個々の取組の選択肢自体は人それぞれのやり方があるでしょうが、物事を進める際にどういう順序で話を組み立て、結論付けるかなどの人を巻き込む上での考え方というものは、すべてに共通するものがあると感じました。
内部管理、まちづくりや協働にも同じことがいえるのではないでしょうか。


同じことをするにしても、やり方やものの考え方の順序が違えば、もたらされる結果は全く違ったものになる。
そのことをよく理解したリーダーこそが、部下や外部の人からの人望を集めることとなり、よい成果をもたらすことになるのだと感じました。
そして、こういう場面においても、まちづくりについてどれだけ熱く語れるかという力量が、リーダーには求められることになるのでしょうね。
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by kkamoike | 2009-09-25 22:35 | リーダーの条件

政治家に向く人、向かない人~東国原ショックから~

東国原知事や橋下知事の動きが話題となっています。
今回の両知事の言動には、賛否両論あるようですが、これまでの首長としての取り組みに関して言えば、国を舞台に活動している人たちよりも、知名度も実績の面においても国民から高い評価を受けている面が多いのではないでしょうか。これは、大阪や宮崎に限らず、今、まさに地方を席巻している名物首長さんたちにもあてはまることだと思います。


一方、国会議員はといえば、今回の東国原知事の件でも、あからさまになりましたように、自分たちのテリトリーを侵されようものなら、すかさず、国と地方は根本的に違うのだという話を持ち出す人や、一から勉強してから大口を叩けなどと先輩面をきかせる人たちがいます。
東国原知事だからどうという訳ではなくて、あくまでも一般論ですが、全く逆のケースで見れば、国政に関わる立場からいきなり地方のトップになる人なんていくらだっているわけですから、大臣や国会議員だけ、経験がものをいう理屈は通用しないと思います。
まぁ、これが永田町の論理だということなのかもしれませんが、この辺りの空気が読めないようでは、いつまでたっても国民から期待される政治は実現しないと思います。


リーダー、特に政治家なんて、国や地方に限らず、何年やっても向かない人は向かないのです。
プロスポーツの世界と同じで、努力や経験だけで民衆を引っ張っていくほどの指導力が備わるというものでもありません。
政治の世界においても、力を発揮できる人というのは、他人とは違う何かを持っている人であることは間違いありません。


少なくとも自分が凡人の部類に入ると思っているような人や民衆の心を掴む自信が持てないような人は政治家には向いていないのだと思います。
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by kkamoike | 2009-06-30 19:53 | リーダーの条件

おかしいことをおかしいと受け取れる感性



リーダーになってもらいたい人の条件、

それは、

頭が良い、行動力があるにこしたことはないけれども、やはり、基本は、おかしいことをおかしいと普通に感じられる人でなければならないと思う。

なぜなら、そういう人でないと、他人の気持ちを汲むことはできないし、他人の目線に立って仕事をすることなどできないと思うから。
さらには、せっかくの頭の良さも、せっかくの行動力も全て違う方向に空回りしてしまうと思うから。
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by kkamoike | 2009-06-20 09:17 | リーダーの条件

政策の判断はドライでシンプルに、市民への説明はウエットできめ細かく

市民を路頭に迷わさないように、市民にとって最も安全な策を選択し、その実現に向けて関係者に理解を求める努力を怠らないことこそが為政者としての役割だと思います。
今、全国の自治体病院を揺るがしている経営危機問題ですが、これは何も三木市に限ったことではありません。
市民病院の経営が行き詰まり、身動きが取れなくなってしまう前に、何らかの手を打たなければならないという決断や選択を迫られるリーダーは全国各地に存在していると思われます。
しかし、その問題解決に向けた視点、アプローチの方法などは、リーダーによって大きく異なるようです。


あるリーダーは、
『病院だけでなく、市そのものが崩壊の危機に直面している。
だから、市全体の歳出を見直し、削減を図ることが必要である。
人件費カットができなければ、①市民病院が今年度から経営健全化病院に転落、②市民の皆様への負担がさらに拡大、③市が5年先に財政再生団体に転落、④他市との統合病院の実現が困難』といいます。

また、あるリーダーは
『市民病院自体が巨額な財政赤字を抱え、数年後には破産する可能性が極めて大きかった。市民病院の破綻が引き金となり、市全体の財政が回らなくなることから、しっかりした病院にお任せすることが、地域医療の維持向上につながると判断した。」といいます。


両者の言葉は、一見同じスタンスに基づいた主張のように見えるかもしれませんが、実は改革の方向性は180度異なります。


前者は、三木市長の改革についての考え方です。
何としてでも現状の病院の体制を維持しようとする意図が伺えます。
市全体で改革を実行しなければ、病院を守り続けるどころか市自体が破綻してしまうという論法です。そこには、たとえ病院経営において赤字が増え続けようとも、市が最後まで面倒を見つづける、病院の経営と市の経営は一心同体であることを前提としているようにも思えます。
しかし、この考え方は、問題の元凶となることに真正面から向き合い、自らメスを入れて根本的な解決を図ろうとするものではないと思います。
その一方で、職員の方たちの給与カットについては、並々ならぬ意欲を示されているようですが、私から言わせれば、単に手をつけやすいところから手をつけただけで、根本的な解決には結びつかない、何の努力も伴わない改革(改革といえるのかどうか大きな疑問がありますが、とりあえず「改革」と表現しておきましょう。)に終始しているだけだと言わざるを得ません。
三木市長の考え方は、見方を変えれば、市民病院も市全体も同じ重要度があるという認識の表れなのかもしれませんが、それは、言葉を換えれば、問題を解決する上での優先順位が決められない優柔不断なリーダーの典型であり、本当の危機に直面した際にはまず通用しない対応であると思います。


一方、後者は武雄市長の改革についての考え方です。
問題の本質に真正面から向き合い、その原因となっているものを根本から見直していこうとする姿勢が伺えます。
そこには、問題解決に向けた改革に着手する優先順位をはっきりとつけることはもとより、改革の対象をごっちゃにしない、極めてドライでシンプルな考え方に基づいた手法が示されています。
その上で、市長の考えを市民にも共有してもらうべく、市民へのウェットできめ細かな説明責任を果たそうとする市長の熱い想いが伝わってきます。


リーダーの考え方、決断、改革に向けた取り組みによっては、市民の将来の生活も180度変わる可能性もあり得るということです。
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by kkamoike | 2009-06-10 22:27 | リーダーの条件

思想を持つ

わたしが尊敬する会社の会長は、部長までは能力で昇進させるが、役員にするかどうかは、思想があるかどうかで決めていると言います。
これをやっていいか悪いか、進むか撤退するかなどといった会社の方針の決定の際に必要なのは、能力ではなくて、拠って立つ思想であり、その思想をしっかり持った人を役員にしていく、そうすれば会社が大きく道を誤ることはないからと、そう言います。
ここで言う思想とは、倫理観、価値観のことです。
つまり、人を優先するのか、お金を優先するのかとか、あるいは、男性しか昇進させないとか、女性を積極的に活用するとか、すべて価値観の問題です。
そういうことをきちっと持っている人のことを、思想がある人と言っているのです。

(中略)

ものが見えるには、仮説を持つことが大切だと何度もお話していますが、適切な仮説を立てるためには、その根幹となる正しい思想が必要です。
思想があれば、物事の原理原則を見極めることができます。原理原則から、ものを見ることができるようになると思います。

ビジネスマンのための「発見力」養成講座 (著者:小宮一慶)より




『経営における判断は、世間でいう筋の通ったもの、つまり「原理原則」に基づいたものでなければならない。我々が一般に持っている倫理観、モラルに反するようなものでは、うまくいくはずがない。 』

『リーダーの行為、態度、姿勢は、それが善であれ悪であれ、本人一人にとどまらず、集団全体に野火のように拡散する。集団、それはリーダーを映す鏡なのである。』

稲盛和夫氏の言葉より
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by kkamoike | 2009-05-07 22:23 | リーダーの条件