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どうぶつのつぶや記

カテゴリ:三木市政( 127 )

危機感を煽るのではなく、安心感を与えるのが政治の役目

米田議員のブログには、今回の一般質問の背景となった、市民が感じる不安についてこう述べられています。
「昨年9月末に財政危機宣言が市長よりされ、
様々な市民生活や活動に影響が出ている中で、
行政側の意識の変化より市民の不安·不満がたまりつつある。」
と。


そんな中、どの政策に重点を置くかとか、どの事業を優先して行うかということは、人によって考え方がそれぞれ違うから、しょうがないと言ってしまえばそれまでなのですが、
広報に掲載されていた内容を見ても、あまりにもそれらの事業の決定、進めるタイミングなど、「財政危機宣言」を発した今の時期になぜ?と思うものがあります。
例えば、旧玉置家住宅の整備や三木鉄道跡地に関係する整備費などは、今、この時期にこれだけの事業費を投じて本当に取り掛からなければいけないものなのかという疑問があります。
これは、私個人の思いだけでなく、私の周りにいる多くの人も不思議に思っていることです。
一方で、花火大会などは、具体的な再開の時期は示されていません。
市民が不安に思っていることというのは、まさにこのことだと思うのです。
すなわち、財政危機宣言を発する状況に至ったのはやむを得ないとしても、宣言しっぱなし、言いっぱなしのままでは不安だということなのです。


「このままいけば破綻するかも」といった不安を煽るばかりで、肝心の再建に向けた工程表、スキーム(計画)が具体的に、市民にわかりやすく示されていないから市民は不安を感じているのだと思うのです。
例えば、安心できる財政水準の明示、市民病院の再建の見通し、あるいは、大規模な整備事業を選択したことによって将来もたらされる効果など。
市民により身近なところで言うなら、いつまで我慢すればいいのか、あるいは、花火大会はいつ復活させるのかなど、要は「安心」できる到達点、目標をはっきりと示してほしいということなのです。
大事なのは、「財政危機宣言」を受けて、そのあとの対処法をどう考え、具体的にどう取り組んでいくのか、そしてそれを市民にどう示し、安心感を与えられるかだと思います。


今の三木市の市政運営を見ていると、このような根本となる部分をきっちりと押さえないまま、ただ地元の要望に沿って多くの事業が野放しに展開されているような気がしてなりません。
「三木式地域主権」と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、このような「財政危機宣言」を発する異常事態の今だからこそ、市の執行部だけでなく、議会や市民も巻き込んだ取組、一体となって政策の優先順位を考え、政策決定をしていく仕組みづくりを確立し、市全体でもって、シビアな目で「選択」と「集中」を実践していかないと、お金なんていくらあっても足りないと思います。


市にとって、市民に安心して生活を送ってもらうための取組は、どんな事業よりも優先されるべきものであるはずです。
そのような意味からも、一刻も早く、市民が安心して生活が送れるよう、その裏づけとなる計画を速やかに策定し、市民にわかりやすく示していく必要があるのではないかと考えます。
「五年後には破綻するかも」といった市民の気持ちをネガティブにさせる宣言ではなく、「○年後には県下で○番目の財政水準にし、市民サービスの満足度も今以上にアップさせます。」といった市民の気持ちをポジティブにさせてくれるような宣言をしてもらいたいものです。
この方のように。
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by kkamoike | 2009-09-12 14:43 | 三木市政 | Comments(0)

議員とともに成長し、「三木のまちづくり」を一緒に考えていく気があるかどうか

前回の記事では、議会に対する論文を引用させていただき、地方議会のあり方について考えました。
議会自体に改革していこうという意欲と取組が必要だということは言うまでもありませんが、我々市民もまた、政策立案ができる議員を育て、政策重視の政治を実現していくためには、それ相応の覚悟と根気が必要なのだということがよくわかりました。
たまたま、同じ日の同じ時間帯に、fuji-takeさんの「ふるさと日記」にも議会に関する記事がアップされていました。
こちらは議員定数について、ご自身のお考えを述べられています。ぜひご一読ください。
私は、議会に対して、こんなふうに意見が出されるということは、議会運営や議員に対して、いい意味でも悪い意味でも関心が持たれているということであり、何とかならないのか、何とかしてほしいという、ある意味、議会や議員に対する期待の表れではないかと感じています。


そんな中、議員を見守り、育てていくという観点において、市民の模範とならなければならないはずの、行政の長ともあろうお方から、またしても耳を疑うような問題発言が飛び出しました。
私はこのことが非常に悲しく、残念でなりません。
その発言こそ、今日の一般質問の場で、市民力の米田議員の質問に対して発せられた、「ネガティブ」という言葉です。
この言葉を発するに至った質問とは、市の「財政危機宣言」を受けての、市民や職員の反応、市に対する影響をどう考えるのかを問う内容、まさにそれは、市民があまり表に出すことのない気持ちを代弁した発言だったわけですが、その市民の想いや表に出てこない声に対し、あろうことか、「ネガティブ」な発言と一等両断に切り捨てたのです。
恐らく、こんな市民を冒涜する発言が恥ずかしげもなく口にできるのは、議員という存在を軽く見ている証拠であり、市民の代弁者である議員に対して尊敬の念を持ち合わせていらっしゃらないからでしょう。
それとも、全くの個人的感情に任せた、私的な発言だとでもおっしゃるのでしょうか。
以前にも「若いのにコンサバティブな・・・」という発言をされましたが、若いとか年がいっているとか、男性だとか、女性だとかは一切関係ない話です。それぞれ市民の信任を得て議員に選ばれた方であって、市長と同じ政治家でいらっしゃるわけですから、そのような発言を議員に対してするということは、市民がコンサバティブであり、ネガティブだと言っていることと同じことなのです。


私は、今回の米田議員の発言の一部始終を聞かせていただきましたが、市長の恫喝とも取れる下品な対応にも臆することなく、理路整然と二回目、三回目の質問をされたことに、三木市議会の新しい風、可能性を肌で感じることができました。
正直、これまでまともに質問ができる議員は、共産党の議員ぐらいしかいらっしゃらないのかと希望を失っていたのですが、次の議会からは、俄然、米田議員の発言に注目していきたい、いや、注目されるに値する雰囲気(落ち着いた口調や間の取り方など)や自ら理論展開をリードしていく力、議論のイニシアチブを握るといった実力を持たれつつあると感じました。


市長自身が、議員を陥れたり、言葉尻をとらえて非難や口撃を仕掛けたりすることしか頭にないようでは、三木の政治はいつまでたっても良くならないと思います。
行政の長には、これほどの質問が出来る議員が目の前に現れてきたことに対する喜び、高度な議論が市民生活をより良くしていく貴重な場になることへの感謝、そして、三木のまちづくりを一緒に考えていこうという誠実な心を持ち合わせた器であってもらいたいものです。
そのような姿勢を持つことが、市議会の活性化につながっていくのだと思います。
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by kkamoike | 2009-09-10 21:16 | 三木市政 | Comments(5)

まちづくりの根幹をなす議論なしでははじまらない

少々古いネタですが、
数日前の神戸新聞に、三木市の平成20年度の決算見込みに関する記事が掲載されていました。
この記事に関して、fuji-takeさんのブログ「ふるさと日記」に、感想を書いておられます。要は、新聞には「黒字」と書いてあるけれども、基金を10億円以上取り崩しての決算など、赤字同然ではないのか?というご指摘です。
ごもっともです。
また、fuji-takeさんは、市の会計を家計に置きなおしてこんなふうに表現しておられます。
『家計で、今月10万2300円貯金を切り崩したから、9400円手元に残ったのを黒字と言えるでしょうか?
だんなさんが無駄遣いして貯金減らして、今月黒字だなんて言ったら奥さん怒りません?』

確かに怒ります。(「怒られます」というほうが正しい表現でした。)


三木市の「財政危機宣言」には、毎年10億円以上の基金を取り崩すという大前提があります。
このまま毎年、基金を10億円ずつ取り崩す状況が続けば、5年後には基金は底をつき、財政再建団体に陥るかもしれないという内容です。
当然、この状況を指を加えたまま放置しておくつもりはないと思いますが、どうも今のやり方を見ていますと、毎年10億円の取り崩しを前提として、予算規模を従来の規模から10億円を確実に増やす形で予算執行していくために、いろいろな市民サービスをカットしているとしか思えないのですが···。


一見、サービスをカットしても、別のもので市民に還元されるものがあるならそれはそれでいいんじゃないの?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、本来、必要であるサービスがどんどん削られ、一方で、計画性のない事業や、今必要のないハコモノが建てられたり、病院経営の構造的な改革には着手せず放置したままの状態であるとするなら、それは、単なる税金の垂れ流し、行政経営の怠慢以外の何ものでもありません。
財政危機宣言に伴うサービスなどのカットは、あくまで一時避難的な措置であって、恒久的なカットにしてはならないと私は認識しています。
一時的な措置、財政的なやり繰りをするための措置として、サービスカットに取り組むのはよいのですが、10億円以上の収支不足が今後も発生する状況が当たり前と考えるのは正常な状態だとは言えず、三木市の財政規模は身の丈にあった予算規模になっているとはいえません。
にもかかわらず、10億円の収支不足が当たり前と見せかけるような予算編成を今後も続けるということは、三木市民を欺く財政的なトリックの何者でもありません。
以前、収支不足の原因として、小野市との比較をした資料が掲載されていることを紹介しましたが、この資料の意図するところは、まさしく、今後、10億円の収支不足を恒久的なものであると見せかけるための作為的な情報操作であり、三木市の財政規模を今よりも10億円膨らまそうとするためのトリックにほかならないのです。


今回の9月議会では、そのあたりの真相を深く切り込み、問いただせる議員は果たしているでしょうか?
分かっていて質問しないのは、議員の行動もまた、市民を欺いていることと同じことだということを認識すべきでしょう。
本当の三木市のあるべき姿はどんな姿なのか、理想とする財政規模はどれぐらいなのか、まちづくりの根幹にかかわる部分の議論を疎かにしたまま、いくら議論をしていても意味がないことを、市長も、議員も、そして私たち市民もそろそろ気づくべきではないかと思います。
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by kkamoike | 2009-09-07 19:49 | 三木市政 | Comments(13)

小さな行政(役所)を目指しているんじゃなかったんですね。

行政が行うべき事業かどうか、どの部分まで行政が関わるのか、
このことは、いわゆる「小さな行政(役所)」でいくのか、「大きな行政(役所)」でいくのかという方向性を示すことでもあります。

先日の記事に対して、ピーマンさまからこんなコメントをいただきました。
その中で、ピーマンさまは「小さな行政(役所)」について、こんなふうにおっしゃっておられます。
『役所(行政)と、民間に分岐点を考えた時、そこに利益が発生するか否か?だと思うのです。
行政が一つの事業を実施する場合、需要と供給の関係もあるでしょうが、そこに利益が発生しないことが、一つの要件ではないでしょうか?
安易に利益の生じる事業に着手するべきではないと思うのです。(と同時に安易に不利益な事業に着手するべきではないのですが。)
その考えを是とするなら、役所は利益の出ない事業ばかりを担うことになるわけですが、であるからこそ、事業の中身を吟味し、利益が出なくても真に私たち市民にとって必要不可欠な事業のみを展開するべきだと思うのです。
そして、それこそが小さな役所に繋がることでは、と思うのですが。』


そうですね。
私も、行政が本来果たすべき役割を考えたとき、効率だけではどうしても片付けられない部分があるのは事実だと思います。
一方で、現在の地方財政を取り巻く状況からすれば、行政のスリム化、「小さな行政(役所)」は時代の要請でもあると思います。
「民間に預けられることはできるだけ民間に」という発想も間違いではないと思っています。
そんな中で、行政が市民の要望にどこまで応えるべきかという判断については、やはり最終的にはその自治体の財政状況や、どの事業に重きを置くかといった、財源の配分の仕方などによって違ってくることだと思います。



ただ、今の三木市のやり方を見ていて分からないのは、財政難を理由に、急激な職員数の削減·合理化を進めているわけですが、その一方で、展開している事業を見てみると、他の自治体が手を出さないような事業、例えば、三障害施設の運営に手を出してみたり、公民館を中心としたよりきめ細かなサービスの提供を試みたり、図書館サービスをこれまで以上に充実させたり、さんさんギャラリーの企画運営に着手したり、ボランティアセンターに職員を常駐させたり、挙句は、出会いサポート事業などにも関与したりと····、
とにかく、私が思い付くだけでも、これまで以上に人的サービスの必要な事業が次から次へと展開されているわけです。
花火大会の中止など、一過性のイベントの中止や受益者負担金などの負担割合の見直しなどはあったものの、基本的な人的サービスを取りやめますという話はほとんど伝わってきません。
それどころか、本来民間業者がするべきトイレ掃除までも自前でしているのを見ると、本来の業務以外にもかなりの負担がかかってきているようにも感じるわけです。
「人がどんどん減って、現場は大変だ」という話を聞く反面、いろいろな事業を展開し、手を広げていっているようにも思うわけですが、一体、どんなカラクリで仕事が回っているのか?
まったくもって不思議でなりません。



冒頭の話に戻りますが、
『限られた予算しかない、財政難だから、あれもこれもできない。』
頭では行政も市民も解っているはずなのですが、個々に判断する時には、なぜか、そのようなことは頭からすっ飛んでしまうのかもしれません。
まぁ、組織内で意志決定する際にも、「総論賛成、各論反対」はよくある話ですが···

市民に自覚があるとかないとか、そういう問題ではなく、市民は、いい意味でも悪い意味でも行政が決めたことには黙って従う(従わざるを得ないという表現のほうが正しいかも)傾向があるのだと思っています。
今回の財政危機宣言に端を発した様々な取組にしても、個人単位ではいろいろ不満を持っていらっしゃる方はおられるでしょうが、全体的には、しょうがないなという雰囲気ですから···。
したがって、私自身は、市民に、この事業は行政が行うべき事業かどうかの判断、理解を求めるのは正直、酷ではないかと感じています。
やはり政治がその方向性をしっかりとリードしていくことが必要で、選挙向けにいい顔ができるかどうかという基準で判断するのではなく、整合性のある政策、一貫性のある政策を市民に対しきちんと提示していくことが大事なのではないかと感じています。
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by kkamoike | 2009-08-21 20:26 | 三木市政 | Comments(21)

何ができるかではなく、先ず何がしたいのかを考えるべきじゃないんですか?

米田さんもて木さんのブログに総務文教常任委員会の内容がアップされています。
何でも、下石野分校跡を改修し、「別所ふるさと交流館」を整備するとのことですが、目標利用者数をクリアするためのより具体的な活用方法については、今から智恵を絞り直す必要があるとのことです。
いやはや何とも暢気な話ですね。


一般的に、施設をつくる際に「心」=「理念」=「想い」がないと、いくら立派な施設をつくったとしても、ただの「ハコモノ」になってしまいます。
これは、施設を検討する段階で、つくり手が第一に心得ておかなければならない、最も重要な点だと思います。


今、三木市では、統合病院をはじめとして、様々な施設整備が巨額の税金を投入して行われていますが、それぞれの施設に、このつくり手の「心」=「理念」=「想い」というものが十分に描けていない段階で、整備に着手してしまうと、その施設の利用者はもちろん、そこで働く人たちにとっても、魅力的な施設にはなり得ないということを十分に頭に入れておく必要があります。
サービスを提供する立場の人を「劇を演じる役者」に置き換えるとするなら、その脚本(シナリオ)に魅力がなければ、役者にいい演技を期待することなどできないということです。当然、観客を呼び寄せることも、喜ばせることもできないということです。


ところで、三木市では、歳出を抑制するための職員数削減によって生じる人的サービスの低下を、市民パートナーやボランティアなどの、いわゆる「市民力」の活用によって補っていこうとしているわけですが、このような人たちの力を借りる上で重要な要素というのは、(その事業に携わることに対する報酬など、お金の支払い義務がほとんど生じない分)まさにその施設のコンセプトや意義、そこで行う事業の魅力といったものであって、それらの要素が従事する人の意欲に大きな影響を及ぼすということです。
逆に、事業自体に魅力がなければ、事業を手伝おうという意欲を起こす人は、誰も出てこないということを覚悟しておかなければなりません。


いずれにしても、施設を整備してから何ができるかを考えるのではなく、施設を整備する前に何がしたいのかを考えるべきなのです。
その上で、その内容が、施設利用者はもちろん、施設で働く人たちにとっても共感を得られるものであるのかどうかを事前にリサーチしておくというのは、民間にとってはごく当たり前のことです。
それにしても、こういう旧態依然とした役所の体質から、未だに抜け出せないようでは、いつまでたっても税金の無駄遣いを改めることなどできないのだと思います。
「財政危機宣言」を発している全国で唯一の市なのですから、市長も議員さんも、もっと真剣に、もっと危機意識を持って仕事に取り組んでください。
頼みますよ、ホントに。
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by kkamoike | 2009-08-19 22:25 | 三木市政 | Comments(13)

病院問題を見つめ直す(その3 ~統合病院という選択~)

病院問題を見つめ直す
最後は、三木市が選んだ「統合病院」という選択肢について考えてみたいと思います。

1回目で取り上げた「医師不足の問題」、2回目に取り上げた「財源問題」、この2つの超難問を同時に解決する道は、「統合病院」しかない!
そう断言されたかどうかはわかりませんが、これまでの経緯の中で市民や市議会を巻き込んだ議論が全くといっていいほどなかったところを見ると、ほとんど、市長の独断で決まったといっても過言ではないでしょう。
政治家の仕事は決断することですから、それはそれでいいのかもしれませんが、十分な下地が整っていなかったり、しかるべきタイミングでなかったり、根本的な問題を先送りにしたままの状態での決断は、「無謀」としかいいようがありません。


以前より、「雑感日記」のrfuruyaさんが取り上げてこられたとおり
医師不足の問題、赤字の問題は、三木市に限ったことではなく、日本全体の構造問題であるはずなのですが、統合病院ができれば、全てバラ色に解決されると考えているところに大きな誤解があるのだと思います。
さらに、看過できないのは、先日の記事に対するコメントでピーマンさんが指摘されたとおり、『市長の政治生命にかけても···』という説明だけで事業に邁進したということ、さらには、現病院の赤字経営に至った原因などの検証や、構造的部分の改革に着手せぬまま、統合病院にシフトさえすればすべての問題は必然的に解決できるというような印象を市民に与え、十分な説明がほとんどされてこなかったという点です。


そこには、市民とともに今ある問題を共有し、良いことも悪いことも、便利になることも、我慢してもらわなければならないことも、みんなひっくるめて市民にぶつける中で、市民と一緒に三木市に真に必要な地域医療の体制、あり方とはどのようなものなのかをともに考える覚悟というものが見られない、それどころか、市民が抱える可能性のあるリスクには一切触れることなく、耳障りの良いことしか発信しない姿勢は、1年後に迫った市長選挙に照準を絞った下心があったと思われても仕方がありません。
本当に、「統合病院」という選択肢しかなかったのか···




①「医師の偏在が問題だといいますが、専門医は偏在させなければ力を発揮できません。専門医は都市の大病院に"偏在"させ、広範な症状を基本的に診ることができる総合医をあまねく地域に行き渡らせるべきです。それには、住民も専門医信仰、総合病院信仰を棄てなければなりません」
(兼古稔 北海道上富良野町立病院副院長のコメント)

②医師不足が現に生じていて、できる範囲の医療、「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」に絞っていかなければ立ち行かないのに、国民全体がそのことを理解していません。その地域でどんな医療機関が求められているかを絞り込んでいかなければならないと思います。医療が進化していく中で、地域に合った、そして医療機関に合った医療提供の在り方というのがあると考えます。(伊関氏のコメント)




「統合病院しか選択の余地はない」という前に、もっと考えなければならなかったことがあったのではないか···。
伊関先生のコメントからそんなことを強く感じました。
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by kkamoike | 2009-08-17 22:28 | 三木市政 | Comments(8)

病院問題を見つめ直す(その2 ~自治体の財源問題~)

病院問題を見つめ直す 2回目は、『自治体の財源問題』を取り上げます。


当たり前のことですが、三木市民病院は三木市あっての病院なわけです。
市民病院を維持する前提には、三木市の健全財政の実現が必要不可欠です。
市の財政力と公立病院の診療レベルは間違いなく比例するものだからです。
診療レベルが高い病院があるにこしたことはないわけですが、逆に、市の財政力に見合った医療体制というものをきっちりと考えておかないと、たちまち市も病院も立ち行かなくなってしまうのだと思います。


ところで、三木市の「財政危機宣言」は、そもそも現在の市民病院の経営を維持することを目的に発せられたものだったわけですが、現在の悪化した経営に対するしっかりとした検証や具体的な構造改革に着手することもないまま、向こう5年間、真に必要な市民サービスを削ってまで、現状の病院体制を維持しようとするとんでもない宣言なのです。


これまで何度も言っていることですが、立派な病院があるにこしたことはありません。 しかし、行政の仕事は、病院オンリーではないのです。 また、財源(税金)をいくら注いでもいいというわけではないのです。
今、市が負担している状況を当たり前の水準だと思っているのではないですか?
はっきり言って、今の状況は、向こう5年間、今の病院経営を維持するためだけに、現行の市民サービスを提供するために必要なお金だけでなく、将来の子どもや孫たちのために残しておかなければならないお金までも食い尽くしていることと同じなのです。


どうも、市長も議員も、そのあたりの感覚が麻痺しているのではないでしょうか?
所詮、自分たちのお金ではないから、いくらでも際限なく、そして、医療という聖域をダシにして、市民に我慢を強いることで何とか経営がやりくりさえできれば、結果オーライぐらいの考えしか持っていないのではないかと感じずにはいられません。


前回の記事で、市民2さまからこんなコメントをいただきました。
私も全く同感です。
統合病院という簡単な答えを出す前に、今の経営状況の悪化を分析し、その上で、市の財政力、さらには地域の実情にあった医療体制の確立を目指す発想、その可能性について議論する機会がどうして持たれなかったのか、まったくもって、自分たちの責任を放棄しているとしか思えません。
私たち三木市民は、統合病院になっても赤字で多額の税金が必要となり、他の必要なサービスがどんどんどんどん削られることになるのではないかということを心配しているのです。




最後に、伊関氏のコメントから病院経営、自治体財政に関連したものをご紹介します。
① (病院経営には、自治体の)一般会計からの繰入金がありますが、自治体本体の財政も厳しく、支出には限界があります。資金の余裕はどんどんなくなっており、余裕がないことで、医療の質の維持のための再投資ができなくなる。再投資ができないから、競争に負ける。さらには現金を使い果たして一時借入金で借金生活。一度借金生活に入ると、どんどん借金が積み上がっていくことになります。北海道の夕張市総合病院では39億円の借り入れを抱えていました。借り入れも、企業債は地方交付税の裏付けもあるし、毎年の返済額が明確ですから、住宅ローンのようなものです。ところが、一時借入金は金融機関からいつ「一括で返せ」と言われてもおかしくない、ある意味消費者金融に近い性格です。ジリ貧になっていると返す余裕はなく、積み上がった一時借入金が、突然の病院の「死」を招くことになるのです。
⇒参考 2007年度の地方公営企業法の一時借入金ランキング (ちなみに三木市は全国で65番目)

② (2009年5月25日付の琉球新報の県立病院のあり方についての特集への寄稿より)沖縄県立6病院の財務状況は全国的に見ても最悪のレベルにある。2008年度の80億円の一時借入金については、総務省の病院特例債30億円(今後5年で返済することが予定されている「借金」である)と09年度から3年間一般会計からの繰入金を08年度の70億円から15億円上乗せした85億円とすることで解消される見込みであるという。
しかし、病院会計に現金がなく、借金の返済に追われている状況には変りはない。
高度·専門化した医療に対応するには、最新の医療機器や多くの医療スタッフなど投資を必要とする。
借金の返済を迫られているということは、新たな医療への投資の余力がないことを意味する。
必要な投資が行われないまま時間が経ち、病院の魅力が劣化することで優秀なスタッフや患者が離れ、経営が破綻した自治体病院は少なくない。
「本気」の県立病院の経営再建を進め、医療への安定した投資が行える体制を確立することが必要である。

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by kkamoike | 2009-08-15 18:24 | 三木市政 | Comments(12)

病院問題を見つめ直す(その1 ~医師不足の問題~)

元埼玉県庁職員で、自治体病院に勤務した経験を持つ伊関友伸さんは、自治体病院の経営問題に関して積極的な発言を続けてらっしゃいます。
「夕張問題」では市総合病院の病院経営アドバイザーなども務められていました。
あらゆる機会を通して感情論ではなく、熱い情熱と冷静な目で原因を掘り下げ、解決策を示しておられます。
そんな伊関氏が対談の席で発言されたコメントを参考にさせていただきながら、自治体病院を取り巻く問題点とこれからの地域医療のあり方を3回に分けて考えてみたいと思います。
1回目は、『医療制度改革に伴う医師不足を初めとした問題』を取り上げます。



まず、伊関氏のコメントをご覧ください。
①医療崩壊を起こさない、地域医療を守るという観点でみれば、総務省の公立病院改革ガイドラインは財政面に偏りすぎだ。3年をめどに収支を改善しろというのは、「もっと稼げ」、医師不足が深刻でも「入院ベッドを埋めろ」などということになり、医師のやる気をそいで退職させてしまう結果にもなりかねない。まず優先するべきは、地域医療を守ること。そのためには、医師不足の現状で医師が働きやすい環境をどうつくるのか。その議論を飛ばして、財政的な理由だけから病院を譲渡·廃止することになれば、混乱するだけだ。

②地域住民や議員にも、医師不足の原因の一端はあると考えています。公の病院ということで、好き勝手に振る舞う。軽症でも休日·夜間に受診するコンビニ救急がとても多いし、タクシー代わりに救急車を使う人もいます。飲酒して受診し、現場でトラブルになる事例も少なくないようです。こうした状況に対し、事なかれの行政は何も言えません。議員は、住民の代表として、住民に節度ある受診を訴えるべき立場にありますが、逆に特別扱いを要求したり、よく勉強をせず思い込みで「病院たたき」をする例も少なくありません。その結果、志のある医師ほど心が折れ、病院から立ち去ってしまう。そうした結果が、「医療崩壊」なんです。

③近年は首長選挙でも病院が争点になることが増えてきた。悪いことではないが、感情ではなく、きちんと議論がされるべきだ。政争の具にして首長や議員が口を出せば出すほど、医師がいなくなり地域医療は崩壊していく。

④すべての公立病院が厳しいわけではなく、医師が集まる病院と集まらない病院に二極化している。集まらない病院では残った人の負担が重くなってさらに辞めていくという悪循環になる。医師の待遇を改善し、やりがいのある態勢をいかにつくれるか。そこに地域がどう知恵を絞るかだ。




やはり、自治体病院が抱える問題の根底には、医療制度改革による影響、とりわけ「医師不足」の問題が大きく横たわっていることがよく見てとれます。
また、医師不足は単に、医師の数だけに起因するものではなく、医師を取り巻く全ての状況や環境とがセットになって、医師の疲弊を招いているのだとあらためて感じました。
したがって、医師不足の問題を改善していくには、ある病院単独の問題だけと捉えるのではなく、地域住民の理解や、他の医療機関との連携体制の構築など、ソフト面も含めたとろこをしっかりと議論していかないと、根本的な医師不足の問題解決にはならないのだと感じました。
私たち三木市民は、これらの問題をうやむやにしたまま(医療体制の見直しや再構築の確立をまたぬまま)で、新しい病院建設に着手したところで、また、病院から医師がいなくなるような事態にならないのかを心配しているのです。


最後に、ある番組で、伊関氏と対談された平井愛山 千葉県立東金病院院長のコメントを参考までに。
「もはや大学に頼ってみても地域の医療の再生はありません。地域に必要な医師を地域で育て上げることが必要です。それには、住民はもちろん、開業医や地域の薬剤師の協力が欠かせません。自(みずか)ら医師を育てる地域のみが医療を確保できる…これが医療再生のキーワードです」
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by kkamoike | 2009-08-14 21:19 | 三木市政 | Comments(2)

コンセプトを見失った市政運営

花火大会が休止に至ったのは、寂しい限りです。
やまかずさんのブログには、
花火大会の休止は、「日本一美しいまち」というコンセプトに反する決定に値すると指摘されていますが、私もまったくその通りだと思います。


市が関わる行事やイベントの中でも、「花火大会」ほど、子供からお年寄りまで幅広い世代から楽しみにされている行事は他にないのではないでしょうか。
家族や親戚と一緒に、友達同士で、恋人同士で、会社の同僚同士で···
花火の打ち上げだけにとどまらず、そこには、普段なかなか取りたくても取れない、ふれあいや交流が生まれる楽しさや喜びがあるからこそ、みんなが楽しみにしている行事の一つにあげられるのかもしれません。
そして、子供たちのはしゃぐ声、夏の夜の一時をのんびりみんなと一緒に過ごす贅沢···
そう、花火大会を通して生まれる効果は、まさに「日本一美しいまち」や「スローライフなまちづくり」という、今の総合計画にも謳われているスローガン、コンセプトに沿ったものであると思いますし、間違いなく三木や吉川を代表する夏の風物詩だと私は思うのです。
そういう意味でも、今回の休止は非常に残念でなりません。
花火大会が、単に財政難だから大会経費を節減するために休止を決定したというのであれば、あまりにも短絡的な考えなのではないかと思うわけです。
(そうでないと思いたいのですが、理由は「財政危機」に伴い···としか書かれていない)


私は、物事には良い面と悪い面、それぞれが背中合わせに同居しているということを頭に入れて判断することが大事だと思うのです。
経費を要するというマイナス面と、冒頭で述べたような、市民に楽しんでもらい明日への糧にしてもらったり、市民同士、三木市以外の人たちのとの交流を活発化させる効果があったり、三木市全体に観光客を呼び込み少しでも三木市にお金を落としてもらい、地域経済の活気を取り戻す効果があったりするなどのプラス面の両方を考慮した上での判断なのかどうか、そのあたりの検討が十分になされたのかどうか非常に気になります。


「財政危機宣言」を発したことに伴い、聖域なき歳出経費の見直しという強い想いがあるのはわからないではないですが、経費節減だけにとどまらず、様々な効果も見捨ててしまうことになってしまう可能性もあるということを十分に考える必要があるのではないでしょうか。
三木の政治家さんたちには、何でもかんでも無駄だからと一緒くたにするのではなく、このような柔軟な考えも是非持っていただき、子どもたちから夢を奪わない、血の通った、心のこもった政策判断をしていただきたいものです。
こういう判断を目の当たりにするにつけ、ますます、『私たちの税金をもっと有効に、大事に、よく考えて使ってくださいよ!』という想いが生まれてくるんですよね。


そんな中、住民たちの手で夏のふれあいまつりを盛り上げようという動きが広がっているということは、せめてもの救いですね。
この手作りのイベントが成功することを心から祈っています。応援します!
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by kkamoike | 2009-07-25 18:21 | 三木市政 | Comments(7)

市の経営者としての責任を放棄した市長と受け狙いの判断しかできない議員たち

6月市議会、職員給与の削減条例が共産党を除く賛成多数で可決されたそうです。
市長は、市民病院の長期貸付を行わなかった理由として、職員の給与費削減の目途が立たなかったためと恥ずかしげもなくおっしゃっていますが、本当に病院を何とか立て直したいしたいと思うのなら、削減案が継続審議になったからといって、すぐに経営改善への取組を自ら投げ出すようなことをするのではなく、削減が実現するまで何が何でもしのぐべきだったと思います。
さらに、削減がいつまでも実現しないのでは話になりませんので、経営者として、きちんと労使交渉の席で話を付ける努力が必要だったわけです。
しかし、残念ながら、今の市長には、危機的状況の中で本気で自分が管理する組織や人たちと真正面から向き合う気概も覚悟もなかったということです。


市長が市長なら議員も議員です。
給与費削減については、前回、労使間の合意がなされていないからという理由で継続審議に至ったと記憶しています。
今回、共産党の大眉議員さんのブログで紹介されている反対討論の全文によると、依然、合意がなされていないため共産党は反対という立場を取っておられます。
一方、前回の3月議会で継続審議にしておきながら、今回、賛成に回った議員の方たちからは、最終日に賛成討論すらなされなかったようです。
前回同様、労使間での合意がなされていないにもかかわらず、なぜ今回は賛成したのか、その説明責任がまったく果たせていません。
私からすれば、
「職員からの受けも大事だから一回ぐらい反対しとこか」、
「今回は、いつまでも反対していたら市民の受けが悪くなりそうだからそろそろ賛成しとこか」
というぐらいの判断だったとしか受け取れません。
これなら、最初から賛成している、「市長派議員」と揶揄されている方たちのほうが、判断の中身はともかく、まだ一貫性があるだけマシです。
なんだかんだ言って、皆さん、本当は「市長派」なんじゃないんですか?
ちょっと反対するポーズを見せているだけなんじゃないですか?
まさか独裁政治に陥りやすいオール与党体制なんてことないですよね?···


「前回反対して、なぜ今回賛成したのか」という一番大事な部分について、しっかりとした賛成討論もしないまま簡単に賛成に回るぐらいなら、最初から反対などせずに賛成しときなさいよと言いたいです。
それこそ、まさに時間とお金の無駄遣いのなにものでもありません。
そして、それが原因で、わずか数年後に統合に伴い廃止されることが決まっている現在の市民病院のために、本来、その必要のなかった外部監査費用まで支払わなければならなくなってしまい、自ら廃止、縮小などの決断すらできない市長の策略に、これいいことにまんまと乗せられてしまう始末です。


三木市が全国初の『財政危機宣言』が発せられたのもわかるような気がします。
市長さんも議員さんも一体何がしたいんですか?
三木の政治家さん、もっと市民のことを第一に考え、行動してくださいよ。
そしてお願いですから市民の税金を無駄にしないでください。
本当に危機意識持っておられますか?
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by kkamoike | 2009-06-27 00:01 | 三木市政 | Comments(5)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。
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