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どうぶつのつぶや記

カテゴリ:三木市政( 127 )

市議会「新時代」の幕開けにできるかどうか

昨日『新しい時代を感じさせる一言』と題した記事を書きましたが、三木市議会では一足先に「新しい時代」への挑戦が始まったようです。
先日の神戸新聞には、もて木議員大西議員がそろって会派を脱会し、当面は一人会派として活動をされるという記事が掲載されていました。
お二人の勇気と決断に心から拍手とエールを送りたいと思います。


私はこれまで、特に市長派チルドレンとされた議員に対し数々の憎まれ口を叩いてきました。
おそらく、お二人からも恨まれているんだろうなと思っていますが、そういうことも全部ひっくるめて私にとっては久々に明るく嬉しいニュースとなりました。
議会に関しては暗い話題や活気のなさばかりがクローズアップされがちでしたが、最近の米田議員の一生懸命な活動の姿勢に引き続いて、お二人にもその決意の表れを行動にして示していただくことになれば、市民の議会を見る目も自然に変化してくるのではないか、周りの同僚議員に与える好影響も出てくるのではないかと期待します。


もて木議員も書いておられますが、本来、地方政治に与党も野党もないのは明らかです。いやむしろそういう概念で動くべきではないはずです。
今、ほとんどの市会議員が新人候補の稲田さんを推薦されているようですが、私は、その行動の源にあるのは、真の地方政治を自分たちの手に取り戻す、市長と議会の健全な関係を築くための確固たる意思の表れなのだと解釈しています。
仮に新しい市長に新人候補がなった場合に市議会の言いなりにさせようとするような邪な性質のものではもちろんないと思っています。
また、俗に言う「市長派チルドレン」などとは明らかに異なる概念なのだと思っています。
3年前?に、このような「市長派チルドレン」のような関係を自ら望み、そういう会派作りに関わってこられたであろう現職市長のほうがよっぽど「しがらみ」のある市政を目指してこられたのではないかと私自身は感じています。
市会議員であるにもかかわらず、市長の言うことに100%賛成、従うなんてありえません。
市長も議員も同じ市民から信託を受けた政治家である以上、いかなる理由があろうとも法律で規定されていること以外は基本的に対等でなければならないはずです。
自分の意思でもって考え行動することこそが真の政治家というものだと思います。
もちろんお互いの立場を尊重し合い、相手の権限に委ねなければならない部分は委ねていく姿勢が根底にあるのは言うまでもないことですが・・・。
ですから、今回の件は、現職の市長への反逆でも何でもありません。
お二人が本来の政治家としてとるべきスタンスに身を置かれただけのこと、自己改革に向けて一歩足を踏み出されただけのことなのです。


定数削減が叫ばれる中、議員としてのスタンス、資質などを自ら見つめ直し、議員自らが改革への道を自分の足で一歩踏み出されたことは大変素晴らしいことだと思います。
なにはともあれ、お二人の新しい門出に拍手です。
お二人のまともで勇気ある行動がこれからの三木市議会改革への挑戦に向けた大きな後押しになることを心から祈っています。
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by kkamoike | 2009-12-23 08:57 | 三木市政 | Comments(2)

第300回定例会本会議 質疑·一般質問で感じたこと

2日間の市議会の一般質問が終わりました。
今回は、たまたま仕事がオフでしたので、2日間、ほとんどの方の質問を聞くことができました。
やはり毎回思うのは、骨のある質問が出来る議員が限られているということですね。
こんな市議会の一般質問の内容なら、無理して日程をとって開催しなくても、本当に質問したいことがある時にだけ、質問したい人だけがすればいいのにとも感じてしまいます。
なぜそんなふうに感じてしまうのでしょうか?
それは、一般質問のほとんどが政策論争にまで発展せず、単なる質問のままに終わってしまっているからでしょう。


その打開策はといえば、もちろん、議員一人ひとりの努力(答弁する市長側も含む)にかかっているのでしょうが、やはり個人の努力だけに頼るのではなく、市議会全体の問題として捉え、議会運営のやり方などを見直すことが一番の近道ではないかと感じます。
今のやり方では、努力しなくても給料だけもらえる政治家をのさばらせる温床になったとしても、市の執行部と議会とが切磋琢磨できる土壌には程遠い状況ではないかと感じます。
そしてもう一つ感じるのは、質問する側と答弁する側が同じ方向を向いていないということです。
一つ一つの考え方は違っていたとしても、大局的な流れの中で同じ方向を向いて話をしないといけないのに、話がかみ合っていない、都合の悪い話になると逆切れしたり、逃げたり、はぐらかしたり···。
お互い足の引っ張り合いをすることしか頭になかったり、疑心暗鬼の状態のままだったり、突き詰めていけば、お互いの信頼関係が築けていないということに行き着くのかもしれません。
しかし、相手のほうが悪いからとか、取り付く余地も与えないからとかという理由で、お互いが背を向けたままでいることは、実はどちら側にとっても一番楽な方法であると同時に、市民への背信行為であることを肝に銘じてもらわなければなりません。


議員の質が悪いなどの理由で「定数を減らせ」と言うのは簡単ですが、私はその前に、「当事者は今の体制の中で一体どれくらいの努力をしてきたのか?」と問いたいです。
現状のどこに問題があって、その問題を解決するためにはこれからどんな取組が必要で、それぞれがどんな意識で臨み、どのように現状と向き合い、改革を進めていけばいいのかをどれだけ考えてきたのかと···。
そのような根本的な改革にチャレンジしないままで、定数さえ削減すれば改革の目指す姿に近づくというのは単なる空想にすぎません。


話は変わりますが、皆さんは三木市議会の一般質問の議事録武雄市の議事録を見比べたことはあるでしょうか?
見比べたことがないという方は、ちょっと目を通すだけでもいいのでぜひ一度見比べてみてください。
大きな違いは、一問一答方式、一人の持ち時間をフルに使ってのやり取りなのですが、その内容は、まさに議論を一つ一つ重ねる政策論争そのもので、議事録を読むだけでも臨場感たっぷりの緊張感あふれる雰囲気が伝わってきます。
今の三木市議会の一般質問でのやり取りを聞く限りでは、武雄市のやり方で通用する政治家は市長を含めて果たして何人いるのだろうかと感じてしまいます。
そして、今の会派を代表して質問をするやり方もまた改めてもらいたいとつくづく感じました。
やはり、市民に普段の活動をPRできる機会、一番手っ取り早く知ってもらえる機会こそがこの一般質問の場だと思いますので、ベテラン、新人に関係なくできるだけ多くの議員が登壇する運営方法に改めてもらいたいと思います。


そのような真の意味での三木市をよい方向に導くための政策論争が展開できる場を創り上げていくことで、政治家自身も切磋琢磨しながら成長していけるでしょうし、そのような姿を市民にアピールし続けていくことこそが、市民からの信頼を勝ち取る一番の近道ではないかと感じます。
当然、そのためには、市長と議会の間に信頼関係が横たわっていることが前提条件となることは言うまでもありません。
本当の意味での「改革」とはそういうものではないのかと私は思います。
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by kkamoike | 2009-12-10 21:16 | 三木市政 | Comments(0)

事業仕分けの対象となる事業をはじめから出さないようにすることも大事かと・・・

国の各省庁でも事業仕分けが始まり、話題になっています。
仕分け人の選考、事業の選択、仕分けのプロセス(順序)など、いろいろな問題点が浮き彫りになってきているようです。
そのへんの論評は報道機関や専門家にお任せをするとして、素人として一番違和感があったのは、「地方分権」や「市民主体」、「地方苦難の時代」と言われて久しいにも関わらず、毎年予算を編成する際にこのような仕組みがほとんどの自治体でも考えられてこなかったという現実です。
今後、このような仕組みが定着し、多くの自治体に広がっていけば、行政にとっても市民にとっても有意義な結果になるのではないかと感じました。


ところで、この事業仕分けというものは、原則、今ある事業に対する評価、判定がなされるということだと思うのですが、これは、事業が開始された頃と時代背景が大きく異なってしまったり、当初に予想していた以上の結果を生めなかったり、予想以上に効率が悪かったりといったものに対処していく目的で考え出されたものだと認識しています。
これらの状況に対応していくことはもちろん大事なことですが、新しい事業を考える段階から、事業仕分けのようなプロセスを設け、喧々諤々の議論を行い、検討していくことも重要ではないかと思います。
それがしっかりできてさえいれば、この先、まったく予期しなかった事態に陥るような場合は別として、行政の無駄を少なくすることができるでしょうし、事業仕分けが必要な事業をはじめから出すことも少なくなるのではないかと思います。


このようなことは、私が言うまでもなくごく当たり前のことですが、三木市では、この当たり前のことが、特にこの4年間行われてきたかどうか疑問です。
確かに、政治的な要素が強い事業もあったのかもしれませんが、その事業が本来、住民のためのものであるとするなら、事業の案をできるだけオープンにし、関係者に広く意見を求め、議論の時間をしっかりと取っていくことは当然のプロセスではないかと思います。
にもかかわらず、この4年間を振り返った時、外から見る限りでは、議会との協議も十分に行われないまま多くの事業が世に出されてきたようにも感じます。
議会との協議はしっかりと出来ていたであろう、障害者施設の「はばたきの丘」などにしても、膨大な維持管理費が今後、毎年必要になってくるようです。市がこのような施設を維持管理していくのはどうかという声も聞いたことがありますし、私自身もそのように感じます。
近い将来、事業仕分けを行った時に、この施設の維持管理は民間がするべきだ、あるいは、行政が手を出すべき規模の事業ではないというような評価、仕分けがされる日が来るかもしれません。


もて木議員のブログには、この事業仕分けへの取組を三木市でも検討してみる価値があるという意見が書いてあります。
もちろん既存の事業を見直す意味からも、ぜひ三木市も積極的に取り入れていくべきものだと思いますが、同時に、現在の三木市の意思決定のプロセスや新規事業を決定する際の議論のあり方などのルールづくりというものも、この際、きっちりと確立していくことが必要ではないかと思います。
そのことが将来の無駄を少なくし、適切な仕分けを最初から行う第一歩になるのではないかと思います。
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by kkamoike | 2009-11-13 20:32 | 三木市政 | Comments(0)

税金を大事にしてくれる市政を望みます

広報みき11月号の統合病院への直行バスの特集記事に疑問を感じた方もいらっしゃったのではないでしょうか。
特集記事①
特集記事②
記事を読む限り、統合病院がスタートすれば、市からの補助が今よりも少なくてすむから、その分、バスの運行に回すお金に糸目はつけないと言わんばかりの書き振りのようにも感じました。
そして、バス運行に要する経費の見込みはおよそ一億円だとか···
運行の案を示すのは別に悪いことではないのでしょうけど、一体どれだけの市民が直行バスを利用したいと考えているのかといった事前のリサーチもないまま、このような時期に、このような十分な議論がされたかどうかもわからない内容を、わざわざ広報紙の紙面を割いてまで取り上げる意味があるのか疑問です。


このような記事を見るたびに私たちの税金は軽く見られたり、扱われたりしているのではないだうかと心配になります。
20億円ものお金を毎年病院に支援していたんだから、バスに1億円ぐらい費やしても全然大丈夫というような雰囲気です。
こういうのを「麻痺している」というのかもしれませんね。
走らせてみて利用者が少なくても毎年続けていくという確証があればそれでもいいのかもしれませんが、恐らくほとんど利用者がいない状況なら「勿体ない」という意見は必ず市民の間から出て来ると思います。
そうなればまた意見を聞き直したり、新しい手段を考え直したりと、また余計な作業や時間、人を費やす羽目になると思います。
また、公民館と病院だけの直行は便利なようで実際の生活スタイルからかけ離れているようにも感じます。公民館と病院だけを行き来するだけでは、(利用者の立場で考えたとき)用事を済ませるという意味からも逆に時間のロスに繋がってしまったり、生活導線の観点からも効率が悪い、すなわち、普通は病院に行ったついでに買い物や病院以外の用事も済ませられるほうがより便利だと思うのですが···。
さらに急いで作った案だからかもしれませんが、現行のコミュニティバスとの連携についてきっちりと検討された形跡や市民にわかりやすい説明がなされていないというのもどうなのでしょうか。


本当に市民は、病院への直行バス、今回提案のあったような地域ふれあいバスの実現を前提とした、公民館と病院を行き来する形のバス運行を望んでいるのでしょうか。
また、実際に運行した時に利用するのでしょうか。
こういう事業を考える場合、事前のリサーチ結果が提示されない提案ほどずさんなものはないと思うのですが···。


私には、今回の特集記事が、小野市の建設予定地周辺には何もなく、電車の駅からも遠く離れ、ほとんどの市民が現行の病院よりも距離が遠くなり時間がかかるようになることに対する批判をかわすためのもので、費用対効果などはそっちのけの経営を語るにはほど遠い内容にしか感じられませんでした。
まぁ、選挙が目前に迫ってきたことでの付け焼き刃的な意味合いがあるのかもしれませんが、せめて今の時期、広報は大事な税金で作られているこということぐらいは、市のトップとしてしっかりと認識していただきたいものですね。
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by kkamoike | 2009-11-10 19:13 | 三木市政 | Comments(0)

わからないことだらけの病院問題

広報みき11月号に掲載された病院関係の記事(交通手段
·改革プラン)と協議会だよりは、市民にとって非常にわかりにくい内容のものでした。
このことについては、早速、他の方のブログでも取り上げておられます。
ふるさと日記さんは、新しい病院経営においても責任の所在があいまいなままであること。
雑感日記さんは、病院問題の本質である『経営の健全性』に焦点があたっていないことと、「償却前利益」の件を取り上げておられます。
お二人が指摘されていることはごもっともだと思います。


このブログでも以前から病院問題を取り上げてきましたが、未だによく分からないのは、医師の確保についてです。
それを裏付ける内容として、現在の病院の改革プランが計画どおりに進んでいないことへの対応策はこんなことが書かれてあります。
「医師の招へいについては、大学からの派遣だけに頼るのではなく、病院独自の求人活動を強化し医師の増員を図ります」と···
現在、神戸大学からの医師の派遣がままならない状況の中で、新しい統合病院になればこの問題が一気に解消されるとはとても思えないのですが···。
また、協議会だよりには、
「健全経営を維持する前提条件として、神戸大学との連携により、医師が確保できること、また、地域の医療機関と連携を深めることでありこれが課題となります。」
と書いてあります。
まさに、現在の市民病院が直面している課題が、統合病院がスタートした後にも一番の課題として立ちはだかることが書かれてあるわけです。


ん?なんかおかしくありませんか?
医師の確保は間違いなく安泰ではなかったのでしょうか?
今頃になって予防線を張るかのような書きっぷりにも見えるわけですが、これまで一貫して、神戸大学が提唱してきた話だから大丈夫だとか、まるで他人事のような感じで病院経営を語っておられた三木·小野両市長だったようにも思うのですが、ここにきて弱気な表現に変ってきているようにも受け取れるのですが···。
今の病院経営の改善にきっちりとした対策が打てないのに、病院の建物だけを新しくすれば、全てがうまくいくとでも思っていらっしゃるのでしょうか?
また、今よりも医療体制が充実し(診療科目が増え)、高度な医療が受けられるようになるのは結構なことですが、そういうサービス面での向上は、一方で今以上の経費、場合によっては桁違いの経費がかかってくることになることも忘れてはなりません。
さらに病床数についても先日開院した加古川医療センターがベッド数353床なのに対し、三木小野の統合病院はフルオープンして450床···本当にそれだけの稼働率を上げることができるのか疑問です。
ていうか、それだけの規模が本当に必要なのかどうかもよく分かりません。
いずれにしても、建設費用の負担割合だけでなく、スタートした後の費用負担のあり方についても、本来は早期の段階で両市の間で話をつけておくべき内容だと思うのですが。
それともそれを今、決定してしまえば市民の反発が予想されるからあえて伏せている、建ててから考えるという算用なのでしょうか?
大事な問題だと思うんですけど。


今まさに自らの手で解決しなければならない問題と真正面から向き合うことなく、統合病院建設だけを前面に押し出すことで問題は全て解決できたかのように取り繕う、今、それらの問題と真正面から向き合わなければ、新しい病院が出来たところで同じ問題に突き当たることになるのが分かっていながらその問題に取り組もうとしない、目を向けようとしない。
具体的な手立ては相も変わらず人員削減だけです。
問題の本質に目を向けようとしないということは、すなわち、市民と真摯な姿勢で向きあっていないことの表れなのだと私は思っています。
「満足よりも納得させてくれ」
これは樋渡市長がご自身のブログで紹介された言葉ですが、
一方通行の情報発信、市政運営では市民を「納得」させることは到底できません。
どうも三木市は双方向の情報発信をする上での前提となる信頼関係を市長自身持つ気がない、持とうとしないところに市政運営の停滞につながる根本的な原因があるのではないかと思います。
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by kkamoike | 2009-11-02 20:20 | 三木市政 | Comments(3)

公共事業を政治家が仕事をしたかどうかのバロメーターだと考えていませんか

三木市は、「財政危機宣言」という全国でも例のない宣言を発するほど、緊急事態に直面しているはずなのですが、現在の市長が就任してからも引き続き多くの公共施設が完成し、今もなお計画中、計画に着手しようとしている大規模プロジェクト、施設が目白押しの状態です。
公共事業が悪いとは言いませんが、結局、今の市長が就任して第一に掲げたはずの「財政再建·健全化」という目標は、いつの間にか棚上され、これらの公共公共施設の完成や着手と引き換えに、財政危機宣言が出される状況に陥ってしまったわけです。


市長は、財政危機宣言を発する要因に、市税や国や県からの減収が予想以上に見込まれることを挙げていますが、そういうものも見越して全体の収支バランスを考えていくのが、経営の基本というものではないのでしょうか。
身の丈にあった生活をするのは、庶民の間ではあたりまえのことです。
自治体経営も同じはずです。
まさに「入るを計って出るを制す」です。


いろいろな団体、地域にいい顔ができるからかもしれませんが、物事には優先順位があって、我慢することをせずに、あれもこれもと手を付けていては、いずれ破綻していくのは目に見えています。
また、前回の記事でも触れましたが、三木市には、他市がうらやむほどの施設が市内のいたるところに、しかも、公民館やデイサービスセンターなどは、市内の各地域にまんべんなく整備されています。
これらの今後のメンテナンス費用にかかる資金は一体どうするおつもりなのでしょうか?
公共施設を建てたら行政の役目はそれで終わりになるとでも思っていらっしゃるのでしょうか?


自分が任期中に建てた公共施設がどれだけあるか、公共施設の建設にどれだけ関わったかということが、政治家がどれだけ仕事をしたかというバロメーターになると信じているとすれば、それは大きな間違いだと思います。
新しく作り出すことだけに意義を見出すような、個々の政策だけが一人歩きしてしまうような市政運営ではなく、今あるものを大事にし、活かすということに重きを置き、トータルバランスの取れた市政運営を目指すべきだと私は思います。
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by kkamoike | 2009-11-01 18:04 | 三木市政 | Comments(5)

投資効果のある事業を考えることが重要

先日から、人、お金、時間などの限られたものをどのようにして有効に使っていくかという話を続けていますが、昨日の武雄市長物語では、公共事業について書かれてあります。


以前にも申し上げましたが、私が今の三木市長に対しハコモノ批判を繰り返しているのは、公共事業だから批判しているわけではなく、タイミング、ニーズ、費用対効果などの面で不適切だと感じるハコモノに対して批判しているのであって、有効なものであれば、市債という制度があるわけですから、将来の世代にわたって均衡に負担して作るべきだと思っています。
そういう意味で「借金」も必要があれば、有効性が認められれば、発行すること自体「悪」だとは思っていません。


ところで、先日、三木市が単独支給を決めた「子育て応援特別手当」ですが、国がこの制度を発表したとき、テレビのインタビューなどでは、子どもを持つ親から一回きりのお金をばら撒くのではなく、もっと子育てしやすい環境整備、教育環境の整備にお金を使ってほしいというような意見が多く見られました。
私もそのとおりだと思います。
また、今回の三木市の「子育て応援特別手当」単独支給の記者発表資料には、付け足しのように学校のソーラーパネルの整備も国の補助が凍結された場合、市単独で実施するとありましたが、これなども、本当に今の三木市の現状からして緊急に整備が必要なものなのかどうか非常に疑問です。
樋渡市長がおっしゃっておられるように、武雄市に限らず、三木市でも公共施設がたくさんあって、道路はもちろん、学校の校舎や公民館など建設されてからかなり年月が経過しているものや、もう少しすれば地域ごとに建てられているデイサービスセンターなどもメンテナンスが必要になってくることが予想されます。


今回の、子育て応援特別手当やそれ以外の国の補正予算凍結に伴い市単独で支給をすることとしたお金、
どうせ使うなら学校の耐震化工事などを前倒ししていくお金に充てる、
そういう子育て支援があっても私はよかったのではないかと感じます。
子育て支援を子育てしている世代にむけるのもいいですが(今回の支援金は一部の親世代が対象)、全ての子どもたちが平等に恩恵を受けるにはどうすればよいかという目線で考えれば、自ずと答えは出て来るのだと思います。
どうせお金を使うならもっと有効に使ってもらいたいものです。
お金はいくらでもあるというものではないのですから。
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by kkamoike | 2009-10-31 08:38 | 三木市政 | Comments(4)

国に楯突くことが「地域主権」だと勘違いしていませんか?

子育て手当、独自支給する自治体も 「住民の期待高い」
(朝日新聞2009年10月21日23時1分)

鳩山政権が、補正予算の見直しで執行停止を決めた「子育て応援特別手当」。当てにしていた財源が消えたものの、「子育て支援の必要性は変わらない」として、独自に支給を決めた自治体が出てきた。ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力、DV)被害者の事前申請は10月から始まっており、すでに受け付けた自治体は経緯の説明や書類の返送に追われている。
兵庫県三木市は、手当の停止がほぼ固まった15日、国の計画と同じく3~5歳児1人につき3万6千円を市独自に支給すると決めた。11月中旬に支給開始の予定だ。
突然の停止に、藪本吉秀市長は「自らの公約を実現するため、財源確保のみを考えた行為」などと批判。対象は1982人で、必要な費用約7千万円は基金を取り崩す。
北海道南富良野町も、停止が決まった直後独自支給を決めた。7月にゼロ歳児から大学生まで拡大することを決めて515人分約1800万円の補正予算を計上。9月の町広報で告知済みで、「住民からの期待が高い」と判断した。国の資金をあてにしていた3~5歳児分約220万円は、交付税の留保分で補う。
道内の秩父別町も20日、国では対象外の0~2歳児も含め町独自の支給を決めた。対象は90人。必要な予算は320万円。国から約130万円交付予定だったが、「子育ての負担は、どの世帯も同じ」として、0~5歳児すべてに支給することにした。不足分は町の基金を取り崩す。
DV被害者の事前申請は10月から始まっている。14日に1人から事前申請を受けていた北九州市では、16日の執行停止の閣議決定を受けて、本人に電話で連絡。20日には、市職員が改めて自宅を訪ね、経緯を説明した。
横浜市には、3人からの事前申請があった。申請書類には、多くの個人情報が記されているため、簡易書留にし、市と長妻昭厚生労働相のおわび文を同封して返送する手続きを取っている。
大阪市はDV被害者2人から手当の申請があった。休み明けの19日、電話で事情を説明した。
厚労省によると、DV被害者の事前申請を受け付けたのは6日時点で、広島市3人、名古屋市3人、さいたま市1人。



三木市の「子育て応援特別手当」単独支給の決定から、他のいくつかの自治体でも動きが出てきているようです。
ただし、三木市と根本的に異なるのは、地域の実情を踏まえた上での撤退や、支給の対象となる者の範囲を広げるなどの独自色を打ち出しているという点です。


ところで、今回の「子育て応援特別手当」ですが、もともと、前政権が打ち出した時点から、いろいろな面で不公平だという指摘がありました。
支給の対象となる年齢の児童を持つ世帯に対し、対象児童一人当たり36¸000円が支給されるわけですが、たまたま今回、該当した人たちだけが貰えるというのはどうなのでしょうか。
もらった人は「宝くじ」にでもあたったようなものですよね。
だって、去年5歳だった児童は貰えないわけですし、今年2歳の児童は来年3歳になっても貰えないわけで、たまたま当時の政府が提示した年齢に該当していたというだけなのですから···
また、一部の特定の人にだけ、その場限りのお金がばら撒かれるというイメージです。
まぁ、どこかで線引きをしないときりがないといえばそうなのかもしれませんが、それにしても、選挙前の苦し紛れに打ち出した政策とはいえ、対象範囲があまりにも限定的で、行政に求められる「公平性」や「継続性」という点からもお粗末な内容だと言わざるを得ません。


三木市は、国が考えた制度だから文句はないだろうと高を括っておられるのかもしれませんが、国が決めたことだからといって、全てが正しく、万全であるとは限らないですし、市民が納得するとは限らないのです。
地域の実情に応じたきめ細かな政策を、限られた財源の中で実施していく。
一旦周知してしまったからという理由だけで同じ条件のまま支給するのではなく、対象年齢を見直したり、所得制限を設けたり、要は、三木市の特色(地域性)や財政力などに応じて支給方法や要件を見直すべきだったのではないでしょうか。
例えば、三木の場合、全国でも例を見ない「財政危機宣言」を発っしているのですから、むしろ一定の所得制限を設けることのほうが市民にも納得してもらえる余地があったのではないかと思うのですが···。
その結果、対象から外れる人がいたとしても、その事情をきちんと説明し、納得してもらう、そのような工夫やひと手間かけることを惜しまず、一歩踏み出すことこそが「地方主権」のあるべき姿といえるのではないかと思います。


どうして、そういう判断が、他の自治体にできて、三木市にはできないのか?
残念ながら、三木市には「地方分権」時代を生き抜く上での、「地域主権」の土壌がまだまだ出来上がっていないのだなとつくづく感じました。
国に楯突くことが「地域主権」だと勘違いしていなければいいのですが···
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by kkamoike | 2009-10-22 20:39 | 三木市政 | Comments(6)

誰のための「地域主権」なのでしょうか

公明主導の子育て応援手当 仙谷氏、1254億円凍結要請
(10月14日7時56分配信 産経新聞)

仙谷由人行政刷新担当相は13日、長妻昭厚生労働相と会談し、平成21年度補正予算の削減額上積みのため、3~5歳の子供を対象に1人あたり3万6千円を支給する「子育て応援特別手当」を全面凍結するよう要請した。同手当は全額国庫負担で、予算総額は1254億円。このほか、すでに750億円の凍結を表明している地域医療再生基金についてもさらに削減するよう求めた。長妻氏は回答を保留し、厚労省の政務三役で検討する考えを示した。
仙谷氏は、ほとんどの自治体で支給開始が12月ごろになるため、現時点で凍結しても影響は少ないと判断した。手当が公明党の主導で実現したことから支給を凍結し、民主党が掲げる「子ども手当」など子育て支援策の財源に充当したい考えだ。
ただ、全国の市区町村の議会で予算案が可決されるなど準備が進んでいる上、一部自治体ではドメスティックバイオレンス(DV)被害者を対象に申請受け付けも始まっているため、自治体から不安の声が上がっている。手当の支給を期待していた子育て世帯の反発も予想される。
同手当をめぐっては、先の通常国会で民主党は「支給が一時的で、効果は限定的だ」と否定的な見方を示していた。ただ、長妻氏は9月25日の記者会見で「すでに(申請の受付が)始まる直前で事務も整っている。寸前に急に切り替えることはよく考えないといけない」と述べ、支給の凍結には慎重姿勢を示していた。
同手当は、昨年秋以降の経済危機への緊急措置として、麻生政権が20年度第2次補正予算における子育て支援の目玉政策として導入。15年4月2日~18年4月1日生まれの子供約330万人を対象に、1回限りで3万6千円を支給する。20年度補正予算では第2子以降のみが対象だったが、21年度補正予算で第1子にも拡大された。


数日前の記事で状況は刻一刻と変化していますが、引用した産経新聞の記事の中からも、補正予算の凍結は、政府内でも意見が分かれていて、調整が難航していることがよくわかります。
また、国と地方との関係で見ても、凍結のタイミングや事前調整の不十分さなどから不安や不満が広がっているようです。

子育て応援手当、兵庫·三木市が独自に支給へ (10月15日00時28分 日本経済新聞)
全国知事会の麻生渡会長(福岡県知事)は15日、長妻昭厚生労働相が廃止を明言した「子育て応援特別手当」を巡り、「自治体の一部では申請受け付けも開始されており、突然かつ一方的に執行を停止することは現場に混乱を与える」として削減の対象としないよう求める地方6団体合同の緊急声明を発表した。
一方、兵庫県三木市は同日、「子育て応援特別手当」を市独自で支給することを決めた。支給対象は1778世帯の1982人で、支給総額は7136万円。市の財政基金を取り崩して財源を確保し、11月中旬から支給する予定だ。
藪本吉秀市長は政府の支給停止方針を批判。「市は財政危機宣言を発しているが、子育て支援策の一環として独自支給する」と述べた。


そんな中、三木市では、「子育て応援特別手当」の支給凍結という厚生労働省の発表を受けて、市単独で支給に踏み切る判断がなされました。
今回は、三木市の財政危機宣言に触れた市長のコメント部分を取り上げている日本経済新聞の記事をあえて引用しました。


今回の件も突っ込みどころ満載ですが、いちいち書いているときりがないので、言うことは二つに絞らせてもらいます。
一つ目は、地域主権について、二つ目は、説明責任についてです。


地域主権の理想を追い求めたばかりに、自分たちの地域は自分たちで守る、地域の実情に合わせて地域に必要な政策を選択するという地方自治の本旨を忘れ、結果的に自治体としての活動を停滞させてしまうようなことがなければいいのですが。
リーダーとして地域主権とは何か、国と地方の関係はどうあるべきかといった考え方を持ち、その理想の実現に向けて努力することは当然のことですが、一方で、自分たちが置かれている現実を見据える中で、出来る範囲のことを考えていく、その辺のバランス感覚というものが必要になってくるのだと思います。


そしてもう一つ、
本当に市民と向き合うことが地方行政の姿だと言うのであれば、三木市に限っていうなら、先ずは財政危機宣言を発する中で、基金を七千万円も取り崩すことに対する今後の財政再建計画への影響、また、来年度以降の更なる住民負担やサービスカットなどに至ることは本当にないのかといった部分での説明責任をきっちり果たすべきではなかったかと思います。
その上で三木市独自の政策として実施すべきかどうかを議論するべきであったと私は考えます。
今回の発表は、国や他の自治体、マスコミへのメッセージにはなったのかもしれませんが、市民に対するメッセージとしては、あまりにも筋が通ったものとは言い難いもので、市民を無視した、市民不在の中での自分勝手なメッセージであったのではないかと思います。
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by kkamoike | 2009-10-17 11:50 | 三木市政 | Comments(13)

「意識の問題」なのか、「能力の問題」なのか、はたまた・・・

 『三木はどうなるのだろう?』
今朝の雑感日記さんには、三木市政に対する不安が書き綴られています。
このような漠然とした不安を払拭するのが政治家の一番の仕事であり、それを実現するための一番の近道は、市民に対する情報発信と説明責任ではないかと思いますが、現実はそれが上手く機能していないということなのでしょう。


市民をこのような不安に陥れる要因、機能していない原因は二つ考えられます。
一つは、政治家自身は市民が思うほど不安に感じていないということが考えられます。
一言でいえば、「意識の問題」となるわけですが、仮に問題があったとしてもそれを問題として認識できなかったりだとか、今直面しているややこしい問題にはできるだけ関わりたくない、気づかないフリをしてしまうのもこのような「意識の問題」に含まれてくるのではないかと思います。
もう一つは、「能力の問題」です。
漠然とした不安を感じたり、このままで本当にいいのだろうかというような気持ちはあるけれども、それに対して、自分の意見が主張ができなかったり、相手の意見に対し反論する術を知らなかったり···。
要は自分が考えていることを市民や相手に対して、分かりやすく伝え、説得させることができないという類の問題です。


そして、何より、政治家による情報発信と説明責任が一番市民の目にとまりやすい機会が、議会という場であるはずなのですが、現状は、必要な情報が必要なタイミングで伝わらなかったり、議論すべきタイミングでしかるべき議論がなされないなど、やることなすこと全てなし崩し的に物事が決まってしまっていまる状況です。
まちの将来を大きく左右する重要な政策が次から次へと提案される状況であるなら、議会という場でもっと喧々諤々の議論が展開されてもいいはずですし、市民の議会への注目度がもっとアップしても不思議ではないはずですが、残念ながら、そのような緊張感が溢れる場には程遠い、お粗末な状況だと言わざるをえません。


このような体たらくな状況、あるいは「死に体」の状況を建て直すための議会改革に関する具体的な提案については、ふるさと日記さんがしっかりと纏めておられます。
当然、政治家の皆さんはプロですから、先進地視察もいろいろな所に行かれて良いところ悪いところをいっぱい勉強してこられているはずですから、『今さら何を言っているんだ。』とか『そんなことは百も承知だ』とおっしゃるかもしれませんが、一市民にこれほど具体的に、懇切丁寧に改革案を提示されるということは、ある意味、情けないことだと感じてもらわなければ困ります。
市民からそのように言われるということは、今どういう状況で検討がなされているのかということが、全然伝わっていないからだという反省に立っていただかなければなりません。
これまで市民から声高に、議会に対して特別な注文をつけられることがなかったということもあるのかもしれませんが、私は、あらゆる場面において、市民を前提に考える意思(気持ち)がない、もっときつい言い方をすると、市民のほうを向いて仕事をしていないのではないかとさえ思ってしまいます。


三木市では、現在、様々な行革が断行されていますが、先ずは、こういう議論の基礎となる問題から、政治家自身襟をただし、改めていくべきだと私は思います。
議論の土台がしっかりしたものになっていないと、単に時間とお金の浪費だけを招くことになりかねないからです。
いずれにしても、今の三木市の政治家は、あらゆる面での本気度が足りず、真剣さに欠けている気がしてなりません。
市民にアピールしているほど、自分たちは「危機」を感じていないのかもしれませんね。
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by kkamoike | 2009-09-30 19:42 | 三木市政 | Comments(2)

R175が見て、聞いて、読んで感じたことを書き綴ります。
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