どうぶつのつぶや記

カテゴリ:三木市政( 122 )

公共事業を政治家が仕事をしたかどうかのバロメーターだと考えていませんか

三木市は、「財政危機宣言」という全国でも例のない宣言を発するほど、緊急事態に直面しているはずなのですが、現在の市長が就任してからも引き続き多くの公共施設が完成し、今もなお計画中、計画に着手しようとしている大規模プロジェクト、施設が目白押しの状態です。
公共事業が悪いとは言いませんが、結局、今の市長が就任して第一に掲げたはずの「財政再建·健全化」という目標は、いつの間にか棚上され、これらの公共公共施設の完成や着手と引き換えに、財政危機宣言が出される状況に陥ってしまったわけです。


市長は、財政危機宣言を発する要因に、市税や国や県からの減収が予想以上に見込まれることを挙げていますが、そういうものも見越して全体の収支バランスを考えていくのが、経営の基本というものではないのでしょうか。
身の丈にあった生活をするのは、庶民の間ではあたりまえのことです。
自治体経営も同じはずです。
まさに「入るを計って出るを制す」です。


いろいろな団体、地域にいい顔ができるからかもしれませんが、物事には優先順位があって、我慢することをせずに、あれもこれもと手を付けていては、いずれ破綻していくのは目に見えています。
また、前回の記事でも触れましたが、三木市には、他市がうらやむほどの施設が市内のいたるところに、しかも、公民館やデイサービスセンターなどは、市内の各地域にまんべんなく整備されています。
これらの今後のメンテナンス費用にかかる資金は一体どうするおつもりなのでしょうか?
公共施設を建てたら行政の役目はそれで終わりになるとでも思っていらっしゃるのでしょうか?


自分が任期中に建てた公共施設がどれだけあるか、公共施設の建設にどれだけ関わったかということが、政治家がどれだけ仕事をしたかというバロメーターになると信じているとすれば、それは大きな間違いだと思います。
新しく作り出すことだけに意義を見出すような、個々の政策だけが一人歩きしてしまうような市政運営ではなく、今あるものを大事にし、活かすということに重きを置き、トータルバランスの取れた市政運営を目指すべきだと私は思います。
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by kkamoike | 2009-11-01 18:04 | 三木市政

投資効果のある事業を考えることが重要

先日から、人、お金、時間などの限られたものをどのようにして有効に使っていくかという話を続けていますが、昨日の武雄市長物語では、公共事業について書かれてあります。


以前にも申し上げましたが、私が今の三木市長に対しハコモノ批判を繰り返しているのは、公共事業だから批判しているわけではなく、タイミング、ニーズ、費用対効果などの面で不適切だと感じるハコモノに対して批判しているのであって、有効なものであれば、市債という制度があるわけですから、将来の世代にわたって均衡に負担して作るべきだと思っています。
そういう意味で「借金」も必要があれば、有効性が認められれば、発行すること自体「悪」だとは思っていません。


ところで、先日、三木市が単独支給を決めた「子育て応援特別手当」ですが、国がこの制度を発表したとき、テレビのインタビューなどでは、子どもを持つ親から一回きりのお金をばら撒くのではなく、もっと子育てしやすい環境整備、教育環境の整備にお金を使ってほしいというような意見が多く見られました。
私もそのとおりだと思います。
また、今回の三木市の「子育て応援特別手当」単独支給の記者発表資料には、付け足しのように学校のソーラーパネルの整備も国の補助が凍結された場合、市単独で実施するとありましたが、これなども、本当に今の三木市の現状からして緊急に整備が必要なものなのかどうか非常に疑問です。
樋渡市長がおっしゃっておられるように、武雄市に限らず、三木市でも公共施設がたくさんあって、道路はもちろん、学校の校舎や公民館など建設されてからかなり年月が経過しているものや、もう少しすれば地域ごとに建てられているデイサービスセンターなどもメンテナンスが必要になってくることが予想されます。


今回の、子育て応援特別手当やそれ以外の国の補正予算凍結に伴い市単独で支給をすることとしたお金、
どうせ使うなら学校の耐震化工事などを前倒ししていくお金に充てる、
そういう子育て支援があっても私はよかったのではないかと感じます。
子育て支援を子育てしている世代にむけるのもいいですが(今回の支援金は一部の親世代が対象)、全ての子どもたちが平等に恩恵を受けるにはどうすればよいかという目線で考えれば、自ずと答えは出て来るのだと思います。
どうせお金を使うならもっと有効に使ってもらいたいものです。
お金はいくらでもあるというものではないのですから。
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by kkamoike | 2009-10-31 08:38 | 三木市政

国に楯突くことが「地域主権」だと勘違いしていませんか?

子育て手当、独自支給する自治体も 「住民の期待高い」
(朝日新聞2009年10月21日23時1分)

鳩山政権が、補正予算の見直しで執行停止を決めた「子育て応援特別手当」。当てにしていた財源が消えたものの、「子育て支援の必要性は変わらない」として、独自に支給を決めた自治体が出てきた。ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力、DV)被害者の事前申請は10月から始まっており、すでに受け付けた自治体は経緯の説明や書類の返送に追われている。
兵庫県三木市は、手当の停止がほぼ固まった15日、国の計画と同じく3~5歳児1人につき3万6千円を市独自に支給すると決めた。11月中旬に支給開始の予定だ。
突然の停止に、藪本吉秀市長は「自らの公約を実現するため、財源確保のみを考えた行為」などと批判。対象は1982人で、必要な費用約7千万円は基金を取り崩す。
北海道南富良野町も、停止が決まった直後独自支給を決めた。7月にゼロ歳児から大学生まで拡大することを決めて515人分約1800万円の補正予算を計上。9月の町広報で告知済みで、「住民からの期待が高い」と判断した。国の資金をあてにしていた3~5歳児分約220万円は、交付税の留保分で補う。
道内の秩父別町も20日、国では対象外の0~2歳児も含め町独自の支給を決めた。対象は90人。必要な予算は320万円。国から約130万円交付予定だったが、「子育ての負担は、どの世帯も同じ」として、0~5歳児すべてに支給することにした。不足分は町の基金を取り崩す。
DV被害者の事前申請は10月から始まっている。14日に1人から事前申請を受けていた北九州市では、16日の執行停止の閣議決定を受けて、本人に電話で連絡。20日には、市職員が改めて自宅を訪ね、経緯を説明した。
横浜市には、3人からの事前申請があった。申請書類には、多くの個人情報が記されているため、簡易書留にし、市と長妻昭厚生労働相のおわび文を同封して返送する手続きを取っている。
大阪市はDV被害者2人から手当の申請があった。休み明けの19日、電話で事情を説明した。
厚労省によると、DV被害者の事前申請を受け付けたのは6日時点で、広島市3人、名古屋市3人、さいたま市1人。



三木市の「子育て応援特別手当」単独支給の決定から、他のいくつかの自治体でも動きが出てきているようです。
ただし、三木市と根本的に異なるのは、地域の実情を踏まえた上での撤退や、支給の対象となる者の範囲を広げるなどの独自色を打ち出しているという点です。


ところで、今回の「子育て応援特別手当」ですが、もともと、前政権が打ち出した時点から、いろいろな面で不公平だという指摘がありました。
支給の対象となる年齢の児童を持つ世帯に対し、対象児童一人当たり36¸000円が支給されるわけですが、たまたま今回、該当した人たちだけが貰えるというのはどうなのでしょうか。
もらった人は「宝くじ」にでもあたったようなものですよね。
だって、去年5歳だった児童は貰えないわけですし、今年2歳の児童は来年3歳になっても貰えないわけで、たまたま当時の政府が提示した年齢に該当していたというだけなのですから···
また、一部の特定の人にだけ、その場限りのお金がばら撒かれるというイメージです。
まぁ、どこかで線引きをしないときりがないといえばそうなのかもしれませんが、それにしても、選挙前の苦し紛れに打ち出した政策とはいえ、対象範囲があまりにも限定的で、行政に求められる「公平性」や「継続性」という点からもお粗末な内容だと言わざるを得ません。


三木市は、国が考えた制度だから文句はないだろうと高を括っておられるのかもしれませんが、国が決めたことだからといって、全てが正しく、万全であるとは限らないですし、市民が納得するとは限らないのです。
地域の実情に応じたきめ細かな政策を、限られた財源の中で実施していく。
一旦周知してしまったからという理由だけで同じ条件のまま支給するのではなく、対象年齢を見直したり、所得制限を設けたり、要は、三木市の特色(地域性)や財政力などに応じて支給方法や要件を見直すべきだったのではないでしょうか。
例えば、三木の場合、全国でも例を見ない「財政危機宣言」を発っしているのですから、むしろ一定の所得制限を設けることのほうが市民にも納得してもらえる余地があったのではないかと思うのですが···。
その結果、対象から外れる人がいたとしても、その事情をきちんと説明し、納得してもらう、そのような工夫やひと手間かけることを惜しまず、一歩踏み出すことこそが「地方主権」のあるべき姿といえるのではないかと思います。


どうして、そういう判断が、他の自治体にできて、三木市にはできないのか?
残念ながら、三木市には「地方分権」時代を生き抜く上での、「地域主権」の土壌がまだまだ出来上がっていないのだなとつくづく感じました。
国に楯突くことが「地域主権」だと勘違いしていなければいいのですが···
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by kkamoike | 2009-10-22 20:39 | 三木市政

誰のための「地域主権」なのでしょうか

公明主導の子育て応援手当 仙谷氏、1254億円凍結要請
(10月14日7時56分配信 産経新聞)

仙谷由人行政刷新担当相は13日、長妻昭厚生労働相と会談し、平成21年度補正予算の削減額上積みのため、3~5歳の子供を対象に1人あたり3万6千円を支給する「子育て応援特別手当」を全面凍結するよう要請した。同手当は全額国庫負担で、予算総額は1254億円。このほか、すでに750億円の凍結を表明している地域医療再生基金についてもさらに削減するよう求めた。長妻氏は回答を保留し、厚労省の政務三役で検討する考えを示した。
仙谷氏は、ほとんどの自治体で支給開始が12月ごろになるため、現時点で凍結しても影響は少ないと判断した。手当が公明党の主導で実現したことから支給を凍結し、民主党が掲げる「子ども手当」など子育て支援策の財源に充当したい考えだ。
ただ、全国の市区町村の議会で予算案が可決されるなど準備が進んでいる上、一部自治体ではドメスティックバイオレンス(DV)被害者を対象に申請受け付けも始まっているため、自治体から不安の声が上がっている。手当の支給を期待していた子育て世帯の反発も予想される。
同手当をめぐっては、先の通常国会で民主党は「支給が一時的で、効果は限定的だ」と否定的な見方を示していた。ただ、長妻氏は9月25日の記者会見で「すでに(申請の受付が)始まる直前で事務も整っている。寸前に急に切り替えることはよく考えないといけない」と述べ、支給の凍結には慎重姿勢を示していた。
同手当は、昨年秋以降の経済危機への緊急措置として、麻生政権が20年度第2次補正予算における子育て支援の目玉政策として導入。15年4月2日~18年4月1日生まれの子供約330万人を対象に、1回限りで3万6千円を支給する。20年度補正予算では第2子以降のみが対象だったが、21年度補正予算で第1子にも拡大された。


数日前の記事で状況は刻一刻と変化していますが、引用した産経新聞の記事の中からも、補正予算の凍結は、政府内でも意見が分かれていて、調整が難航していることがよくわかります。
また、国と地方との関係で見ても、凍結のタイミングや事前調整の不十分さなどから不安や不満が広がっているようです。

子育て応援手当、兵庫·三木市が独自に支給へ (10月15日00時28分 日本経済新聞)
全国知事会の麻生渡会長(福岡県知事)は15日、長妻昭厚生労働相が廃止を明言した「子育て応援特別手当」を巡り、「自治体の一部では申請受け付けも開始されており、突然かつ一方的に執行を停止することは現場に混乱を与える」として削減の対象としないよう求める地方6団体合同の緊急声明を発表した。
一方、兵庫県三木市は同日、「子育て応援特別手当」を市独自で支給することを決めた。支給対象は1778世帯の1982人で、支給総額は7136万円。市の財政基金を取り崩して財源を確保し、11月中旬から支給する予定だ。
藪本吉秀市長は政府の支給停止方針を批判。「市は財政危機宣言を発しているが、子育て支援策の一環として独自支給する」と述べた。


そんな中、三木市では、「子育て応援特別手当」の支給凍結という厚生労働省の発表を受けて、市単独で支給に踏み切る判断がなされました。
今回は、三木市の財政危機宣言に触れた市長のコメント部分を取り上げている日本経済新聞の記事をあえて引用しました。


今回の件も突っ込みどころ満載ですが、いちいち書いているときりがないので、言うことは二つに絞らせてもらいます。
一つ目は、地域主権について、二つ目は、説明責任についてです。


地域主権の理想を追い求めたばかりに、自分たちの地域は自分たちで守る、地域の実情に合わせて地域に必要な政策を選択するという地方自治の本旨を忘れ、結果的に自治体としての活動を停滞させてしまうようなことがなければいいのですが。
リーダーとして地域主権とは何か、国と地方の関係はどうあるべきかといった考え方を持ち、その理想の実現に向けて努力することは当然のことですが、一方で、自分たちが置かれている現実を見据える中で、出来る範囲のことを考えていく、その辺のバランス感覚というものが必要になってくるのだと思います。


そしてもう一つ、
本当に市民と向き合うことが地方行政の姿だと言うのであれば、三木市に限っていうなら、先ずは財政危機宣言を発する中で、基金を七千万円も取り崩すことに対する今後の財政再建計画への影響、また、来年度以降の更なる住民負担やサービスカットなどに至ることは本当にないのかといった部分での説明責任をきっちり果たすべきではなかったかと思います。
その上で三木市独自の政策として実施すべきかどうかを議論するべきであったと私は考えます。
今回の発表は、国や他の自治体、マスコミへのメッセージにはなったのかもしれませんが、市民に対するメッセージとしては、あまりにも筋が通ったものとは言い難いもので、市民を無視した、市民不在の中での自分勝手なメッセージであったのではないかと思います。
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by kkamoike | 2009-10-17 11:50 | 三木市政

「意識の問題」なのか、「能力の問題」なのか、はたまた・・・

 『三木はどうなるのだろう?』
今朝の雑感日記さんには、三木市政に対する不安が書き綴られています。
このような漠然とした不安を払拭するのが政治家の一番の仕事であり、それを実現するための一番の近道は、市民に対する情報発信と説明責任ではないかと思いますが、現実はそれが上手く機能していないということなのでしょう。


市民をこのような不安に陥れる要因、機能していない原因は二つ考えられます。
一つは、政治家自身は市民が思うほど不安に感じていないということが考えられます。
一言でいえば、「意識の問題」となるわけですが、仮に問題があったとしてもそれを問題として認識できなかったりだとか、今直面しているややこしい問題にはできるだけ関わりたくない、気づかないフリをしてしまうのもこのような「意識の問題」に含まれてくるのではないかと思います。
もう一つは、「能力の問題」です。
漠然とした不安を感じたり、このままで本当にいいのだろうかというような気持ちはあるけれども、それに対して、自分の意見が主張ができなかったり、相手の意見に対し反論する術を知らなかったり···。
要は自分が考えていることを市民や相手に対して、分かりやすく伝え、説得させることができないという類の問題です。


そして、何より、政治家による情報発信と説明責任が一番市民の目にとまりやすい機会が、議会という場であるはずなのですが、現状は、必要な情報が必要なタイミングで伝わらなかったり、議論すべきタイミングでしかるべき議論がなされないなど、やることなすこと全てなし崩し的に物事が決まってしまっていまる状況です。
まちの将来を大きく左右する重要な政策が次から次へと提案される状況であるなら、議会という場でもっと喧々諤々の議論が展開されてもいいはずですし、市民の議会への注目度がもっとアップしても不思議ではないはずですが、残念ながら、そのような緊張感が溢れる場には程遠い、お粗末な状況だと言わざるをえません。


このような体たらくな状況、あるいは「死に体」の状況を建て直すための議会改革に関する具体的な提案については、ふるさと日記さんがしっかりと纏めておられます。
当然、政治家の皆さんはプロですから、先進地視察もいろいろな所に行かれて良いところ悪いところをいっぱい勉強してこられているはずですから、『今さら何を言っているんだ。』とか『そんなことは百も承知だ』とおっしゃるかもしれませんが、一市民にこれほど具体的に、懇切丁寧に改革案を提示されるということは、ある意味、情けないことだと感じてもらわなければ困ります。
市民からそのように言われるということは、今どういう状況で検討がなされているのかということが、全然伝わっていないからだという反省に立っていただかなければなりません。
これまで市民から声高に、議会に対して特別な注文をつけられることがなかったということもあるのかもしれませんが、私は、あらゆる場面において、市民を前提に考える意思(気持ち)がない、もっときつい言い方をすると、市民のほうを向いて仕事をしていないのではないかとさえ思ってしまいます。


三木市では、現在、様々な行革が断行されていますが、先ずは、こういう議論の基礎となる問題から、政治家自身襟をただし、改めていくべきだと私は思います。
議論の土台がしっかりしたものになっていないと、単に時間とお金の浪費だけを招くことになりかねないからです。
いずれにしても、今の三木市の政治家は、あらゆる面での本気度が足りず、真剣さに欠けている気がしてなりません。
市民にアピールしているほど、自分たちは「危機」を感じていないのかもしれませんね。
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by kkamoike | 2009-09-30 19:42 | 三木市政

危機感を煽るのではなく、安心感を与えるのが政治の役目

米田議員のブログには、今回の一般質問の背景となった、市民が感じる不安についてこう述べられています。
「昨年9月末に財政危機宣言が市長よりされ、
様々な市民生活や活動に影響が出ている中で、
行政側の意識の変化より市民の不安·不満がたまりつつある。」
と。


そんな中、どの政策に重点を置くかとか、どの事業を優先して行うかということは、人によって考え方がそれぞれ違うから、しょうがないと言ってしまえばそれまでなのですが、
広報に掲載されていた内容を見ても、あまりにもそれらの事業の決定、進めるタイミングなど、「財政危機宣言」を発した今の時期になぜ?と思うものがあります。
例えば、旧玉置家住宅の整備や三木鉄道跡地に関係する整備費などは、今、この時期にこれだけの事業費を投じて本当に取り掛からなければいけないものなのかという疑問があります。
これは、私個人の思いだけでなく、私の周りにいる多くの人も不思議に思っていることです。
一方で、花火大会などは、具体的な再開の時期は示されていません。
市民が不安に思っていることというのは、まさにこのことだと思うのです。
すなわち、財政危機宣言を発する状況に至ったのはやむを得ないとしても、宣言しっぱなし、言いっぱなしのままでは不安だということなのです。


「このままいけば破綻するかも」といった不安を煽るばかりで、肝心の再建に向けた工程表、スキーム(計画)が具体的に、市民にわかりやすく示されていないから市民は不安を感じているのだと思うのです。
例えば、安心できる財政水準の明示、市民病院の再建の見通し、あるいは、大規模な整備事業を選択したことによって将来もたらされる効果など。
市民により身近なところで言うなら、いつまで我慢すればいいのか、あるいは、花火大会はいつ復活させるのかなど、要は「安心」できる到達点、目標をはっきりと示してほしいということなのです。
大事なのは、「財政危機宣言」を受けて、そのあとの対処法をどう考え、具体的にどう取り組んでいくのか、そしてそれを市民にどう示し、安心感を与えられるかだと思います。


今の三木市の市政運営を見ていると、このような根本となる部分をきっちりと押さえないまま、ただ地元の要望に沿って多くの事業が野放しに展開されているような気がしてなりません。
「三木式地域主権」と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、このような「財政危機宣言」を発する異常事態の今だからこそ、市の執行部だけでなく、議会や市民も巻き込んだ取組、一体となって政策の優先順位を考え、政策決定をしていく仕組みづくりを確立し、市全体でもって、シビアな目で「選択」と「集中」を実践していかないと、お金なんていくらあっても足りないと思います。


市にとって、市民に安心して生活を送ってもらうための取組は、どんな事業よりも優先されるべきものであるはずです。
そのような意味からも、一刻も早く、市民が安心して生活が送れるよう、その裏づけとなる計画を速やかに策定し、市民にわかりやすく示していく必要があるのではないかと考えます。
「五年後には破綻するかも」といった市民の気持ちをネガティブにさせる宣言ではなく、「○年後には県下で○番目の財政水準にし、市民サービスの満足度も今以上にアップさせます。」といった市民の気持ちをポジティブにさせてくれるような宣言をしてもらいたいものです。
この方のように。
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by kkamoike | 2009-09-12 14:43 | 三木市政

議員とともに成長し、「三木のまちづくり」を一緒に考えていく気があるかどうか

前回の記事では、議会に対する論文を引用させていただき、地方議会のあり方について考えました。
議会自体に改革していこうという意欲と取組が必要だということは言うまでもありませんが、我々市民もまた、政策立案ができる議員を育て、政策重視の政治を実現していくためには、それ相応の覚悟と根気が必要なのだということがよくわかりました。
たまたま、同じ日の同じ時間帯に、fuji-takeさんの「ふるさと日記」にも議会に関する記事がアップされていました。
こちらは議員定数について、ご自身のお考えを述べられています。ぜひご一読ください。
私は、議会に対して、こんなふうに意見が出されるということは、議会運営や議員に対して、いい意味でも悪い意味でも関心が持たれているということであり、何とかならないのか、何とかしてほしいという、ある意味、議会や議員に対する期待の表れではないかと感じています。


そんな中、議員を見守り、育てていくという観点において、市民の模範とならなければならないはずの、行政の長ともあろうお方から、またしても耳を疑うような問題発言が飛び出しました。
私はこのことが非常に悲しく、残念でなりません。
その発言こそ、今日の一般質問の場で、市民力の米田議員の質問に対して発せられた、「ネガティブ」という言葉です。
この言葉を発するに至った質問とは、市の「財政危機宣言」を受けての、市民や職員の反応、市に対する影響をどう考えるのかを問う内容、まさにそれは、市民があまり表に出すことのない気持ちを代弁した発言だったわけですが、その市民の想いや表に出てこない声に対し、あろうことか、「ネガティブ」な発言と一等両断に切り捨てたのです。
恐らく、こんな市民を冒涜する発言が恥ずかしげもなく口にできるのは、議員という存在を軽く見ている証拠であり、市民の代弁者である議員に対して尊敬の念を持ち合わせていらっしゃらないからでしょう。
それとも、全くの個人的感情に任せた、私的な発言だとでもおっしゃるのでしょうか。
以前にも「若いのにコンサバティブな・・・」という発言をされましたが、若いとか年がいっているとか、男性だとか、女性だとかは一切関係ない話です。それぞれ市民の信任を得て議員に選ばれた方であって、市長と同じ政治家でいらっしゃるわけですから、そのような発言を議員に対してするということは、市民がコンサバティブであり、ネガティブだと言っていることと同じことなのです。


私は、今回の米田議員の発言の一部始終を聞かせていただきましたが、市長の恫喝とも取れる下品な対応にも臆することなく、理路整然と二回目、三回目の質問をされたことに、三木市議会の新しい風、可能性を肌で感じることができました。
正直、これまでまともに質問ができる議員は、共産党の議員ぐらいしかいらっしゃらないのかと希望を失っていたのですが、次の議会からは、俄然、米田議員の発言に注目していきたい、いや、注目されるに値する雰囲気(落ち着いた口調や間の取り方など)や自ら理論展開をリードしていく力、議論のイニシアチブを握るといった実力を持たれつつあると感じました。


市長自身が、議員を陥れたり、言葉尻をとらえて非難や口撃を仕掛けたりすることしか頭にないようでは、三木の政治はいつまでたっても良くならないと思います。
行政の長には、これほどの質問が出来る議員が目の前に現れてきたことに対する喜び、高度な議論が市民生活をより良くしていく貴重な場になることへの感謝、そして、三木のまちづくりを一緒に考えていこうという誠実な心を持ち合わせた器であってもらいたいものです。
そのような姿勢を持つことが、市議会の活性化につながっていくのだと思います。
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by kkamoike | 2009-09-10 21:16 | 三木市政

まちづくりの根幹をなす議論なしでははじまらない

少々古いネタですが、
数日前の神戸新聞に、三木市の平成20年度の決算見込みに関する記事が掲載されていました。
この記事に関して、fuji-takeさんのブログ「ふるさと日記」に、感想を書いておられます。要は、新聞には「黒字」と書いてあるけれども、基金を10億円以上取り崩しての決算など、赤字同然ではないのか?というご指摘です。
ごもっともです。
また、fuji-takeさんは、市の会計を家計に置きなおしてこんなふうに表現しておられます。
『家計で、今月10万2300円貯金を切り崩したから、9400円手元に残ったのを黒字と言えるでしょうか?
だんなさんが無駄遣いして貯金減らして、今月黒字だなんて言ったら奥さん怒りません?』

確かに怒ります。(「怒られます」というほうが正しい表現でした。)


三木市の「財政危機宣言」には、毎年10億円以上の基金を取り崩すという大前提があります。
このまま毎年、基金を10億円ずつ取り崩す状況が続けば、5年後には基金は底をつき、財政再建団体に陥るかもしれないという内容です。
当然、この状況を指を加えたまま放置しておくつもりはないと思いますが、どうも今のやり方を見ていますと、毎年10億円の取り崩しを前提として、予算規模を従来の規模から10億円を確実に増やす形で予算執行していくために、いろいろな市民サービスをカットしているとしか思えないのですが···。


一見、サービスをカットしても、別のもので市民に還元されるものがあるならそれはそれでいいんじゃないの?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、本来、必要であるサービスがどんどん削られ、一方で、計画性のない事業や、今必要のないハコモノが建てられたり、病院経営の構造的な改革には着手せず放置したままの状態であるとするなら、それは、単なる税金の垂れ流し、行政経営の怠慢以外の何ものでもありません。
財政危機宣言に伴うサービスなどのカットは、あくまで一時避難的な措置であって、恒久的なカットにしてはならないと私は認識しています。
一時的な措置、財政的なやり繰りをするための措置として、サービスカットに取り組むのはよいのですが、10億円以上の収支不足が今後も発生する状況が当たり前と考えるのは正常な状態だとは言えず、三木市の財政規模は身の丈にあった予算規模になっているとはいえません。
にもかかわらず、10億円の収支不足が当たり前と見せかけるような予算編成を今後も続けるということは、三木市民を欺く財政的なトリックの何者でもありません。
以前、収支不足の原因として、小野市との比較をした資料が掲載されていることを紹介しましたが、この資料の意図するところは、まさしく、今後、10億円の収支不足を恒久的なものであると見せかけるための作為的な情報操作であり、三木市の財政規模を今よりも10億円膨らまそうとするためのトリックにほかならないのです。


今回の9月議会では、そのあたりの真相を深く切り込み、問いただせる議員は果たしているでしょうか?
分かっていて質問しないのは、議員の行動もまた、市民を欺いていることと同じことだということを認識すべきでしょう。
本当の三木市のあるべき姿はどんな姿なのか、理想とする財政規模はどれぐらいなのか、まちづくりの根幹にかかわる部分の議論を疎かにしたまま、いくら議論をしていても意味がないことを、市長も、議員も、そして私たち市民もそろそろ気づくべきではないかと思います。
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by kkamoike | 2009-09-07 19:49 | 三木市政

小さな行政(役所)を目指しているんじゃなかったんですね。

行政が行うべき事業かどうか、どの部分まで行政が関わるのか、
このことは、いわゆる「小さな行政(役所)」でいくのか、「大きな行政(役所)」でいくのかという方向性を示すことでもあります。

先日の記事に対して、ピーマンさまからこんなコメントをいただきました。
その中で、ピーマンさまは「小さな行政(役所)」について、こんなふうにおっしゃっておられます。
『役所(行政)と、民間に分岐点を考えた時、そこに利益が発生するか否か?だと思うのです。
行政が一つの事業を実施する場合、需要と供給の関係もあるでしょうが、そこに利益が発生しないことが、一つの要件ではないでしょうか?
安易に利益の生じる事業に着手するべきではないと思うのです。(と同時に安易に不利益な事業に着手するべきではないのですが。)
その考えを是とするなら、役所は利益の出ない事業ばかりを担うことになるわけですが、であるからこそ、事業の中身を吟味し、利益が出なくても真に私たち市民にとって必要不可欠な事業のみを展開するべきだと思うのです。
そして、それこそが小さな役所に繋がることでは、と思うのですが。』


そうですね。
私も、行政が本来果たすべき役割を考えたとき、効率だけではどうしても片付けられない部分があるのは事実だと思います。
一方で、現在の地方財政を取り巻く状況からすれば、行政のスリム化、「小さな行政(役所)」は時代の要請でもあると思います。
「民間に預けられることはできるだけ民間に」という発想も間違いではないと思っています。
そんな中で、行政が市民の要望にどこまで応えるべきかという判断については、やはり最終的にはその自治体の財政状況や、どの事業に重きを置くかといった、財源の配分の仕方などによって違ってくることだと思います。



ただ、今の三木市のやり方を見ていて分からないのは、財政難を理由に、急激な職員数の削減·合理化を進めているわけですが、その一方で、展開している事業を見てみると、他の自治体が手を出さないような事業、例えば、三障害施設の運営に手を出してみたり、公民館を中心としたよりきめ細かなサービスの提供を試みたり、図書館サービスをこれまで以上に充実させたり、さんさんギャラリーの企画運営に着手したり、ボランティアセンターに職員を常駐させたり、挙句は、出会いサポート事業などにも関与したりと····、
とにかく、私が思い付くだけでも、これまで以上に人的サービスの必要な事業が次から次へと展開されているわけです。
花火大会の中止など、一過性のイベントの中止や受益者負担金などの負担割合の見直しなどはあったものの、基本的な人的サービスを取りやめますという話はほとんど伝わってきません。
それどころか、本来民間業者がするべきトイレ掃除までも自前でしているのを見ると、本来の業務以外にもかなりの負担がかかってきているようにも感じるわけです。
「人がどんどん減って、現場は大変だ」という話を聞く反面、いろいろな事業を展開し、手を広げていっているようにも思うわけですが、一体、どんなカラクリで仕事が回っているのか?
まったくもって不思議でなりません。



冒頭の話に戻りますが、
『限られた予算しかない、財政難だから、あれもこれもできない。』
頭では行政も市民も解っているはずなのですが、個々に判断する時には、なぜか、そのようなことは頭からすっ飛んでしまうのかもしれません。
まぁ、組織内で意志決定する際にも、「総論賛成、各論反対」はよくある話ですが···

市民に自覚があるとかないとか、そういう問題ではなく、市民は、いい意味でも悪い意味でも行政が決めたことには黙って従う(従わざるを得ないという表現のほうが正しいかも)傾向があるのだと思っています。
今回の財政危機宣言に端を発した様々な取組にしても、個人単位ではいろいろ不満を持っていらっしゃる方はおられるでしょうが、全体的には、しょうがないなという雰囲気ですから···。
したがって、私自身は、市民に、この事業は行政が行うべき事業かどうかの判断、理解を求めるのは正直、酷ではないかと感じています。
やはり政治がその方向性をしっかりとリードしていくことが必要で、選挙向けにいい顔ができるかどうかという基準で判断するのではなく、整合性のある政策、一貫性のある政策を市民に対しきちんと提示していくことが大事なのではないかと感じています。
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by kkamoike | 2009-08-21 20:26 | 三木市政

何ができるかではなく、先ず何がしたいのかを考えるべきじゃないんですか?

米田さんもて木さんのブログに総務文教常任委員会の内容がアップされています。
何でも、下石野分校跡を改修し、「別所ふるさと交流館」を整備するとのことですが、目標利用者数をクリアするためのより具体的な活用方法については、今から智恵を絞り直す必要があるとのことです。
いやはや何とも暢気な話ですね。


一般的に、施設をつくる際に「心」=「理念」=「想い」がないと、いくら立派な施設をつくったとしても、ただの「ハコモノ」になってしまいます。
これは、施設を検討する段階で、つくり手が第一に心得ておかなければならない、最も重要な点だと思います。


今、三木市では、統合病院をはじめとして、様々な施設整備が巨額の税金を投入して行われていますが、それぞれの施設に、このつくり手の「心」=「理念」=「想い」というものが十分に描けていない段階で、整備に着手してしまうと、その施設の利用者はもちろん、そこで働く人たちにとっても、魅力的な施設にはなり得ないということを十分に頭に入れておく必要があります。
サービスを提供する立場の人を「劇を演じる役者」に置き換えるとするなら、その脚本(シナリオ)に魅力がなければ、役者にいい演技を期待することなどできないということです。当然、観客を呼び寄せることも、喜ばせることもできないということです。


ところで、三木市では、歳出を抑制するための職員数削減によって生じる人的サービスの低下を、市民パートナーやボランティアなどの、いわゆる「市民力」の活用によって補っていこうとしているわけですが、このような人たちの力を借りる上で重要な要素というのは、(その事業に携わることに対する報酬など、お金の支払い義務がほとんど生じない分)まさにその施設のコンセプトや意義、そこで行う事業の魅力といったものであって、それらの要素が従事する人の意欲に大きな影響を及ぼすということです。
逆に、事業自体に魅力がなければ、事業を手伝おうという意欲を起こす人は、誰も出てこないということを覚悟しておかなければなりません。


いずれにしても、施設を整備してから何ができるかを考えるのではなく、施設を整備する前に何がしたいのかを考えるべきなのです。
その上で、その内容が、施設利用者はもちろん、施設で働く人たちにとっても共感を得られるものであるのかどうかを事前にリサーチしておくというのは、民間にとってはごく当たり前のことです。
それにしても、こういう旧態依然とした役所の体質から、未だに抜け出せないようでは、いつまでたっても税金の無駄遣いを改めることなどできないのだと思います。
「財政危機宣言」を発している全国で唯一の市なのですから、市長も議員さんも、もっと真剣に、もっと危機意識を持って仕事に取り組んでください。
頼みますよ、ホントに。
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by kkamoike | 2009-08-19 22:25 | 三木市政