どうぶつのつぶや記

カテゴリ:三木市政( 122 )

政治家失格

「議員報酬の削減」という議会自らの提案が否決されたそうです。
この事態に、それぞれのブログで意見が述べられています。

私は、これまでも市長の報酬カットや職員の給与カットがなされた際に、これらの取組は「改革」とは言わないと繰り返し述べてきました。
最後まで手をつけてはいけないはずの部分でありながら、このようなところに真っ先に手をつけることは誰にでもできることであって、最低で最悪の経営でしかないと批判し続けてきました。
三木市が常に模範としている小野市の市長は
「いくら苦しくても労働の対価としての報酬には最後まで手をつけない、あらゆる手段を尽くして経営の健全化をめざすことが本当の経営者のあるべき姿である」
というようなことを某全国区のビジネス雑誌で語っておられたと記憶しています。
別に小野市長が特別な存在なのではなく、このような考え方を持っておられる経営者、実際に苦しい状況の中でも実践しているトップの方は官民問わずたくさんいらっしゃいます。

しかしながら、三木市においては、市長の報酬カットのパフォーマンスを皮切りに、職員の給与カット、さらには議員の報酬カットがなされてきたわけです。
そこに至った経緯は、私たち市民にはわかりません。
その取組自体が良いのか悪いのかは別として、少なくとも大義名分としては『市民サービスを低下させない』ための苦肉の策であったと考えたいのです。
そのような取組であったとするならば、いかなる理由があるにせよ、市民をも巻き込んだ三木市全体で特別な取組をしている真っ只中に、議員だけが報酬カットを免れることはあってはならないと思うのです。

すなわちカットを取りやめた時点で、この取組の大義名分はなくなり、単なる弱いものいじめ(手っ取り早くカットできる者からカットするという意味)の取組に成り下がってしまいます。
今回の議員報酬カットの取りやめは、そのような邪まな考え方を結果的に露呈したことになると考えます。

また、泉議員がご自身のブログで述べておられたカットに反対する理由の一つに「報酬カットが本当の議会改革ではなく、議員自らが政策を立案する集団に変革していくことが本当の改革である」というようなことを挙げておられますが、では、市長や職員はカットしたままでいいということでしょうか?

私たち市民は、議員だけでなく、市長にも職員にももっともっと良い働きをしてもらいたいと願っているのです。
特に、市長には、報酬カットというくだらないパフォーマンスは一刻も早くやめていただき、まともな市政運営をすることに力を注いでもらいたいと思っているほどです。 カットしているからこれほどまでにくだらない施策しか考えられない、また、まっとうな施策を考える必要はないと開き直っているのではないかとも思えてしまうほどですから。

いずれにしても、カットに反対した議員の方たちに言いたいのは、自分たちの都合のいいように市民の声を解釈されては困るということです。
そして何より政治の大義名分を忘れてしまっては「政治家失格」だということです。
どのような経緯があったにせよ、また、いろいろとそれらしい理屈を並べてみたところで、過去にみんなで報酬や給与をカットして市の健全財政に寄与しようと一旦は議会でも承認をして取り組んできたことなのですから、カットを戻したいのであれば、先ずは、これまで市民から批判され続けてきた議員の働きを改め、実際に目に見える形で表現し、それを市民に評価してもらってからカットを取りやめるのが世間一般の常識、筋ではないかと思うのです。
今はまだ、残念ですが、とても報酬に見合う仕事をされていると評価できるレベルではありません。
それに、お金が伴わなくてもできることはたくさんあるはずです。

「政治家失格」という烙印を押される前に、自分たちの主張を正当化するだけではなく、市民の目線にたった議論から始めるべきでしょう。
[PR]
by kkamoike | 2011-06-29 21:16 | 三木市政

市会議員に期待すること

前回の記事に対し、もて木さんからコメントをいただきました。
もて木議員をはじめ多くの議員の皆さまへのエールの意味も込め、コメントに対するお返事を書かせていただきます。



もて木さま
偉そうなことばかり言って申し訳ありません。
しかし、市長のやり方の善し悪しは別にして、既に、議会への提案という形で表舞台(土俵)にあがってきてしまっているというのは紛れも無い事実です。
私自身も、今回の市長のやり方には納得していませんし、もて木さんや大西さんをはじめ、この問題について質問した議員の方たちは自らの保身のために意見を述べられたとは思っておりません。
しかし政治は結果が全てだと思います。
議会という、ある意味、市民にオープンにされる数少ない議論の場で、いかに結果を残し、世論を導いていくか、まさに『真剣勝負』の場なのだと思います。
そういう意味からも、私は、経験の浅い議員も、経験の豊富な議員も関係なく、この議会という政治家として最高のパフォーマンスを発揮しなければならない場で死に物狂いの姿勢で議論を交わすくらいの熱気というものを市民に伝えていただきたいのです。
議員の皆様のこれからの益々のご活躍を陰ながら応援しています。
がんばってください。
一市民より
[PR]
by kkamoiKe | 2010-03-13 09:58 | 三木市政

市民のレベル以上の政治家は生まれない

この間の三条市長日記を読んでいて、ふと目に止まったものの中にこんな記述がありました。
『さて、今日から、三条市議会では、一般質問が始まりました。将来のまちの方向感、教育、福祉、財政などなど、各般にわたってのご指摘をいただきましたが、圧巻は、今期限りで引退を表明されている某議員さん。通算90回以上続けてきた一般質問の総仕上げということもあり、大変〝格調高い〟ご指摘を繰り広げられていらっしゃいました。これまでの長きにわたって、三条市政に叱咤激励をいただき、ありがとうございました。』


一見、この何気ない文章の中に、色々な意味で、大事なことが表れていると感じました。
『相手に対する敬意』
『市政に対する情熱』
『政治家としてのこだわり』など···
これらのどれが欠けても自由闊達な議論が展開される議会にはなり得ないのだと感じました。


翻って、今の三木市議会はどうでしょうか?
rfuruyaさんは、先日、傍聴された際の感想をこのように述べておられます。
市長の『不遜』な態度などは全くもって論外ですが、私は議員が行う一般質問に何が欠けているのかが、今回の三条市長日記の記事を読んでようやく見えてきたような気がします。
簡単に表現すれば、発言そのものに「魂が込められていない」ということです。
政治家としての信条を熱く語る部分がもっともっとあってしかるべきだと思います。
内容はもちろん、言い方も含めて···。


自分がわからないことを聞いて、「ハイ、わかりました」だけで終わってしまうのではなく、例えば、今回の議員定数の削減に関する審議にしても、質問した議員は結局、①どういう部分が納得がいかないのか
②方法論はともかく削減することには賛成なのか反対なのか
③では自分はどういう方向に進めるべきだと考えているのか
など、少なくとも、聞いている多くの市民は議員がどうしたいと思っているのかがほとんど見えてこなかったのではないかと思います。
しっかりとした自分なりの主張、代替案を持った上で、その理念や方針を熱く語った上で、相手の主張に切り込むことをしていかないと、説得力も、迫力も全く見られない、心を揺さぶることのない、ただの一般質疑になってしまうのがオチなのだと思います。
残念ながら、今回の議会一般質疑全般にわたり、唯一つ印象に残ったのは、「単に自分達の都合だけで定数削減に反対しているのではないか」という疑念だけでした。


三木の議会が本当の意味で機能しはじめるのは一体いつになるのでしょうか。
『議会での議論のレベルが、政治家のレベル、ひいては市民のレベルそのものである』
と断言するのは言い過ぎではないような気がします。
[PR]
by kkamoiKe | 2010-03-12 19:55 | 三木市政

篠山市の「市政執行方針」

議会において当初予算が審議されるこの時期、どこの市も「施政方針」が発表されます。
この「施政方針」は新年度に向けてどんなまちづくりをめざし、どんな取り組みをしていこうとしているのかをまとめたものだといえます。
どこの市でも同じような課題を抱えているとはいうものの、この手の「方針」は、作り手の考え方次第でいくらでもオリジナリティ溢れるものにもなるでしょうし、他の市と何ら代わり映えのないものになる可能性もあるのだといえます。
県下の主要な市の「方針」を見比べてみましたが、三木市がどうこうというよりも、どこの市も全般的に「方針」の中で自分の市の特徴をどう生かしていくのか、生かしていこうとしているのかといった部分がもう一つ見えにくい、わかりにくいように感じました。


そんな中、個人的に「これはおもしろそう!非常にわかりやすい!」と感じたのが篠山市の「市政執行方針」です。
興味のある方はぜひご覧ください。
中身はもちろん篠山独自のカラーがちりばめられていて大変興味深かったのですが、「方針」全体の構成といいますか、組み立てについても素人にもわかりやすいようにまとめられていると感じました。
また、抽象的な表現はあまり用いずに、できるだけ具体的な取組事例を用いることで、市民にとっても身近に感じられる内容になっているのではないかと感じました。
何本かの柱が具体的にしっかりと示されていること、そしてそれに応える個々の政策からは篠山のオリジナル感が伝わってくるようで、これこそが篠山市のまちづくりの真髄だといわんばかりの強いメッセージを感じ取ることができました。
たかが「方針」、されど「方針」です。
あなどってはいけません。


大事なのは、「方針」の内容を市民にどう訴えかけ、まちづくりに関心を持ってもらうかということではないでしょうか。
そのためにも、「方針」は市民の興味や関心を呼び起こすきっかけになるものでなければならないでしょうし、実際に市民がまちづくりに参加するときの自分の立ち位置、これからの行動を考える上での道しるべ(方向性を示すもの)でなければならないと思うのです。
さらに、議会で審議し、まちづくりの議論を深めていく上でもこの「方針」が基本になるわけです。
これをおろそかにしていては、議論は上手く噛み合わないでしょうし、ちぐはぐな議論になるばかりか、効率の悪い議論となってしまうのではないかと思います。
もう少し細かいところに踏み込んで考えてみると、この部分があいまいなまま、何がしたいのかわかりにくい状態のままだと、市の取り組みを内外にPRしていく上での情報戦略においてもちぐはぐな状態となり、とてもじやないですが、インパクトのある情報発信は期待できないようにも思います。
逆に、篠山市のようにわかりやすく体系立てていると情報戦略が立てやすくなるように思います。


ところで、今回の三木市議会でも審議が予定されている「議員削減」ですが、この問題は、何らかの形でいつかは決着をつけないといけない問題だと私も思っていますが、削減さえすれば万事、問題は解決するのだという過信は禁物です。
削減の議論ばかりに熱心になるのではなく、削減も議会改革の一つの項目であるととらえるのなら、議論の質を高めていくための根本的な改革にもこの際、真剣に考え、全力で取り組んでいくべきではないかと思います。
経費を節減するという観点からの「改革」しか頭にないから、このような中身のない薄っぺらい議論になるのだと思います。
もっと市民レベルでも、市役所レベルでも、議会レベルでも、様々なステージで、議論の質を上げていくことについて真剣に考えるべき時期が来ているのだと思います。
そんな時だからこそ、メッセージ性のある、オリジナリティ溢れる「施政方針」の提示が求められているのだと思います。
[PR]
by kkamoiKe | 2010-03-04 20:35 | 三木市政

議員定数削減問題と三木のまちづくり

議員定数の削減について反対しているわけではないのですが、この議論の切り口の一つとして、今の議員の存在、活動が見えないから、「定数を減らしてもよい」という発想はおかしいような気がします。
例えば、全ての議員が有能な人であり、市民のために一生懸命活動できる人たちばかりであったなら、私は定数「20」でも多いとは思いませんし、支払う報酬についても決して高いと思わないでしょう。
議員の能力や活動が不十分だということと、定数が多いから少なくするということは分けて考えるべき問題だと思っています。


そして、若い有能な人たちが議員という政治家を志し、議員という職業で生活が成り立っていくような環境を長期的な展望にたって整備するにはどうすればよいか···
本来、定数適正化を含めた議会改革の議論は、そんな観点からも行われるべきだと思っています。
「削減」ありきの改革、「削減」しか能のない改革は、もう時代遅れなのだと思っています。
若い世代に魅力あるまちづくりを真剣に考えるのであれば、若い有能な政治家をたくさん輩出できる環境づくりをまずは真剣に考えることが必要ではないでしょうか。
高齢者の割合が多い、将来に明るい展望を見い出しにくい三木市の厳しい現状があるからこそ、単に定数削減に賛成、反対という単純な議論だけに終始するのでなく、斬新な発想にもとづく冷静な議論が、今こそ望まれているのだと思います。
[PR]
by kkamoike | 2010-01-20 21:14 | 三木市政

市議会「新時代」の幕開けにできるかどうか

昨日『新しい時代を感じさせる一言』と題した記事を書きましたが、三木市議会では一足先に「新しい時代」への挑戦が始まったようです。
先日の神戸新聞には、もて木議員大西議員がそろって会派を脱会し、当面は一人会派として活動をされるという記事が掲載されていました。
お二人の勇気と決断に心から拍手とエールを送りたいと思います。


私はこれまで、特に市長派チルドレンとされた議員に対し数々の憎まれ口を叩いてきました。
おそらく、お二人からも恨まれているんだろうなと思っていますが、そういうことも全部ひっくるめて私にとっては久々に明るく嬉しいニュースとなりました。
議会に関しては暗い話題や活気のなさばかりがクローズアップされがちでしたが、最近の米田議員の一生懸命な活動の姿勢に引き続いて、お二人にもその決意の表れを行動にして示していただくことになれば、市民の議会を見る目も自然に変化してくるのではないか、周りの同僚議員に与える好影響も出てくるのではないかと期待します。


もて木議員も書いておられますが、本来、地方政治に与党も野党もないのは明らかです。いやむしろそういう概念で動くべきではないはずです。
今、ほとんどの市会議員が新人候補の稲田さんを推薦されているようですが、私は、その行動の源にあるのは、真の地方政治を自分たちの手に取り戻す、市長と議会の健全な関係を築くための確固たる意思の表れなのだと解釈しています。
仮に新しい市長に新人候補がなった場合に市議会の言いなりにさせようとするような邪な性質のものではもちろんないと思っています。
また、俗に言う「市長派チルドレン」などとは明らかに異なる概念なのだと思っています。
3年前?に、このような「市長派チルドレン」のような関係を自ら望み、そういう会派作りに関わってこられたであろう現職市長のほうがよっぽど「しがらみ」のある市政を目指してこられたのではないかと私自身は感じています。
市会議員であるにもかかわらず、市長の言うことに100%賛成、従うなんてありえません。
市長も議員も同じ市民から信託を受けた政治家である以上、いかなる理由があろうとも法律で規定されていること以外は基本的に対等でなければならないはずです。
自分の意思でもって考え行動することこそが真の政治家というものだと思います。
もちろんお互いの立場を尊重し合い、相手の権限に委ねなければならない部分は委ねていく姿勢が根底にあるのは言うまでもないことですが・・・。
ですから、今回の件は、現職の市長への反逆でも何でもありません。
お二人が本来の政治家としてとるべきスタンスに身を置かれただけのこと、自己改革に向けて一歩足を踏み出されただけのことなのです。


定数削減が叫ばれる中、議員としてのスタンス、資質などを自ら見つめ直し、議員自らが改革への道を自分の足で一歩踏み出されたことは大変素晴らしいことだと思います。
なにはともあれ、お二人の新しい門出に拍手です。
お二人のまともで勇気ある行動がこれからの三木市議会改革への挑戦に向けた大きな後押しになることを心から祈っています。
[PR]
by kkamoike | 2009-12-23 08:57 | 三木市政

第300回定例会本会議 質疑·一般質問で感じたこと

2日間の市議会の一般質問が終わりました。
今回は、たまたま仕事がオフでしたので、2日間、ほとんどの方の質問を聞くことができました。
やはり毎回思うのは、骨のある質問が出来る議員が限られているということですね。
こんな市議会の一般質問の内容なら、無理して日程をとって開催しなくても、本当に質問したいことがある時にだけ、質問したい人だけがすればいいのにとも感じてしまいます。
なぜそんなふうに感じてしまうのでしょうか?
それは、一般質問のほとんどが政策論争にまで発展せず、単なる質問のままに終わってしまっているからでしょう。


その打開策はといえば、もちろん、議員一人ひとりの努力(答弁する市長側も含む)にかかっているのでしょうが、やはり個人の努力だけに頼るのではなく、市議会全体の問題として捉え、議会運営のやり方などを見直すことが一番の近道ではないかと感じます。
今のやり方では、努力しなくても給料だけもらえる政治家をのさばらせる温床になったとしても、市の執行部と議会とが切磋琢磨できる土壌には程遠い状況ではないかと感じます。
そしてもう一つ感じるのは、質問する側と答弁する側が同じ方向を向いていないということです。
一つ一つの考え方は違っていたとしても、大局的な流れの中で同じ方向を向いて話をしないといけないのに、話がかみ合っていない、都合の悪い話になると逆切れしたり、逃げたり、はぐらかしたり···。
お互い足の引っ張り合いをすることしか頭になかったり、疑心暗鬼の状態のままだったり、突き詰めていけば、お互いの信頼関係が築けていないということに行き着くのかもしれません。
しかし、相手のほうが悪いからとか、取り付く余地も与えないからとかという理由で、お互いが背を向けたままでいることは、実はどちら側にとっても一番楽な方法であると同時に、市民への背信行為であることを肝に銘じてもらわなければなりません。


議員の質が悪いなどの理由で「定数を減らせ」と言うのは簡単ですが、私はその前に、「当事者は今の体制の中で一体どれくらいの努力をしてきたのか?」と問いたいです。
現状のどこに問題があって、その問題を解決するためにはこれからどんな取組が必要で、それぞれがどんな意識で臨み、どのように現状と向き合い、改革を進めていけばいいのかをどれだけ考えてきたのかと···。
そのような根本的な改革にチャレンジしないままで、定数さえ削減すれば改革の目指す姿に近づくというのは単なる空想にすぎません。


話は変わりますが、皆さんは三木市議会の一般質問の議事録武雄市の議事録を見比べたことはあるでしょうか?
見比べたことがないという方は、ちょっと目を通すだけでもいいのでぜひ一度見比べてみてください。
大きな違いは、一問一答方式、一人の持ち時間をフルに使ってのやり取りなのですが、その内容は、まさに議論を一つ一つ重ねる政策論争そのもので、議事録を読むだけでも臨場感たっぷりの緊張感あふれる雰囲気が伝わってきます。
今の三木市議会の一般質問でのやり取りを聞く限りでは、武雄市のやり方で通用する政治家は市長を含めて果たして何人いるのだろうかと感じてしまいます。
そして、今の会派を代表して質問をするやり方もまた改めてもらいたいとつくづく感じました。
やはり、市民に普段の活動をPRできる機会、一番手っ取り早く知ってもらえる機会こそがこの一般質問の場だと思いますので、ベテラン、新人に関係なくできるだけ多くの議員が登壇する運営方法に改めてもらいたいと思います。


そのような真の意味での三木市をよい方向に導くための政策論争が展開できる場を創り上げていくことで、政治家自身も切磋琢磨しながら成長していけるでしょうし、そのような姿を市民にアピールし続けていくことこそが、市民からの信頼を勝ち取る一番の近道ではないかと感じます。
当然、そのためには、市長と議会の間に信頼関係が横たわっていることが前提条件となることは言うまでもありません。
本当の意味での「改革」とはそういうものではないのかと私は思います。
[PR]
by kkamoike | 2009-12-10 21:16 | 三木市政

事業仕分けの対象となる事業をはじめから出さないようにすることも大事かと・・・

国の各省庁でも事業仕分けが始まり、話題になっています。
仕分け人の選考、事業の選択、仕分けのプロセス(順序)など、いろいろな問題点が浮き彫りになってきているようです。
そのへんの論評は報道機関や専門家にお任せをするとして、素人として一番違和感があったのは、「地方分権」や「市民主体」、「地方苦難の時代」と言われて久しいにも関わらず、毎年予算を編成する際にこのような仕組みがほとんどの自治体でも考えられてこなかったという現実です。
今後、このような仕組みが定着し、多くの自治体に広がっていけば、行政にとっても市民にとっても有意義な結果になるのではないかと感じました。


ところで、この事業仕分けというものは、原則、今ある事業に対する評価、判定がなされるということだと思うのですが、これは、事業が開始された頃と時代背景が大きく異なってしまったり、当初に予想していた以上の結果を生めなかったり、予想以上に効率が悪かったりといったものに対処していく目的で考え出されたものだと認識しています。
これらの状況に対応していくことはもちろん大事なことですが、新しい事業を考える段階から、事業仕分けのようなプロセスを設け、喧々諤々の議論を行い、検討していくことも重要ではないかと思います。
それがしっかりできてさえいれば、この先、まったく予期しなかった事態に陥るような場合は別として、行政の無駄を少なくすることができるでしょうし、事業仕分けが必要な事業をはじめから出すことも少なくなるのではないかと思います。


このようなことは、私が言うまでもなくごく当たり前のことですが、三木市では、この当たり前のことが、特にこの4年間行われてきたかどうか疑問です。
確かに、政治的な要素が強い事業もあったのかもしれませんが、その事業が本来、住民のためのものであるとするなら、事業の案をできるだけオープンにし、関係者に広く意見を求め、議論の時間をしっかりと取っていくことは当然のプロセスではないかと思います。
にもかかわらず、この4年間を振り返った時、外から見る限りでは、議会との協議も十分に行われないまま多くの事業が世に出されてきたようにも感じます。
議会との協議はしっかりと出来ていたであろう、障害者施設の「はばたきの丘」などにしても、膨大な維持管理費が今後、毎年必要になってくるようです。市がこのような施設を維持管理していくのはどうかという声も聞いたことがありますし、私自身もそのように感じます。
近い将来、事業仕分けを行った時に、この施設の維持管理は民間がするべきだ、あるいは、行政が手を出すべき規模の事業ではないというような評価、仕分けがされる日が来るかもしれません。


もて木議員のブログには、この事業仕分けへの取組を三木市でも検討してみる価値があるという意見が書いてあります。
もちろん既存の事業を見直す意味からも、ぜひ三木市も積極的に取り入れていくべきものだと思いますが、同時に、現在の三木市の意思決定のプロセスや新規事業を決定する際の議論のあり方などのルールづくりというものも、この際、きっちりと確立していくことが必要ではないかと思います。
そのことが将来の無駄を少なくし、適切な仕分けを最初から行う第一歩になるのではないかと思います。
[PR]
by kkamoike | 2009-11-13 20:32 | 三木市政

税金を大事にしてくれる市政を望みます

広報みき11月号の統合病院への直行バスの特集記事に疑問を感じた方もいらっしゃったのではないでしょうか。
特集記事①
特集記事②
記事を読む限り、統合病院がスタートすれば、市からの補助が今よりも少なくてすむから、その分、バスの運行に回すお金に糸目はつけないと言わんばかりの書き振りのようにも感じました。
そして、バス運行に要する経費の見込みはおよそ一億円だとか···
運行の案を示すのは別に悪いことではないのでしょうけど、一体どれだけの市民が直行バスを利用したいと考えているのかといった事前のリサーチもないまま、このような時期に、このような十分な議論がされたかどうかもわからない内容を、わざわざ広報紙の紙面を割いてまで取り上げる意味があるのか疑問です。


このような記事を見るたびに私たちの税金は軽く見られたり、扱われたりしているのではないだうかと心配になります。
20億円ものお金を毎年病院に支援していたんだから、バスに1億円ぐらい費やしても全然大丈夫というような雰囲気です。
こういうのを「麻痺している」というのかもしれませんね。
走らせてみて利用者が少なくても毎年続けていくという確証があればそれでもいいのかもしれませんが、恐らくほとんど利用者がいない状況なら「勿体ない」という意見は必ず市民の間から出て来ると思います。
そうなればまた意見を聞き直したり、新しい手段を考え直したりと、また余計な作業や時間、人を費やす羽目になると思います。
また、公民館と病院だけの直行は便利なようで実際の生活スタイルからかけ離れているようにも感じます。公民館と病院だけを行き来するだけでは、(利用者の立場で考えたとき)用事を済ませるという意味からも逆に時間のロスに繋がってしまったり、生活導線の観点からも効率が悪い、すなわち、普通は病院に行ったついでに買い物や病院以外の用事も済ませられるほうがより便利だと思うのですが···。
さらに急いで作った案だからかもしれませんが、現行のコミュニティバスとの連携についてきっちりと検討された形跡や市民にわかりやすい説明がなされていないというのもどうなのでしょうか。


本当に市民は、病院への直行バス、今回提案のあったような地域ふれあいバスの実現を前提とした、公民館と病院を行き来する形のバス運行を望んでいるのでしょうか。
また、実際に運行した時に利用するのでしょうか。
こういう事業を考える場合、事前のリサーチ結果が提示されない提案ほどずさんなものはないと思うのですが···。


私には、今回の特集記事が、小野市の建設予定地周辺には何もなく、電車の駅からも遠く離れ、ほとんどの市民が現行の病院よりも距離が遠くなり時間がかかるようになることに対する批判をかわすためのもので、費用対効果などはそっちのけの経営を語るにはほど遠い内容にしか感じられませんでした。
まぁ、選挙が目前に迫ってきたことでの付け焼き刃的な意味合いがあるのかもしれませんが、せめて今の時期、広報は大事な税金で作られているこということぐらいは、市のトップとしてしっかりと認識していただきたいものですね。
[PR]
by kkamoike | 2009-11-10 19:13 | 三木市政

わからないことだらけの病院問題

広報みき11月号に掲載された病院関係の記事(交通手段
·改革プラン)と協議会だよりは、市民にとって非常にわかりにくい内容のものでした。
このことについては、早速、他の方のブログでも取り上げておられます。
ふるさと日記さんは、新しい病院経営においても責任の所在があいまいなままであること。
雑感日記さんは、病院問題の本質である『経営の健全性』に焦点があたっていないことと、「償却前利益」の件を取り上げておられます。
お二人が指摘されていることはごもっともだと思います。


このブログでも以前から病院問題を取り上げてきましたが、未だによく分からないのは、医師の確保についてです。
それを裏付ける内容として、現在の病院の改革プランが計画どおりに進んでいないことへの対応策はこんなことが書かれてあります。
「医師の招へいについては、大学からの派遣だけに頼るのではなく、病院独自の求人活動を強化し医師の増員を図ります」と···
現在、神戸大学からの医師の派遣がままならない状況の中で、新しい統合病院になればこの問題が一気に解消されるとはとても思えないのですが···。
また、協議会だよりには、
「健全経営を維持する前提条件として、神戸大学との連携により、医師が確保できること、また、地域の医療機関と連携を深めることでありこれが課題となります。」
と書いてあります。
まさに、現在の市民病院が直面している課題が、統合病院がスタートした後にも一番の課題として立ちはだかることが書かれてあるわけです。


ん?なんかおかしくありませんか?
医師の確保は間違いなく安泰ではなかったのでしょうか?
今頃になって予防線を張るかのような書きっぷりにも見えるわけですが、これまで一貫して、神戸大学が提唱してきた話だから大丈夫だとか、まるで他人事のような感じで病院経営を語っておられた三木·小野両市長だったようにも思うのですが、ここにきて弱気な表現に変ってきているようにも受け取れるのですが···。
今の病院経営の改善にきっちりとした対策が打てないのに、病院の建物だけを新しくすれば、全てがうまくいくとでも思っていらっしゃるのでしょうか?
また、今よりも医療体制が充実し(診療科目が増え)、高度な医療が受けられるようになるのは結構なことですが、そういうサービス面での向上は、一方で今以上の経費、場合によっては桁違いの経費がかかってくることになることも忘れてはなりません。
さらに病床数についても先日開院した加古川医療センターがベッド数353床なのに対し、三木小野の統合病院はフルオープンして450床···本当にそれだけの稼働率を上げることができるのか疑問です。
ていうか、それだけの規模が本当に必要なのかどうかもよく分かりません。
いずれにしても、建設費用の負担割合だけでなく、スタートした後の費用負担のあり方についても、本来は早期の段階で両市の間で話をつけておくべき内容だと思うのですが。
それともそれを今、決定してしまえば市民の反発が予想されるからあえて伏せている、建ててから考えるという算用なのでしょうか?
大事な問題だと思うんですけど。


今まさに自らの手で解決しなければならない問題と真正面から向き合うことなく、統合病院建設だけを前面に押し出すことで問題は全て解決できたかのように取り繕う、今、それらの問題と真正面から向き合わなければ、新しい病院が出来たところで同じ問題に突き当たることになるのが分かっていながらその問題に取り組もうとしない、目を向けようとしない。
具体的な手立ては相も変わらず人員削減だけです。
問題の本質に目を向けようとしないということは、すなわち、市民と真摯な姿勢で向きあっていないことの表れなのだと私は思っています。
「満足よりも納得させてくれ」
これは樋渡市長がご自身のブログで紹介された言葉ですが、
一方通行の情報発信、市政運営では市民を「納得」させることは到底できません。
どうも三木市は双方向の情報発信をする上での前提となる信頼関係を市長自身持つ気がない、持とうとしないところに市政運営の停滞につながる根本的な原因があるのではないかと思います。
[PR]
by kkamoike | 2009-11-02 20:20 | 三木市政