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どうぶつのつぶや記

「責任の取り方」と「後始末」

昨日は、ボート事故に対する意見具申の発表についての私見を述べさせていただきましたが、事故関係者の処分をはっきりさせることは、組織として当然のことです。
ただし、しつこいようですが、その意思決定のプロセスにおいては、手順やルールというものを遵守することが何よりも重要であると確信しています。


当然、正式な処分決定が下されるまでは、処分の対象となる者のプライバシーをはじめ、最終決定に至るまでの経過も含めた情報の取り扱いは、慎重にも慎重を期さなければならないと思っています。また、それを守ることが、組織として、それ以前に人として当然のことであると思っています。
その理由は、昨日の記事で申し上げたとおりです。


さて今回の本題ですが、市のトップとして責任をとるとはどういうことをいうのでしょうか。
意見具申の内容を発表することによって、市のトップとしての責任を果たしたとお考えであるなら、それは大きな間違いだと私は考えます。
なぜなら、本来動くべきタイミングでないときに動くことが、どれほどの人に迷惑を与えることになるのか、また、今回の場合のように、最終決定の途中段階で発表するということが、身内(市の職員)であるとはいえ、どれほど個人の尊厳をおびやかし、権力に任せ相手を一方的に陥れることになるか容易に判断できるからです。
少なくとも、今回の場合、市のトップ自らが率先して英断を下したかのように発表することが、市のトップとしての責任の取り方ではないはずです。


それぞれの担当がいて、それぞれの与えられた権限に基づき役割を果たしていくのが「組織」というものです。
そういう意味では、今回の件に関していえば対応すべきトップは教育長であるはずです。
それを、意見具申の段階から、市のトップ自らがしゃしゃり出るのはおかしいと思うのです。その証拠に事故発生から意見具申発表まで事故に関して一切触れることなく、表面上は関与されてこなかったはずです。そうであるなら、最初から最後まで、教育長の処分決定を見守り、その決定に黙って従い、処分の事実を真摯に受け止めた上で、関係者に対する必要なフォローやケアをするのが、本来、市のトップとしての責任のとり方ではないのかと思うのです。
オンブズマン三木さんも指摘をされているとおり、少なくとも、議会の席で、教育長の言動を「けしからん」と責めたてる前に、いくらでも市のトップとしてやらなければならなかったことがあったはずですし、逆にしてはいけないこともあったはずです。
それぞれのケースに応じた責任のとり方ができないリーダーのもとでは、現場はただただ混乱するだけです。
そして最悪の場合、今回のように責任の取り方を誤れば、最後は誰かがその後始末をすることになるのです。
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by kkamoike | 2008-09-14 07:27 | 三木市政 | Comments(0)

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