どうぶつのつぶや記

教育長辞任発表と人事管理

9月上旬、教育委員会からの依頼を受けて市の賞罰審査委員会が開催され、ボート事故の関係者の処分に関する意見具申の内容が発表されました。
発表後、この件に関して、共産党のくろしま議員のブログでは、発表は教育委員会が最終決定したあとに行うものであって、決定でもないこのタイミングで発表するのはおかしいと述べておられました。

今回の教育長辞任発表の件については、新聞にも大きく取り上げられ、責任放棄であるとか、当然の決断であるということが書かれてありましたが、私は、ある面、教育長自身も、この意見具申で免職にすべきであるとされた二人の職員と同様、二次的被害者ではないかと思うのです。
別に、この方たちの身内でも知り合いでも、教え子でもないのですが、免職にすべきと意見具申された人達は、決定でもない段階から氏名まで発表され、あたかも免職に決まったように周囲から見られているはずです。曝し者のような感じです。
また、仮に最終決定が意見具申の内容と異なる決定がされた場合でも、一旦貼られたレッテルは、もとにもどらず、心に受けた傷は一生消えないのです。後ろめたさが残り、いつまでもマイナスイメージがついてまわるかもしれません。

先ずは、意見具申した内容の妥当性の議論とは別に、今回の意見具申の内容を発表したこと自体が、関係者に計り知れないプレッシャーを与える結果となったことを忘れてはなりません。

また、既に公表された内容を受けて、最終決定する側の責任者である教育長についても、同じことが言えるのではないかと思います。
最終決定でないにもかかわらず発表したことで、教育長を窮地に追い込んでしまったともいえます。

当然、私は、処分の内容が決まれば、潔く従うべきだという認識を持っています。
しかし、今回、ここで問題としていることは、意見具申の内容を発表した側の責任問題です。
この問題は、深く掘り下げれば、人権問題に繋がるかもしれません。あるいは、公の場を利用したバワーハラスメントに繋がるかもしれません。
正しい手続に則り、決定されることついて異義はありませんが、決定されていない段階での発表は、あまりにも影響が大きすぎたような気がします。

この問題に対する責任をなぜ議員はもっと追求しないのでしょうか。

世間の一般常識や、組織の意志決定のセオリーから大きく逸脱した行為、あるいは、人に対する配慮やおもいやりに欠けた行為が今回のように平然と行われる職場だから、年度途中に退職者が出たり、病気で長期休暇を余儀なくされる職員が続出するのではないでしょうか。
全ては根底でつながっているのだと思います。
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by kkamoike | 2008-09-13 06:51 | 三木市政 | Comments(0)