どうぶつのつぶや記

まちづくりのスタート地点(過去から未来へ)

過去にあった出来事や、ある人物が歩んできた足跡などの歴史や経歴を振り返ったとき、その評価は人それぞれ異なる。
その人が生きてきた背景や学んできたこと、思想や環境をベースにした考え方が人それぞれ違うのだから当たり前といえば当たり前である。

昨日あげたブログの記事に対して、
「前三木市長に対する“客観的な”一つの評価だと思う」とセロトニンさんからコメントをいただいた。

思えば、これほどの施設が揃っている市が他にあるのだろうか。
県の施設が多いこともあるが、市内の10地域に建てられている公民館をはじめ、中学校区に建てられているデイサービスセンターなど、観光施設だけでなく、市民の生活に直結する施設も大変充実している。
「箱物ばかり建ててどうするの···」と揶揄されることも多いようだが、その施設が有効に活用されているのであれば、それは市民への税の還元という観点から十分意味のあることではないのかと思うのである。
今ある箱物に対して批判するのではなく、利用しきれない箱物を建てる計画性のなさを批判すべきなのではないかと思う。
考えて見れば、今のこの時代に、これだけの資源を揃えろといってもなかなかできるものではない。

そう考えれば、今の時点でこれだけの資源が揃っている状況が、借金を膨らませ、財政状況を悪くした「諸悪の根源」だというような考え方(側面)ばかりを市民の意識に植えつけるのはいかがなものか。
そうではなくて、この状況に感謝して、今後、先人が残してくれた偉大な資源をもっともっと大きく、有効活用していこうという前向きな気持ちになるような方向性に持っていくべきではないのかと思うのである。

しかしながら、私たちの祖先が懸命になって残そうとしてくれた国土や国の誇りというものを平気で踏みにじるような論調を持つ輩がいるのと同様に、三木市においても平気で先人の残した功績を批判する風潮が一部にあるような気がする。
このような風潮が全体に広がるようでは、日本を愛する、ふるさと三木を愛する「美しい心」を持った子どもたちを育てていくことなど到底できないのではないか。

いい面はいい面で評価をし、その上で、悪いところは自分たちの責任と工夫で良くしていく。
何でもかんでも人のせいばかりしたり悪く言うのは簡単なことである。しかし、一番卑怯なことでもある。

今、私たちに求められているのは、冷静な頭でもって、物事を多面的に受け入れ、いい面も悪い面も両方評価し、自分たちの手で改善していく姿勢と、広い心を持った人間になることではないか。
そこからが過去から未来に向けた「まちづくりのスタート地点」になるのだと思う。
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by kkamoike | 2008-08-08 20:45 | みっきぃふるさとふれあい公園