どうぶつのつぶや記

プロフェッショナルなのだから

市民の意見一つ一つに答えを返す。

市民から見るとあたり前のようにも思うし、わざわざご丁寧にと恐縮するところもある。

自分が教えてほしいことや、どうにも腹の虫が収まらず文句を言った時、返事を期待している場合に反応がないのは困る。
しかし、特に返事を望んでいない場合は、わざわざ返事などくれなくてもいいのにと思うことがある。


何が言いたいのかというと、もう、お分かりの方もいらっしゃるはず。
そう、市内の各地区で開催したタウンミーティングで出た意見やアンケートの意見に対し、一つ一つ市が丁寧に答えている件である。
その内容は、ホームページにも掲載されているし、地域内で回覧もされていた。

「ご苦労様でした。」の一言に尽きるが、読んでみようという気にはならない。

自分が参加し、なおかつ冒頭に書いたような返事を期待している場合は、その内容を探すこともあるだろう。
しかし、それでも、この膨大な資料に目を通すかどうかは疑問だ。


ここでも、これだけの資料をつくるには相当の時間と税金が使われているものと推測されるのである。

「これだけの手間隙をかけてつくったわりには、中身のない」と言ってしまえば一生懸命作られた職員の方々に失礼だが、この資料は「意見者に回答を示すだけが目的なの?」それとも「参加していないほとんどの市民にも見てもらいたいの?」と思ってしまうのである。

「こんな意見が出ました。市はこんなふうに答えています。みなさん見てください。さあ、どうぞ。」

これでは、参加しなかったほとんどの市民に目を通してもらうことなどできないだろうし、市としてのメッセージも伝えることは難しいだろう。


単に、市民からの意見に対して回答し、見たい人は見ればいいというような受身の対応ではなく、
出てきた意見を市としてどのように受け止め、どのようにしてまちづくりに活かしていくのか、もう一歩、二歩踏み込んだ形での総括的な市の見解をわかりやすく、見やすく示すことで、市が情報発信するにふさわしい資料が出来上がってくるのではないのかと思うのである。
平たく言えば、参加しなかったほとんどの市民に目を通してもらうには、どうすればいいのかという視点で物事を考えれば、おのずと答えはでてくると思うのだが···。

相手の気持ちにたって物事を考え、行動することは、戦略的な情報発信、先進的な広報をしていく上での基本中の基本なのである。

プロフェッショナルなのだから、同じ手間隙かけてするのならもう少し知恵を絞ってほしいものである。
[PR]
by kkamoike | 2008-06-21 22:12 | 三木市政