どうぶつのつぶや記

行革と市民協働

行革と市民協働がセットで述べられている。

私は、職員を削減して手が回らない部分を、市民協働などの形でフォローするものだと解釈している。

今まで、ある意味、行政に任せっぱなしだった市民の意識を変えるため、三木市においても様々な取り組みがされているようだ。

小泉内閣あたりから、「改革は痛みを伴うもの」というような言葉が、市民権を得たかのごとく独り歩きしている印象があるが、この「痛み」とは、一体、何を指しているのか。

多くの場合、相応の金銭的負担(税負担や保険料負担など)を指すと思っているのだが、「市民協働」もこの痛みに含まれると考える人はどれだけいるのだろう。

また、市民も「市民協働」という耳ざわりのいい言葉として好意的に捉えている人が多いようだが、「協働」として関わる以上、責任も伴うということを認識している人はどれくらいいるのだろうか。

「いっしょにまちづくりをしましょう。」
確かに必要なことで、大事なことだ。しかし、やる以上は、我々市民も、不平不満や文句ばかり言うのではなく、責任が伴うものであることを念頭に置いておく必要がある。

しかし、そのような意識を持つ以前の問題として、私が今一番腹立しく思っているのは、行政が「行革」と「市民協働」を全くの別物として切り離して説明しているような印象を受けることである。

表現を変えれば、行革は「ムチ」であり、市民協働は「アメ」であるかのごとく。

行革のアウトラインを明確にし、その空いた部分を市民協働という形で穴埋めするのか、アウトソーシング(民間委託など)で穴埋めするのかといったことなどの、市民への説明責任が全くといっていいほど果たせていないと感じるのである。

「市民協働」には責任が伴うということを認識してもらえないまま、「この部分は市民の皆さんにやってもらいます」というような具体的な内容も明らかにしないまま、委託契約を結ぶ際に行われている行為、例えば、交渉や説得、契約などといったものと同様の手続きを取らないまま、あいまいなまま放っておくと、いつまでたっても「市民協働」は実現しないと思う。

今のままだと、お互いの不信感だけが増長されるだけだろう。

行政は一刻も早く行革と市民協働のあり方や考え方を市民に丁寧に、わかりやすく、根気よく提示し続けていかなければならない。
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by kkamoike | 2007-11-21 12:14 | 三木市政